阪神間モダニズム
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阪神間モダニズム(はんしんかんもだにずむ)とは、明治時代後半から太平洋戦争直前の1940年(昭和15年)頃までの期間に、阪神間(神戸市灘区、東灘区・芦屋市・宝塚市・西宮市・伊丹市・尼崎市・三田市・川西市)を中心とした地区を土台に育まれた近代的な芸術・文化・生活様式とその時代を指す。1997年の「阪神間モダニズム」展(兵庫県立近代美術館・西宮市大谷記念美術館・芦屋市立美術博物館・芦屋市谷崎潤一郎記念館の同時開催)以降、使われるようになった言葉。逆に大阪府下の池田市・箕面市・豊中市辺りまで、モダニズムの時期以降、文化圏を構成していたといえる地域である。
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[編集] 経緯と概要
明治時代後期、日清戦争を経て当時の大阪は、日本最大の経済都市となり、神戸も東洋最大の港湾都市へと発展した。しかし、この両都市の産業拡大により、既成市街地の住環境は悪化することになる。
相前後して近畿地方では、アメリカ合衆国の例に倣ったインターアーバン(都市間電車)路線の建設が盛んとなった。阪神電気鉄道本線(1905年開業)を嚆矢とし、続く箕面有馬電気軌道(後の阪急宝塚本線、1910年開業)、阪神急行電鉄神戸本線(1920年開業)ほかの各線の開通は、神戸・北摂の未開拓な後背地であった近郊農村地帯への着目のきっかけとなり、快適な住環境創造を目的とする郊外住宅地の開発が、鉄道沿線である風光明媚な六甲山南斜面、いわゆる阪神間において進められた。この地区の都市的、文化的な発達と関西私鉄資本は切っても切れない関係にある。
まずは、明治期に京阪神の豪商階級の豪壮な邸宅を住吉村(現神戸市東灘区)の地域に次々と建築していった。この地域の開発を契機に、大正期になると実業家以外にも、当時の新興階級であった大卒のインテリサラリーマン層、つまり無産中流階級のための住宅地として発展した。文化的、経済的な環境が整ったことから芸術家や文化人などが多く移り住み、別荘地であった六甲の山上および緑豊な市街地となった山麓に、彼らブルジョアと呼ばれる富裕層を対象とした様々な文化・教育・社交場としてのホテル・娯楽施設が造られ、大リゾート地が形成された。そして、これら西洋文化の影響を受けた生活を楽しむ独自の生活様式が育まれたのである。それらは、現在に至る日本の芸術や文化、教育、娯楽、生活に多大な影響を与えた。
日本の近現代に建設された関東地方における例として軽井沢などの洋風リゾート施設・高級別荘地および、田園調布などの東京近郊住宅地にも、阪神間モダニズムの影響を見ることができる。
[編集] 当時建設された主な施設・邸宅等
- 再度公園
- 相楽園
- 武庫離宮(現・須磨離宮公園)
- 旧山邑邸(現・ヨドコウ迎賓館、フランク・ロイド・ライト設計)
- 芦屋市谷崎潤一郎記念館(富田砕花および、谷崎潤一郎の邸宅)
- 旧安部邸(現・サンアール不動産芦屋寮)
- 滴翠美術館(山口財閥当主、山口吉郎兵衛の邸宅)
- 白鶴美術館(白鶴酒造、嘉納財閥、嘉納治兵衛の邸宅)
- 香雪美術館(朝日新聞社創業者、村山龍平の邸宅)
- 甲南漬資料館(旧高嶋平介邸)
- 倚松庵(谷崎潤一郎の旧居)
- 二楽荘(浄土真宗本願寺派二十二世門主、大谷光瑞伯爵の邸宅)
- 旧辰馬喜十郎邸
- 旧乾邸(四代目乾新兵衛の邸宅)
- 旧住友家住吉本邸(住友財閥当主・住友友純男爵の邸宅)
- 旧岩井邸(岩井財閥当主・岩井勝次郎の邸宅)
- 旧野村家住吉本邸(野村財閥当主・野村徳七の邸宅)
- 旧住友分家邸(住友義輝の邸宅)
- 旧野村分家邸(野村元五郎の邸宅)
- 旧伊藤邸(伊藤忠財閥当主・二代伊藤忠兵衛の邸宅)
- 旧辰馬邸(辰馬財閥当主・辰馬吉左衛門の邸宅)
- 旧八馬邸(八馬財閥当主・八馬兼介の邸宅)
- 旧和田邸(和田久左衛門の邸宅)
- 旧小寺邸(小寺源吾の邸宅)
- 旧阿部邸(阿部房次郎の邸宅)
- 旧鈴木邸(鈴木馬左也の邸宅)
- 旧兼松邸(兼松房治郎の邸宅)
- 旧田代邸(田代重右衛門の邸宅)
- 旧勝田邸(現・天理教兵庫教務支庁、勝田銀次郎の邸宅)
- 旧武田邸(武田資料館、武田長兵衛の邸宅)
- 旧小寺敬一邸
- 旧弘世邸(弘世助三郎の邸宅)
- 旧大林邸(大林組、大林義雄の邸宅)
- 旧山下邸(熊内御殿)(山下亀三郎の邸宅)
- 旧久原邸(久原財閥当主・久原房之助の邸宅)
- 旧川崎邸(神戸川崎財閥・川崎正蔵の邸宅)
- 松山大学温山記念会館(旧新田邸)
- 旧諏訪邸(現:東洋製罐食品研究所・高碕記念館)
- 武庫之荘(尼崎市)
- 西宮七園
- 六麓荘(芦屋市六麓荘町)
- 松風山荘(芦屋市山手町、東芦屋町)
- 芦屋文化村
- 三宜壮
- 深江文化村
- 観音林倶楽部
- 甲南病院
- 御影公会堂
- 神戸市水の科学博物館 (奥平野浄水場・旧急速濾過場上屋)
- 旧居留地下水渠 (現・ノザワ本社(旧居留地十五番館)に併設)
- 布引五本松堰堤
- 布引水路橋(砂子橋)
- 烏原立ケ畑堰堤
- 淡河疏水
- 山田池堰堤
- 新川運河
- 旧制神戸商業大学(現・神戸大学六甲台キャンパス)
- 関西学院上ケ原キャンパス(ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体設計)
- 旧関西学院チャペル(現・神戸文学館)
- 神戸女学院岡田山キャンパス(ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体設計)
- 聖和大学(ウィリアム・メレル・ヴォーリズの全体設計)
- 旧制甲南中学校(現・甲南学園)
- 旧制第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高等学校)
- 旧制灘中学校(現・灘中学校・高等学校)
- 旧制甲陽学院(現・甲陽学院中学校・高等学校)
- 旧制六甲中学校(現・六甲中学校・高等学校)
- 旧制三田中学校(現・三田学園中学校・高等学校)本館・記念図書館
- 神戸中華同文学校(初代校舎)
- 小林聖心女子学院中学校・高等学校校舎本館
- 今津六角堂(今津小学校旧校舎)
- カトリック夙川教会聖テレジア大聖堂
- 旧神戸ユニオン教会(現・フロインドリーブ本店)
- 関西ユダヤ教会
- 神戸モスク(神戸回教寺院)
- 日本基督教団神戸教会
- 慈眼山長楽寺(関帝廟)
- 尼崎紡績会社本社事務所(現・ユニチカ記念館)
- 尼崎信用組合本店事務所(現・尼崎信用金庫記念館)
- 阪神電鉄発電所(現・阪神電鉄資材部西倉庫)
- 旧内田汽船本社ビル
- 旧八馬汽船ビル
- 多聞ビル
- 武庫大橋
- 旧逓信省芦屋別館(現・芦屋モノリス)
- 新港貿易会館
- 辰馬本家酒造白鹿館
- 辰馬酒造本社ビル
- 旧クリフォード・ウヰルキンソン・タンサン鉱泉株式会社宝塚工場(西宮市塩瀬町)
- 旧大日本帝國鑛泉株式会社平野工場・旧御料品製造所(現・アサヒビール三ツ矢記念館)
- 阪急百貨店
- 大丸神戸店
- 宝塚歌劇・宝塚大劇場(初代)
- 宝塚音楽学校旧校舎(旧・宝塚公会堂)
- 旧宝塚歌劇記念館(現・宝塚ガーデンフィールズ)
- 宝塚映画製作所(現・宝塚映像)
- 阪神甲子園球場
- 芦屋国際ローンテニス倶楽部
- 神戸ローンテニス倶楽部
- 鳴尾ゴルフクラブ
- 神戸ゴルフ倶楽部
- 広野ゴルフ倶楽部
- 宝塚ホテル
- 甲子園会館(甲子園ホテル、ライトの愛弟子である遠藤新の設計)
- 六甲山ホテル
- 六甲オリエンタルホテル
- ホテル六甲ハウス
- 六甲山荘
- 六甲登山架空索道(ロープウェイ)
- 六甲摩耶鉄道六甲ケーブル線(六甲ケーブル)
- 神戸市都市整備公社摩耶ケーブル線(摩耶ケーブル)
- 西宮球場
- 甲子園阪神パーク
- 阪神水族館
- 関西競馬倶楽部競馬場(旧・阪神競馬倶楽部)
- 鳴尾運動場
- 鳴尾百花園
- 武庫川浄水場
- 甲子園浜海水浴場
- 香櫨園浜海水浴場
- 打出海水浴場
- 芦屋国際ホテル
- 帝国キネマ蘆屋撮影所(帝国キネマ演芸株式会社の撮影所、芦屋市)
- 東亜ホテル(トアホテル)(現・神戸外国倶楽部)
- 神戸タワー(1924年竣工)
- 神戸オリエンタルホテル(ヤン・レッツェルの設計)
- 旧神戸港信号所
- 和田岬燈台
- 舞子ホテル(旧・日下部久太郎の別邸)
- 孫文記念館(旧・松海別荘、移情閣)
- オリエンタルホテル舞子ビラ
- 旧西尾邸(西尾類蔵の邸宅・現神戸迎賓館)
- 旧岡崎邸(岡崎財閥当主・岡崎忠雄の邸宅、現須磨離宮公園・植物園)
- 旧グッゲンハイム邸
- 旧内田邸(内田信也の邸宅)
- 旧山本邸(現:財団法人 山本清記念財団)
- パインクレストアパートメントホテル
- 有馬ホテル
- 有馬軽便鉄道有馬駅
[編集] 阪神間の主な居住者
阪神間においては、当地に居を移した京阪神の富裕層などから芸術家が多く誕生した。1923年の関東大震災を逃れた東京の芸術家らが移住することもあって活況を呈することになった。
[編集] 芸術家
- 貴志康一(ヴァイオリニスト)
- 辻久子(ヴァイオリニスト)
- 片岡仁左衛門 (12代目)(歌舞伎役者)
- 今竹七郎(グラフィックデザイナー)
- 宗兵蔵(建築家)
- 野口孫市(建築家)
- 古塚正治(建築家)
- 安井武雄(建築家)
- 渡辺節(建築家)
- 谷崎潤一郎(作家)
- 朝比奈隆(指揮者)
- 薄田泣菫(詩人)
- 富田砕花(詩人)
- 中山岩太(写真家)
- ハナヤ勘兵衛(写真家)
- 小磯良平(洋画家)
- 小出楢重(洋画家)
- 津高和一(洋画家)
- 吉原治良(洋画家)
- 橋本関雪(日本画家)
- 村上華岳(日本画家)
- 花柳芳次郎(日本舞踊)
- 阿波野青畝(俳人)
- 山口誓子(俳人)
- 長谷川一夫(俳優)
- 阪東妻三郎(俳優)
- 野沢吉兵衛(文楽三味線)
[編集] 財界人
- 安宅弥吉(安宅産業創業者)
- 阿部元太郎(日本住宅社長)
- 阿部藤造(東洋紡関連会社社長)
- 阿部房次郎(東洋紡績社長)
- 井植歳男(三洋電機創業者)
- 伊藤忠兵衛(伊藤忠財閥総帥)
- 乾新兵衛(乾新治)(日本鉄線・乾倉庫社長)
- 乾豊彦(乾汽船社長)
- 岩井勝次郎(岩井商店店主)
- 内田信也(内田汽船創業者)
- 上野理一(朝日新聞社創業者)
- 牛尾健治(姫路銀行頭取・中国合同電気社長・牛尾財閥)
- 岡崎藤吉(岡崎財閥創業者)
- 岡崎忠雄(神戸岡崎銀行頭取)
- 岡崎真一(同和火災海上社長・現ニッセイ同和損保)
- 岡崎忠(神戸銀行頭取)
- 大谷竹次郎(昭和電極社長)
- 大谷哲平(満州大谷重工業社長)
- 大原孫三郎(倉敷紡績社長・大原財閥)
- 大林義雄(大林組社長)
- 小倉捨次郎(小倉商事社長・川鉄商事)
- 小寺源吾(大日本紡績社長)
- 嘉納治兵衛(白嘉納家・白鶴社長・嘉納財閥)
- 嘉納治郎右衛門(本嘉納家・菊正宗酒造社長・嘉納財閥)
- 兼松房治郎(兼松房治郎商店創業者・現兼松)
- 金子直吉(鈴木商店番頭)
- 神社柳吉(倉敷紡績社長)
- 川崎正蔵(川崎財閥創設者・男爵)
- 川田順(住友本社理事)
- 川西清兵衛(川西航空機・日本毛織・兵庫電気軌道社長)
- 北川与平(北川商店創業者・現兼松)
- 木水栄太郎( 十合百貨店社長)
- 日下部久太郎(日下部合資会社創業者・十六銀行頭取)
- 久原房之助(久原財閥創設者)
- 才賀藤吉(才賀電機商会社長)
- 笹岡茂七(又新紡績代表)
- 白井松次郎(松竹創業者)
- 白洲次郎(実業家)
- 四本萬三(川崎重工業社長)
- 勝田銀次郎(勝田汽船創業者)
- 杉道助(八木商店社長・元大阪商工会議所会頭)
- 鈴木馬左也(住友本社第三代総理事)
- 住友吉左衛門(住友財閥当主・男爵)
- 高嶋平介(高嶋平介商店・二代目)
- 瀧川辨三(東洋燐寸社長)
- 武田長兵衛(武田薬品工業社長)
- 武田二郎(武田薬品工業副社長)
- 竹田義蔵(武田薬品工業副社長、吉富製薬社長)
- 田代重右衛門(大日本紡創業者)
- 辰馬喜十郎(南辰馬家初代当主)
- 辰馬吉左衛門(辰馬商会・辰馬財閥当主)
- 田辺貞吉(住友銀行初代支配人)
- 寺田甚吉(南海鉄道・岸和田紡社長・寺田財閥)
- 田路舜哉(住友商事創業者)
- 豊田善右衛門(豊田産業社長・衆議院議員)
- 中山悦治(中山製鋼所創立者)
- 中山半(中山鋼業社長)
- 西尾類蔵(貿易会社社長)
- 野村元五郎(野村銀行社長)
- 野村徳七(野村財閥当主)
- 長谷川佳平(日華製紙社長)
- 八馬兼介(八馬財閥当主)
- 肥田昌三(虎屋・三和信託代表)
- 平生釟三郎(川崎造船所社長、国務大臣)
- 弘世助三郎(日本生命創業者)
- 広海二三郎(広海商店主)
- 藤澤友吉(藤澤友吉商店社長・藤澤薬品工業)
- 松方幸次郎(川崎造船所社長・神戸川崎財閥総帥)
- 松下幸之助(松下電器創業者)
- 武藤山治(鐘淵紡績社長)
- 村山龍平(朝日新聞社創業者)
- 室谷藤七(室谷商店社長)
- 山内顯(倉敷レイヨン社長)
- 山口吉郎兵衛(山口財閥当主)
- 山下亀三郎(山下汽船創業者・山下財閥)
- 山邑太左衛門(山邑酒造)
- エリーゼ・ユーハイム(夫カールと共にユーハイム創業者)
[編集] その他
- 淀川長治 (映画評論家)
- 笹部新太郎(研究者)
- 井上靖(作家)
- 田辺聖子(作家)
- 藤本義一(作家)
- 稲垣足穂(小説家)
- 陳舜臣(小説家)
- 湯川秀樹(物理学者)
- 大谷光瑞(法主・門主)
- 手塚治虫(漫画家)
- 桂米朝 (3代目)(落語家)
[編集] 関連項目
- 高級住宅街
- 大正デモクラシー
- 大正ロマン
- 昭和モダン
- 昭和ベル・エポック
- 小林一三(阪急東宝グループ創始者)
- 田園都市(エベネザー・ハワードの都市思想) : 上記の阪急の小林一三、渋沢栄一・五島慶太 (東急田園調布・田園都市線・多摩田園都市ニュータウン) への影響。
- ユートピア思想(大正・昭和期)
- ジェームス山
[編集] 参考文献
「阪神間モダニズム」編者・阪神間モダニズム実行委員会 淡交社