蓄音機
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蓄音機(ちくおんき/英: Phonograph)は、言葉の意味は録音機であるが、レコードプレーヤーの前身である。
長らくトーマス・エジソンが発明されたと言われていたが、エドワードレオン・スコット(Edouard-Leon Scott)が先に発明していたことが2008年、レコーディング・エンジニアのデビッド・ジョバンノーニ(David Giovannoni)によって明らかとなった。[1]
トーマス・エジソンが発明した、錫箔を巻いた円筒式レコードが、後に蝋(ろう)管式になった。1889年頃にエミール・ベルリナーにより円盤式レコードへと改良された。
日本ビクターや英国EMIのロゴマーク「His Master's Voice」(HMV)で、ニッパー (犬)君が耳を傾けている蓄音機はラッパ状のホーンを用いているが、後期の蓄音機は、より大型の箱型筐体そのものにホーン構造を収めた内蔵ホーン型が主流を占めた。有名な製品に米ビクター(後のRCA)のビクトローラ等がある。
エジソン時代から長らく針の動きを機械的に振動板(ダイヤフラム)に伝達して音響に変換し、ホーン(直径が指数関数的に拡大する導管)により音を拡大する機械的再生機として用いられたが、真空管の小型化と性能向上に伴い、レコード針の動きを電気信号に変換して増幅し、スピーカーを鳴らす「電気式蓄音機」すなわち「電蓄」が登場した。
LPレコードは、レコードの溝が細かくなったことから、電気式蓄音機でないと再生できない。また、ステレオレコードに至っては、事実上電気信号を用いる方式でしか再生できなくなった。この時代以降、ハイファイ(Hi-Fi:「High Fidelity」の略語)という和製英語が生まれ、後に英語圏にも取り入れられた。再生機はステレオ、レコードに刻まれた音溝を電気信号に変換する機能はレコードプレーヤーと呼ばれるようになった。
日本では、1910年(明治43年)、日本発の国産蓄音機ニッポンノホンが発売された。これには、軍艦行進曲などが収録されたレコードが付属していた。
日本独自の装置として、1937年(昭和12年)日本フィルモン社が長さ13m、幅35mmのセルロイド系素材のベルトの両端を接続してエンドレスにし、そこに音溝を刻んだフィルモン音帯からレコード針で音を再生する装置を売り出している。