1951年のオールスターゲーム (日本プロ野球)
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[編集] 試合概要
1949年末以来続いたリーグ分裂による混乱も一応の収束を見た1951年、セントラル・リーグ対パシフィック・リーグを体現化させた日本野球機構(旧 日本野球連盟)主催・オールスターゲームを挙行することが決定した。前年の2リーグ制発足1年目はリーグ優勝チーム同士戦わせる日本選手権シリーズは実現できたものの(毎日が日本一)オールスターゲームはセ・パ分裂開催のため、セ・パ14球団が一同に介して行なわれたこの3試合はまさに夢の試合でもあった。ちなみに1949年秋に行なわれた1リーグ制時代最後のオールスター東西対抗戦時は8球団だった。
前年、日本一を達成した毎日オリオンズの湯浅禎夫が全パ(オールパシフィック・リーグ)を率い、対するセ・リーグ側から本来、前年、松竹ロビンスをリーグ優勝に導いた小西得郎が全セ(オールセントラル・リーグ)を指揮すべきところだが、日本ワールドシリーズ(当時の日本シリーズの名称)とともに勇退。代わって前年2位中日ドラゴンズの天知俊一が全セを率いた。
第1戦、選手たちはグラウンドにバスで登場。14時2分、球審の島秀之助の手が上り試合開始。両軍先発は全パが江藤正(南海)、全セは別所毅彦(巨人)。1回表、別所は全パ1番飯田徳治(南海)に四球を与えてしまったものの、続く山本一人(南海)、別当薫(毎日)、大下弘(東急)を見事に抑え事なきを得た。その裏、江藤が全セ2番千葉茂(巨人)に右翼線へ安打され続く岩本義行(松竹)、一人置いて川上哲治(巨人)に打たれてしまい全セが早々に1点を挙げた。6回にも全セが繋いで1点をもぎ取った。全パもこれではいかんと続く7回に1点を取り、1点差を争う好ゲームとなった。この回から登板した全セ杉下茂(名古屋)が終盤粘りを見せ、最終回を3人で斬って獲った。第2戦も全セが逆転勝利。2敗した全パの勝利への執念を燃やし、翌第3戦に望んだ。第3戦もまた初回から千葉・岩本・川上そして大阪の藤村富美男らの猛打で得点されたが、全パもじわじわ追い上げ同点で迎えた8回表、全パ3番飯田が値千金の勝ち越し本塁打。これを大映の林義一が守りきってここに全パは初勝利を挙げた。
3試合が大入り満員の大成功だったことにより、翌年から毎年開催されるようになった。
[編集] 試合結果
[編集] 第1戦
7月4日 甲子園球場 開始14:02(試合時間:1時間57分) 観衆数/48,671人
全パ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全セ | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 |
(パ) ●江藤(南)、武末(西)、林義(大)-土井垣(毎)
(セ) ○別所(巨)、金田(国)、杉下(名)-荒川昇(松)、野口明(名)
MVP 川上哲治(巨)
[審判] セ島(球) パ横沢三、セ筒井、パ上田(塁) セ小柴、パ小島(外)
[編集] 第2戦
7月7日 後楽園球場 開始14:02 (試合時間:2時間10分) 観衆数/39,060人
全セ | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全パ | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 |
(セ) 別所、中尾(巨)、長谷川(広)、金田、○杉下-荒川昇、野口明
(パ) 野村武(毎)、柚木(南)、●米川(東)、林義-土井垣
MVP 野口明(名)
[審判] パ横沢三(球) セ島、パ小島、セ小柴(塁) パ上田、セ筒井(外)
[編集] 第3戦
7月8日 後楽園球場 開始13:53 (試合時間:1時間51分) 観衆数/40,378人
全パ | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 4 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全セ | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
(パ) 佐藤(毎)、川崎(西)、野村武、○林義-土井垣
(セ) 藤村隆(神)、三富(名)、高野(洋)、●藤本(巨)-徳網(神)、野口明
MVP 林義一(大)
[審判] セ筒井(球) パ上田、セ島、パ横沢三(塁) セ小柴、パ小島(外)
[編集] ラジオ中継
[編集] エピソード
- それまでの東西対抗戦は11月から12月に掛けて実施されていたが、リーグ対抗オールスター戦はアメリカのメジャー・リーグに倣い、7月に開催されることになった。
- 第3戦、全セの先発は藤村隆男(大阪)は藤村富美男の実弟であり、球宴初の同時出場兄弟になった。その後、2人揃って3度出場している。その他兄弟での球宴同時出場で特記するものとしては以下のような事例がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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