円本
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円本(えんほん)は改造社の山本実彦が火付け役となり、昭和初期に多数の出版社から刊行された全集本の俗称。
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[編集] 概要
円本は1924年から1926年にかけて流行した乗車賃1円のタクシー、通称「円タク」に乗じて命名された、昭和初期に販売価格1円で刊行された全集本の呼称。その当時まで市価10数円していた文学本が1円で購入できるとあって大盛況を興し、出版界に革命を起こした商法であると共に、日本の識字率普及に大きく貢献した。
[編集] 背景
1923年9月1日に発生した関東大震災は出版業界にも深い爪痕を残し、当時の印刷業者の82%、製本業者の92%が壊滅的な打撃を受け、再起不能に陥るという深刻な事態を齎した[1]。またそれだけでなく、過去の出版書物もことごとく焼失し、これらは書物価格の高騰という事態を呼び起こすこととなった。
これらの一般庶民の読書難という状況の打破を目的として、関東大震災の影響により傾きつつあった改造社の社運をかけて、当時社長の山本実彦が打ち出した企画が「円本」である。
[編集] 円本の流行
改造社が1926年に刊行した円本『現代日本文学全集』(37巻)は新聞へ広告を打ち出した段階で予約が殺到し、仮名垣魯文、成島柳北、福沢諭吉など9名の作品を収録した第一巻『明治開化期文学集』は発行部数60万部という当時としては信じ難い数字を叩き出した。出版業界は驚愕し、翌年より各社がこぞって同様の企画を打ち出すという現象が発生し、日本に円本ブームが発生した。
[編集] 影響
ブームが下火となる1930年ごろまでに出版された円本は300種を超え、そのジャンルも文学、思想、哲学、宗教、大衆物、教養など多岐に渡った。この企画とそのブームは、関東大震災後に危惧された一般庶民の読書難を救い、出版業界にもマスプロセールという新しい販売手法が確立されるに至った。
[編集] 脚注
- ^ 『日本出版百年史年表』によれば前年の総出版図書数(納本数)が48,404であるのに対し、1923年は39,950と大きく落ち込んでいる。