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近藤貞雄 - Wikipedia

近藤貞雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

近藤 貞雄
基本情報
出身地 愛知県岡崎市
生年月日 1925年10月2日
没年月日 2006年1月2日(満80歳没)
身長
体重
176cm
62kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 投手
プロ入り 1943年
初出場 1943年
最終出場 1954年
経歴
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1999年
選出方法 競技者表彰
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

近藤 貞雄(こんどう さだお、1925年10月2日 - 2006年1月2日)は、プロ野球選手投手)・プロ野球監督野球解説者血液型はA型。現役時代は西鉄軍巨人中日・名古屋で活躍し、引退後は中日、ロッテ大洋日本ハムのコーチ・監督を歴任した。愛知県岡崎市出身。

目次

[編集] 来歴・人物

旧制愛知県立岡崎中学校から旧制法政大学を経て1943年に西鉄軍に入団。強打の一塁手として鳴らしたが、深刻な投手不足のチーム事情から石本秀一監督は、近藤の長身からの速球を見出し投手にコンバートした。同年、西鉄は資金難のため1年で解散に追い込まれてしまう。折しも徴兵による選手不足に悩む東京巨人軍の藤本英雄監督から申し出があり、1944年黒沢俊夫らとともに巨人に移籍した(他球団から巨人に移籍した最初の選手となる)。登板しない試合には野手として出場したこともあるなどし、プロ野球が再開された2年後の1946年に大車輪の活躍で23勝をあげるが、秋季キャンプで滞在していた愛媛県松山市で散歩中、進駐軍ジープにはねられそうになったためそれを避けたところ、側溝に転落。そこにガラスの破片があったため、右手中指を負傷してしまう。

戦後混乱期にあって迅速な治療を受けられず神経に深い傷を残してしまい(右手中指は第2関節から先が曲がったまま、元に戻ることはなかった)、満足な投球ができなくなり巨人を自由契約になる。同僚だった千葉茂は「近藤の負傷が『別所引き抜き事件』の遠因になった」と評する。巨人時代の同僚で中日に移籍していた宮下信明が中日の杉浦清監督に掛け合い、近藤は中日に移籍。移籍1年目の1948年、独特の3本指で投げる「疑似チェンジアップ(パームボール)」を開発し同年6勝、翌1949年7勝、1950年10勝と活躍した。天知俊一監督が復帰した1954年、チームがリーグ優勝を果たす。同年限りで引退。

1955年から1962年野口~第3次天知~第1次杉下濃人監督時代)、1964年から1968年(第2次杉浦~西沢~第2次杉下監督時代)まで中日投手コーチを務めた。ルーキーイヤーから2年連続30勝をあげながら連投に次ぐ連投で肩を壊し、事実上投手生命を失った権藤博(後に横浜監督)の起用法に対する反省から、先発―中継ぎ―抑えの「投手分業制」を提唱。「甲子園準優勝投手」の鳴り物入りで入団しながら打線の援護に恵まれず、不振をかこっていた板東英二リリーフエースとして起用することで実践した。板東は期待に応えて活躍。巨人・中尾碩志投手コーチとの論争などを経て近藤の「投手分業制」は球界に定着した。その後は濃人の誘いで1969年1971年にロッテ投手コーチ。与那嶺要監督が就任した1972年、古巣中日にヘッドコーチ兼投手コーチとして再度招かれ1974年のリーグ優勝に貢献した。1976年退任。

1981年中利夫監督の後任として就任。戦力外になりかけていた平野謙の才能を見抜きレギュラー野手に成長させ、2年目の若手投手牛島和彦を抑え投手に抜擢し、翌1982年にリーグ優勝を果たした。1983年限りで退任。1985年大洋監督に就任。高木豊屋鋪要加藤博一の俊足打者3人を1~3番に据え「スーパーカートリオ」と銘打った。1986年退任。1989年から1991年まで日本ハム監督。これを最後に現場を退いた。以降は中部日本放送野球解説者・中日スポーツ野球評論家を務める。一時期中部日本放送でラジオのレギュラー番組を持っていたこともある。1999年野球殿堂入り。2001年にはプロ野球マスターズリーグ「名古屋80D'sers」初代監督となり、翌2002年まで務めた。2006年1月2日午前9時22分、都内の病院で呼吸不全のため死去。享年82(満80歳没)。

余談だがこの年、日本ハムが25年ぶりのリーグ優勝を果たし、中日も2004年以来の2年ぶりのリーグ優勝を決めたため同年の日本シリーズはかつて指揮を執った球団同士の対決となった。

ニックネームは「ダンディ」。日ハム時代には、専門誌の週刊ベースボールで親しみをこめて「ダンディじじい」と書かれたこともある。

[編集] エピソード

投手分業制に始まり独自のアイディアは時に野球界に新風をもたらしたが、一方でその強引なやり方は選手の反発を招くことも多かった。彼自身が「瞬間湯沸かし器」と自称していたとおり、審判に駆け寄っての抗議も多く、その際に両手を後ろに回すスタイルが多くのプロ野球ファンの共感を呼び、「日本のビリー・マーチン」と呼ばれた。そのせいか審判団から退場を命じられた数も多く、1993年福岡ダイエーホークス根本陸夫監督(1999年死去)に破られるまで、退場者の最高齢記録を持っていた(現在は2005年仰木彬(同年死去)が更新)。又、平成元年(1989年)のプロ野球にて、初の退場を命じられたのは、大正生まれの近藤であった。

大正生まれの人物であるが、同世代にありがちな根性論・精神論からは最もかけ離れた論理的、システマティックな野球観を持っていた。例えば不要な投げ込みの禁止、キャンプでのだらだらした長時間練習の廃止(自主練習を重視)などは、その最たるものである。

日本ハム監督時代にはサヨナラ安打を放ってベンチに戻ってきた大島康徳の頬にキスして、勝利を喜んだことがある。

野球解説者がスポーツ新聞などに寄稿する場合、実際の記事は解説者から話を聞いた記者が書く(ゴーストライター)ケースがほとんどといわれている。しかし近藤は、そのような場合自ら記事を書いた。中日スポーツの増田護記者がその理由を聞くと、「話したこととニュアンスが違う(記事になった)ことがあったんだ。それじゃあ自分で書けばいいんだから勉強もしたよ」と答えたという(『中日スポーツ』2006年1月3日)。なお、板東英二はこの件で近藤から相談を受けたことがあり「自分で(記事を)書かないとボケますよ」とアドバイスしたという。

監督時代の近藤は特定の審判とジャッジをめぐって口論になることが多く、中日・大洋の監督時代は柏木敏夫に2度の退場を宣告されるなど、「犬猿の仲」と称された。実際のところは、審判との罵り合いはファンサービスととらえており、柏木とは犬猿の仲どころかアドバイスや議論を重ねる間柄だった。近藤が日本ハム監督になると、柏木をつかまえて「お前もパ・リーグに来て一緒になんかやらかして、客集めしよう」と声をかけたこともあった。日本ハム時代は、前川芳男(現・審判部長)が抗議のターゲットであった。

1982年、中日監督就任2年目でリーグ優勝を果たし選手たちから胴上げされた。この優勝決定試合は大洋戦(横浜スタジアム)で、長崎啓二(大洋)と田尾安志(中日)との間で最後まで争った首位打者争いで、いまだに語られる田尾の5打席連続敬遠の日であったが、中日は優勝し外野スタンドから大勢の観客がスタンドインしもみくちゃの観客のいる中で優勝インタビューが行なわれた。インタビューが中盤にさしかかった時に、ある心無いファンに正面から近藤がかぶっていた球団帽を奪い取られた。近藤は一瞬動揺したがインタビュー中で追いかける訳にもいかなかった。

また、この試合の前にはベンチにビールをずらりと並べ、緊張するナインに「こいつを飲んでリラックスしていこう」と言ったが、ナインは誰も手を付けず、近藤一人だけが飲んでいたという。

星野仙一はこの年にコーチ兼任になった事もあって登板機会が大幅に減少したのだが、結局このことがきっかけとなり互いの間に確執を生むことになってしまった(星野はこの年限りで引退したが、近藤は「星野を追い出したのが俺の最大の功績だ」と親しい知人に漏らしていたという)。2人の間の確執は年々大きくなっていき、星野が2001年オフに阪神タイガースから監督のオファーがあった際、当時中日OB会会長だった近藤は「もし阪神の監督になったら中日OB会からお前を除名する」と通告、結局星野はオファーを受諾し中日OB会を追放される羽目になり、これにより近藤と星野の絶縁が決定的になってしまった。当然ながら、星野は近藤の訃報を聞いてもオーストラリアに滞在し続け、彼の葬儀にも行くことはなかった。

生前、チームが勝てばなんだっていいというような無責任な考えの応援を快く思っておらず「彼らは野球を見に来ているのではない。こういうのは野球ファンとは呼べない」と嘆いていたという。

中日監督時代、攻撃と守備でガラリとメンバーを代えるところから、「近藤アメフト野球」「ツープラトン野球」とも言われた。これは現在のプロ野球では当たり前の戦術とされる「守備固め」の先駆けであった。

1986年9月8日の対巨人戦(後楽園球場)で有田修三のセーフティー・スクイズがセーフと判定されて敗戦したことについて「今日は審判で負けた」の名言を残した。なお、翌日の新聞に「有田はヘッドスライディングしたのでなく、一塁に手前で転んだだけ」とコメントが載った。

プロ野球マスターズリーグ「名古屋80D'sers」初代監督時代、江夏豊をワンアウトで降板させた際、ある女性記者から「もう少しできたんじゃないですか」と言われた時、「偉そうに評論家やってんじゃない!」と激怒し、晩年も血気盛んな気質を見せた。

[編集] 年度別投手成績

年度 チーム























ボーク




1943年 西鉄 23 4 0 0 5 5 .500 114.1 75 1 81 0 30 0 0 38 25 1.96
1944年 巨人 9 5 0 0 3 4 .429 69.0 58 2 31 1 14 0 1 29 22 2.87
1945年 戦争により中断
1946年 巨人 18/17 42 24 6 2 23 14 .622 300.1 242 4 114 3 76 1 1 100 73 2.18
1947年 17 10 1 0 0 0 2 .000 41.0 37 4 11 0 4 0 0 27 19 4.17
1948年 中日 5 48 14 2 1 7 23 .233 272.2 267 5 89 4 47 3 0 106 79 2.60
1949年 35 10 1 1 7 12 .368 186.1 200 10 64 5 44 1 0 104 75 3.61
1950年 23 10 0 0 10 4 .714 149.1 156 8 54 2 35 0 0 71 60 3.60
1951年 名古屋 13 3 0 0 0 4 .000 55.1 64 2 22 0 10 0 0 33 23 3.70
1952年 2 0 0 0 0 1 .000 3.0 8 1 2 0 0 0 0 4 4 12.00
1953年 32 15 0 0 0 0 2 .000 44.2 48 3 16 1 11 0 0 23 21 4.20
1954年 中日 23/36 2 0 0 0 0 0 0.00 3.0 3 0 1 0 3 0 0 0 0 0.00
通算成績 222 71 9 4 55 71 .437 1239.0 1158 40 485 16 274 5 2 535 401 2.91

[編集] 監督としてのチーム成績

年度 チーム 背番号 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
1981年 昭和56年 中日 61 5位 130 58 65 7 .472 16.0 151 .268 3.71 56歳
1982年 昭和57年 1位 130 64 47 19 .577 (0.5) 143 .266 3.27 57歳
1983年 昭和58年 5位 130 54 69 7 .439 18.5 160 .263 4.11 58歳
1985年 昭和60年 大洋 81 4位 130 57 71 12 .483 14.5 132 .267 4.59 60歳
1986年 昭和61年 4位 130 56 69 5 .448 20.0 84 .264 3.81 61歳
1989年 平成元年 日本ハム 63 5位 130 54 73 3 .425 18.0 131 .266 4.20 64歳
1990年 平成2年 4位 130 66 63 1 .512 16.5 128 .263 3.68 65歳
1991年 平成3年 4位 130 53 72 5 .424 28.5 112 .251 3.72 66歳
※1981年から1996年までは130試合制

[編集] 監督通算成績

  • 1040試合 462勝519敗59分
  • リーグ優勝1回
  • Aクラス1回、Bクラス7回

[編集] 関連項目

ウィキニュース
ウィキニュースに関連記事があります。
先代:
ヴィクトル・スタルヒン
読売ジャイアンツ4番打者
第12代
次代:
川畑博
先代:
中利夫
1978年1980年
中日ドラゴンズ
監督
1981年1983年
次代:
山内一弘
1984年1986年途中)
先代:
関根潤三1982年~1984年)
横浜大洋ホエールズ監督
1985年~1986年)
次代:
古葉竹識1987年1989年
先代:
高田繁(1985年~1988年
日本ハムファイターズ監督
(1989年~1991年
次代:
土橋正幸1992年
※カッコ内は監督在任期間。


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