大北方戦争
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大北方戦争(だいほっぽうせんそう、the Great Northern War)は、ロシア帝国、デンマーク-ノルウェーそしてザクセン-ポーランド(1715年以降はプロイセンとハノーファーがこれに参加)の同盟諸国と、スウェーデン(後にオスマン帝国、ウクライナ・コサックが参加)との間で、1700年から1721年の21年間にわたって行われた戦争である。戦争は同盟側によるスウェーデンへの連携攻撃で始まったが、戦争前期はスウェーデンが圧倒した。1706年までの戦闘の殆どに勝利し、ポーランド王を廃位させ、傀儡王を立てた。デンマークもロシアも直接戦闘を避け、一時はスウェーデンが覇権を握ったと思われたが、しかしロシアは地の利を味方につけて焦土作戦を展開、1709年のポルタヴァの戦いで形勢を逆転した。その後反スウェーデン陣営が続々反撃に出て、1721年のニスタット条約とストックホルム条約の締結によって終了した。この戦争の結果、ロシアはスウェーデンのバルト海における覇権を奪い取り、ヨーロッパにおける列強の一員となった。 またロシアは、この戦争で獲得した地に新都サンクトペテルブルクを建設した。
この戦争は、ロシア皇帝ピョートル1世とスウェーデン王カール12世の事実上の一騎打ちであった。大北方戦争は、後に文化人や軍人の研究材料として取り上げられている。ヴォルテールやクラウゼヴィッツによるものが有名である。
目次 |
[編集] 主な戦闘
- 1700年ナルヴァの戦い
- 1702年リガの戦い
- 1706年フラウシュタットの戦い
- 1709年ポルタヴァの会戦
- 1710年ヘルシングボリの戦い
- 1711年プルート川の戦い
- 1712年ハンゲの海戦
- 1712年ガーデブッシュの戦い
[編集] 主な条約
[編集] 主な出来事
- 1699年、ロシア、ポーランド、デンマーク、反スウェーデン同盟(北方同盟)を結成。
- 1700年、カール12世、デンマーク、ロシア撃破。大北方戦争の始まり。
- 1702年、スウェーデン軍、ポーランド侵攻開始。
- 1703年、ピョートル1世、海港サンクトペテルブルグ建設。
- 1704年、スタニスワフ・レシチニスキ、ポーランド王に即位(傀儡)。
- 1706年、ポーランド王アウグスト2世廃位。
- 1708年、ウクライナ・コサックのイヴァーン・マゼーパによる反乱失敗。
- 1709年、スウェーデン軍、レスナーヤの戦い、ポルタヴァの戦いで壊滅。カール12世はオスマン帝国に逃亡。スウェーデンの優位崩壊。ポーランド王にアウグスト2世復位。デンマーク戦線復帰。
- 1710年、デンマーク、スコーネに侵攻。しかしスウェーデンのステンボック将軍に敗れる。
- 1711年、オスマン帝国、ピョートル1世軍を包囲。プルート川の勝利。
- 1712年、ピョートル1世、サンクトペテルブルグに遷都。
- 1712年、バルト海の制海権をロシアに奪われる。バルト帝国の崩壊。
- 1714年、カール12世、亡命先のオスマン帝国から帰還。
- 1715年、プロイセン王国、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世、スウェーデンに宣戦。
- 1716年、カール12世、デンマークに氷上侵攻を試みるも失敗。
- 1718年、カール12世、ノルウェーのフレデリックスハルド要塞で狙撃され、死亡。
- 1719年、ロシア軍、スウェーデン本土を強襲するも撃退される(-1721年)。
- 1720年、スウェーデン、ウルリカ・エレオノーラ女王退位、ヘッセン朝開始。
- 1721年、ピョートル1世、ロシア皇帝(インペラートル)に戴冠。
[編集] 関連項目
- バルト海
- バルト帝国
- ロシア帝国
- ロシア海軍
- プロイセン王国
- ポーランド王国
- ヨーロッパ史
- スカンディナヴィアの歴史
- スウェーデンの歴史
- デンマークの歴史
- ナポレオン戦争
- モルダヴィア
- ペトロパヴロフスク要塞