森脇浩司
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森脇 浩司 福岡ソフトバンクホークス No.88 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県西脇市 |
生年月日 | 1960年8月6日(47歳) |
身長 体重 |
177cm 73kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト2位 |
初出場 | 1981年4月15日 |
経歴 | |
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森脇 浩司(もりわき ひろし、1960年8月6日 - )は兵庫県出身の元プロ野球選手(二塁手・遊撃手・三塁手)、福岡ソフトバンクホークス一軍内野守備走塁コーチ。2006年シーズン途中からは王貞治監督の胃がん手術による休養のために監督代行も務めた。兵庫県立社高等学校の監督である森脇忠之は実兄。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1978年、ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。1984年に加藤英司・大原徹也との2対2の交換トレードで福井保夫とともに広島東洋カープに移籍。その後、1987年シーズン途中に永田利則とともに西山秀二(+金銭)との2対1交換トレードで南海ホークスに移籍する。
当時、遊撃のポジションには小川史、中尾明生、湯上谷宏、坂口千仙など何人もの似たタイプの選手がレギュラーの座を奪い合っていたが、ショートに加えて久保寺雄二の死後、捕手だった香川伸行のコンバートが芳しくなかったサードのポジションで実績を重ねた。
度重なるけがもあってレギュラーの座をつかむことがなかなかできなかったが、1993年~1994年にはレギュラーの三塁手の座をつかむ。しかし、1995年にはその座を松永浩美にあけ渡してしまう。打撃では華々しい成績を残せなかったものの、安定した守備で活躍、まさにいぶし銀の働きであった。1996年に現役を引退。1997年からはホークスの内野守備走塁コーチを務めており、ノックの技術には球界屈指との定評がある。
王監督の信頼は絶大で、監督が胃がん手術に伴う休養のため、2006年7月6日よりソフトバンクの監督代行を務める。シーズン開幕前にも王監督がWBC代表監督としてチームを離れていたため、オープン戦の指揮を執っていた。背番号は88。監督代行(チーフコーチ)兼内野守備走塁コーチであったため、王監督休養後も攻撃時には三塁コーチボックスに立ち指揮していた。2007年は、総合コーチとして2006年まで二軍監督を務めた秋山幸二が就任することから(秋山は次期監督候補であると言われている)内野守備走塁コーチに専念することとなった。
2008年現在、南海の福岡移転を経験し、かつ移転後の全期間ホークスに在籍しているのは、森脇と山村善則二軍打撃コーチのみである。
[編集] 通算打撃成績
- 843試合 打率.223(1095打数244安打) 14本塁打 75打点 17盗塁 46失策
[編集] 監督通算成績
55試合 30勝22敗3分 勝率 .545
[編集] 背番号
- 31(1979年 - 1983年)
- 23(1984年 - 1985年)
- 12(1986年 - 1987年途中)
- 15(1987年)
- 4(1988年 - 1996年)※これまで外国人選手の背番号だったので、日本人選手の4番は久々だった。
- 79(1997年 - 1999年、2003年 - 2004年)
- 82(2000年 - 2002年)
- 88(2005年 - )
[編集] エピソード
- 広島時代のチームメイトだった津田恒実とは無二の親友であった。津田が脳腫瘍に冒されて現役を引退し、晩年に福岡市内の病院で闘病生活に当たっていた時には、積極的に周辺の世話を行っていた。津田に対して「俺の年俸を半分にしてでも、お前を現役復帰できるように球団に掛け合ってやる」と言っていたほどである。また、1994年に結婚し披露宴を挙げた際には、他界した津田の席も用意してキャンドルサービスを行い、同席していた金石昭人・清川栄治ら友人たちの涙を誘った。
- その端正な顔立ちで、広島二軍時代から一部で非常に人気が高かった。「球界の草刈正雄」と呼ばれ、漫画家の真柴ひろみは、自作の登場人物に「森脇浩司」と名付けたこともある。現役時代の応援コールには「森脇、森脇、男前!」というものもあった。ホークスの監督代行を務めていた時期にメディアへの露出が増えたことから、再びそのマスクが注目を集めている。
- 2000年に放送された、津田の半生を綴ったドラマ「最後のストライク」では、森脇役を石黒賢が演じた。
- そのノック技術の評価は非常に高い。以前あるテレビ番組のコーナーで、森脇に「ここ(通常の右打席)から打って三塁線のフェアーの打球を3バウンドさせ外野フェンスの○△×□社の広告の”×”の文字に当てて下さい」と注文したところ、いとも簡単に言われた通りのノックを披露してみせた。
- ホークス監督代行としてリーグ優勝を逃した2006年シーズンについては、「残念」と語り、「罪の意識すらある」とも語っている。
- 2006年シーズン途中から監督代行として指揮をとったが、南海ホークスの選手だったこともあり、森脇が審判に抗議している時などは、南海時代のヒッティングマーチなどが演奏されていた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 夢見鷹応援団あすか組 よか男達へ熱血コール(ファンサイト)
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監督 |
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89王貞治 |
コーチ |
80秋山幸二(チーフ)|88森脇浩司(内野守備走塁)|87井出竜也(外野守備走塁)|81新井宏昌(打撃) 85杉本正(投手)|82高山郁夫(投手)|84大石友好(バッテリー)|92山川周一(コンディショニング) |
二軍監督・コーチ |
76石渡茂(監督)|71鳥越裕介(内野守備走塁)|79五十嵐章人(外野守備走塁)|75山村善則(打撃) 77藤田学(投手)|74岩木哲(バッテリー)|94田之上慶三郎(コンディショニング補佐)|95川村隆史(コンディショニング) |
投手 |
00ホールトン|11小椋真介|13高橋秀聡|14馬原孝浩|16篠原貴行|17大場翔太|18新垣渚|19森福允彦 20スタンドリッジ|21和田毅|24高橋徹|28大隣憲司|31佐藤誠|33星野順治|34山田秋親|35ニコースキー 38神内靖|39久米勇紀|40藤岡好明|41岩嵜翔|43ガトームソン|44水田章雄|47杉内俊哉|48甲藤啓介 49パウエル|54川頭秀人|56柳瀬明宏|57三瀬幸司|59大西正樹|61山村路直|63大田原隆太|64西山道隆 66斉藤和巳|68竹岡和宏|91陽耀勲 |
捕手 |
12高谷裕亮|22荒川雄太|25的山哲也|26的場直樹|29加藤領健|62山崎勝己|70田上秀則 |
内野手 |
0仲澤忠厚|3松中信彦|5松田宣浩|9小久保裕紀|10本間満|32森本学|36明石健志|37福田秀平 45李杜軒|46本多雄一|50吉本亮|52川崎宗則|53金子圭輔|65藤井翼 |
外野手 |
1柴原洋|6多村仁|7大村直之|8江川智晃|23城所龍磨|27中西健太|30長谷川勇也 42レストビッチ|51荒金久雄|55小斉祐輔|58辻武史|60中村晃|69井手正太郎 |
育成選手 |
121山田大樹(投手)|122吉川元浩(内野手) |
近鉄バファローズ 1978年ドラフト指名選手 |
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1位:登記欣也 / 2位:森脇浩司 / 3位:金山晃士 / 4位:谷崎浩二 |