昭和モダン
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昭和モダン(しょうわモダン)とは昭和時代の始めに花開いた和洋折衷の近代市民文化のことである。現在では大正末期(戦間期)の文化(大正ロマン)をも含む。
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[編集] 歴史
関東大震災という大事件ののち昭和という時代がはじまるが、その頃の世相は五・一五事件・二・二六事件などが起こり、戦争の影が忍び寄る時代であった。
[編集] 第一次世界大戦の後で
その一方で、1910年ごろにヨーロッパで花開いたアール・ヌーボーやアール・デコといった機能と美しさと兼ね備えた様式が日本にも浸透していった。フランスのシャンソンやアメリカ合衆国で流行ったジャズやチャールストン、アルゼンチンのタンゴといった大衆音楽も蓄音機の普及やラジオ放送の開始などで多くの人が聞くようになった。またハリウッド映画の草創期であり、チャールズ・チャップリン、バスター・キートンと言ったコメディアン、グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッヒといった女優の出演する映画が映画館で娯楽として見られるようになった。チャップリンはこの時期に来日している。このような大衆文化が開花に時期にはクラシック音楽ではトスカニーニ、ラフマニノフ、コルトー、エンリコ・カルーソー、ティノ・ロッシ、カルロス・ガルデルなどの優れた音楽家、ピアニスト、歌手が活躍し、日本でも人気を博していった。山田耕筰はラフマニノフの来日を後年出迎えている。
[編集] 国内の風俗
このような欧米の洗練された新しい文化が流入、受容される中、日本でも独自の文化が醸成されていった。
竹久夢二の美人画や高畠華宵の挿絵などが人気を得ている。北原白秋、西条八十などの抒情詩が愛読されるようになった。また『改造』、『キング』、『文藝春秋』などいった雑誌や岩波文庫や円本と呼ばれる廉価な書籍が刊行され、川端康成、横光利一などの新感覚派文学や谷崎潤一郎の耽美的な文学、吉川英治、中里介山などの大衆文学が出たのもこの時期である。その他、映画では嵐寛寿郎、大河内伝次郎、阪東妻三郎といった時代劇スターが現れ、音楽では服部良一、古賀政男や中山晋平と言った作曲家や淡谷のり子、藤山一郎、東海林太郎などの歌手が活躍した。
[編集] 新生活
また生活様式も大きく変わり服装も女性は着物に日本髪といったものから洋服を着、断髪し帽子をかぶるといったことが一部の勤め人の女性では一般に浸透しつつあったし、それにともない女性の社会進出も進み、「バスガール」と呼ばれたバスの女性車掌やウェイトレス(当時は女給とよばれた)など職業婦人が出現するようになった。最先端の洋装を着た女性は「モダン・ガール(モガ)」と呼ばれるようになった。市民の足として鉄道会社が開発する沿線の土地には住宅が建てられ、そこに暮らす人々がターミナル駅のデパートで休日に買い物などに立ち寄るといった市民生活が一般的になったのも昭和初期からであった。 洋行帰りの実業家らが洋食のレストランをひらき、都心で成功をおさめるようになったのもこの頃である。当時のカフェーは独身男性の利用が主であったがいずれもモダンさが受け、人気が高かった。前述の鉄道沿線開発では東武鉄道の根津嘉一郎、阪急電鉄の小林一三の近代田園都市建設は名高い。
さらに宝塚歌劇や高校野球もこの頃にはじまり現在までに続くものとなった(阪神間モダニズム)。
[編集] 昭和モダンの終わり
二・二六事件や五・十五事件以降の軍部の台頭と政党政治の終焉以降の1930年代後半ころには、日中戦争の激化と世界的な国際関係の緊張を受け国家総動員となり、これらの文化は「軟弱で贅沢」「反“新体制”的」として排斥され、昭和モダンは終わりを迎える。