竜の子プロダクション
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種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場
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本社所在地 | 185-0021 東京都国分寺市南町3丁目22番12号 |
設立 | 1962年10月19日 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | アニメーションの企画・制作および版権管理 |
代表者 | 成嶋弘毅(代表取締役) |
資本金 | 20,700,000円 |
従業員数 | 43名 |
主要株主 | 株式会社タカラトミー(88%) |
関係する人物 | 吉田龍夫(吉田竜夫)(初代代表取締役) 吉田健二(二代目代表取締役・初代会長) 吉田豊治(九里一平)(三代目代表取締役) |
外部リンク | www.tatsunoko.co.jp/(公式サイト) |
特記事項:日本動画協会正会員 | |
株式会社竜の子プロダクション(英語表記:Tatsunoko Production Co., Ltd.)は、アニメーションの企画・制作および版権管理を主な事業内容とする日本の企業である。
漫画等の原作を元にしないオリジナルアニメを得意とし、そのため作品にかかわる権利の9割以上を自社単独で保有している。1970年代を中心に、人気作品を多く輩出した。
コーポレート・キャラクターはタツノオトシゴである。
多くの作品の場合、タツノコプロ、竜の子プロ、タツノコプロダクション等の名義でクレジットされる。
目次 |
[編集] 歴史
- 1962年10月19日、漫画家の吉田竜夫が、自身のマネージャーを務めていた弟の吉田健二らと共に設立。竜夫の末弟で漫画家の九里一平(本名: 吉田豊治)も、竜夫と健二に勧められるまま参加。3兄弟が代表権を持つ取締役に就任し、竜夫が社長、健二が専務、九里が常務となった。
所在地は創設当初から東京都国分寺市。当初は吉田竜夫の漫画の版権やアシスタントの管理をするための漫画専門のプロダクションだった。創設時には、辻なおき、望月三起也、中城健が参加した。
- 1964年、タツノコプロへ東映動画からテレビアニメ制作の企画が持ち込まれるが、著作権の配分を巡って制作開始直前に中止。
タツノコプロが原作と演出、東映動画が作画以降の作業を分担する形。東映動画は独自に『宇宙パトロールホッパ』を制作した。
このとき、タツノコ側からはアシスタントの原征太郎と吉田兄弟の友人の漫画家笹川ひろしが東映動画で3ヶ月のアニメーター養成研修を受けた。
- 1965年5月、テレビアニメ第1作『宇宙エース』が放送開始。モノクロ作品。
吉田兄弟、笹川ひろし、原征太郎を中心に新たに奥田誠治、坪田力蔵、西岡たかし、木下敏治、東映動画から美術の中村光毅、虫プロダクションから脚本家の鳥海尽三らが加わる。その他、新聞の募集広告で約60名のスタッフが集まる。
- 1967年4月、カラー作品第1号『マッハGoGoGo』が放送開始。
以後、吉田竜夫が原作を務めた作品と『いなかっぺ大将』などの他の原作者による作品を並行しながらアニメ制作を続ける。
主に『科学忍者隊ガッチャマン』などのSFアクションヒーロー物を制作する一方、スラップスティックギャグや家庭向け作品を多く制作する。
- 1973年、タツノコランドを設立。
同社はタツノコプロのキャラクターをプラモデル化、販売は今井科学が行なった。タツノコランドはテレビアニメ『新造人間キャシャーン』『破裏拳ポリマー』のスポンサーにもなった。
- 1978年、アニメーター養成機関、タツノコアニメ技術研究所を設立。
吉田竜夫が亡くなる前後の1970年代後半から創立メンバーが相次いで独立。一時勢いの衰えを見せるものの、新しいスタッフを得て制作した『ドテラマン』(※日本初の文字放送アニメ)や『未来警察ウラシマン』『赤い光弾ジリオン』などが評価される。1970年代後半から80年代前半にかけて、タツノコ作品を支えた若手演出家4名(うえだひでひと・押井守・西久保利彦(瑞穂)・真下耕一)には「タツノコ四天王」の異名が付けられた。
- 1986年
- 『ドテラマン』が、1971年に制作・放送された『アニメンタリー 決断』以来15年ぶりに日本テレビでタツノコ制作のアニメが放映された。また、朝日放送でも9年ぶりとなるタツノコ作品の『光の伝説』が放送される。その後、タイムボカンシリーズなど多くの旧作がテレビ東京で放送され、タツノコの新作は主にテレビ東京で発表されるようになる。
- 1987年
- 吉田健二社長が退任し、タツノコを退社。九里一平が第3代社長に就任。
健二前社長は退任後、独自のプロダクション「遊エンターテインメント」を設立。同社でテレビアニメ『横山光輝 三国志』の制作に関わる。 - 12月、竜の子制作分室が独立して有限会社アイジータツノコ(現: Production I.G)が設立される。設立にあたり、タツノコプロは資本金の20%を出資。1993年に資本関係は解消。
- 吉田健二社長が退任し、タツノコを退社。九里一平が第3代社長に就任。
- 1990年
- 杉井興治率いるタツノコアニメ技術研究所が、アニメーション21結成に参加して独立。
- 9月、アニメフレンドを解散。
- 『ロビンフッドの大冒険』の放映がNHK衛星第2テレビで開始、タツノコアニメが初めてNHKで放映される。
1990年代以降は、社外に去っていた笹川ひろし、多田喜久子らかつてのスタッフを呼び戻し、旧作のリメイクを中心に作品発表を続けている。
- 1995年、吉田健二前社長がタツノコに復帰、初代会長に就任。
- 2000年、タイムボカンシリーズ17年ぶりの新作、『怪盗きらめきマン』がテレビ東京系で放映される。
- 2004年
- 映像作家の紀里谷和明が『新造人間キャシャーン』を自ら監督を務めて実写映画化(『CASSHERN』)。ただし、タツノコプロは原作者としてクレジットされただけで、制作には一切関与していない。
- 3月、東京工科大学との共同プロジェクトにより制作した『Sky Kids BOOBY』が東京国際アニメフェア一般公募部門で優秀作品賞を受賞する。
- 2005年
- 3月31日、吉田竜夫初代社長が「東京国際アニメフェア2005 第1回特別功労賞『日本のアニメを作った20人』」を受賞。竜夫の長女・すずか(イラストレーター・デザイナーとしてタツノコプロで活動中)が代理で受け取る。
- 5月、創立40周年記念作品『鴉 -KARAS-』制作。
- 6月末、大手玩具メーカータカラ(現: タカラトミー)が吉田家一族から株式の88%を取得、タカラ傘下に。
- 7月1日、吉田健二会長と九里一平社長が退任。吉田洋子、吉田富子ら一族の役員も全員退任し、吉田家がタツノコの経営から離れる。成嶋弘毅専務が第4代社長に就任。
- 7月、『Sky Kids BOOBY』が関西国際空港関空展望ホール(スカイビュー)のスカイミュージアム内スカイキッズルームにて関空オリジナル映像として上映される。(2007年現在上映中)
- 10月2日、九里一平前社長が「第10回アニメーション神戸」特別賞を受賞。
[編集] 主な作品
[編集] テレビシリーズ
- 1960年代
- 宇宙エース(1965年-1966年)
- マッハGoGoGo(第1作、1967年-1968年)
- おらぁグズラだど(第1作、1967年-1968年)
- ドカチン(1968年-1969年)
- 紅三四郎(1969年)
- ハクション大魔王(1969年-1970年)
- 1970年代
- 昆虫物語 みなしごハッチ シリーズ
- 昆虫物語 みなしごハッチ(第1作、1970年-1971年)
- 昆虫物語 新みなしごハッチ(1974年)
- いなかっぺ大将(1970年-1972年)
- カバトット(1971年-1972年)
- アニメンタリー 決断(25話までを制作、1971年)
- 樫の木モック(1972年)
- 科学忍者隊ガッチャマン シリーズ
- 科学忍者隊ガッチャマン(1972年-1974年)
- 科学忍者隊ガッチャマンII(1978年-1979年)
- 科学忍者隊ガッチャマンF(1979年-1980年)
- かいけつタマゴン(1972年-1973年)
- けろっこデメタン(1973年)
- 新造人間キャシャーン(1973年-1974年)
- 破裏拳ポリマー(1974年-1975年)
- てんとう虫の歌(1974年-1976年)
- 宇宙の騎士テッカマン(1975年)
- タイムボカンシリーズ
- ゴワッパー5 ゴーダム(1976年)
- ポールのミラクル大作戦(1976年-1977年)
- とびだせ!マシーン飛竜(東映と共同制作、1977年)
- 一発貫太くん(1977年-1978年)
- 風船少女テンプルちゃん(1977年-1978年)
- 闘士ゴーディアン(1979年-1981年)
- 1980年代
- 森の陽気な小人たちベルフィーとリルビット(1980年)
- タイムボカンシリーズ
- タイムパトロール隊オタスケマン(1980年-1981年)
- ヤットデタマン(1981年-1982年)
- 逆転イッパツマン(1982年-1983年)
- イタダキマン(1983年)
- とんでも戦士ムテキング(1980年-1981年)
- 海底大戦争 愛の20000マイル(1981年)
- ダッシュ勝平(1981年-1982年)
- ゴールドライタン(1981年-1982年)
- 聖書アニメシリーズ
- アニメ親子劇場(1981年-1982年)
- タイム教室 トンデラハウスの大冒険(1982年-1983年)
- パソコントラベル探偵団(1983年)
- 超時空シリーズ
- 超時空要塞マクロス(原作:スタジオぬえ・原作協力:アートランド、1982年-1983年)
- 超時空騎団サザンクロス(1984年)
- 機甲創世記モスピーダ(1983年)
- 未来警察ウラシマン(1983年)
- OKAWARI-BOY スターザンS(1984年)
- よろしくメカドック(1984年-1985年)
- 炎のアルペンローゼ ジュディ&ランディ(1985年)
- 昭和アホ草紙あかぬけ一番!(1985年-1986年)
- 光の伝説(1986年)
- ドテラマン(1986年-1987年)
- 赤い光弾ジリオン(1987年)
- おらぁグズラだど(リメイク版、1987年-1988年)
- 天空戦記シュラト(1989年-1990年)
- 昆虫物語 みなしごハッチ(リメイク版、1989年-1990年)
- 1990年代
- キャッ党忍伝てやんでえ(1990年-1991年)
- ロビンフッドの大冒険(第1期:1990年-1991年/第2期:1992年)
- 宇宙の騎士テッカマンブレード(1992年-1993年)
- 無責任艦長タイラー(TVAのみ、1993年)
- 白雪姫の伝説(1994年-1995年)
- 新世紀エヴァンゲリオン(ガイナックスと共同制作、1995年-1996年)
- ドッカン!ロボ天どん(1995年-1996年)
- シンデレラ物語(1996年)
- マッハGoGoGo(リメイク版、1997年)
- ジェネレイターガウル(1998年)
- 快傑蒸気探偵団 TV ANIMATION SERIES(制作元請:XEBEC、各話仕上、1998年)
- 星方武侠アウトロースター (制作元請:サンライズ、各話仕上、1998年)
- 世紀末伝説ワンダフルタツノコランド 円盤星人UBO (1999年)[2]
- 魔術士オーフェン Revenge (制作元請:J.C.STAFF、各話仕上、1999年-2000年)
- 2000年代
- タイムボカン2000 怪盗きらめきマン (2000年)
- 機巧奇傳ヒヲウ戦記 (制作元請:ボンズ、各話色指定、2000年-2001年)
- The Soul Taker 〜魂狩〜 (2001年)
- よばれてとびでて!アクビちゃん (2001年-2002年)
- フルメタル・パニック? ふもっふ (制作元請:京都アニメーション、各話制作協力、2003年)
- まっすぐにいこう。(第1期) (制作元請:ゆめ太カンパニー、各話動画協力、2003年)
- To Heart 〜Remember my Memories〜 (制作元請:オー・エル・エム・AIC A.S.T.A.、各話第二原画、2004年)
- 絢爛舞踏祭 ザ・マーズ・デイブレイク (制作元請:ボンズ、各話制作協力、2004年)
- ビューティフル ジョー (制作元請:グループ・タック、各話制作協力、2004年)
- ARIA The ANIMATION (制作元請:ハルフィルムメーカー、各話第二原画、2005年)
- ノエイン もうひとりの君へ (制作元請:サテライト、各話動画、2005年-2006年)
- アクビガール (企画のみ参加、実制作はスタジオロン、2006年)
- 錬金3級 まじかる?ぽか〜ん (制作元請:REMIC、発注元:すたじおガッシュ 、各話第二原画、2006年)
- 天保異聞 妖奇士 (制作元請:ボンズ、各話動画、2006年-2007年)
- DEATH NOTE (制作元請:マッドハウス、3DCGI、2006年-2007年)
- 天元突破グレンラガン (制作元請:ガイナックス、各話動画・撮影協力、2007年)
- スカルマン THE SKULL MAN (制作元請:ボンズ、3D協力、2007年)
- スカイガールズ (制作元請:J.C.STAFF、各話動画、2007年)
- ぽてまよ (制作元請:J.C.STAFF、各話第二原画、2007年)
- ゼロの使い魔〜双月の騎士〜 (制作元請:J.C.STAFF、各話動画、2007年)
- アイドルマスター XENOGLOSSIA (制作元請:サンライズ、各話動画、2007年)
- モノノ怪 (制作元請:東映アニメーション、各話デジタル撮影・制作協力、2007年)
- スケッチブック 〜full color's〜 (制作元請:ハルフィルムメーカー、各話動画、2007年)
- 逆境無頼カイジ (制作元請:マッドハウス、3DCGI、2007年)
- シゴフミ (制作元請:J.C.STAFF、各話動画、2008年)
- ヤッターマン(第2作)(2008年-)
[編集] OVA
- 1980年代
- 天空戦記シュラト 天空界メモリアルズ(1989年-1990年)
- 1990年代
- 天空戦記シュラト 創世への暗闘(1991年)
- 新造人間キャシャーン(OVA版)(1993年)
- 科学忍者隊ガッチャマン(OVA版)(1994年)
- タイムボカン王道復古(1993年-1994年)
- 宇宙の騎士テッカマンブレードII(1994年-1995年)
- 新・破裏拳ポリマー(1996年-1997年)
- サクラ大戦 轟華絢爛(制作元請:ラディクスエースエンタテインメント、各話制作協力、1999年-2000年)
- 2000年代
- ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて シリーズ
- ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて(2話まで京都アニメーションと共同制作、2002年-2004年)
- ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルてZ(2004年-2005年)
- 鴉 -KARAS-(2005年)
- テイルズオブシンフォニア THE ANIMATION (制作元請:ユーフォーテーブル、各話動画、2007年)
[編集] ゲーム
- タツノコファイト
- 半熟英雄シリーズ
- 半熟英雄対3D (2003年)
- 半熟英雄4 7人の半熟英雄 (2005年)
- ToHeart2 (オープニングアニメーション、2004年)
- Fate/stay night (OPアニメ、2004年)
- Fate/stay night[Realta Nua] (OPアニメ、2007年)
- テイルズオブリバース(アニメーション制作協力・動画、2004年)
[編集] 劇場映画
- 1970年代
- 科学忍者隊ガッチャマン(映画版)(1978年)
- 怪盗ルパン813の謎(1979年)
- 1980年代
- 地球物語 テレパス2500(1984年)
- 2000年代
- 劇場版ツバサ・クロニクル 鳥カゴの国の姫君(制作元請:Production I.G、原画協力、2005年)
[編集] その他
- Sky Kids BOOBY(東京工科大学との共同制作、2004年)
- 撮りッたがり決死隊 トッターマンDS(企画協力、2006年-2007年)
[編集] 他社主導作品の共同制作
タツノコプロは『超時空要塞マクロス』、『無責任艦長タイラー』、『新世紀エヴァンゲリオン』、『電脳コイル』などの制作にも携わった。しかし、これらの作品は外部企画による作品であり、あくまでも協力的立場での参加しただけで自社単独で権利を保有していないため、自社ウェブサイト上の作品リストには掲載されていない。
[編集] 特色
[編集] キャラクター造形
タツノコプロのアニメ企画作りはまずキャラクター作りから始まっており、2000年代現在もタツノコから産まれたキャラクターは根強い人気を誇る。『宇宙の騎士テッカマンブレード』のプラモデル(発売元: バンダイ)が通商産業省(現:経済産業省)のグッドデザインを受賞(1992年度)したり、タツノコプロの歴代ヒーローをモデル化したミクロマン2003(発売元: タカラ)が発売直後に売り切れるなど、キャラクターのプロポーションのよさは評価が高い。
元々吉田竜夫の作品は『忍者部隊月光』など、劇画タッチのアクション物として知られており、アニメーションにもその作風が発揮されていた。吉田竜夫、九里一平、天野嘉孝らの描いたアメリカンコミックを思わせるカラフルでスタイリッシュ・肉感的なキャラクターが魅力の一つに数えられ、これは作品の海外輸出を強く意識した結果だと言われている。1960年代の代表作である『マッハGoGoGo』はアメリカに輸出され "Speed Racer" の題で人気を博し、一部のアメリカ人がアメリカ製のアニメーションだと信じていたとの逸話も残すほどだった。アクションものともにタツノコプロの2本柱となった笹川ひろし監督によるギャグもの『ハクション大魔王』「タイムボカンシリーズ」も根強い人気でキャラクター商品に人気があるが、こちらもアクションものと同様にデザインはバタくさく、美術設定などは日本を感じさせない無国籍風の作りとなっている。
小動物や幼い兄弟を主人公とする作品は見た目の可憐さとは裏腹にこれでもか、これでもか、というくらいに相次いで襲いかかる過酷な試練、迫害に打ちのめそうになりながら、何とかそれを乗り越えていき、最終話で大きな喜びを得る、という話が多い。
小学生を主人公とする作品では上記に加えて、小学生にもかかわらず結婚(それも重婚)したり、アルバイトで生計を立てる、という、現実には法律上ありえない設定になる場合がある。
タツノコプロの1990年代の苦境を凌げたのは、吉田竜夫らの遺した財産とも言えるキャラクターたちだった。1970年代の人気作品を続々とリメイクする企画によって作品をリリースすることが出来たのである。タツノコオリジナルキャラクターには業界内でもファンが多く、1973年に製作された『新造人間キャシャーン』が、30年を時を経て2004年に『CASSHERN』の題で実写映画化され、上述の通り『科学忍者隊ガッチャマン』『ヤッターマン』も日活で実写映画化が計画されている。さらにアメリカでも、2005年に映画会社ワーナーブラザーズによって『マッハGoGoGo』が『スピード・レーサー』の名で実写映画化される動きが伝えられ、2008年7月5日に日本で公開が予定されている。
[編集] 映像
タツノコ作品の映像は質の高さ・ユニークさで定評があり、代表作とも言える『科学忍者隊ガッチャマン』では、特にハイクオリティな映像にこだわり、CGが無い時代に、セル画は1万枚を超えたこともあった。当時アニメの撮影では35ミリフィルムが一般的だったのに対して、16ミリフィルムで製作されたが、その映像の質の高さは、1972年放送とは思えないほど鮮明とも評される。これには難しい吉田のキャラクターを描ける、タツノコアクションの人気には、宮本貞雄、須田正己、二宮常雄、湖川友謙といったアニメーターの力もあった。
映像の表現については、セルアニメーションにこだわらない貪欲さを見せ、実写映像を撮影あるいは、フィルムを購入して、アニメに挿入するなどした。東洋現像所(現: IMAGICA)に導入されたばかりの映像効果スキャニメイトをいち早くアニメに導入したのはタツノコプロである。これは初期のCGとも評されるもので、アナログ処理による画像を変形させる効果が、『タイムボカン』シリーズのタイムトラベルシーン、1975年製作の『宇宙の騎士テッカマン』のオープニング演出など、いくつかのタツノコ作品で使われた。特撮では日本現代企画が『スーパーロボット マッハバロン』『少年探偵団 (BD7)』で同じ技術を使っており、アニメ・特撮ファンにはこの2社による採用が最も有名である。
[編集] シンジケーション
テレビアニメ進出当初からフジテレビとは関係が深く、土曜日の18時30分から19時の時間帯と日曜日の18時から18時30分の時間帯は一時期タツノコアニメが独占していた。
広告代理店の読売広告社(読広)の初のテレビ作品がタツノコプロの『宇宙エース』であり、以後も読広と組むことが多かった。初期には読広がタツノコプロの音響製作をし、読広の社員が予告のナレーション台本も担当。多くのタイトルが読広の電波担当役員の松山貴之によって名付けられ、松山は読広退社後の1995年12月から1996年11月までタツノコプロの会長に迎えられる間柄でもあった。
[編集] 社内体制
タツノコプロには企画から撮影まで社内のみで完結する一貫した制作体制が整っていた。かつては東映動画や虫プロダクション(旧社)も同様の体制を保持していたが、これらが合理化や倒産により消滅したあともタツノコのみは長くこの体制を維持した。押井守は演出家の修業の上でそれが役立ったことを語っている。
外注プロダクションでは作画のタマプロが大いに貢献している。後に韓国ルートを開拓し、子会社のアニメフレンドを設立した。
近年は制作本数の減少に伴い、他社と同様に、正社員を減らして作品ごとに契約スタッフを採用する形にし、スタジオ経営のスリム化を図っている。
- キャラクター室
- 吉田竜夫社長が直轄していた独立性の高い部署。天野嘉孝、高田明美、下元明子が在籍。
- 企画文芸部
- 日活出身の脚本家、鳥海尽三が虫プロを経て移籍してきたのを契機に設立。鳥海尽三を部長に、小山高男、柳川茂らが所属した。
- 美術部
- 中村光毅が部長。美術デザイン、世界設定のみならず、メカニックデザインも行なった。大河原邦男、多田喜久子らが所属。
- 演出部
- 部長は笹川ひろし。原征太郎、鳥海永行、布川ゆうじ、押井守、真下耕一、うえだひでひと、西久保利彦らが活躍。タツノコでは演出が動画チェックも行なった。
- 出版部・版権部
- 版権管理の他、タツノコアニメのコミカライズや絵本、版権イラストを担当。天馬正人や内山まもるが在籍。
- CM部
- コマーシャルやPR映画などを制作。後に葦プロダクションを設立する佐藤俊彦、加藤博らが在籍した。
[編集] 出身者
- 天野嘉孝(現: 天野喜孝)(イラストレーター)
- 池端俊策(脚本家) - 大学卒業後、半年のみ勤務。
- 押井守(アニメ映画監督)
- 大河原邦男(メカニックデザイナー)
- 布川ゆうじ(アニメ制作者)
- 小山高男(現: 小山高生)(脚本家)
- 鳥海尽三(脚本家)
- 下元明子(現: 河井ノア)(絵本作家)
- 高田明美(キャラクターデザイナー、イラストレーター)
- 笹川ひろし(アニメ演出家)
- 鳥海永行(アニメ演出家)
- 西久保利彦(西久保瑞穂)(アニメ演出家)
- 真下耕一(アニメ演出家)
- うえだひでひと(アニメ演出家)
- 中村光毅(アニメ美術、メカニックデザイナー)
- 内山まもる(漫画家)
- 秋本治(漫画家)
- あや秀夫(漫画家)
- 森藤よしひろ(漫画家)
- UPLIFT(伊平崇耶)(作詞家、プロデューサー、構成作家)
- 南家こうじ(アニメーション作家)
- 落合茂一(アニメプロデューサー)
[編集] タツノコプロOBが独立して設立した会社
- きのプロダクション(木下としお)
- 葦プロダクション(現:プロダクション リード、佐藤俊彦、加藤博)
- アクタス(加藤博)
- ぴえろ(布川ゆうじ、鳥海永行、案納正美)
- アートミック(鈴木敏充)
- Production I.G(石川光久、後藤隆幸)
- J.C.STAFF(宮田知行)
- RADIX(植田もとき)
- ビィートレイン(真下耕一、堀川憲司)
- ピーエーワークス(堀川憲司)
- ティー・エヌ・ケー(加藤長輝)
- A-Line(橋本和典)
- ぶらざあのっぽ(小山高生)
- アニメーション21(笹川ひろし、杉井興治)
- デザインオフィス・メカマン(中村光毅、大河原邦男)
- スタジオユニコーン(栃平吉和)
- スタジオ旗艦(栃平吉和)
- 鳥プロ(鳥海尽三、酒井あきよし、陶山智)
- 鳳工房(鳥海尽三)
- 龍プロダクション(永井昌嗣)
- アーツプロ(本田保則)
- マリックス(向井稔)
- プロダクション・アイ(新井寅雄)
- スタジオイースター(東潤一)
[編集] 関連文献
- 笹川ひろし 『ぶたもおだてりゃ木にのぼる 私のマンガ道とアニメ道』 ワニブックス、2000年、ISBN 4-8470-1358-1
- 原口正宏・赤星政尚・長尾けんじ 『タツノコプロ・インサイダーズ』 講談社、2002年、ISBN 4-06-330179-6
- 岩切徹 「漫画家九里一平 アニメ界のモックは何処へ」 『AERA』2005年10月17日号、朝日新聞社
[編集] 脚注
- ^ その後も再放送やバラエティ番組のスペシャルでタツノコ作品の映像が扱われることはある。1986年から1987年にかけてフジテレビで放送された『あんみつ姫』はスタジオぴえろ制作でありタツノコ作品ではないが、タツノコの企画協力作品である。また、『ひらけ!ポンキッキ』のキャラクター・ガチャピンと『科学忍者隊ガッチャマン』とのコラボ企画『科学忍者隊ガッチャピン』もある。
- ^ TBSの年末長時間番組「超える!テレビ」の1コーナー。
[編集] 関連項目
- アニメフレンド
- アニメ制作会社一覧
- バンプレスト - タツノコの親会社タカラトミーと競合関係にあるバンダイナムコホールディングス系列だが、タツノコ関係のパチンコ・パチスロ台はバンプレストが関与しているものがほとんどである。
- 玉中哲二