田上秀則
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田上 秀則 福岡ソフトバンクホークス No.70 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 大阪府大阪市 |
生年月日 | 1980年3月20日(28歳) |
身長 体重 |
178cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 2001年 3巡目 |
初出場 | 2002年10月8日 |
年俸 | 2,900万円(2008年) |
経歴 | |
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田上 秀則(たのうえ ひでのり、1980年3月20日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(捕手)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
九州共立大では、山村路直・新垣渚ら大学球界を代表する投手の球を受けてきた。大学2年時には明治神宮野球大会で優勝。打者としても大学最後のシーズンでリーグ新となる9本塁打を打ち、その年のドラフト3巡目で中日ドラゴンズに入団。背番号9を与えられ、大型捕手と期待された。
[編集] 中日時代
長打力には定評があり、2年目の2003年には13本塁打を放ちウエスタン・リーグ本塁打王を獲得。2004年には就任したばかりの落合博満監督から「右の4番候補」として期待された。しかし一軍では4年間でわずか13試合・2安打と結果を残せず、2005年オフに戦力外通告。
城島健司がFA宣言していた福岡ソフトバンクホークスのキャンプに、同じく中日を戦力外になった清水清人と共にテスト生として参加した。その後、城島の退団が決まると、ソフトバンクへの合格が決定。大学時代共にプレーした山村・新垣・馬原孝浩・高橋秀聡がソフトバンクに在籍しているため、彼らとバッテリーを組んでいた経験も考慮されたものと思われる。
[編集] ソフトバンク時代
王監督にバッティングセンスを見出され、得点力不足にあえぐチーム事情のため、5月末に一軍昇格。このとき田上は二軍でも打率1割台だったが、ともに昇格した西山道隆が二軍で田上とバッテリーを組んでいたことも考慮されたと思われる。
6月1日の横浜戦でスタメンマスクをかぶり、三浦大輔からプロ初本塁打を放つ。その後は一軍での守備経験の少なさから、打力を買われての指名打者や代打での出場がほとんどになった。捕手6試合、一塁手1試合、三塁手2試合を守ったが、それ以外はすべて指名打者での出場である。1番大村直之、2番川崎宗則、4番松中信彦ら左打者が上位打線に固定されていたため、右の大砲候補としてスタメンの際は主に3番を打った。
松田宣浩や江川智晃など、三塁のレギュラー候補がことごとく不振や怪我に見舞われ、シーズン中の三塁手へのコンバートが検討されていたが、田上自身も三塁の練習中に膝を痛めたため見送られた。三塁手の小久保裕紀の復帰や田上本人の希望もあり、引き続き捕手で登録されている。
自己最多のホームラン(9本)を放ち、前年ほとんど起用されなかった捕手を78試合守るなど出場機会が増加した。左投手からは4割以上の打率を残した。しかし盗塁阻止率は2割5分に終わり、チームも12球団で最低の阻止率(.188)と低迷した。
3月24日のロッテ戦で、生涯初のサヨナラヒットを放つ。この日は開幕初スタメンで、先制打、同点打、サヨナラヒットを一人で放ち、チームの開幕5連勝に貢献した。
[編集] エピソード
- ソフトバンクへのテスト入団に際して、同じ強打の捕手である清水との争いだったが、「年齢が若い」という理由で田上が合格となった。しかし田上は早生まれであるため清水とは同学年である。
- 2006年6月4日の阪神戦で代打本塁打を放ったが、この試合で勝ち投手になったのは名字が異字同音の田之上慶三郎であり、「ダブルタノウエ」が活躍した。さらに、この試合での地元KBCラジオ中継での実況担当が田上和延(KBCアナウンサー)で、彼も含めて「トリプルタノウエ」が達成された。
- 田上の部屋には、王貞治監督から送られたホセ・フェルナンデス(楽天)の美しいフォロースルーの写真が貼ってあり、打撃の参考にしているという。
- 2007年のシーズン中に行われた、王監督の提案によるチーム内でのホームラン競争で、50スイング中22本の柵越を放ち優勝を飾っており、球界屈指の強打者が揃うホークスの中でも「飛ばす力」はトップクラスである。
- ヒーローインタビューで褒められると、ほとんどと言っていいほど「たまたまです」の一言だけを返すなど、口数が少ないと思われているが、本人は「喋るのは嫌いだったり苦痛ではないが、お立ち台では緊張してしまう」と雑誌などで語っている。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 所属 | 背番号 | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 三振 | 四球 | 死球 | 犠打 | 犠飛 | 打率 |
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2002 | 中日 | 9 | 3 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .167 |
2003 | 8 | 9 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | .111 | ||
2004 | 56 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | |
2005 | 一軍出場なし | ||||||||||||||||
2006 | ソフトバンク | 70 | 62 | 198 | 14 | 56 | 11 | 0 | 3 | 31 | 0 | 33 | 6 | 0 | 9 | 4 | .283 |
2007 | 91 | 258 | 22 | 68 | 10 | 1 | 9 | 26 | 0 | 58 | 11 | 2 | 2 | 1 | .264 | ||
通算成績 | 166 | 474 | 37 | 126 | 21 | 1 | 12 | 58 | 0 | 97 | 17 | 2 | 11 | 5 | .266 |
[編集] 記録
- 初出場:2002年10月8日対ヤクルトスワローズ28回戦(明治神宮野球場)、8回裏に捕手として途中出場
- 初安打・初打点:2002年10月14日対阪神タイガース28回戦(甲子園球場)、8回表に川尻哲郎から
- 初本塁打:2006年6月1日対横浜ベイスターズ6回戦(横浜スタジアム)、2回表に三浦大輔から
[編集] 関連項目
監督 |
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89王貞治 |
コーチ |
80秋山幸二(チーフ)|88森脇浩司(内野守備走塁)|87井出竜也(外野守備走塁)|81新井宏昌(打撃) 85杉本正(投手)|82高山郁夫(投手)|84大石友好(バッテリー)|92山川周一(コンディショニング) |
二軍監督・コーチ |
76石渡茂(監督)|71鳥越裕介(内野守備走塁)|79五十嵐章人(外野守備走塁)|75山村善則(打撃) 77藤田学(投手)|74岩木哲(バッテリー)|94田之上慶三郎(コンディショニング補佐)|95川村隆史(コンディショニング) |
投手 |
00ホールトン|11小椋真介|13高橋秀聡|14馬原孝浩|16篠原貴行|17大場翔太|18新垣渚|19森福允彦 20スタンドリッジ|21和田毅|24高橋徹|28大隣憲司|31佐藤誠|33星野順治|34山田秋親|35ニコースキー 38神内靖|39久米勇紀|40藤岡好明|41岩嵜翔|43ガトームソン|44水田章雄|47杉内俊哉|48甲藤啓介 49パウエル|54川頭秀人|56柳瀬明宏|57三瀬幸司|59大西正樹|61山村路直|63大田原隆太|64西山道隆 66斉藤和巳|68竹岡和宏|91陽耀勲 |
捕手 |
12高谷裕亮|22荒川雄太|25的山哲也|26的場直樹|29加藤領健|62山崎勝己|70田上秀則 |
内野手 |
0仲澤忠厚|3松中信彦|5松田宣浩|9小久保裕紀|10本間満|32森本学|36明石健志|37福田秀平 45李杜軒|46本多雄一|50吉本亮|52川崎宗則|53金子圭輔|65藤井翼 |
外野手 |
1柴原洋|6多村仁|7大村直之|8江川智晃|23城所龍磨|27中西健太|30長谷川勇也 42レストビッチ|51荒金久雄|55小斉祐輔|58辻武史|60中村晃|69井手正太郎 |
育成選手 |
121山田大樹(投手)|122吉川元浩(内野手) |
中日ドラゴンズ 2001年ドラフト指名選手 |
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1巡目:前田章宏 / 3巡目:田上秀則 / 4巡目:久本祐一 / 5巡目:前田新悟 6巡目:山井大介 / 7巡目:都築克幸 / 8巡目:高橋聡文 |