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中西太 - Wikipedia

中西太

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

中西太
Futoshi Nakanisi
基本情報
国籍 日本
出身地 香川県高松市
生年月日 1933年4月11日(75歳)
身長
体重
173cm
93kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 三塁手
プロ入り 1952年
初出場 1952年3月21日
経歴
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1999年
選出方法 競技者表彰
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

中西 太なかにし ふとし1933年4月11日 - )は、香川県高松市出身のプロ野球選手監督、打撃コーチ。現役時代は数多くの伝説を残す強打者であり、現役引退後は数多くの打者を育て上げた名コーチとして知られる。愛称は「太っさん」。あるいは「太」。

目次

[編集] 来歴・人物

ポジションは主に三塁手。右投げ右打ち。高松第一高等学校時代は本塁打を量産し、「怪童」といわれていた。1952年西鉄ライオンズに入団。1年目から活躍し、新人王を獲得。その後も首位打者本塁打王打点王のタイトルを多数獲得し、1958年まで毎年のように三冠王に近い成績を残した。1953年から1956年にかけては4年連続で本塁打王。

また、そのずんぐりむっくりな体型に似合わぬ俊足で盗塁数も多かった。1953年には36盗塁を記録し、史上3人目の打率3割・30本塁打・30盗塁(トリプルスリー)を達成している。三塁手としての守備もうまかった。目の前にフェンスが迫っていても怪我を恐れずに打球を追ったことから、遊撃手を務めていた豊田泰光とともに「金網デスマッチ」と言われていた。このため前歯を3本折損している。

非常に運動神経に優れていたことで知られ、本人も「私は農耕民族だから」と言う、その足腰の強さは特筆物であった。相撲好きであり、関脇鶴ヶ嶺(後の井筒親方)と非常に仲が良かったのでよく井筒部屋に出稽古に出かけていたという。しかも、十両ほどの力士であれば軽くあしらって勝ってしまうこともあったほどで、鶴ヶ嶺曰く「中西さんは相撲の世界に入っていても、間違いなく幕内までは軽々行ったと思う」。

豊田・大下弘関口清治高倉照幸河野昭修らと形成する強力打線は「流線型打線」と呼ばれ、1954年にリーグ優勝、稲尾和久が入団した1956年からは3年連続日本一という西鉄の黄金時代を三原脩監督の元で築き上げた。この時期、三原監督の長女敏子のもとに婿入りし、三原の義理の息子となっている(戸籍上は「三原太」となっている)。1958年まではタイトル争いに加わるほどの打棒を誇るが1959年近鉄小玉明利に利き手をスパイクされて負傷、さらに翌年、1960年に腱鞘炎を患い満足なスイングができなくなり、代打での出場が多くなった。

1962年、29歳の若さで西鉄の監督に就任。2年目の1963年には南海と熾烈な優勝争いを繰り広げ、最後の4試合(2日連続のダブルヘッダー)に全勝し劇的なリーグ優勝を決める(これが西鉄最後の優勝となった)。しかし同年の日本シリーズでは巨人に3勝4敗で敗退した。1964年オフ、退団となった若林忠志ヘッドコーチの処遇を巡りバッシングを受ける。西鉄は5位であり、若林に成績不振の責任を取らせたとマスコミからの非難を浴びた。

若林退団の理由は末期ガンのためであったが、若林の家族の意向から退団の真相は中西と若林夫人しか知らなかった。自らの真の病状を知らない若林は、中西が見舞いに来るたびに、自分はもう大丈夫だから現場に戻してほしいと語っていたという。それがもはやかなわないことを知っていた中西は涙が出るほど辛かった、と後年回想している。若林は翌1965年、58歳で死去。

1969年限りで現役引退、監督退任。同年10月に発覚し、西鉄の選手も関与していた八百長疑惑事件、いわゆる「黒い霧事件」についての道義的責任を負っての辞任でもあった。中西のつけていた背番号6は西鉄の永久欠番に指定された。しかし後の1973年、西鉄が身売りしたときに失効している。

引退後はヤクルト1971年1973年1983年1984年途中)、日本ハム1974年1975年)、阪神1979年1981年)、近鉄1985年1990年)、巨人(1992年)、ロッテ1994年)、オリックス1995年1997年)で監督、打撃コーチ、ヘッドコーチを歴任した(日本ハム・阪神では監督、またヤクルト、ロッテでは代理監督を務めている)。パ・リーグの球団は歴代のホークス楽天以外には全て在籍していたことになる。

監督としては優れた実績は残せていないどころか、阪神監督時代には江本孟紀の「ベンチがアホ」発言で槍玉に挙げられるほどであった。一方打撃コーチとしては多くの打者を育成し、打者育成の手腕と打撃理論が高く評価されている。特に近鉄ヘッドコーチ時代の10.19があった1988年と劇的なリーグ優勝を果たした翌1989年における仰木彬監督との名コンビによる活躍ぶりは選手からもファンからも大変な支持を得る(ただし、ベンチの雰囲気は仰木監督と中西「総監督」のような状態であった。ちなみに西鉄時代は逆に中西の参謀を仰木が務めていた)。

同時に球団の人気も実力とともに急上昇し、近鉄は常勝チーム西武の最大のライバル球団となった。オリックス退任後もヤクルトを始め、様々な球団で「特別コーチ」「臨時コーチ」を務めている。1999年野球殿堂入り。2000年より日刊スポーツ野球評論家。近年甲状腺がんを患ったが、幸い経過は良好。2007年2月には、MLBに挑戦する愛弟子の岩村明憲の自主トレを手伝い、中西自らバッティングピッチャーとして登板。岩村も「こんな元気な70代の人はそうはいないですよ」と驚くほどであった。

2007年10月、現役時代のユニフォームやトロフィーなどの資料49点を故郷の高松市に寄贈。2008年4月26日より高松市松島町の市民文化センターで公開されている。

[編集] 年度別打撃成績

年度 チーム

試合 打数 得点 安打

塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 敬遠 死球 三振

失策 打率
1952年 西鉄 6 111 384 57 108 12 178 65 16 0 - 26 0 38 12 36 .281
1953年 120 465 92 146 36 288 86 36 1 - 41 1 52 13 27 .314
1954年 130 493 87 146 31 283 82 23 2 4 51 4 73 10 16 .296
1955年 135 473 96 157 35 298 98 19 0 3 71 17 2 91 10 17 .332
1956年 137 462 74 150 29 274 95 15 1 5 54 17 1 70 8 16 .325
1957年 132 486 84 154 24 263 100 15 0 2 49 6 1 70 14 16 .317
1958年 126 404 61 127 23 217 84 8 0 2 60 10 3 59 10 17 .314
1959年 59 153 21 45 7 78 29 2 0 3 24 7 1 24 6 8 .294
1960年 32 47 6 17 1 24 10 1 0 1 6 4 0 8 4 0 .362
1961年 99 253 48 77 21 148 54 4 0 3 44 13 1 42 8 11 .304
1962年 44 71 6 19 2 26 11 2 0 1 9 2 1 8 4 1 .268
1963年 81 216 26 61 11 101 26 0 0 0 24 2 1 47 10 2 .282
1964年 33 40 2 6 0 8 4 0 0 0 6 1 0 10 2 1 .150
1965年 34 51 3 15 2 23 9 0 0 1 6 1 0 8 4 0 .294
1966年 51 51 6 14 6 34 15 1 0 1 3 2 0 9 0 0 .275
1967年 32 36 3 10 3 21 9 0 0 0 3 0 1 7 1 1 .278
1968年 26 25 1 10 1 13 8 0 0 0 3 3 0 5 1 0 .400
1969年 6 6 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 0 2 .000
通算成績 1388 4116 673 1262 244 2277 785 142 4 26 481 85 17 624 117 171 .307
  • 太字はリーグ最多
  • 犠飛は1954年より集計開始

[編集] 通算打撃成績

[編集] タイトル・表彰・記録

  • 首位打者 2回(1955年、1958年)
  • 本塁打王 5回(1953年~1956年、1958年)
  • 打点王 3回(1953年、1956年~1957年)
  • 最多安打 2回(1953年、1957年)
  • 新人王(1952年)
  • 最高殊勲選手(MVP) 1回(1956年)
  • 野球殿堂入り(1999年)
  • ベストナイン 7回(1953年~1958年、1961年)
  • オールスターゲーム選出 7回(1953年~1955年、1957年~1958年、1961年、1963年)
  • オールスター最優秀選手 2回(1954年第1戦、1958年第3戦)

[編集] 監督としてのチーム成績

年度 年度 チーム 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
1962年 昭和37年 西鉄 3位 136 62 68 6 .477 16 92 .245 3.00 29歳
1963年 昭和38年 1位 150 86 60 4 .589 146 .244 2.69 30歳
1964年 昭和39年 5位 150 63 81 6 .438 19.5 116 .242 3.57 31歳
1965年 昭和40年 3位 140 72 64 4 .529 15.5 112 .246 3.00 32歳
1966年 昭和41年 2位 138 75 55 8 .577 4 125 .231 2.13 33歳
1967年 昭和42年 2位 140 66 64 10 .508 9 98 .222 2.50 34歳
1968年 昭和43年 5位 133 56 74 3 .431 24 110 .237 3.17 35歳
1969年 昭和44年 5位 130 51 75 4 .405 25 119 .225 3.40 36歳
1974年 昭和49年 日本ハム 6位 130 49 75 6 .395 6位・6位 96 .246 4.11 41歳
1975年 昭和50年 6位 130 55 63 12 .466 4位・4位 100 .258 3.89 42歳
1980年 昭和55年 阪神 5位 130 54 66 10 .450 20.5 134 .262 3.73 47歳
1981年 昭和56年 3位 130 67 58 5 .536 8 114 .272 3.32 48歳
※1 1962年、1966年から1996年までは130試合制
※2 1963年から1964年までは150試合制
※3 1965年は140試合制
※4 1973年から1982年までは前後期制のため、ゲーム差欄は上段前期順位、下段後期順位を表示

[編集] 監督通算成績

  • 1640試合 748勝811敗81分 勝率.480
  • Aクラス5回、Bクラス6回
  • リーグ優勝1回

[編集] エピソード

[編集] 打撃にまつわる伝説

中西は、その豪快な打撃で数々の伝説を残している。以下はその一例である。

  • 1953年8月29日、対大映戦(平和台野球場)で林義一投手から放った打球はライナーでバックスクリーンを優々と越え、場外の福岡城址まで届いた。推定飛距離は160m以上で、プロ野球最長飛距離の本塁打、また福岡城址は「外野スタンドから更に50m先」にあるため、180~190m近く飛んだ可能性もあると言われており、まさに球史に残る大ホームランであったとされる。この時も、林義一投手は「(取れるライナーかと思って)ジャンプした。そうしたらグングン伸びて、バックスクリーンのはるか上を越えていった」と千葉茂に後年語っていたと言う。
  • 遊撃手がジャンプしてわずかに届かなかったライナー性の打球が、ものすごい勢いでそのままスタンドインした
  • 投手の肩口を抜けたライナーが伸びに伸びて平和台のバックスクリーンを超えていった(青田昇の証言より。このとき青田はセンター前ヒットと思って一歩前に出たという)。
  • 1965年東京スタジアムでは中西の放った地面すれすれの強烈なライナーがショートを守っていた有町昌昭の膝を直撃、有町は病院送りとなってしまったが、彼はあまりの打球の速さに一歩も動けずグラブを差し出すことすら出来なかったという。
  • ファールチップで焦げたボールの皮の匂いが、マウンド上の投手まで届いた(中西曰く、当時はバットを動物の脂で磨くことが多く、ボールが焦げたというのは誤りであるものの、ダッグアウトまでその匂いが届いたという)。
  • 素振りの音が相手ベンチまで聞こえた。

[編集] その他のエピソード

  • 高校時代に甲子園で打った本塁打2本、及びプロ初本塁打はいずれもランニングホームランである。
  • 戦後初の三冠王となるチャンスが何度もあった。惜しかったのは1956年と1958年。前者は首位打者を同僚の豊田と争ったが、最終戦を前に三原監督が両者に休養を命じたため、豊田の首位打者が決まった(ただし、豊田は首位打者、中西は二冠王で構わないと最初から両者で話し合って決めていたとも言われている)。後者は全日程を終了して三冠、ただし打点のみは大毎オリオンズ葛城隆雄と同数という状況で、葛城が最終戦でホームランを放ち逃したというものである。ちなみにこの時葛城に本塁打を打たれたのは元同僚の大津守投手(当時近鉄)で、後日試合で対戦の際に中西と顔を合わせ、「すまん」と謝ったとされている。
  • 得てして一流選手は自分が活躍した場面よりも失敗した場面を覚えているものだが、中西もまた例外ではなく、最も忘れられない場面として、1958年の日本シリーズ、1勝3敗で迎えた第5戦、2-3と1点ビハインドの9回裏1死3塁という「非常に責任ある打席(中西)」で三塁ゴロに倒れた場面を挙げている。この試合は結局続く5番の関口清治が起死回生のタイムリーヒットを打って同点に追いつき、延長10回裏稲尾のサヨナラ本塁打で勝利。西鉄は第6戦、第7戦も連勝して奇跡の逆転優勝を果たし、中西もまたこの第5戦に続いて第6戦、第7戦でもホームランを放つ活躍を見せるのだが、第5戦9回裏の場面は「もしあのまま試合が終わっていたら…」と思い返すことがたびたびあったという。
  • バットスピードがあまりにも速すぎたために腱鞘炎になった。腱鞘炎になっていなければ率を除くすべての分野において2倍の通算成績を残していたと言われる。

[編集] 背番号

  • 6(1952年~1969年)
  • 60(1971年~1973年)
  • 88(1974年、1995年~1997年)
  • 30(1975年)
  • 81(1979年~1981年)
  • 80(1983年~1984年)
  • 77(1985年~1990年)
  • 70(1992年)
  • 89(1994年)

[編集] 著書

[編集] 関連項目

先代:
蔭山和夫
パ・リーグ新人王
1952年
次代:
豊田泰光
先代:
深見安博
野村克也
パ・リーグ本塁打王
1953年-56年
次代:
野村克也
山内和弘
先代:
飯田徳治
山内和弘
パ・リーグ打点王
1953年
1956年-57年
次代:
山内和弘
葛城隆雄
先代:
L.レインズ
山内和弘
パ・リーグ首位打者
1955年
1958年
次代:
豊田泰光
杉山光平
先代:
飯田徳治
パ・リーグMVP
1956
次代:
稲尾和久
先代:
川崎徳次1960年1961年
西鉄ライオンズ監督
1962年1969年途中)
次代:
鬼頭政一(1969年途中)
先代:
土橋正幸1973年途中)
日本ハムファイターズ監督
(1974年~1975年
次代:
大沢啓二1976年1983年
先代:
ドン・ブレイザー
1979年1980年途中)
阪神タイガース
監督
(1980年途中~1981年
次代:
安藤統男
1982年1984年
先代:
武上四郎
(1980年~1984年途中)
ヤクルトスワローズ
監督(代行)
(1984年途中)
次代:
土橋正幸
(1984年途中~1986年
先代:
八木沢荘六
1992年1994年途中)
千葉ロッテマリーンズ
監督(代行)
(1994年途中)
次代:
ボビー・バレンタイン
1995年
※1 カッコ内は監督在任期間。
※2 1980年は5月16日からシーズン終了まで指揮。
※3 1984年は4月27日から5月22日まで指揮。
※4 1994年は8月1日からシーズン終了まで指揮。


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