宮地克彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮地 克彦 福岡ソフトバンクホークス No.97 |
|
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大東市 |
生年月日 | 1971年8月28日(36歳) |
身長 体重 |
174cm 75kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1989年 ドラフト4位 |
初出場 | 1994年4月10日 |
最終出場 | 2006年9月19日 |
経歴 | |
|
|
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
宮地 克彦(みやじ かつひこ、1971年8月28日-)は、日本の元プロ野球選手。ポジションは外野手。愛称は同姓の城南電機・宮路年雄社長(故人)にちなんだ「社長」。
2008年からは、古巣の福岡ソフトバンクホークスの二軍育成担当に就任することが決定している。
目次 |
[編集] 来歴・人物
尽誠学園高校3年生だった1989年、エースとして春・夏ともに甲子園に出場(1学年下に谷佳知(現巨人)がいた)。夏の甲子園準決勝、仙台育英高校・大越基との延長10回におよぶ投手戦は有名。その年のドラフト4位で西武ライオンズに入団。
入団当初は投手。高卒ルーキーで開幕一軍に抜擢された(西武では彼以降は松坂大輔まで高卒ルーキーの開幕一軍はない)。オープン戦で勝ち星を挙げるなど期待されていたが、当時の変則フォームがボークと取られて以降は調子を崩し、その後、1993年に、持ち前の打撃センスと投手出身ならではの強肩を生かして外野手に転向。1995年8月30日の対ロッテ戦でプロ初ホームランを放ったが、外野手には大友進や小関竜也、垣内哲也などのレギュラーがいたため、出番に恵まれなかった。1998年にはイースタンリーグで首位打者を獲得。2000年には珍しい先頭打者ランニングホームランを記録している。2002年には伊原春樹監督のいわゆる日替わり3番打者(主に犬伏稔昌との併用で、左投手が先発の時は犬伏、右投手の時は宮地が起用された)として100試合に出場、リーグ優勝に貢献した。
しかし、2003年はひざの故障が原因で出場機会が激減。オフには若返りを図るチームの構想から外れ、戦力外通告された。現役続行を目指して、横浜ベイスターズ・大阪近鉄バファローズ・千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けるも不合格。合同トライアウトも受けるが、入団には至らなかった。台湾行きの意思を固めていたが、主力外野手・村松有人をFA移籍で失った福岡ダイエーホークスが急遽実施した入団テストに参加。外野から本塁までノーバウンド返球を見せるなど王貞治監督以下首脳陣の期待通りの実力を披露し、見事合格し入団を果たした(その時の模様を「ZONE」(TBS)で採り上げられる)。
2004年はシーズン途中からライトのレギュラーに定着。規定打席不足ながら打率.310の好成績を残し、古巣西武とのプレーオフでも先発出場を果たした。2005年は荒金久雄との激しいレフトの守備位置争いを征して開幕スタメンの座を勝ち取り、レギュラーに定着。7月にはプロ16年目にして初のオールスター出場を果たす。パ・リーグでは1枠しかない外野の監督推薦枠を勝ち取っての出場となった。この年、初めて規定打席に到達。16年目での初の規定打席到達は元ヤクルトの八重樫幸雄を抜いて、ドラフト制度が確立した1965年以降では最も遅い記録となった。
シーズンオフにはベストナイン外野手部門に選出され、遅咲きながらも実りの多い一年となった。その活躍から「リストラの星」とも呼ばれた。守備もなかなか定評があり、強肩である。ファンからはイチローのレーザービームに因んで「オヤジビーム」と言われることもあった。
KBCにて放映中の「月刊ホークス」の「2006年開幕直前SP」にて、「気持ちは若手のつもりなので、おやじと呼ばないでください。」とメッセージを残している。また、「新庄剛志選手と同じ歳ですよ!」とも発言し、暗にオヤジではないということをアピールしたことがある。しかし、「リストラの星」と言われることに対しては、「同世代のサラリーマン・働いている人の励みに少しでもなれば」というコメントも残している。性格的にはかなりシャイだが、ファンとの交流を大切にする選手である。その甲斐もあって、後に受験したトライアウトの際、ホークスにいた時期は3年ながら、多くのファンが彼の応援に駆けつけており、宮地が登場すると、歓声がわいた。
同じ外野手の柴原洋、大村直之、辻武史や同級生である鳥越裕介、田之上慶三郎らと仲が良く、特に辻とはオフには合同自主トレを行う仲だった。
2006年は主に代打として出場していたが、打率が1割台と振るわず10月15日に自身2度目の戦力外通告を受け、「もう一度奇跡を起こすところを見せたい」と語った。12月7日、BCリーグ・富山サンダーバーズの選手兼任コーチに就任することが発表された。
2007年5月4日、石川ミリオンスターズとの試合でNPBの一軍・二軍とBCリーグの安打を合わせて通算1000本安打を達成した。11月7日には、川崎市のジャイアンツ球場で行われた12球団合同トライアウトに参加した。
2008年からは栄転した湯上谷竑志に代わり、ソフトバンク二軍育成担当コーチに就任。
[編集] 略歴
- 初出場:1994年4月10日対近鉄(西武球場)右翼手として
- 初打席:1994年4月23日対ダイエー(西武球場)
- 初安打:1995年8月29日対ロッテ(西武球場)小宮山悟投手から
- 初本塁打:1995年8月30日対ロッテ(西武球場)荘勝雄投手から
- 初打点:1995年8月30日対ロッテ(西武球場)
- 初スタメン:1995年8月29日対ロッテ(西武球場)左翼手として
[編集] 甲子園での戦歴
- 1989年第61回選抜高等学校野球大会に出場、1回戦敗退(1試合 10投球回 7奪三振 自責点1 防御率0.90)。
- 1989年第71回全国高等学校野球選手権大会に出場、準決勝に進出(5試合 46投球回 35奪三振 自責点4 防御率0.78)。
- ※いずれも投手として
[編集] 通算成績(プロ時代)
[編集] NPB
年度 | 球団 | 背番号 | 試合数 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1990年 | 西武 | 58 | 一軍出場なし | |||||||||
1991年 | ||||||||||||
1992年 | ||||||||||||
1993年 | ||||||||||||
1994年 | 4 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
1995年 | 13 | 23 | 3 | 3 | 1 | 0 | 1 | 2 | 2 | .130 | ||
1996年 | 一軍出場なし | |||||||||||
1997年 | 6 | 7 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | .143 | ||
1998年 | 7 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
1999年 | 一軍出場なし | |||||||||||
2000年 | 21 | 60 | 8 | 16 | 3 | 0 | 2 | 9 | 0 | .267 | ||
2001年 | 15 | 22 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .182 | ||
2002年 | 100 | 247 | 27 | 66 | 7 | 2 | 3 | 29 | 8 | .267 | ||
2003年 | 25 | 53 | 5 | 10 | 3 | 0 | 0 | 6 | 2 | .189 | ||
2004年 | ダイエー | 37 | 93 | 252 | 33 | 78 | 10 | 0 | 3 | 24 | 1 | .310 |
2005年 | ソフトバンク | 125 | 409 | 46 | 127 | 22 | 1 | 3 | 36 | 1 | .311(5位) | |
2006年 | 48 | 71 | 9 | 11 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | .155 | ||
通算成績(実働11年) | 457 | 1151 | 132 | 316 | 47 | 4 | 12 | 111 | 14 | .275 |
- ベストナイン賞 2005年
[編集] BCリーグ
年度 | 球団 | 背番号 | 試合数 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2007年 | 富山 | 8 | 71 | 226 | 41 | 75 | 10 | 3 | 4 | 47 | 2 | .332(4位) |
通算成績(実働1年) | 71 | 226 | 41 | 75 | 10 | 3 | 4 | 47 | 2 | .332 |
[編集] テーマソング
- 布袋寅泰 - Battle Without Honor Or Humaity(映画キル・ビル_Vol.1のサウンドトラックに収録)
[編集] 関連項目
監督 |
---|
89王貞治 |
コーチ |
80秋山幸二(チーフ)|88森脇浩司(内野守備走塁)|87井出竜也(外野守備走塁)|81新井宏昌(打撃) 85杉本正(投手)|82高山郁夫(投手)|84大石友好(バッテリー)|92山川周一(コンディショニング) |
二軍監督・コーチ |
76石渡茂(監督)|71鳥越裕介(内野守備走塁)|79五十嵐章人(外野守備走塁)|75山村善則(打撃) 77藤田学(投手)|74岩木哲(バッテリー)|94田之上慶三郎(コンディショニング補佐)|95川村隆史(コンディショニング) |
投手 |
00ホールトン|11小椋真介|13高橋秀聡|14馬原孝浩|16篠原貴行|17大場翔太|18新垣渚|19森福允彦 20スタンドリッジ|21和田毅|24高橋徹|28大隣憲司|31佐藤誠|33星野順治|34山田秋親|35ニコースキー 38神内靖|39久米勇紀|40藤岡好明|41岩嵜翔|43ガトームソン|44水田章雄|47杉内俊哉|48甲藤啓介 49パウエル|54川頭秀人|56柳瀬明宏|57三瀬幸司|59大西正樹|61山村路直|63大田原隆太|64西山道隆 66斉藤和巳|68竹岡和宏|91陽耀勲 |
捕手 |
12高谷裕亮|22荒川雄太|25的山哲也|26的場直樹|29加藤領健|62山崎勝己|70田上秀則 |
内野手 |
0仲澤忠厚|3松中信彦|5松田宣浩|9小久保裕紀|10本間満|32森本学|36明石健志|37福田秀平 45李杜軒|46本多雄一|50吉本亮|52川崎宗則|53金子圭輔|65藤井翼 |
外野手 |
1柴原洋|6多村仁|7大村直之|8江川智晃|23城所龍磨|27中西健太|30長谷川勇也 42レストビッチ|51荒金久雄|55小斉祐輔|58辻武史|60中村晃|69井手正太郎 |
育成選手 |
121山田大樹(投手)|122吉川元浩(内野手) |
西武ライオンズ(現-埼玉西武ライオンズ) 1989年ドラフト指名選手 |
---|
1位:潮崎哲也 / 2位:鈴木哲 / 3位:大塚孝二 / 4位:宮地克彦 / 5位:佐伯秀喜 / 6位:北原泰二 |