コンピュータゲームの歴史
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コンピュータゲームの歴史( - れきし)は、これまでのコンピュータゲーム関連の主な出来事。
※「 」はハード名、『 』はゲーム名及び雑誌名を表す。
目次 |
[編集] 黎明
- 1840年代
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- イギリスの数学者チャールズ・バベッジは、機械にゲームを行わせることに興味を持ち、解析エンジン(コンピュータ)を考えた。ただし、チェスの場合は組合せが膨大になり現実的でないことに気づいている。
- 1950年代前半
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- イギリスのWhirlWindというコンピュータで、『バウンシング・ボール(Bouncing Ball)』というゲームが動いていたとされる。何らかの形でコンピュータによるゲームが作られた最古の記録。
- 1958年
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- 米国の原爆開発協力機関の一つ、ブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサムがアナログ演算機とオシロスコープを用いた『Tennis for Two』を開発。コンピュータを用いていないのでコンピュータゲームではないが、これがある程度資料の残っているものとしては世界最古の電子ゲームである。
[編集] 1970年代
- 1971年
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- マイク・メイフィールドがミニコンピュータ「Sigma7」用にアメリカのSFテレビドラマ『スタートレック(宇宙大作戦)』を題材とした『スタートレック (マイコンゲーム)』を制作。その後日米で多くのプログラマーによって移植・改良が続き、日本では1980年代初期まで人気定番ゲームの一つとなった。
- ノーラン・ブッシュネルが『スペースウォー!』をヒントに世界初のアーケードゲーム版コンピュータゲーム『コンピュータースペース』を製作・発売したが、操作が難しく人気が出なかった。
- 1974年
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- 『Spasim』 - ワイヤーフレーム表示の宇宙戦3Dシューティング。32人同時の通信対戦をサポート。
- 1975年
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- 初のアドベンチャーゲーム『アドベンチャー』が登場。
- 『PONG』を模したワンチップ・テレビゲーム用LSI(GI社製)が秋葉原で入手可能になり、自作ファンに人気を呼んだ。
- 1976年
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- フェアチャイルドセミコンダクター、世界初のロムカートリッジ式家庭用ゲーム機「Video Entertainment System(後にFairchild Channel F)」発売。
- アタリ『ブレイクアウト』 - 日本では『ブロックくずし』として知られ、タイトーが開発したテーブル筐体により、喫茶店などの飲食店を中心に広く普及した。また、このゲームの成功により多くのメーカーがゲーム製作・販売に参入し、現在の業界の基盤が形成される一助ともなった。
- マテル『Mattel Auto Race』。世界初の携帯型電子ゲーム機。
- 1977年
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- アタリ、「Atari 2600 (ATARI VCS)」を発売。最終的に米国全世帯の1/3を席巻する人気商品となる。
- 1978年
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- 7月 - タイトー『スペースインベーダー』を発売。大流行し、喫茶店などで硬貨を積み上げてゲームに集中する人達がたくさん出没する。不正行為などの犯罪やコピーゲームも蔓延し社会問題となり、ブームは約1年続く。
[編集] 1980年代
- 1982年
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- 8月 - コモドール「コモドール64」。優れた性能と高いコストパフォーマンスを誇るホビーパソコン。ゲームユーザーをターゲットにしたマーケッティング戦略により家庭用ゲーム機のシェアを奪い、アタリショックの要因のひとつとなった。
- 12月 - シンキングラビット『倉庫番』。パズルゲーム。
- アタリ「Atari 5200」。「Atari 2600」の後継機。高性能でソフトのクオリティも高かったが2600との互換性は持たず、アタリは5200の発売後も5200より2600に注力したこともあって失敗に終わった。
- コレコ「ColecoVision」。『ドンキーコング』のアーケード版にほぼ忠実な移植を実現するなど、当時としては高性能を誇った。このハードは1984年に生産終了となったものの、発売からそれまでの短い期間中に600万台以上を売り上げた。
- 1983年
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- 2月 - ナムコ『ゼビウス』。初の縦スクロールシューティングゲーム。さらにシューティングに謎に満ちたストーリーも取り入れた画期的なゲームとして知られる。
- 2月 - エニックス『ドアドア』。エニックスのコンテスト応募作品。製作者は中村光一。
- 7月15日 - セガ「SG-1000」「SC-3000」。
- 7月15日 - 任天堂「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)。
- 光栄『信長の野望』 - 戦略シミュレーション最初期の作品。
- エニックス『ポートピア連続殺人事件』(パソコン版)。堀井雄二の出世作(デビュー作ではない)。
- シネマトロニクス『ドラゴンズレア』。世界初のLDゲーム。ディズニーライクなアニメーションを採用していた。
- アタリ『スターウォーズ』。同名映画を題材としたベクタースキャン表示の主観視点奥スクロールシューティング。
- アタリ『メジャーハボック』。シューティング、ジャンプアクションなど複数のジャンルを融合したベクタースキャンゲーム。シューティングパートにはハーフトップビュー (斜め見下ろし視点) を採用。
- アタリ『I, Robot』。シューティングゲーム。商業用ゲームとしてリアルタイム3Dポリゴンを初めて採用。内容が斬新すぎたこともあり、商業的には大失敗に終わる。
- パソコンにてコマンド入力方式のアドベンチャーゲームが流行する。
- 米国にて、ゲームソフトの供給過剰や粗製濫造によりゲームに対するユーザの興味が急速に薄れ、一気に市場需要がしぼむアタリショックが起こる。ゲーム業界では、歴史上の1929年10月29日 "Black Thursday"(暗黒の木曜日)に準えて恐れられた。ただし、この認識はこの事象の実態を正しく伝えていないとする指摘もある。詳しくはアタリショックの項を参照。
- 1984年
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- 6月21日 - 任天堂「ファミリーベーシック」。当時の8ビットパソコンにならって発売するがほとんど普及せず。
- 11月 - 日本ファルコム『ドラゴンスレイヤー』。アクションロールプレイングゲームの元祖と言われているが、実体は「インジケーター」と呼ばれる画面右下にある人の形をしたアイコンが左から右に移動している間にプレイヤーが行動する「時間制限のあるターン制」RPGである。
- 12月13日 - T&E SOFT『ハイドライド』。アクションロールプレイングゲームの原典。発売以来ロングセラーを続け「ハイドライド・シンドローム」と呼ばれる一大ブームを巻き起こした。『ゼルダの伝説』や『イース』などに広く影響を与えたと思われる。MSXロム版ではあまり普及していなかったデータレコーダや高価すぎて搭載できなかったバッテリーバックアップの代わりに「コロンブスの卵」よろしくパスワードを記録(セーブ)に初めて利用した。
- テーカン『スターフォース』。地上・空中の撃ち分け無しの縦スクロールシューティングゲーム。
- ビーピーエス『ザ・ブラックオニキス』。半日本製RPG。アイディア等はアメリカ人2人によって考えられた。続編も作られた。
- クリスタルソフト『夢幻の心臓』。『ウルティマ』のフィールドマップ移動と『ウィザードリィ』の対面戦闘をアレンジ融合した日本製RPG。
- 大名マイコン学院『ポイボス』。当時PC-8801やApple IIでしか出来なかったRPGを当時のPC機種(PC-8801、FM-7、X1、MZ系、パソピア7)多数に移植され、多くのPCユーザーにRPGのおもしろさを伝えた。しかし、一部の熱狂的ファンを作るも、商業的には成功しなかった。
- 『Elite』。PC向けのワイヤフレーム3Dゲームとして最初期のもののひとつ。星々を巡って交易を行なうなど、広大な仮想世界の中での自由度の高いゲームプレイを実現。
- 1985年
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- 5月29日 - コナミ『グラディウス』。横スクロールシューティングに革命を起こした歴史的な名作。
- 9月13日 - 任天堂『スーパーマリオブラザーズ』。世界一の売り上げを誇るアクションゲームの不朽の名作。このゲームをベースに何本ものゲームが作られた。ファミコンの売り上げ増に大きく寄与した。
- 10月 - セガ「セガ・マークIII」。
- 10月18日 - 任天堂がファミリーコンピュータの日本国外向け仕様である「Nintendo Entertainment System」をアメリカで発売。
- 10月28日 - 日本ファルコム『ザナドゥ』。アクションロールプレイングゲームの歴史的名作。売り上げ40万本は当時のパソコンの普及率を考えると驚異的である上に、国産パソコンゲームの不倒記録として、今なお破られていない。
- 12月13日 - T&E SOFT『ハイドライドII SHINE OF DARKNESS』(MSX版)。最初にバッテリーバックアップを採用したゲームソフト。
- 12月19日 - ハドソン『ボンバーマン』。
- アートディンク『A列車で行こう』。街を育てるゲームのはしり。
- ハドソン『スターフォース』により、ゲームの全国大会ハドソン全国キャラバンを開催する。
- 1986年
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- 2月21日 - 任天堂「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」。書き換え可能な「ディスクカード」が使用できるファミリーコンピュータの周辺機器。
- 2月21日 - 任天堂『ゼルダの伝説』。
- 4月 - アーケードゲーム専門雑誌『ゲーメスト』創刊。
- 5月27日 - エニックス『ドラゴンクエスト』。堀井雄二や中村光一などによって作られた日本製RPG。『ウルティマ』『ウィザードリィ』といった従来の人気作を巧みに消化しつつ独自性を出している。
- 6月6日 - ゲーム雑誌『ファミコン通信』創刊。
- 6月13日 - ハドソン『スターソルジャー』。高橋名人に代表される名人ブーム・連射ブームの火付け役となる。
- 12月10日 - タイトー『たけしの挑戦状』 - クソゲーとして有名なソフト。B級ゲーム・カルトゲームのカテゴリーのファンによって記録が残る。
- 12月10日 - ナムコ『プロ野球ファミリースタジアム』。 「ファミスタ」と略される有名な野球ゲーム。他の野球ゲームもこのソフトの操作方法を踏襲したものになる。
- ファミリーコンピュータのライセンスを取得しないソフト(同人ソフト、当時は裏ソフトと呼ばれていた)において、性的描写がきついソフトが市場に多く出回ったため、警察やPTAなど市民団体が任天堂にクレームを集中させた。そのことにより、任天堂は、非ライセンスソフトの市場からの締め出しを実行し、裏ソフトの撲滅に成功する。
- 1987年
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- 1月26日 - エニックス『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』。発売前の話題が大きさから、前作以上の社会的影響を発生させたヒット作。発売日に学校を休んだりする小中学生が多発し、この作品以降ドラゴンクエスト発売日にはワイドショーによる取材が発生する事になる。同ソフトと売れないゲームソフトなどを一緒に販売する抱き合わせ商法が問題となった。
- 10月30日 - NECホームエレクトロニクス「PCエンジン」。
- 11月21日 - T&E SOFT『ハイドライド3 THE SPACE MEMORIES』。ゲーム内に仮想世界を構築するために時間の概念、重さの概念、食事・睡眠の概念、貨幣の概念など革新的な要素を取り入れた アクションロールプレイングゲーム。後のMMORPGの基礎を作った。
- 12月18日 - スクウェア『ファイナルファンタジー』。スクウェア社の最後の作品となる予定だったソフトなので「ファイナル」と銘打たれた。しかし予想に反して大ヒットを飛ばしたため同社は生き残った。
- ケスマイ『エア・ウォーリア』。娯楽用としては世界初のオンライン・フライトシミュレーションゲーム。運営会社が運用するサーバに接続してプレイするタイプであり、最初期のMMOゲームとも言える。日本では富士通により1992年から数年間に渡って運用された。
- シャープ「X68000」。優れたAV能力によって業務用ゲームの高度な移植を可能とし、基板のセルフチェック動作までも再現する“完全移植”の概念を後に定着させた。
- 1988年
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- 2月10日 - エニックス『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』。これを買うために発売日に子供が学校を休んだり、恐喝の被害が出るなど、社会問題となった。
- 10月23日 - 任天堂『スーパーマリオブラザーズ3』。
- 10月29日 - セガ「メガドライブ」。
- 12月4日 - NECホームエレクトロニクス「PCエンジンCD-ROM²」 - 世界初のCD-ROMゲーム機として登場するが、高価なため普及には時間がかかった。
- 12月17日 - スクウェア『ファイナルファンタジーII』。
- 12月22日 - ビーピーエス『テトリス』(ファミコン版) - これにより、日本でテトリスブームが起こる。以後、落ち物パズルがジャンルの1つとして定着する。
[編集] 1990年代
- 1990年
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- 2月11日 - エニックス『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』。
- 4月27日 - スクウェア『ファイナルファンタジーIII』。
- 10月6日 - セガ「ゲームギア」。
- 11月21日 - 任天堂「スーパーファミコン」。ファミリーコンピュータの後継機。『スーパーマリオワールド』も同時発売された。
- エス・エヌ・ケイ「ネオジオ」。家庭でゲームセンターのゲームができるといううたい文句だったものの、本体価格やソフトの値段が高くあまり売れず。
- 1991年
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- 3月 - AOL『Neverwinter Nights』。世界初のグラフィカルMMORPG。インターネットが未発達の時代であり、AOLのパソコン通信サービス上で運用された。
- 4月20日 - バンプレスト『スーパーロボット大戦』。スーパーロボット大戦シリーズの始まり。
- 7月12日 - 『ファミコン通信』が週刊化される。
- 7月19日 - スクウェア『ファイナルファンタジーIV』。
- 7月26日 - セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。
- 10月25日 - コンパイル『ぷよぷよ』。翌年アーケードゲームに移植され、落ち物パズルの対戦のはしりとなる。
- カプコン『ストリートファイターII』。対戦型格闘ゲームをジャンルの1つとして定着させた。
- 1992年
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- 3月26日 - ハドソン『天外魔境II 卍MARU』。CD-ROM媒体による大作RPG。
- 8月27日 - 任天堂『スーパーマリオカート』。
- 9月27日 - エニックス『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』。
- 12月6日 - スクウェア『ファイナルファンタジーV』。
- 1993年
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- 10月7日 - ナムコ『リッジレーサー』。アーケード用としては初めてテクスチャマッピングを施したポリゴン表示を実用化。
- 12月1日 - 任天堂「ニューファミコン」。ファミコン発売10周年を機にリニューアル。
- 12月10日 - id Software『DOOM』。FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)が一躍メジャージャンルに。
- 1994年
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- ハードメーカー各社から相次いで新機種が登場。次世代機戦争などと言われた。この頃になるとニュースなどでもゲームの話題が取り上げられるようになる。
- 3月 - 松下電器「3DO REAL」。
- 4月2日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVI』。
- 5月27日 - コナミ『ときめきメモリアル』。いわゆる美少女ゲームの走り。
- 6月14日 - 任天堂「スーパーゲームボーイ」。スーパーファミコンでゲームボーイのソフトをプレイするための拡張機器。
- 9月9日 - エス・エヌ・ケイ「ネオジオCD」。
- 11月22日 - セガ「セガサターン」。同時発売としてビクターVサターン・日立Hiサターンがある。
- 11月24日(日本では11月26日) - 任天堂『スーパードンキーコング』。
- 12月3日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーション」。
- 12月23日 - NECホームエレクトロニクス「PC-FX」。
- エス・エヌ・ケイ『ザ・キング・オブ・ファイターズ'94』。
- 1995年
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- スーパーファミコン用ソフトが大容量化により価格が高騰。1万円を越えるソフトが珍しくなかった。
- 7月21日 - 任天堂「バーチャルボーイ」。サードパーティーがつかず、1年で中止。
- 11月1日 - 任天堂、セントギガのBS放送を利用してスーパーファミコン向けデータ配信事業である衛星データ放送を開始、専用周辺機器「サテラビュー」を販売。
- 12月9日 - エニックス『ドラゴンクエストVI 幻の大地』。
- 12月15日 - ナムコ『テイルズオブファンタジア』。
- 12月22日 - 『ファミコン通信』の誌名が『ファミ通』に変更される。
- 1996年
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- スクウェアが『ファイナルファンタジーVII』をプレイステーションで発売することを発表。スクウェアが任天堂との決別を公言する。これをきっかけに、SCEIと任天堂との力関係が逆転する。
- コンビニエンスストアにおけるゲームソフトの販売が開始される。
- 2月27日 - 任天堂『ポケットモンスター 赤・緑』。衰退しつつあったゲームボーイ市場が本ソフトの登場により復活する。また、ゲームは綺麗なグラフィックでなければならないという概念が形成されつつあったのを吹き飛ばす。
- 6月23日 - 任天堂「NINTENDO64」。3Dスティックによるアナログ入力や、コントローラの振動機能を普及させる。
- 7月21日 - 任天堂「ゲームボーイポケット」。従来のゲームボーイを小型化したもの。
- 9月 - 3DO『Meridian 59』。世界初のインターネットベースの本格的商用MMORPG。3D描画を採用していた。プラットフォームはWindows PC。
- 11月23日 - バンダイ「たまごっち」。発売後、社会現象にもなった。
- 12月6日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント『パラッパラッパー』、『クラッシュ・バンディクー』。
- インターチャネル『センチメンタルグラフティ』の発売を発表。ゲームそのものは1998年発売となるものの、膨大な量のグッズとイベントなど関連情報を大量発信するスタイルを行い、本編のゲームが無いのにヒット作という評価となる。
- 1997年
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- 1月 - エニックスも『ドラゴンクエストVII』をプレイステーションで発売することを発表。
- 1月31日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVII』。それまでのRPGの常識を覆したフルポリゴンRPG。プレイステーションで発売されたことによって、それまで売り上げが均衡していたセガサターンとの差を大きく開くきっかけとなった。
- 9月24日 - オリジン・システムズ『ウルティマオンライン』。MMORPGとして初めての大ヒット作。
- セガとバンダイが合併し、新社名をセガバンダイとすると発表。しかし、後にこの計画は解消された。
- 1998年
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- 1月30日 - 任天堂「スーパーゲームボーイ2」。
- 3月27日 - 任天堂「スーパーファミコンジュニア」。スーパーファミコンのモデルチェンジ版。
- 3月 - コナミ『beatmania 2nd MIX』。音楽ゲームのはしり。
- 9月3日 - コナミ『メタルギアソリッド』。世界戦略を最初から視野に入れたゲームソフトの先駆け。
- 10月21日 - 任天堂「ゲームボーイカラー」。
- 10月28日 - エス・エヌ・ケイ「ネオジオポケット」。ドリームキャストとの連動で話題になる。
- 11月27日 - セガ「ドリームキャスト」。湯川専務が出演する自虐的なCMで話題になる。
- 1999年
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- 2月11日 - スクウェア『ファイナルファンタジーVIII』。記録的な売り上げを達成し、スクウェアの経営方針転換のきっかけとなる。
- 7月15日 - スクウェア『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』。
- 9月 - 新声社の倒産により、『ゲーメスト』廃刊。ゲーメストスタッフの一部により、アスキー(現:エンターブレイン)から『アルカディア』創刊。
- 11月 - ナムコ、アーケードにて『ミスタードリラー』を発表。シンプルな原点回帰したゲームながらも好調な成績を収め、「軽薄短小」なシステムのゲームを見直すきっかけとなる。
- 中古ゲーム裁判が起こる。
[編集] 2000年代
- 2000年
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- 3月4日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーション2」。
- 4月1日 - アスキーよりエンターブレインが分社。『ファミ通』などの出版事業を移管。
- 7月7日 - スクウェア『ファイナルファンタジーIX』。
- 8月22日 - 任天堂『MOTHER3 豚王の最期』の開発を断念。
- 8月26日 - エニックス『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』。出荷本数は400万本を超え、日本でのプレイステーションの歴代記録1位を樹立した。
- 10月1日 - 日本において国立国会図書館法の一部を改正する法律が施行され、コンピュータゲームソフトを含むパッケージ系の電子出版物に納本義務が課せられた。
- 12月21日 - セガ『ファンタシースターオンライン』 - コンシューマーゲーム初の本格MORPG。
- Blizzard Entertainment社「DIABLO2」以後のゲームに影響を及ぼされた事が散見される。
- 2001年
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- 3月21日 - 任天堂「ゲームボーイアドバンス」。
- 7月19日 - スクウェア『ファイナルファンタジーX』。
- 9月14日 - 任天堂「ニンテンドーゲームキューブ」。
- 11月15日 - マイクロソフト「Xbox」が米国で発売。
- 『ファイアーエムブレム』の類似作品であるとして任天堂より警告を受けていた発売予定ソフト『エムブレムサーガ』(当初名称)が『ティアリングサーガ』とタイトルを変えて発売されたことに対し、発売元であるエンターブレインなどを相手取り、任天堂などが著作権と不正競争防止法に関する訴訟を起こす。詳細はファイアーエムブレムを参照。
- コナミによるプロ野球のゲーム化権利や音楽ゲームの特許の独占、他社製品名による登録商標の申請が問題となる。プロ野球のゲーム化権利については、他社製野球ゲームへの再許諾を遅延させるなどの行為が行われ、後に公正取引委員会より独占禁止法に基づく警告を受けた。[1]
- 2002年
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- 2月22日 - マイクロソフト「Xbox」が日本で発売。同年3月14日には欧州で発売。
- 5月16日 - スクウェア『ファイナルファンタジーXI』サービス開始。コンシューマゲーム初の本格MMORPG。
- 11月21日 - 任天堂『ポケットモンスター ルビー・サファイア』。記録的な売り上げを出す。これを機に、ポケモンの関連商品の販売などを行う事業を『ポケモン』という略称をそのまま使って社名にし、分社化(株式会社ポケモン)。
- 2003年
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- 1月21日 - セガ『甲虫王者ムシキング』。昆虫相撲とトレーディングカードをゲームに取り入れ、子供達に人気を博した。
- 2月14日 - 任天堂「ゲームボーイアドバンスSP」。
- 3月13日 - スクウェア『ファイナルファンタジーX-2』。
- スクウェアが任天堂との対立関係を解消する。同社は任天堂系ハードにおける、ソフト供給を再開する。
- 4月1日 - スクウェアとエニックスが合併、スクウェア・エニックスとなる。
- 4月 - 任天堂『MOTHER3』の開発中止を撤回。
- 9月30日 - 任天堂、「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」の生産およびディスクカード書き換えサービスを終了。
- 11月26日 - コンビニエンスストアへのゲーム流通を確立させたデジキューブが破産し、解散。デジキューブ出版部門の一部は、スクウェア・エニックス出版部門に、著作権とともに吸収される。
- 2004年
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- 2月14日 - 任天堂が、ファミコン生誕20周年企画として、『ファミコンミニ』シリーズ(過去の名作ファミコンソフト)をゲームボーイアドバンスで完全復刻。懐かしさから人気を呼ぶ。
- 9月21日 - ソニー・コンピュータエンタテインメントが「プレイステーション・ポータブル」を発表し、任天堂のゲームボーイアドバンスの牙城に挑もうとする。しかし任天堂が対抗するような形で「ニンテンドーDS」を発表(空白の17分間)。
- 10月1日 - セガとサミーが経営統合、セガサミーホールディングス設立。
- 11月21日(日本では12月2日発売) - 任天堂「ニンテンドーDS」。
- 11月27日 - スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』。360万本を超える本数を販売、プレイステーション2用ソフトとして日本国内1位の記録を樹立。
- 12月12日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーションポータブル」(PSP)。DSとともに年末に発売され、携帯ゲーム機戦争として年末商戦の話題となる。
- 2005年
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- 4月11日 - コナミがハドソンを傘下に。
- 5月19日 - 任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』。幅広い年齢層をターゲットとした作品。「脳ゲー」ブームの火付け役となる。
- 9月13日 - 任天堂「ゲームボーイミクロ」。
- 9月28日 - スクウェア・エニックスがタイトーを傘下に。
- 9月29日 - バンダイとナムコが経営統合、バンダイナムコホールディングス設立。
- 11月22日(日本では12月10日発売) - マイクロソフト「Xbox 360」。
- ニンテンドーDSが12月29日の『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』の発売と正月商戦の相乗効果で任天堂の予測を超える爆発的な売上を記録し、翌年1月2日-3日頃には市場在庫を払底、深刻な供給不足に陥る。任天堂から異例の謝罪広告と増産体制構築のアナウンスが出されるが、半年経っても需要が供給を上回る状態が続いた。
- 2006年
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- 3月2日 - 任天堂「ニンテンドーDS Lite」。
- 3月16日 - スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXII』。
- 4月20日 - 任天堂『MOTHER3』発売。シリーズ史上最高売上達成。
- 5月15日(日本では5月25日発売) - 任天堂『New スーパーマリオブラザーズ』発売。マリオの2Dアクションは『スーパーマリオワールド』以来。
- 携帯ゲーム機シェアが据置ゲーム機シェアを上回る。任天堂のハードシェアが50%を突破。
- 11月11日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント「プレイステーション3」。発売当初は品薄が続いた。
- 任天堂、ゲームボーイアドバンス及びゲームキューブのハード・ソフト開発が終了。
- 11月19日(日本では12月2日発売) - 任天堂「Wii」。2006年末までの販売台数は98万9118台に達する。
- 12月12日 - スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』をニンテンドーDSで発売することを発表。ドラクエのナンバリング作が約10年ぶりに任天堂プラットフォームに復帰。かつ、初の携帯ゲーム機進出。一部メディアが「ドラクエが任天堂に戻ってきた」と報じる。
- 「ニンテンドーDS Lite」のハードおよびソフトが人気となり、長期・過度の品不足状態が続く。
- 2007年
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- プレイステーション3、1月初頭までに日本と米国でそれぞれ100万台出荷。品薄がほぼ解消される。
- 9月20日 - ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型プレイステーション・ポータブル「PSP-2000」発売。発売から2ヶ月で100万台を達成する。
- 10月31日 - ファミリーコンピュータ、ディスクシステム、およびスーパーファミコンの修理サポート終了。
- 12月1日 - 任天堂『Wii Fit』。
- 2008年
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- 1月22日 - Wii国内500万台を突破 PS2抜き、家庭用ゲーム機最速の60週で達成
- 2月19日 - Microsoft,Intel,AMD,NVIDIAによってPC Game Allianceが設立される。
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
- アーケードゲーム(アーケードゲームの歴史)
- コンシューマーゲーム(コンシューマーゲームの歴史)
- アダルトゲーム(アダルトゲームの歴史)