PDP-1
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
PDP-1 (Programmed Data Processor-1) はDEC社のPDPシリーズの最初のコンピュータであり、1959年から開発が始まり、1960年に出荷を開始した。MITやBBNなどいたるところでハッカー文化を生み出した重要なコンピュータである。50台製造され、主記憶8Kワードのモデルの価格が12万ドルであった。
目次 |
[編集] 概要
ワード長は18ビットで、標準主記憶装置は4Kワード(9Kバイト)の容量で、64Kワード(144Kバイト)まで拡張可能である。磁気コアメモリのサイクルタイムは5マイクロ秒(最近のクロック速度に換算すると約200KHz)で、メモリアクセスを2回(命令フェッチとデータフェッチ)行う大部分の算術演算は10マイクロ秒かかった(1秒間に10万回)。
PDP-1 の大部分は DEC 1000-series System Building Blocks(回路モジュール製品)で構成され、それにはマイクロアロイ形かマイクロアロイ拡散形トランジスタが使われていた。スイッチング速度は5MHzである。
記憶媒体としては、さん孔紙テープが使われた。ソートや並べ替えが簡単なパンチカードとは異なり、紙テープは編集することが困難である。そのため、Expensive Typewriter や TECO といったテキスト編集プログラムが開発されることとなった。装備していたプリンタはIBMの電気タイプライター機構を使用しており、80年代風に言えば「Letter-quality printing(ビジネスレターを打つタイプライター並みの印字品質)」を実現していた。そのため、世界初のワードプロセッサと呼ばれるTJ-2が発想されることに繋がったのである。
PDP-1を購入した最初の顧客は、当時コンサートホールの音響設計を多数受託していたBBN Technologies である。[1] MITのPDP-1はDECが1961年に寄付したもので、リンカーン研究所から貸与されていたTX-0の隣の部屋に置かれた。コンピュータ歴史博物館にて1984年にTX-0関係者が集まった。その席でゴードン・ベルはDECの製品がTX-2に基づいて開発されたと述べた。同じ会合でジャック・デニスはベン・ガーリーによるPDP-1の設計はTX-0に影響されていると述べた。[2]
[編集] 周辺装置
コンソールタイプライタは Soroban Engineering という会社の製品である。IBM のモデルBタイプライターの機構に改造を加え、キーを押したことを検知するスイッチとタイプバー(文字を打つ部品)を駆動するソレノイドを加えたものであった。大文字と小文字の区別はタイプバスケット(タイプバーの並んだ部分)全体を上げ下げして印字を上げ下げすることで実現していた。インクリボンは赤と黒の二色のものが装備されていて、どちらの色で印字するかを選択できるようになっていた。一般にユーザーの入力とコンピュータの応答を区別するのに色を使用するようプログラムが組まれていた。Soroban の機構は信頼性に乏しく、大文字/小文字の切り替えや色の切り替え時に故障に陥り易かった。
オフラインのプリンタは Friden Flexowriter 社製で、PDP-1で使われていたF10-DEC文字コードを扱えるように専用に開発されたものである。コンソールタイプライターのように、同じIBMの電気タイプライターの機構をベースにしている。[3] しかし、Flexowriter は非常に信頼性が高く、長時間誰も見ていない状態で印字させておいても大丈夫であった。Flexowriter には電気機械式の紙テープさん孔装置と読み取り装置が付属していて、タイプライター部と同時に使用することができた。印字速度は1秒間に約10文字である。PDP-1を使った典型的な処理手順は、テキスト出力をPDP-1の「高速(毎秒60文字)」さん孔装置で紙テープに出力し、それをFlexowriterに持っていってオフラインで印字するというものであった。
[編集] 音楽演奏
MITのハッカー達はPDP-1を四和音の音楽演奏に使用した。これには特殊なハードウェア、すなわちプロセッサが直接制御する4個のフリップフロップが使われた(単純なRCフィルターでフィルタリングされる)。これを駆動する仕組みとしては、Peter Samson のHarmony Compilerというソフトウェアが使われた。これは、バロック音楽向きに調整された洗練されたプログラムである。数時間かけて、バッハのフーガ、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク、クリスマス・キャロル、その他ポピュラーソングなどが演奏された。
[編集] コンピュータゲーム「スペースウォー!」
PDP-1が有名な点として忘れてはならない点は、世界初のコンピュータゲームと言われるスペースウォー!の存在である。詳細はスペースウォー!を参照。
[編集] アクセス可能なリソース
PDP-1のシミュレーションとして、SIMHとMESSがある。ソフトウェアの紙テープ上のイメージは bitsavers.org にある[1]。
[編集] 外部リンク
いずれも英文
- CHM Archives – コンピュータ歴史博物館のPDP-1復元プロジェクトに関する動画アーカイブ。音楽ファイルも含まれている。
- DEC PDP-1 information – greeng3@rpi.eduによるウェブサイト。DECの PROGRAMMED DATA PROCESSOR-1 HANDBOOK(1963年)がある。
- bitsavers.org PDP-1 directory – PDP-1 ハンドブック、保守マニュアル、価格表、診断用文書などがある。
- PDP-1 Restoration Project – コンピュータ歴史博物館のPDP-1復元プロジェクト
- PDP-1 Music – PDP-1で作られた音楽が聴ける(MP3)
[編集] 脚注
- ^ The Mouse That Roared: PDP-1 Celebration Event Lecture 05.15.06 (Googleリンク)、コンピュータ歴史博物館、2006年5月15日
- ^ The Computer Museum Report, Volume 8: TX-0 alumni reunion、1984年春、Ed Thelen Webサイト(2006年6月18日)
- ^ reminiscence by Bob Mast: 「Flexowriter は IBM が第二次大戦中に開発した自動レターライターがベースである。戦後、何人かのIBMの社員がその権利を買い取り、Commercial Controls, Inc. を設立した。彼らは、ニューヨーク州ロチェスターでIBMの電気タイプライターと同じものを生産した。50年代終盤、Friden が Commercial Controls 社を買収した」