川崎宗則
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川﨑 宗則 福岡ソフトバンクホークス No.52 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県姶良郡姶良町 |
生年月日 | 1981年6月3日(27歳) |
身長 体重 |
179cm 74kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 遊撃手 |
プロ入り | 1999年 4位 |
初出場 | 2001年10月3日 |
年俸 | 1億5000万円(推定) |
経歴 | |
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川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(内野手)である。
目次 |
[編集] プレースタイル・特筆
今までに盗塁王、最多安打、ゴールデングラブを獲得している走攻守全てに秀でたリードオフマン。後述の神の手など、ここ一番での活躍も光る反面、大事な場面の守備でエラーしてしまう悪癖も持つ。
元気溌剌なプレーでムードメーカーとしてもチームに貢献する。投手が打ち込まれた際などに自らタイムを取って声をかけに行く光景などはよく見られ、首脳陣からも次期チームリーダーとしても期待されている。
[編集] 略歴・人物
兄の影響で野球を始める、中学生までは投手、高校生の時に遊撃手に転向。鹿児島工業高校時代は中央球界では無名だったが、50 m 走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さからイチローをもじって「サツロー(薩摩のイチロー)」とも呼ばれた。
[編集] プロ入り後
ルーキーながら二軍で遊撃手のレギュラーを獲得し、ウェスタン・リーグ5位(チームトップ)の打率.300をマークした。
森谷昭仁に1個差に迫る29盗塁で、ウェスタン・リーグ2位の盗塁数を記録した。シーズン終盤の10月3日にプロ初出場を果たした。
規定打席不足ながら打率.367、認定でウエスタン・リーグの首位打者になり、一軍でも9月に井口資仁の離脱で二塁手として起用された。インターコンチネンタル杯日本代表に選出された。
鳥越裕介の故障により2番遊撃手で初の開幕スタメン出場。鳥越のレギュラー復帰後は小久保裕紀の長期離脱で空いた三塁手にまわり、1番村松有人・3番井口とともに盗塁を量産。足でダイハード打線に貢献した。惜しくも3割は逃したが、初の規定打席到達で打率.294、2本塁打、51打点、30盗塁の好成績を残し、リーグ制覇、日本一に貢献した。
鳥越の不調でショートのレギュラーに定着。全試合出場と打率3割を記録し、松中信彦と並ぶ最多安打(174本)・盗塁王(42個)・ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。オフの契約更改で背番号8を提示されたが、52から変更しない意志を表した。
ケガで4月後半から離脱した影響もあり、打率.271と不振に終わった。
WBC日本代表に選出され、9番遊撃手のレギュラーとして優勝に貢献。決勝のキューバ戦では初めて1番打者に抜擢され、1点差に迫られた9回表にイチローのライト前ヒットで二塁からホームへ一気に生還しようとした際、捕手のブロックのわずかなすき間から右手をねじ込んで生還した。これが「神の右手」として話題になったが、このとき右ひじを痛めてしまい、この年の公式戦初出場は4月21日のオリックス・バファローズ戦(スカイマークスタジアム)となった。
前述の怪我が原因で公式戦初出場が遅れたが、レギュラーシーズンでは2年ぶりの打率3割を記録。2度目となるベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得した。しかしチームはシーズン3位に終わり、プレーオフでも北海道日本ハムファイターズに敗退した。日米野球の選手選考のために行われたファン投票の遊撃手部門で1位に選ばれた(秋季キャンプ中に右手薬指を打撲して辞退)。
シーズン前半負傷による長期離脱があり、レギュラー定着後はじめて規定打席に到達できなかった。しかし打率.329の高打率を残し、一時は規定打席不足による特例での首位打者も狙える位置にいた。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
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2001年 | ダイエー | 52 | 1 | 5 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | .000 |
2002年 | 36 | 122 | 112 | 13 | 26 | 4 | 5 | 0 | 40 | 8 | 3 | 2 | 6 | 0 | 4 | 0 | 21 | 1 | .232 | ||
2003年 | 133 | 568 | 493 | 78 | 145 | 17 | 9 | 2 | 186 | 51 | 30 | 16 | 28 | 2 | 41 | 4 | 74 | 8 | .294 | ||
2004年 | 133 | 633 | 564 | 87 | 171 | 19 | 8 | 4 | 218 | 45 | 42 | 14 | 15 | 3 | 48 | 3 | 63 | 8 | .303 | ||
2005年 | ソフトバンク | 102 | 458 | 399 | 53 | 108 | 12 | 3 | 4 | 138 | 36 | 21 | 10 | 22 | 3 | 26 | 8 | 52 | 4 | .271 | |
2006年 | 115 | 513 | 449 | 69 | 140 | 21 | 7 | 3 | 184 | 27 | 24 | 9 | 27 | 0 | 32 | 5 | 54 | 2 | .312 | ||
2007年 | 95 | 427 | 383 | 57 | 126 | 12 | 7 | 4 | 164 | 43 | 23 | 8 | 10 | 1 | 29 | 4 | 46 | 3 | .329 | ||
通算成績 | 615 | 2726 | 2404 | 358 | 716 | 85 | 39 | 17 | 930 | 211 | 143 | 59 | 108 | 9 | 181 | 24 | 310 | 26 | .298 |
- 表中の太字はリーグ最高記録
[編集] タイトル・表彰・記録
- 盗塁王:1回(2004年)
- 最多安打:1回(2004年)
- ベストナイン:2回(2004年、2006年)
- ゴールデングラブ賞:2回(2004年、2006年)
- オールスター出場:4回(2004年 - 2007年)
[編集] 個人記録
- 初出場:2001年10月3日対オリックスブルーウェーブ28回戦(グリーンスタジアム神戸)、2番・遊撃手として先発出場
- 初打点:同上、6回表にエド・ヤーナルから
- 初安打:2002年6月15日対大阪近鉄バファローズ11回戦(大阪ドーム)、6回表にジェレミー・パウエルから
- 初本塁打:2003年7月28日対大阪近鉄バファローズ17回戦(福岡ドーム)、3回裏に門倉健から
- 初盗塁:2002年6月19日対西武ライオンズ11回戦(西武ドーム)、5回表に二盗
[編集] 人物・エピソード
- ニックネームは名前よりムネリン。チームメイトからは「ムネ」「ムネさん」と呼ばれている。また、入団時は公称179cm・62kgと華奢で、太れ(筋肉をつけろ)と監督命令されたことから岡本克道から「ヒヨコ」とあだ名されていた。
- 実家は川崎電気工事という父が開業した電気工務店で、自身も高校時代に第2種電気工事士の資格を取得している。『東京フレンドパーク2』出演時、電気事業者を答えるクイズで「川崎電気」と回答し、関口に「ノイズが入らなかったか?」と突っ込まれ、渡辺正行が「CMが入りました」とフォローした。同番組ではウォールクラッシュで「ジャニーズ系がよく跳ぶ」と関口宏らに言われ、「じゃあ、うちのジャニーズ系を」と指名されたが結果は散々だった。
- 2004年から盗塁数と同数の車椅子を寄贈する「走れ!川崎プロジェクト」を立ち上げ、2006年末に吉武真太郎や吉本亮、山崎勝己、井手正太郎らをメンバーに、自身がオーナーを務めて「宗rin's」という軟式野球チームを作って小・中学生と交流するなどメセナ活動も行っている。
- 背番号52にはこだわりを持っており、入団以来何度も変更を打診されているが断り続け、WBCでも52番をつけた。これは彼がイチローをして「イチローマニアですね」と言わせるほどの大ファンである為で、イチロー(背番号51)のひとつ後の番号という思い入れから。
- アリゾナにあるイチローの別宅に招待された際、「どちらがイチローさんの車の助手席に乗るか」を巡るジャンケンで今江敏晃(ロッテ)に敗北した(『ジャンクSPORTS』内での今江の発言)。2007年からはヤフードームの登場曲もイチローと同じ楽曲(矢沢永吉の『止まらないHa~Ha』)に変更している。
- 青木宣親(ヤクルト)とは同学年で出身が近い(鹿児島と宮崎)こともあって旧知の間柄。高校時代に練習試合で対戦している。他、馬原孝浩ら同学年の選手や、WBCで二遊間を組んだ西岡剛(ロッテ)と交友が深い。芸能関係では他にラッパーのMCU(KICK THE CAN CREW)と交流があり、2007年のオープン戦で打席に入る際のテーマソングに、MCUの提供した『サヨナラ』を使用した。
- 2006年、母校の鹿児島工業高校が夏の甲子園に初出場した際、紫の刺繍で校名を縫い取ったスポーツバックを贈った(同校はベスト4に進出)。同年春、川崎は自主トレーニングでこの母校の野球部の後輩たちと一緒に練習をしていた(公式HPの日記より)。
- 中村基樹とのラジオ対談で、「僕は観客のために野球をしている。」「監督のために野球をしているのではなく、監督と一緒に野球をしている。」と語った。
- 車の運転技術がひどかったことが、一時期、半ば自虐的に話のネタになっていた。
- 愛読書は『ゴルゴ13』。完璧なのが好き、とのこと。
[編集] FMラジオ
2004年1月より福岡市のCROSS FMでナビゲーターを務め、『川﨑宗則の今日もヨロシコ』を毎年1月から3月の期間限定で放送している。近況報告や裏話、ファンからの質問が中心で人気企画となっている。
[編集] 入場テーマ(出囃子)
- ケツメイシ「夏の思い出」(2005年夏場まで)
- Soul Camp「Big Mama」(2005年夏以降)
- ウルフルズ「バンザイ~好きでよかった~」(2006年開幕~5月頭頃)
- Def Tech「Catch The Wave」(2006年5月のみ)
- BENNIE K「サンライズ」(2006年6月~7月頃)
- HOME MADE 家族「サルビアのつぼみ」(2006年9月以降)
- MCU「サヨナラ」(2007年オープン戦のみ)
- 矢沢永吉「止まらないHa~Ha」(2007年開幕以降、6月下旬より第1打席目に使用)
- GReeeeN「道」(2007年6月下旬より第2打席目以降に使用)
- Natural Radio Station「福岡WALKER」(2008年開幕~)
- Natural Radio Station「LIFE STYLE」(2008年4月~、第2打席のみ使用)
- Memphis Bleek「LIKE THAT」(2008年6月3日のみ?)
[編集] コマーシャル
- 現在出演中
- 過去に出演
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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監督 |
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89王貞治 |
コーチ |
80秋山幸二(チーフ)|88森脇浩司(内野守備走塁)|87井出竜也(外野守備走塁)|81新井宏昌(打撃) 85杉本正(投手)|82高山郁夫(投手)|84大石友好(バッテリー)|92山川周一(コンディショニング) |
二軍監督・コーチ |
76石渡茂(監督)|71鳥越裕介(内野守備走塁)|79五十嵐章人(外野守備走塁)|75山村善則(打撃) 77藤田学(投手)|74岩木哲(バッテリー)|94田之上慶三郎(コンディショニング補佐)|95川村隆史(コンディショニング) |
投手 |
00ホールトン|11小椋真介|13高橋秀聡|14馬原孝浩|16篠原貴行|17大場翔太|18新垣渚|19森福允彦 20スタンドリッジ|21和田毅|24高橋徹|28大隣憲司|31佐藤誠|33星野順治|34山田秋親|35ニコースキー 38神内靖|39久米勇紀|40藤岡好明|41岩嵜翔|43ガトームソン|44水田章雄|47杉内俊哉|48甲藤啓介 49パウエル|54川頭秀人|56柳瀬明宏|57三瀬幸司|59大西正樹|61山村路直|63大田原隆太|64西山道隆 66斉藤和巳|68竹岡和宏|91陽耀勲 |
捕手 |
12高谷裕亮|22荒川雄太|25的山哲也|26的場直樹|29加藤領健|62山崎勝己|70田上秀則 |
内野手 |
0仲澤忠厚|3松中信彦|5松田宣浩|9小久保裕紀|10本間満|32森本学|36明石健志|37福田秀平 45李杜軒|46本多雄一|50吉本亮|52川崎宗則|53金子圭輔|65藤井翼 |
外野手 |
1柴原洋|6多村仁|7大村直之|8江川智晃|23城所龍磨|27中西健太|30長谷川勇也 42レストビッチ|51荒金久雄|55小斉祐輔|58辻武史|60中村晃|69井手正太郎 |
育成選手 |
121山田大樹(投手)|122吉川元浩(内野手) |
福岡ダイエーホークス(現・福岡ソフトバンクホークス) 1999年ドラフト指名選手 |
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1位:田中総司 / 2位:広田庄司 / 3位:的場直樹 / 4位:川﨑宗則 / 5位:田中瑞季 |