軽井沢
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軽井沢(かるいざわ)とは、長野県佐久地方を表す地名。狭義には長野県の軽井沢町旧軽井沢地区や軽井沢町全体を指すが、広義にはそれに加えて群馬県にある北軽井沢地区なども含まれる。
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[編集] 歴史
江戸時代には、五街道のひとつ中仙道が通る宿場町であり、中仙道の難所のひとつとして知られる碓氷峠の西側の宿場町として栄えていた(碓氷峠は、江戸よりの隣の宿場町、坂本宿との間)。軽井沢付近には、軽井沢宿(旧軽井沢)のほか、沓掛宿(中軽井沢)・追分宿(信濃追分)が置かれていた(この3宿をまとめて「浅間三宿」という)。また浅間山を望む景勝地としても有名であった。
※関連 江戸← 坂本宿 - 碓氷峠 - 軽井沢宿 - 沓掛宿 - 追分宿 - 小田井宿 →京
江戸時代が終わり明治時代にはいると、いったんは宿場町としての機能を失って没落。しかしその後、1886年にカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショー(Alexander Croft Shaw, 1846年 - 1902年)がたまたま訪問し、故郷のスコットランドと似ていると感じたことから1888年に別荘を設けて、避暑地としての軽井沢の歴史を切り開いた。同年には信越本線の長野方が開通して軽井沢駅が設けられ、1893年には碓氷峠を越える部分の鉄道も開通して東京と直結。その後、宣教師・知識人・文化人の間で人気を博し、日本三大外国人避暑地の1つに数えられるようになった。
1918年には西武資本が開発に参入、1945年には東急資本も開発に参入し、その後は東京を後背地として持つリゾート地としての立場を確立している。
ビートルズのジョン・レノンが、ビートルズ解散後の70年代中期から亡くなる80年まで毎年のように、夏に家族連れで長期間滞在していたこと、避暑地の中にある「軽井沢会テニスコート」が皇太子明仁(当時)と正田美智子の出会い(1958年)の場所であることなども、広く知られている。
[編集] 語源
軽井沢という地名は長野県以外にも横浜市西区、千葉県鎌ケ谷市など各地に存在する。語源については、古語・方言で荷物を背負って運ぶことを「かるう」ということから、一説には峠に続く谷間のことを呼んだのではないかともいう。