狙撃手
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狙撃手(そげきしゅ)または、狙撃兵(そげきへい)とは、長距離にわたって離れた位置から目標に気づかれることなく銃で狙撃することに専門化された要員(歩兵)、及び、その兵科である。英語読みからスナイパー (Sniper) とも呼ばれる。日本語では、選抜射手を狙撃手と呼ぶことも多い。
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[編集] 語源
英語で「狙撃」を意味するスナイピング(sniping)とは元々、タシギ猟が語源と言われている。タシギ(チドリ目シギ科、学名:Gallinago gallinago、英:snipe)は、人などが近づくとその場にじっと身を伏せ、さらに近づくとジグザグに飛翔して逃げる習性があり、仕留めることが大変難しい鳥である。そこから、この鳥を上手く仕留められるほど優れたハンターのことをスナイパーと呼ぶようになったとされる。
[編集] 概説
軍隊や警察による狙撃は、原則として専門の訓練を受けた狙撃手によって行われる。狙撃が行われる状況は様々だが、共通していることは適切な位置まで移動して待ち伏せを行い、相手方に悟られずに狙いをつけ、少数の弾丸で目標の敵や犯罪者を確実に殺害あるいは無力化することにある。
狙撃手を狙撃に専念させる為に、周囲の状況把握や命令伝達、場合によっては接近する敵の排除などを受け持つ観測手とペアを組んで活動するのが一般的である。この観測手は狙撃手としての技術を持つ人員が担当する。これにより意思疎通がスムーズにでき、互いに役割を交代する事で負担を分散できるようになる。 変則的な例として、狙撃手に汎用機関銃手と小銃射手を加えた三人チームで行動していたセルビア紛争の事例がある。これを目撃した傭兵の高部正樹は、注意力の維持や負担の軽減のみならず、装弾数や連射力に乏しい狙撃銃の火力を補い、広範囲に対処できる極めて有効な戦術だったと述べている。
狙撃銃は軍用あるいは民生用ライフル銃の量産品から精度の良い個体を選び出し、スコープ照準器などの追加装備を施した物が使用されていたが、近年では当初から狙撃専用に開発された製品も存在する。精度の問題から、従来は一発必中を求めてボルトアクション方式ライフルが主に用いられたが、近年では、ミュンヘンオリンピック事件の影響などで、射撃精度を犠牲にしても、第二弾を素早く発射出来るセミオートマチック方式ライフルの製品も増えている。戦間期から第二次世界大戦にかけては自動小銃を狙撃に用いる構想も一部の国では存在した。継続的に至近弾を送ることによる制圧効果を期待してのものだったが、戦後一般の小銃手にも広く自動火器が配備されたことで廃れた。
[編集] 軍隊に於ける狙撃手(狙撃兵)
主として軍事行動での狙撃手は必然的に身を隠すことになり、高度なカモフラージュの技術を求められる。例えば、目立ちにくい色の服や迷彩服を着用し、その上からさらにギリースーツと呼ばれる植物を模した覆いを被ったり、植物を身に巻くなどの工夫がある。これは、敵に何処からともなく撃たれるという精神的な効果も狙った処置である。警察組織における狙撃手は、このような装備品によるカモフラージュは行わない場合が多い。
軍事行動での狙撃手は、移動の痕跡が少なく敵に発見されにくいことから、斥候(偵察兵)としての任務を兼ねる場合がある。したがって、軍隊の狙撃手には、敵情を正確に判断・把握する能力や、記憶力なども要求され、目標排除のために必要であれば航空支援、火砲による支援砲火の要請、巡航ミサイルなどの精密誘導兵器の標定・誘導なども任務に含められることがある。ベトナム戦争時、アメリカ軍の狙撃兵カルロス・ハスコックが敵司令官を追って長時間匍匐で移動し、発見されることなく暗殺に成功した例がある。この際、ハスコックは糞尿を全てズボンの中に垂れ流しにしていた。生物として回避できない排泄であっても、痕跡を抹消することを優先したこの行為は、狙撃手がいかに忍耐強いかを示す事例としてよく引用される。
軍事行動の場合は二通りの狙撃がある。一つは代替の困難な高級将校や通信兵を狙って指揮系統を麻痺させる物である。これを避ける為、兵士と将校が同じスタイルの軍服を着用するようになり、将校に対する敬礼が省略されて、階級の上下を問わず先に敬礼された方が答礼を返す方式となった。また所持品や装備の面でも、双眼鏡や拳銃、地図など、一目で将校と分かる特徴を出さない様に工夫されるようになったが、第二次世界大戦期の日本軍将校は戦場で軍刀を所持していたなど、日本やドイツはこの対策に遅れていた。ベトナム戦争以降のアメリカ軍では、階級章に高級将校と兵士の違いを目立たせない工夫が図られるようになった。もう一つは、将校だけでなく一兵卒も関係なく狙うもので、これは指揮系統を混乱させるだけでなく、無差別に目標を選ぶことで「次は自分が撃たれる」という恐怖を抱かせ、兵士個人や部隊単位での行動を抑制する目的で行われる。こうした狙撃は、たった一組の狙撃兵によって敵部隊を一つ足止めするといった大きな効果をあらわすことがある。このような狙撃の場合、負傷者を出して手当てに人手を割かせるため、あえて急所を狙わないといった、長期的な影響を狙った選択が行われる場合がある。
このような狙撃を受けた場合、狙撃手は前述のように巧妙なカモフラージュによって位置を隠蔽しているため、大まかな位置を割り出した後は火砲や迫撃砲による砲撃か、航空隊による空爆を用いて、目標一帯を面制圧するような大規模な手段しか対処法が無く、市街地など砲撃が行い難い場所に於いては、多数の兵士を投入して数で押し切るしかないと言われている。
狙撃兵は、「姿を隠して一方的に攻撃してくる卑怯者」として、捕まるや否や、拷問等、残虐に殺害される事例がある。多数の兵士が交錯する集団戦では誰の攻撃が味方を殺害したのか判別が難しいのに対して、狙撃では射手をあるていど特定できるのが要因のひとつと言える。また、第二次世界大戦において連合軍上陸後のフランスでは、居残ったドイツ軍狙撃兵が手持ちの弾丸を使い切るまで連合軍兵を射殺し続けた後に投降してくることがあり、「投降する前に殺せ」という命令を下した指揮官もいた。味方からも畏怖まじりの賞賛を受ける一方で、前挙の精神的嫌悪感や、敵の強烈な報復攻撃などの厄介事を招きこみかねないため、疫病神扱いされる事もある。
[編集] 狙撃師団
帝政ロシア軍やソ連軍、第二次世界大戦前後の時期のポーランド軍には、狙撃師団あるいは狙撃兵師団と呼ばれる部隊が存在していた。これは原語の стрелковая дивизия (ロシア語)及び dywizja strzelcow (ポーランド語)を、旧陸軍がこのような日本語に訳したものである。原語に忠実に約せば「射撃師団」のようになる。実像としては歩兵師団と変わるところはない。
[編集] 警察に於ける狙撃手
警察行動での狙撃ではほとんどの場合、絶えずその発砲に違法性がないかを入念に検証される。犯人の間近に人質が存在する場合、その保護のため目標の確実な無力化が求められる。狙撃は確実を期するために可能な限り目標に接近して行われ、複数の射手が同時に行動する場合もある。射界を広く取ることで、全体の状況を監視する役目を負うこともある。軍狙撃兵のようなギリースーツや迷彩服などによる偽装はあまり行われないが、狙撃手の存在が犯人を刺激すると判断されれば、やはり発見されづらい位置へ配置される。
[編集] 犯罪・テロとしての狙撃
狙撃が要人暗殺や連続殺人などの手段に用いられ、重大な事件や、テロリズムに発展した事例が存在する。詳細は狙撃手#実行や解決に狙撃が用いられた事件を参照。
[編集] 日本に於ける狙撃手
旧日本軍にも狙撃手が存在したが、現代では警察の特殊急襲部隊、海上保安庁の特殊警備隊に狙撃手が配備されており、主に銃器を使用したテロや武装しての立て篭もり事件などに投入される。自衛隊では特殊作戦群や特別警備隊に狙撃手が存在する他、2000年代に入って陸上自衛隊の一般の部隊にも狙撃専用としてM24対人狙撃銃の配備が進んだ。
「瀬戸内シージャック事件」のように、状況によっては射殺せざるを得なくなる場合もあるが、警察活動の場合は犯人逮捕に重点を置くため、最初から射殺を考えて配置されることはあまり無い。反撃を警戒し、狙撃後にすぐに移動を行って自己の存在を悟られる事のないようにしなければならない軍の狙撃手に対して、警察の狙撃手は、狙撃後にその存在が暴露されても、射手自身に危険が及ぶことは少ない。
[編集] 実行や解決に狙撃が用いられた事件
関連(参考)項目:暗殺事件の一覧
- 永禄9年2月5日(1566年2月24日) - 戦国大名三村家親が美作国久米郡興善寺の陣中にて、宇喜多直家の命を受けた遠藤秀清・俊通兄弟により暗殺される。使用された武器は火縄銃(短筒)であり、史実に残る日本で最初の要人狙撃と言われている。
- 元亀元年5月19日(1570年6月22日) - 戦国大名織田信長が京都から岐阜城への帰途、伊勢との国境に近い近江の千草越で狙撃される。狙撃手は六角義賢の依頼を受けたと言われる杉谷善住坊。20数メートルの距離から二連発火縄銃で撃った弾は、信長の体をかすめるに留まった。善住坊は甲賀忍者であったとも言われるが詳細は不明。また、信長は天正9年(1581年)にも伊賀の城戸弥左衛門(もしくは伊賀崎道順)に狙撃されたが、こちらも失敗に終わっている。
- 慶長3年11月18日(1598年12月16日) - 慶長の役による露梁海戦に於いて朝鮮水軍の主将李舜臣が島津兵の狙撃により戦死。
- 1718年11月30日 - スウェーデン王カール12世、ノルウェーで狙撃される(大北方戦争)。味方から狙撃されたと言う説が根強く、遺体を掘り起こし調査が行われた。この結果、前方20m程からの銃撃と推測はされたが、敵による銃撃か暗殺かは断定されていない。
- 1805年10月21日 - ナポレオン戦争でのトラファルガー海戦に勝利した英艦隊提督ホレーショ・ネルソンが、フランス艦に配置された狙撃兵より銃撃され、戦死。
- 1867年12月8日 - 新選組局長近藤勇が京都で御陵衛士の残党に狙撃され、負傷。
- 1963年11月22日 - 第35代アメリカ合衆国大統領、ジョン・F・ケネディが遊説先のテキサス州ダラスにて狙撃され、死亡(ケネディ大統領暗殺事件)。
- 1966年7月31日 - テキサスタワー乱射事件。アメリカ、テキサス大学時計台で、元海兵隊員チャールズ・ホイットマンが96分間に14名を射殺。負傷者30名を出し、SWATが作られるきっかけとなった。『パニック・イン・テキサスタワー』というタイトルで映画化されている。
- 1970年5月12日 - 瀬戸内シージャック事件。ライフル銃で武装した犯人を警察による狙撃で射殺。戦後初の犯人狙撃・射殺事例となった。
- 1972年2月19日 - あさま山荘事件。連合赤軍が長野県の山荘に10日間立てこもる。犯人の銃撃により多数の負傷者が発生し、警察官2名と民間人1名が死亡。
- 1972年9月5日 - ミュンヘンオリンピック事件。ミュンヘンオリンピックのイスラエル選手村にテロリスト(PLOの「黒い九月」)が侵入して選手を殺害。西ドイツ当局が狙撃に失敗し、人質全員が殺害される。この事件をきっかけに国境警備隊第9グループ(GSG-9)が作られた。2005年、スティーブン・スピルバーグ監督により、後日譚をテーマにした映画:『ミュンヘン』が制作された。
- 1977年10月15日 - 長崎バスジャック事件。長崎県平戸市から長崎市に向かっていた西肥バスが手製銃と爆発物で武装した阿蘇連合赤軍を名乗る2人組に乗っ取られた事件。犯人グループは政治家との面会などを要求。18時間経過した翌朝午前4時過ぎ、長崎県警は強行突入を決定。拳銃7発を発射し、主犯を射殺解決した。
- 1979年1月26日 - 三菱銀行人質事件。大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に二連式散弾銃を所持した武装強盗が押し入り、銀行員2人を射殺。直後、行内に突入した大阪府警警察官2人も射殺。そのまま行内に立てこもる。42時間後、大阪府警機動隊特別編成隊第一第二機動隊より射撃上級者8人選抜が、犯人の周囲から人質が離れた隙にニューナンブ38口径にて7発発射。うち3発が命中し逮捕されたが、被疑者は当日夕刻死亡した。
- 1981年3月30日、ワシントンD.C.で、第40代アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガンがジョン・ヒンクリーによって狙撃され負傷。
- 1995年3月30日 - 警察庁の國松孝次長官が自宅マンション前で何者かに狙撃され負傷(警察庁長官狙撃事件)。用いられたのは拳銃である。20メートルの距離を経て4発中3発を命中させている。オウム真理教信者の疑いが持たれているが、断定はされていない。
- 2002年10月2日 - アメリカ、ワシントンD.C.地区で元アメリカ陸軍軍人と養子による連続狙撃事件。10月22日までに狙撃向けにトランクを改造した車から13件の狙撃を行い、死傷者は10名以上。
- 2005年~ - イラクの武装集団によるアメリカ兵狙撃事件が発生している。数百名以上のアメリカ兵が狙撃により殺害され、狙撃の様子をビデオに録画しWeb上に公開している武装集団も存在している。
[編集] 著名な狙撃兵
- シモ・ヘイヘ - フィンランド人。『白い死神』の名で恐れられた。狙撃による公式戦果は約100日間で505名だが、サブマシンガンによる公式記録が200名以上あり、初期の記録していない時期の記録や未確認の記録を加えると、それを更に上回るとされる。32名で4000名のソ連軍を迎撃し防衛に成功した『コラー河の奇跡』のエピソードで有名。
- スロ・コルッカ - フィンランド人。突出した戦績を残す。公式戦果は400名以上とされるが、シモ・ヘイヘの記録と類似している為、この数字自体は架空の記録である可能性がある。
- ヴァシリ・ザイツェフ - ロシア人。ソ連邦英雄を受賞。公式戦果は257名。映画『スターリングラード』の主人公。
- リュドミラ・パヴリチェンコ - ロシア人。ソ連邦英雄を受賞。公式戦果は309名。女性スナイパーとして傑出した記録を残す。
- ヤコブ・パブロフ - ロシア人。ソ連邦英雄を受賞。スターリングラード攻防戦の最中、パブロフの家と呼ばれる建物に立て篭もり、二ヶ月間ドイツ軍の攻撃から建物を守り抜いた。
- フョードル・アフラプコフ - ロシア人(ヤクート)。ヤクート出身では2名しか出なかったソ連邦英雄を受賞。公式戦果は429名。
- マティアス・ヘッツェナウアー - ドイツ人(オーストリア人)。公式戦果は345名。記録の残っている中ではドイツ軍最高記録のレコードホルダーである。
- ゼップ・アレルベルガー - ドイツ人。公式戦果は257名。マティアス・ヘッツェナウアーに告ぐ第二位の戦果を誇る。
- カルロス・ハスコック - アメリカ人。『ホワイト・フェザー』の異名を取る。公式戦果は93名。1967年にブローニングM2機関銃で行った約2300メートルの狙撃は、2002年にカナダ軍のロブ・ファーロングに破られるまで、狙撃の世界記録であった。
- ビリー・シン - オーストラリア人。第一次世界大戦当時、公式戦果としてオスマン帝国兵150名を射殺し、『ガリポリの暗殺者』と呼ばれた。
- フランシス・ペガァマガボウ - カナダ人(オジブワ)。通称『ペギー』。公式戦果378名。第一次世界大戦の西部戦線で活躍。
[編集] 狙撃手をテーマにした作品
- 劇画 『ゴルゴ13』シリーズ
- 映画 『山猫は眠らない』シリーズ
- 映画 『スナイパー/狙撃』
- 映画 『スターリングラード』(2000年 アメリカ映画)
- 映画 『パニック・イン・スタジアム』
- 映画 『レッドスナイパー 独ソ最終決戦前編、後編』
- 映画 『ザ・シューター/極大射程』
- 映画 『フォーン・ブース』
- 映画・ドラマ 『恋人はスナイパー』
- 映画・ドラマ 『狙撃 THE SHOOTISTシリーズ』(1989年、東映Vシネマ)
- 小説・映画 『ジャッカルの日』
- 小説 『攻殻機動隊』・魔弾の射手
- 天野月子『スナイパー (天野月子)』
- 劇画 『湯けむりスナイパー』 - 引退した狙撃手(殺し屋)が、温泉宿で人生をやり直す。
[編集] 関連項目
- 狙撃銃
- 暗殺
- 選抜射手
- ベイリーズ・サウス・アフリカン・シャープシューターズ - ほぼ狙撃兵ばかりで構成された珍しい部隊。