食のタブー
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食のタブー(しょくのタブー)とは、飲食において宗教、文化、健康上の理由でタブーとされる特定の食材や食べ方である。
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[編集] 概要
宗教によっては、特定の食肉の摂取を禁じている例が少なくない。たとえば、ユダヤ教はカシュルート(適正食品規定)と呼ばれる食べてよいものといけないものに関する厳しい規則を定めている。イスラム教とキリスト教の特定宗派も、カシュルートの一部を取り込み、似たような規律を規定している。
ヒンドゥー教、ジャイナ教、仏教(戒律の五戒で初期仏教の三種の浄肉以外)は肉食を禁止しているため、これらの宗教の信者は今でも多くが菜食主義者であり、そのため精進料理を調理し食べている。キリスト教文化においては、かつて金曜日はキリスト受難の日として肉食を避けるべき日とされ、魚を食べる習慣があった。
加えて、ある食肉はその社会の中で一般的に不要であると考えられているので、単純に禁忌であるとみなされている。これは、その肉が必ずしも風味、香気、歯ごたえ、見かけが嫌悪感を抱かせるためだけではない。また、イスラム教のように、特定の儀礼によって屠殺したハラール肉以外を食べることは禁忌とされる例もある。
法のかたちで文化的な食タブーを課す例もある。これは食文化への迫害や、人権侵害であると主張される可能性がある。たとえば、香港では中国に主権が返還されたが、イギリス植民地時代に定められた犬肉、猫肉の供給を禁じる法令が撤回されないままになっており、同じ文化圏の広東省の食文化との食い違いが見られる。
健康上の理由もまた禁忌に関与している。たとえば、未調理の豚肉を食べることは旋毛虫病、E型肝炎に罹患する恐れがあり、多くの海産物も食中毒の恐れが高いとされる場合がある(これらの考え方には俗説という批判がある。詳細はカシュルートを参照)。
医療面から見た食のタブーは、専門家の助言によって行われることが多い。食物の中には病気を悪化させたり、病気になりやすくしたり、治癒を遅らせる作用があるものもあることが知られている。人によっては、特定の食物に対する食物アレルギーを持っている場合があり、ひどい場合には生命に関わる場合もある。
以上の宗教や医学的な背景から、多くの国籍(宗教)の人の利用が想定される国際線航空便の機内食の場合、事前に(社によるが、出発24~48時間前まで)申し込めば、イスラム教やユダヤ教、菜食主義者など特定の宗教に対応した料理や、低脂肪、低塩分、低(高)タンパク質などの料理といった、スペシャル食が配られる体制を持っている会社が多い。
なお、通常その地域で食のタブーに規定されていても、極限状況での人肉食(ひかりごけ事件など)や社会が困窮に陥った状態になるとタブーが弛む傾向、現象がみられる。これは文化的というよりも自己保存の本能の問題だが、タブーを破る現象が(人によっては)衝撃的かつ多くの人には生理的嫌悪を感じさせる為センセーショナルに報道されやすい。
メアリー・ダグラスの「汚穢と禁忌」によれば、食の禁忌は分類上の落ちこぼれが持つ中途半端な属性がケガレとされたことに理由があるとされている。例えば牛やヤギは四足で蹄が割れており反芻胃を持つのに対し、豚は蹄が割れているも反芻をせず、また兎は反芻はするが蹄が割れてないなど、分類上中途半端であるがゆえに禁忌とされたことになる。
[編集] ペット
[編集] うさぎ
ウサギ科に属するカイウサギ、ヨーロッパウサギとノウサギはうさぎ愛好家や、猫や犬アレルギーの人にとってよいペットとなる。このペットとなるうさぎも、ヨーロッパ、南米、北米、中東の一部諸国、中国その他では食肉である。しかしながら、このウサギ肉を食べることは歴史的にみるとうさぎをペットとして扱う前から行われており、それゆえほとんどの人はウサギ食を禁忌とはみなしていない。
ドキュメンタリー映画「ロジャー&ミー」(マイケル・ムーア監督作品) には、米国ミシガン州フリントでゼネラルモーターズ社が大規模な工場を閉鎖したことにより失業して困窮した女性がペット用あるいは食用に同じ種類のうさぎを売っているシーンがある。このエピソードは、ペット用のうさぎと食用のうさぎには紙一重ほどの違いすらないことを物語っている。また、ピーターラビットの主人公、ピーターの父親は、人間(マグレガー夫人)に捕まり、パイにされて食べられた、とある。
ウサギ肉はかつて、オーストラリアのシドニーで一般的に販売されていた。その商人らはラグビーリーグのチーム名であるSouth Sydney Rabbitohsという名前が与えられたが、うさぎにとって致命的な病気である粘液腫症の流行が野生のうさぎ個体数を激減させたあと、はやらなくなってしまった。
ノウサギは旧約聖書のレビ記において特に不浄な動物であると述べられていて、ユダヤ人とユダヤ人のキリスト教徒は不浄であるとの決まりごとを彼ら自身、固く禁忌としている。
日本では現在はウサギをあまり食べないが、かつては一般的であり、例えば徳川家でも正月にウサギ肉入り雑煮を食べたという。ウサギを「匹」といわず、鳥類と同様の「羽」と数えるのは、「四つ足でない」ため食べてもいいというこじつけのためだったといわれる。ただし、この「羽」という数え方はあくまでウサギを「食肉」として扱う際の数え方である。
[編集] プレーリードッグとリス
プレーリードッグとリスは、ともに20世紀なかごろまでずっと食用として米国で広く狩猟されていたが、最近は希少なペットとなっている。この動物を食物資源とする主なポイントは、大量に生息していて捕獲がしやすいことであった。リスは、いまだ時折食べられている。
[編集] モルモット
モルモットはもともとは食肉用であったが、アメリカからヨーロッパへ紹介されたときに、珍しいペットとしてだけの存在になった。
モルモット(クイ)はペルーでは引き続き重要な食料であり、アンデス山脈高地の人々にとって重要なタンパク源として、そしてアンデス民間療法の頼みの綱である。ペルー人は毎年だいたい6500万匹のモルモットを消費する。モルモットがペルー文化で堅固に守られているので、有名な大聖堂の最後の晩餐の絵の中でキリストと12使徒の正餐の中に、ペルーのクスコはモルモットを示す。
2004年、ニューヨーク市の公園部はフラッシング・メドウ・パークでのエクアドル祭りでモルモットの串焼きを出すことを停止するような法的な行動をとった。ニューヨーク州はモルモットの消費を許していたが、ニューヨーク市はあいまいな健康規約に基礎を置かなかった。文化的迫害への起訴は非難されたままである。
[編集] 犬
犬食文化をもつアジアの国々では、一方では犬をペットとして飼い、一方では特定の犬の品種を飼育場で育てて肉資源としている。韓国で狗肉(くにく)は夏の汁物やシチューの具に使用される。現代ではこの風習は特に韓国西部で愛犬家と狗肉を食べる人々の間に摩擦を引き起こすことで時折ニュースになる。たとえば、2002年のFIFAワールドカップ日韓大会では韓国が狗肉の使用を限定したこともある。中国でも、朝鮮族の多い吉林省のほか、湖南省、貴州省、雲南省などで現在も犬食は一般的である一方で、犬がペットとして飼われている。
日本においても、中世、および戦時中などでは赤犬などがしばしば食用とされており、食糧難であった第二次大戦中は都市部で犬の数が一時的に減ったとされている。フィリピンなど他の国では、犬は非常用食料として飼われている。ほかにも中国では過去、チャウチャウ犬は家を守るためにしばしば玄関につながれていた。食料が激減する厳しい冬の間に、犬は緊急食料として屠殺された。
ヨーロッパにおいては、スイスのAppenzell州とSt.Gallen州が医療目的でラードを利用するのと同じくらい、ジャーキやソーセージにした狗肉を治療に使う伝統で知られている。スイスは全国的に狗肉や猫肉を食することは禁止していないが、それでも流通と販売は禁止している。
米国とカナダにおいては、イヌイットと外来の犬ぞりを利用する部族は、過酷な走りの間で息絶えた犬を残った犬たちにエサとして与える伝統がある。
[編集] 猫
猫は中国や周辺国の一部で食べられている。中国広東省では蛇と一緒に龍虎大会と呼ばれるとろみのあるスープとして出されている。
韓国の「液状猫」のような医療薬を製造することにも使われる。液状猫は猫を香辛料と一緒に煮ることで作られ、関節痛を治療するために使われる。そして、その毛皮はファーコートや他の毛皮製品を作るために利用される。
中国の影響が強かった沖縄でも、薬食いとしての猫食が近年まで一部にみられたが、現在ではほぼ消滅している。
1996年のアルゼンチンが混乱した時代のロサリオの貧民街では、人々はやむを得ず猫を料理して食べることに頼ったことが知られる。過大に宣伝された猫食は、後になってアルゼンチンの首都ブエノスアイレスの報道機関に用意されたことが判明した。
時折、ハクビシンなどのジャコウネコ科の動物と混同されることがあるが、米国人は、製品に猫の毛皮を利用する中国の工場があることを批判したりしている。米国に輸入される伝統治療薬の一部で気がかりなことは、表記されていない動物由来であることである。2001年に中国から米国へ輸入された猫の玩具に、米国で禁止されている本物の猫の毛が使われていた例があり、回収し廃棄されることとなった。
オーストラリアのアボリジニ族の部族には、二次的なタンパク源として野生の猫を狩るものがあることが知られている。この活動についてある部族は、猫がこの土地固有のものかあるいは非ヨーロッパ起源の古代からのものかどちらかであると信じている。しかしながら、最近のDNA分析によるとその起源はブリティッシュ・ショートヘアーに似ていることが判明した。
[編集] 家畜
[編集] 馬
モーゼ法の時代から、厳格なユダヤ教徒は馬肉を食べていない。馬はひづめが割れていないし反芻もしないので、この肉を食べることは禁じられている。しかしながら、イスラム教圏の国では馬は一般的に殺すことを許されている動物であるとされる(イスラム教のハラールを参照)。
馬肉は英国、米国、オーストラリアのなかでもある人たちにとっては食べていけないとされている。そしてその供給はしばしば非合法でさえある。ロブスターやラクダのように、ユダヤ教やキリスト教のある宗派にとっては馬肉が禁じられている。西暦732年に、教皇グレゴリウス3世は「嫌悪感を催す」と呼ばれる馬肉食の異教風習をやめる取り組みを始めた。そしてアイスランドの人々はしばらく馬肉食を放棄することによって、キリスト教を受け入れることに対して不本意を表現したとされている。グレゴリウス3世の布告は、ユダヤ教の禁止令と同じ聖書を基礎としていた。
しかし馬肉に対する態度には文化的に近い民族でも大きな違いがあり、例えばフランスではイギリスと違い必ずしもタブーではなく、韓国では馬肉食の習慣はない。日本では地方によってはかなり古くから食べてきたが、競馬関係者及びその愛好者の間での馬肉食はタブー視されている。
[編集] らくだ
ユダヤ教徒にとってラクダの屠殺と摂食はモーゼ法によって厳格に禁止されている。ラクダは反芻するにも関わらず、レビ法ではいまだ不浄であるとされている。これには蹄が割れていることも理由としてあげられる。ラクダは蹄を持っていないので、レビ法はラクダを食用ではないと説明する。一方、イスラム教ではらくだを食べることを禁じていない。
[編集] トナカイ
トナカイはアラスカ、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシア、カナダでは有名だが、イギリス人とアイルランド人の多くはトナカイ肉を食べることに対して吐き気をもよおす。これは神のクリスマスの助手としてのトナカイの大衆文化が、北欧諸国での「北の牛」との見方と対抗する立場であることに関係がある。
[編集] その他
[編集] 牛
多くのヒンドゥー教徒はどんな肉も全て忌避する。特に牛はヒンドゥー社会では神聖なものであるので、ほとんどのヒンドゥー教徒は牛肉を食べない。しかしその禁忌もミルクや乳製品には常に適用されるとは限らない。ヴェーダが書かれてからずいぶん経ってから牛肉を食べることに対して命令が出されたが、広大な田園のヴェーダ人とヒンドゥー教の子孫は、ほとんど母らしいかたちとして人類が望む「管理人」として成長した全ての乳製品、農作地の耕作、燃料や肥料を何世紀も全体的に牛に強く依存していたことが想定される。
過去、不可蝕賎民といわれる最低カーストの人は、牛肉やバッファローの肉を食べた。現在、牛肉食はインドでもところどころで受け入れられるようになってきた。牛肉はまた、台湾の年配の人たちには控えられている。その理由としては、牛が農業に有用なので食べることは間違っていると感じられているからである。
また、牛は牛でも水牛は全く関係なく、宗教上食べても問題ない。
[編集] 豚
豚肉を食べることは、イスラム教、ユダヤ教、セブンスデー・アドベンチスト教会で戒律上禁じられており、現在でも比較的良く守られている。この決まりごとには様々な論理があるが、禁じている考え方それぞれ全てに受け入れられている論理はない。「不浄である」と考えられていることは、豚がストレスを感じたときに水中や泥、排泄物でもお構いなしに転げまわってのたうつ習慣から来ていると考えられる。同様に何でも食べることもその根拠のひとつとなっており、「人間と食物を奪い合う関係」と考えられてもいる。また豚は相当の寄生虫を体内に飼っており、この点もタブーの一因とされる。例としては豚に共通の寄生虫としてセンモウチュウがあり、米国では毎年少数の下痢患者を発症させている(現在それは過去ほど多くなく、寄生虫も適切な調理法によれば殺すことが容易である)
研究者による豚肉食への禁忌の説明として、食が禁止されているものがあることで人間に地球上の全ての動物の生死を決められる権利が与えられているのではないことを理解させ、また軽率にも地球の全ての種に対して奉仕する責任がないことに気づくであろう、というものがある。この仮説は聖書の論争によって立証されているが、それ以上に明確な証拠が発見されるまでは確固とした理論とすることはできないだろう。このことについての基礎となる説明はどんな聖書にもなく、その代わりに神によって説明されていない命令も正当化する信者によって創作されたように思われる、ということを記しておくことは重要であろう。
その他の信じられる説明は中東の遊牧民族文化に見ることができ、遊牧民たちは乾燥した土地を越える長旅により適した動物を好む。一方で豚は様々な物を食べ、牛や馬・山羊など他の家畜よりも効率よく肉に変えることができるため、定住して農業を営む者にとっては最も重要な産業動物として、世界中で広く飼われている。
[編集] 生肉
ほとんどの場合、動物性の肉類は寄生虫の感染を防ぐために焼いて食べる。生肉を食べることは多くの国で暗黙のタブーとして存在し、焼かない肉を食べるのは野蛮だとか、食べるさいに血液がにじみ出て口の周りが赤くなる様が嫌がられるなど、嫌われる理由はさまざまにある。
一方イヌイットなど厳寒の地に暮らす民族は血液中の鉄分やビタミンに頼っているなど効能があることは確かである。しかし近年は運搬技術の発達によりアラスカなどの遠隔地域にも十分にビタミン剤や野菜が手に入るようになり、生肉を食べる習慣は廃れつつある。
[編集] 魚
ケニアのキクユ族(Kikuyu)とカレンジン族(Kalenjin)は魚を食べることを禁忌している。
ユダヤ教徒とイスラム教徒は、淡水ウナギやナマズのようにある種の魚の摂食も禁止している。その理由は甲殻類と同じく水中に住むにもかかわらずうろこをもっていないからである(レビ記参照のこと)。
内陸国のモンゴルでは魚を目にすることが少ないため、食料とは考えられていない。
日本など、魚を常食する国においても、ペット用の金魚、緋鯉、熱帯魚などは禁忌とされるのが普通である。
[編集] クジラ・イルカ
ユダヤ教ではレビ記・第11章の条件にあてはまらないのでのカシュルートにより食用禁止となる。
捕鯨は世界的に禁止されているが、日本、ノルウェー、アイスランドやインドネシアでは限定的に行われている。これらの国では伝統的に鯨が食肉として食べられているが、鯨肉を食べない国からは種の保存の観点で保護が求められている。日本でも古くから鯨肉が食べられており、一時は学校給食に安く卸されていたほど鯨肉食は一般的で、タブーではなかった。現代でも千葉県、山梨県、静岡県、和歌山県、沖縄県などではスーパーでイルカ肉が売られている。鯨肉食を禁忌とする根拠として「クジラやイルカは頭の良い動物だから人間が食べてはいけない」という考えがある[1]。冷静に考えればかなり矛盾に満ちている上には何を持って頭が良いとするかという疑問もある。またクジラ・イルカは一撃で殺すことが難しいため残酷だという指摘もあるが、日本鯨類研究所は、独自に開発した効率の高い爆発銛を使用することによって陸上野生動物のケースに劣らない即死率と平均致死時間を達成している[2]、と反論する(2005-2006年の調査捕鯨において、抗議団体の妨害を受けていない場合、平均致死時間は104秒、即死率は57.8%)[3]。
捕鯨問題も参照
[編集] ネズミ
西洋のほとんどの文化では、ネズミは不潔な害獣かペットであって、人が食べるには適さないとされている。しかしながら、ねずみはアフリカのガーナやタイの田園地方ではよく食べられている。クキネズミ(Thryonomys swinderianusやThryonomys gregorianus)などの野ねずみはアフリカでは豊富なタンパク源である。また、インカ文明の影響下にあった地域ではクイというテンジクネズミの原種が食用として家畜にされている。歴史的に見ると、ねずみは食糧不足や緊急時には西欧でも食べられていた。ヴィックスバーグの戦いやパリ包囲作戦のときがこれにあたる。古代ローマでは、家畜にされて食料とされてもいた。中国を含むアジアの一部の国ではハタネズミが食べられている。ある国ではマスクラット(ジャコウネズミ、ニオイネズミとも。実際はネズミではない)はその毛皮や肉のために狩られている。
[編集] カンガルー
カンガルー肉は、主にオーストラリア以外の国による「カンガルーはペットでありオーストラリアのシンボルである」との感情的な連想のためかと推測される。だがオーストラリアでは肉としてさまざまな歴史を持っている。牛肉やラム肉と比較してこの肉が消費量が比較的低いのは、第一に購入に比較的高い費用がかかることと、肉の臭いが特異で強いためである。カンガルー肉は多くのレストランで料理として提供され、多くの肉屋や主要スーパーマーケットでもひき肉、ソーセージ、ステーキのかたちで購入できる。カンガルー肉は燻製や、特徴のある乾燥ハム(プロシュット)に加工される。主に観光客用に「カンガルーのビーフジャーキー」が売られ、人気がある。
[編集] 霊長類
猿や類人猿はわれわれ人間と同じサル目に属し、生物学的に近縁であるために、霊長類を食べることはカニバリズムにとても近いとされる。また、種の相似性はウィルス感染の危険性を増加させる。HIV(エイズウィルス)の起源の主要な説のひとつには、HIVと同じウィルスに感染した類人猿の肉を食べたことがあげられている。
サハラ砂漠以南のアフリカ諸国や東南アジア、なかでも特にインドネシアのように霊長類の個体数が多い地域では、多くが「森の肉」(Bushmeat)として野生から捕獲される。中国でも、近年までアカゲザルが宴会料理として出される例があった。
「森の肉」の狩猟と消費は、森の肉を消費する地域の食糧問題や地域経済、法の整備や遵守と密接に関わっている。無計画な「森の肉」の狩猟と消費は、森の肉として狩られる野生動物を絶滅に追いやる深刻な恐れがあり、今世紀の環境問題の一つである。
[編集] 内臓
アメリカやオーストラリアでは、多くの人が内臓肉食や屠殺された動物の臓物を見ると気分が悪くなるという。日本においても近年までは大多数の人々にとって一般的な食材ではなく、現在も内臓食に対して抵抗のある人は少なくない。その他の文化では食用と考えられているが、仔羊のすい臓や腎臓のような内臓は、アメリカでは婉曲法のもとで「副産物としての肉=バラエティミート」としてペットフードに加工するのがふさわしいと広くみなされている。仔牛の肝臓を除いて、米国で内臓は特定地方や民族の特産料理で消費されるのが多い。たとえば、在米ラテン系米国人の間でのMenudoという胃、南部では食用小腸、山の牡蠣としての牛の睾丸、西部の生卵があげられる。
[編集] 昆虫
イナゴやその近親種を除き、昆虫は適正な食品であるとみなされていないことが多い。虫を食べる事は、不道徳を感じさせるよりも胸が悪くなるような感情を引き起こすことがある。ゾウムシやウジのような昆虫の幼虫は、人間の保存している食料をエサにして繁殖するなどして人類に害を与える上、食品に混入し得るため嫌われている。
世界各国の文化圏では、多くの昆虫が伝統的な昆虫食として食べられてきた。その中にはイナゴ、バッタ、コオロギ、そしてイモムシやハチノコのような幼虫が含まれる。たとえば、イナゴやハチノコは日本の群馬県や長野県などで食べられているし、カイコの蛹は韓国人やベトナム人にとっては有名な間食である。カイコの蛹は、韓国ではポンテギ、ベトナムではニョン(Nhyong)と呼ばれる。中国や日本でも一部でカイコの蛹は食べられている。また、ウジもイタリアのサルデニア地方などでは風味付けにチーズに湧かせることもある。
[編集] 甲殻類とその他海産類
貝、ロブスター、エビやカニ、イカ、タコといった魚類以外のほとんどの海産物は水中に住んでいるのにうろこを持たないので、ユダヤ教とキリスト教のある教派によっては食べることを禁止されている。
特に食べることを禁止されていなくても、イカやタコについてはあらゆる方向に腕を伸ばす姿が悪徳企業のイメージに重ねられて、欧米では嫌われる例が多い。実際にイカやタコを食用とする地域は、日本や中国など極東アジアとイタリアやスペインなどの地中海諸国に限られている。
オーストラリアでは「食物を苦しませずに殺す法律」があるので、ロブスターやエビといった甲殻類でも調理するときには即死するように脊髄からさばくことが定められている。生きているそれらをそのまま焼いたり茹でるのは厳禁とされている。
[編集] 血液
飲血または吸血は、ほとんどの国で社会的に固く禁忌であり、しばしばヴァンパイア思想と混同される。
血ソーセージまたは血入りケーキは世界の多くで非常に有名であるにも関わらず、米国のほとんどでは嫌悪感を抱かせると考えられている。中国やベトナムは、単独または麺あるいはその他のものとともに豚かアヒルの凝固した血液も食べる。
中国では、豚の血を塩水で豆腐のように固めたものを猪紅(チュイホン)と言い、お粥や鍋料理の具などにして食べている。また、19世紀には饅頭に人血を塗った「人血饅頭」が、肺病に効くとされて浙東一帯に流行した。魯迅の小説「薬」ではこの人血饅頭が取り上げられている。
ユダヤ教、イスラム教、エホバの証人の人々は、飲血や血から作られた食物をとることを禁じられている。
また、日本では強壮効果があるスッポン、鯉、ホンハブ、ニホンマムシなどの血を飲む。 料理や食文化の歴史が異なる沖縄諸島などでは豚の血液をつかったイリチー料理等もある。
一方で日本ではかつて四つ足の肉を食べなかったが、これには肉食を禁じる仏教の戒律と、血の穢れを嫌う神道の考えが影響しているといわれる。
[編集] 酒
海上自衛隊では再軍備に関わった禁酒法時代の米海軍の流れをくんでいるため艦内での飲酒は禁止されている。イスラム教では戒律により飲酒は禁止されている。ただしアラブ首長国連邦では非イスラムの外国人だけは飲酒は認められている。
[編集] 人肉
詳細はカニバリズムを参照
人肉はもっとも禁止されているものの中のひとつである。歴史的に見ると、人が儀式の生け贄となって神を喜ばせるためや精神錯乱などの狂気、憎悪、飢餓によっては食べられていた。死者の肉を食べることで死者が持っていた能力を受け継ぐことが出来るという考え方もあった。現在ではカニバリズムを許容している文化圏はないとされている。
中国の『三国志演義』では人肉食のエピソードがある。後に蜀漢の皇帝となる劉備が戦いに敗れ逃避行中、劉安という男の家で一晩の宿を借りた。彼は劉備を泊めることを誇りに思い精一杯のもてなしをしようとしたが、貧乏で食事の用意もままならなかった。そこで男は自分の妻を殺してその肉を獣肉と偽り振る舞った。翌朝この家の妻が顔を見せないことに気づいた劉備がわけを尋ねると、男は隠しきれずに昨夜の肉が妻の肉であることを明かす。そのことに劉備は怒るどころか大変感激して後日褒美を与えた。
『水滸伝』では、主人公たちが殺害した官吏の肝をその場で食べたり、山賊が捕らえた人間を食べたり、あるいは人肉を肉饅頭にして売るなど人肉食の表現は枚挙に暇がない。
また『十八史略』では、逃亡中の公子重耳に自分の腿を料理して食べさせた介子推の逸話がある。どちらも否定的な内容ではなく、美談として紹介されている。
かつてはキリスト教圏で、まれに聖人の遺体から肉を切り取って食べる事で、より神聖な存在に近づくという思想が存在していた。熱心な信者の中には、実行に移した者もいる。
現代での人肉食は食の追求というより、過度の性的倒錯、変態性欲としての意味合いが強い。
[編集] 脚註
[編集] 関連項目