1989年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1989年のオールスターゲーム (日本プロ野球)は7月25日及び7月26日に開催されたプロ野球のオールスターゲーム(球宴)である。正式名称は1989 サンヨー オールスター ゲーム(1989 SANYO ALL STAR GAME)
目次 |
[編集] 試合概要
前年、3年連続の日本一を達成した西武ライオンズの森祇晶監督が全パ(オールパシフィックリーグ)を率い、セ・リーグを制した中日ドラゴンズの星野仙一監督が全セ(オールセントラルリーグ)を率いた1989年のオールスターゲーム。1月7日に昭和天皇が崩御され、元号が昭和から平成へ変わり、プロ野球界もオリックスブレーブスと福岡ダイエーホークスが誕生し、プロ野球も新時代に突入した。26年間、3試合制だった球宴がこの年から2試合に短縮された。
第1戦は旧時代を代表する大ベテラン村田兆治(ロッテ)が大活躍。全パの先発として3回を2安打3三振無失点で自身初のMVPを受賞した。第2戦は闘将星野を男にすべく全セ・中日勢が奮起。彦野利勝、宇野勝、中村武志らが攻守に活躍した。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
7月25日 明治神宮野球場 開始18:35(試合時間:2時間16分) 観衆数/33,705人
全パ | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全セ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
(パ) ○村田(ロ)、阿波野(近)、牛島(ロ)、渡辺(西)-田村(日)、伊東(西)
(セ) ●西本(中)、槙原(巨)、斉藤(巨)、内藤(ヤ)、川口(広)、中山(洋)-中村(中)、中尾(巨)
MVP 村田兆治(ロ)
[審判] セ井野(球) パ五十嵐、セ田中、パ牧野(塁) セ鈴木、パ藤本(外)
[編集] 第2戦
7月26日 藤井寺球場 開始18:35(試合時間:2時間24分) 観衆数/21,514人
全セ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全パ | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 |
(セ) 桑田(巨)、山本昌(中)、○長冨(広)、S津田(広)-中村、中尾、達川(広)
(パ) 小野(近)、西崎(日)、松沼(西)、星野伸(オ)、●佐藤誠(日)、佐藤義(オ)-田村、伊東
MVP 彦野利勝(中)
[審判] パ村越(球) セ福井、パ藤本、セ鈴木(塁) パ五十嵐、セ井野(外)
[編集] テレビ・ラジオ中継
[編集] テレビ中継
- 第1戦:7月25日
- 第2戦:7月26日
- 民放同士の並列中継はこの年の第1戦が最後である。
[編集] ラジオ中継
- 第1戦:7月25日
- 第2戦:7月26日
[編集] エピソード
- 第1戦、全セの守護神として登板した津田恒実(広島)にとってこの試合がオールスターゲーム最終試合となった。その後、津田の名前を再びオールスターで耳にするのは1993年の第1戦で飛び込んだ彼の突然の訃報だった。
[編集] 関連項目
- オールスターゲーム (日本プロ野球)
- 日本プロフェッショナル野球組織
- 日本野球機構(主催)
- 三洋電機(特別協賛)
[編集] 外部リンク
オールスターゲーム(日本プロ野球) 1951 | 1952 | 1953 | 1954 | 1955 | 1956 | 1957 | 1958 | 1959 |