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尖閣諸島領有権問題 - Wikipedia

尖閣諸島領有権問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尖閣諸島領有権問題(せんかくしょとうりょうゆうけんもんだい)とは、2007年現在中華民国台湾)、中華人民共和国がそれぞれ、日本国実効支配している尖閣諸島領有権を主張して起きている領有権問題である。

目次

[編集] 概説

日本は日清戦争中の1895年1月14日から一貫して尖閣諸島を領有していると、日本国内において考えられている。しかし中国および台湾は、1895年の下関条約(馬関条約)は侵略戦争によって強引に結ばれたものであるなどとして、領有権を主張している。

因みに、尖閣諸島防衛協会発行の尖閣諸島写真集には中華人民共和国発行の社会科地図で、地下資源が確認される以前の1970年の南西諸島の部には、はっきりと"尖閣諸島"と記載され、国境線も尖閣諸島と中国との間に引いてある。しかし、地下資源が確認された以後の1971年の南西諸島の部では、尖閣諸島は"釣魚台"と記載され、国境線も日本側に曲げられている。[要出典]

尖閣諸島は沖縄県石垣市に属し、中国、台湾側では台湾省宜蘭県に属すと主張している。中国側では釣魚島(Diàoyúdǎo)と、台湾側では釣魚台列嶼(Diàoyútái lièyǔ)と呼称する。

1895年、日本政府は尖閣諸島の領有状況を調査し、いずれの国にも属していないことを確認したうえで沖縄県に編入した。 国際的にも日本の領土と認められ、日本人の入植も行われた。 アホウドリの羽毛の採取や海鳥の剥製の製作、そして鰹節の製造などが行われた。特に鰹節の製造は島の基幹産業となった。 しかし南洋諸島からの安価な製品が出回るようになると経営が苦しくなり、鰹節工場は閉鎖され1940年に無人島となった。無人島になってからも日本の実効支配は継続している。第二次世界大戦後は一時連合国(実質的にはアメリカ合衆国)の管理下に置かれたが1972年に沖縄県の一部として日本に返還されている。 島は開拓者の子孫が所有する民有地であり、アメリカの管理下にあった時も2007年現在も日本政府が貸借契約を結んでいる。

1969年および70年に行なわれた国連による海洋調査で、推定1095億バレルという、イラクの埋蔵量に匹敵する大量の石油埋蔵量の可能性が報告され、結果、周辺海域に石油があることがほぼ確実であると判明すると、ただちに台湾がアメリカ合衆国のガルフ社に周辺海域の石油採掘権を与えるとともに、尖閣諸島に上陸し「青天白日旗」を掲揚した写真を取らせ世界中の通信社に配信したため、日本政府が抗議した。

1971年6月に台湾、12月に中国が相次いで領有権を主張した。その根拠は、尖閣諸島が中国側の大陸棚に接続しているとの主張にくわえ、古文書に尖閣諸島を目印として航海に役立てていたという記述が見られることで、最も古くから同諸島の存在を認識していたという解釈による。ただし、1970年以前に用いていた地図や公文書などによれば両国とも日本領であると認識していたようで、米国の施政時代にも米国統治へ抗議した事実がないことなどから、日本国内では領有権を主張し始めた切っ掛けとして海底油田の可能性が高いと唱えられている。そのため、国際法上以前に黙認によって許容した関係に反する主張は、後になって許されないとする禁反言が成立する可能性も指摘されている。

政府レベルでは中国・台湾ともに話し合いでの問題解決を主張しているが、実際には相互に事前通報する取り決めが日中政府間で結ばれている排他的経済水域(EEZ)内はおろか、尖閣諸島周辺の日本の領海内で中国人民解放軍海軍の艦船による海洋調査が繰り返されていたり、台湾および香港も含めた中国人活動家の領海侵犯を伴った接近が繰り返されている。このような実力行使に対して日本政府はことあるごとに抗議しているが、中国側はそれを無視している。

日本は憲法で国際紛争の解決の手段として武力を行使することを放棄しているので、もとより話し合いで解決したいと望んでいる。 日本の国内には民間レベルで灯台の建設を進めたり、定住しようとする計画もあるが、日本政府はそれを押し留めている。外務省が中国に対して弱腰であるという意見も存在する。また国際法判例では、紛争発生以降のこれらの実効的支配が、かならずしも有利な条件と許容されないとの指摘もある。

ともあれ、尖閣諸島が、日中間の微妙な問題であるとともに、それぞれの国内においても微妙な問題となっていることは間違いない。そのため、事実上両国間で「棚上げ」の状態にあるが、なにかしらの民族主義的対立が発生するたびに、この領有権問題が蒸し返されてきている。

また、中華民国台湾)の台独派の保守政党で李登輝率いる台湾団結連盟(台連)は尖閣諸島は日本固有の領土であり、台湾の領有権主張は愚かであり、領有権主張より日本政府との交渉により漁業権などを獲得すべきと主張しているが、台湾政府の公式見解とはなっておらず、むしろ日本を巻き込むことで台湾独立に優位な情勢を作り出そうとしているとの指摘もある。

台湾の場合、尖閣諸島は台湾島に付随する諸島の一つであったが、1895年の植民地化以来、日本に領有権を奪われており、抗弁の機会すら与えられなかったとする考えが強く、日本の植民地責任論も絡むことからさらに解決は難しくなっている。

最近では中国政府に近い研究機関は「沖縄県は終戦によって日本の支配から脱しているが、いまだ帰属先の策定が行われていない。」と主張し始めているとして、これを将来的な沖縄侵攻の布石と見ることも出来ると指摘が日本の一部にある。日本側の保守的論陣をはる産経新聞社の「正論」2006年8月号で、実際に尖閣諸島への中国侵攻の可能性が指摘されていた。

このように日本で中国脅威論が盛り上げられる一方、中国でも日本は尖閣諸島を足がかりに台湾、アメリカなどと同盟をくんで中国を再侵略しようとしているという、日本の軍国主義化を恐れる論調も見られ、双方ともに不信感と、それを政治的に利用しようとする民族主義的、国家主義的な意図が絡み合っており解決が困難となっている。

2008年6月10日には、尖閣諸島周辺海域で中華民国台湾の漁船が日本の海上保安庁の巡視艇と衝突し沈没した。日本側は巡視船の船長を業務上過失往来危険と業務上過失傷害の容疑で、漁船の船長を業務上過失往来危険の容疑で書類送検した[1]。中華民国台湾の外交部はこれを不服とし、日本側に対し巡視船を衝突させ漁船を沈没させたことに対する謝罪と賠償を要求した[2]。また14日の記者会見で部長の欧鴻錬は改めて謝罪と賠償を要求するとともに、駐日代表を召還することを発表した。台湾の行政院長である劉兆玄は13日に議会の答弁で、「最終手段としての軍艦派遣も排除できない」と述べた[3]

[編集] 経緯

日清戦争が日本側の優勢で終幕を迎えつつあった1895年1月14日、日本政府は領有状況を各国に照会はしなかったが、「いずれの国にも属していないことを確認したうえで尖閣諸島を沖縄県に編入した」との『見解』を現在(2008年6月)の日本政府は出している。これ以後、一貫して「領有」してきた。当時の清国は日清戦争に失敗し、西洋列強は清の領土や特権をめぐって激しい競争にあった。時の日本政府は宣言せずにこのまま「領有」を続け、この故、1971年まで日本の「領有権」に異議を唱えた国は存在していない。

中国(中華人民共和国)は、の時代、琉球への冊封使の報告書である古文書に釣魚台を目印に航行したとの記述があることや、江戸時代の日本の学者が書いた書物にある地図の彩色などを主張の根拠に挙げているほか、密やかに「領有」を実現し国際社会に宣言しなかった等の歴史的な経緯から見ると、日本の所謂「領有」は国際法上のの意味を持たないと指摘している。

  • 尖閣諸島の領有権を巡る争点についての詳細は争点を参照のこと。

1996年以降、民族主義的な動きと相俟って「保釣運動」という名で中国側の実力行使がたびたび行われている。

最近では2004年3月24日、7名の中国人活動家が彼らが釣魚台と呼ぶ魚釣島に上陸した。 この一件をイギリスBBCのネット版は、1895年に日本の沖縄県に編入されたことを紹介した上で、「島への何度もの遠征は中国の領有を主張する活動家によって近年始められた」と報じている。

[編集] 年表

  • 1871年(明治4年):牡丹社事件発生。台湾南部に漂着した宮古島の住民66人のうち54名が「牡丹社」というパイワン族原住民に殺害された。
  • 1885年(明治18年):福岡県出身の実業家・古賀辰四郎が尖閣諸島での事業展開のため沖縄県に借地契約を請求。
  • 1885年:古賀の請求を受けて沖縄県庁は内務省に相談。内務省は沖縄県庁にこの島の調査を内々に命令する。
  • 1885年9月22日:沖縄県令・西村捨三は、「久場島、魚釣島は、古来より本県において称する島名ではあるが、これらの島は中国の古文書に記載されている釣魚台、黄尾嶼、赤尾嶼と同一のものかもしれないので、慎重に調査する必要がある」と、内務省に報告。 雲出丸による現地調査の結果を追って伝えると連絡。
  • 1885年10月9日:内務卿・山県有朋は、外務卿・井上馨と協議。
    • 同月21日:井上は、「清の新聞が自国の領土である花瓶嶼や彭隹山を日本が占領するかもしれないなどという風説を流していて、清の政府や民衆が日本に対して猜疑心を抱いている。こんなときに、久場島、魚釣島などに国標を建てるのは徒に不安を煽るだけで好ましくない」として「国標を建て開拓等に着手するは、他日の機会に譲り候方然るべしと存じ候」と 山県に回答。
  • 1885年11月24日:沖縄県令は雲出丸の「清国との関係無きにしもあらず」との調査報告を内務卿へ提出。
※時期は確定できないが、このころ古賀辰四郎による開拓が本格化。船着場や鰹節工場を建設。
  • 1890年(明治23年)1月13日:沖縄県知事・丸岡莞爾が国標を建てることを国に要請。
  • 1893年(明治26年)11月2日:沖縄県知事・奈良原繁が国標を建てることを国に要請。
  • 1894年(明治27年)7月 - :朝鮮を巡る対立から日清戦争が勃発。
  • 1895年(明治28年)1月11日:外務大臣・陸奥宗光は、内務大臣・野村靖に国標を建てることに同意すると伝える。
  • 1895年1月14日:日本政府が尖閣諸島の沖縄県への編入を非公開の閣議で決定し、正式に日本領とした。しかし、この決定は周辺国には伝えられなかった。
  • 1895年1月21日:内務大臣から沖縄県知事に魚釣、久場両島に沖縄県所轄の標杭を建てるよう指令。
  • 1895年4月17日日清講和条約(下関条約)が締結され終戦。 清が台湾と台湾の付属島々等を日本に割譲。尖閣諸島は台湾に属し。
  • 1895年6月10日:古賀辰四郎が「官有地拝借願」を内務省に提出。
  • 1896年(明治29年):日本政府が古賀辰四郎への30年の無償貸与を許可。
  • 1918年(大正7年):古賀辰四郎、死去。 事業は息子の古賀善次郎が継承。
  • 1920年(大正9年):中華民国駐長崎領事・馮冕より魚釣島に漂着した遭難者(福建省恵安の漁民)の救護に対し、当時の石垣村長・豊川善佐、石垣村衛生係雇・富田孫伴こと玉代勢孫伴(たまよせばんそん)、尖閣諸島を開拓した古賀辰四郎の子息の古賀善次郎らに感謝状が贈られる。 それには尖閣諸島のことを「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていた。 この感謝状は全部で4通あった。中国側からの通報によれば7通という説もあるようだが、確認はされていない。現在4通のうちの1通が八重山博物館に寄贈され現物が保管されている。
  • 1932年(昭和7年):魚釣島、久場島、南小島、北小島の4島が古賀に対し有償で払い下げられる。
  • 1940年(昭和15年):古賀が事業継続を断念。尖閣諸島は無人島になる。
  • 1940年(昭和15年):東京裁判所では台湾台北州に属すと主張している。尖閣諸島は台湾台北州に属し。
  • 1945年(昭和20年)8月15日:日本、ポツダム宣言を受諾。
  • 1946年(昭和21年)1月29日:「連合国軍最高司令官総司令部覚書」667号(SCAPIN667 (Supreme Command for Allied Powers Instruction Note No.677))「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」により、尖閣諸島を含む南西諸島の施政権が日本から連合国に移される。
  • 1951年(昭和26年)9月8日日本国との平和条約調印。
  • 1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約発効。 この条約の第3条によりアメリカの施政権の下に置かれる。 アメリカ軍が大正島(赤尾嶼)および久場島(黄尾嶼)を射撃場として使用。
  • 1952年4月28日日華平和条約調印。
  • 1953年1月8日中国共産党中央委員会機関紙『人民日報』が、「琉球群島人民のアメリカによる占領に反対する闘争」と題した記事を掲載。尖閣諸島を日本名で「尖閣諸島」と表記し、琉球群島(沖縄)を構成する一部だと紹介する。
  • 1958年(昭和33年)11月:北京の地図出版社、『世界地図集』発行。尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。
  • 1965年(昭和40年)10月:中華民国国防研究院、『世界地図集第1冊東亜諸国』初版出版。尖閣諸島を日本領として扱い「尖閣群島」と日本名で表記。[4]
  • 1968年(昭和43年)10月6日:台湾最大紙『聯合報』が、「琉球尖閣諸島 我国の漁船操業禁止(琉球尖閣群島 禁我漁船作業)」と題した記事を掲載。
  • 1968年(昭和43年)10月12日 - 11月29日:日本、中華民国、大韓民国の海洋専門家が国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の協力の下に東シナ海一帯の海底を学術調査。海底調査の結果、「東シナ海の大陸棚には、石油資源が埋蔵されている可能性がある」ことが指摘される。
  • 1969年(昭和44年)5月:琉球政庁が石垣市に命じて尖閣諸島に標杭を設置。
  • 1969年5月:中華民国当局は付近海域の石油採掘権をアメリカ合衆国のガルフ社に与えるとともに、「青天白日旗」を尖閣諸島に掲揚し、世界中の通信社に配信した。
  • 1970年(昭和45年)1月:中華民国の国定教科書「国民中学地理科教科書第4冊」(1970年1月初版)において尖閣諸島は日本領として扱われ、「尖閣群島」という日本名で表記されている。
  • 1971年(昭和46年)6月11日:中華民国(台湾)が外交部声明という形で尖閣諸島の領有権を主張。
  • 1971年6月17日沖縄返還協定に署名。
  • 1971年12月30日:中華人民共和国が外交部声明という形で尖閣諸島の領有権を主張。
  • 1972年(昭和47年)3月8日:外務省は「尖閣諸島の領有権問題について」を発表。
  • 1972年5月15日:琉球が日本に返還され、再び沖縄県となる。
  • 1972年9月29日日中共同声明により日中国交正常化。日本と中国共産党率いる中華人民共和国とが国交を結び、日中共同声明に基づきそれまで国交のあった中華民国には断交を通告。
  • 1978年(昭和53年)4月:約100隻の中国漁船が尖閣諸島に接近し、領海侵犯、領海内操業を行う。
  • 1978年5月11日:日本の民族派団体「大日本赤誠会」の尖閣諸島領有決死隊が海上保安庁の制止を振り切り、戦後初めて領有権を主張しての強行上陸。日章旗を掲揚。
  • 1978年8月12日:日本の政治団体「日本青年社」が魚釣島に灯台を建設。
  • 1978年10月23日:中国副首相・ 鄧小平日中平和友好条約の批准書交換のため訪日。この際に日本記者クラブで行われた会見で、
尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。名前からして違う。確かに尖閣諸島の領有問題については中日間双方に食い違いがある。国交正常化の際、両国はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉でも同じように触れないことで一致した。中国人の知恵からしてこういう方法しか考えられない、というのは、この問題に触れるとはっきり言えなくなる。こういう問題は一時棚上げしても構わない、次の世代はわれわれより、もっと知恵があるだろう。みんなが受け入れられるいい解決方法を見出せるだろう」という言葉を残す。
  • 1979年(昭和54年)5月17日海上保安庁は、魚釣島に仮設ヘリポートを設置するため、第一管区海上保安本部釧路海上保安署所属の巡視船そうや」を派遣。仮設ヘリポートは、後に中華人民共和国の抗議があったため撤去された。
  • 1988年(昭和63年):日本青年社が魚釣島に新灯台を建設。 航路標識法に基づく正式な灯台として認可するよう海上保安庁第十一管区海上保安本部に申請書を提出し、受理される。
  • 1990年(平成2年)8月:台湾聖火リレー船領海侵犯事件 - 尖閣諸島の領有権を主張するために、「台湾地区スポーツ大会」の聖火リレーを行っていた台湾船2隻が、魚釣島周囲の領海を侵犯。
  • 1992年(平成4年)2月25日:中華人民共和国領海法制定。 釣魚列島(尖閣諸島)が自国領であると記載。
  • 1996年(平成8年):日本青年社、再度灯台を建設。 日本政府に海図への記載を求める。 中国政府は日本政府に圧力をかけ、海図への記載を止めさせた。
  • 1996年7月:国連海洋法条約発効。 日本政府は排他的経済水域を設定。
  • 1996年9月:香港から出港した抗議船が領海内に侵入し活動家数名が海に飛び込み、1人が溺死する。
  • 1996年10月:台湾・香港の活動家等が乗船する小型船41隻が領海内に侵入。 4人が魚釣島岩礁に上陸。
  • 1997年(平成9年)5月6日:新進党(当時)衆議院議員西村眞悟が国会議員で初めて上陸・視察。
  • 1997年5月:30隻の台湾抗議船等が尖閣諸島に接近し、そのうち3隻の抗議船が警告を無視して領海内に侵入。
  • 1997年7月:1隻の台湾抗議船が尖閣諸島の領海内に侵入。 日本の海上保安庁により領海外へ退去させられる。
  • 1998年(平成10年)6月:香港および台湾の抗議船など6隻が尖閣諸島領海付近に接近。 うち香港の抗議船「釣魚台号」と同船から降ろされたゴムボートが領海内に侵入。 その後、領海外に退去させられた釣魚台号は、遭難信号を発信し、乗員は付近の台湾抗議船および日本の海上保安庁の巡視船に救助された。 釣魚台号には人為的原因によると思われる浸水が発生しており、海上保安官が応急的な漏水防止措置などを施したものの魚釣島付近海域で沈没。
  • 2001年5月:日本の「日本人の会」のメンバーが尖閣に強行上陸、示威行動。同会は西村眞悟を顧問に頂いており、また「建国義勇軍」を名乗る右翼団体でもあった事がのちに確認される。
  • 2002年(平成14年)9月16日:台湾前総統・李登輝が尖閣諸島は「台湾にも中国にも属さない(不屬於台灣、也不屬於中國)。尖閣諸島は日本の領土(釣魚台是日本的領土)」と発言。中国の民衆は猛反発した。
  • 2003年(平成15年)12月26日厦門で開催された全世界華人保釣フォーラムにて「中国民間保釣連合会」結成を決定。
  • 2004年 (平成16年) 1月: 台湾当局が魚釣島を土地登記 (4月に判明)。
  • 2004年3月24日:中国人活動家7名が日本の海上保安庁の警備の隙を突いて魚釣島に上陸したが、沖縄県警察本部は全員を出入国管理法違反(不法入国)の疑いで現行犯逮捕。 上陸した活動家などが逮捕されたのはこれが初めてである。
  • 2004年3月24日:アメリカ国務省副報道官・エレリが「尖閣諸島に日米安保条約が適用される」との見解を表明。
  • 2004年3月26日:出入国管理法違反で逮捕されていた7名の中国人活動家が強制退去処分となる。
  • 2004年3月30日:例年行われていた対中円借款の交換公文署名式を中国外務次官・王毅が当日になって突然欠席。 日本の外務省幹部は不快感を示しながらも「(中国人活動家の逮捕をきっかけに高まっている)国内の反日世論に配慮せざるを得ないのだろう」とコメントした(注:対中円借款の交換公文署名式は日本の援助に対して中国が公式に感謝を表明する唯一の場)。
  • 2004年3月30日衆議院安全保障委員会は、尖閣諸島への中国人の不法上陸事件を受けて、政府に警戒・警備で万全の対策を求める「我が国の領土保全に関する件」と題する決議を全会一致で可決。
  • 2004年4月15日 :台湾当局がこの年1月、魚釣島を土地登記していたことが明らかになる。
  • 2005年2月9日:日本青年社が魚釣島に建設した灯台を、所有権放棄に伴い日本政府が国有化、海上保安庁が保守・管理すると発表。
  • 2007年10月28日:中国の「保釣(釣魚島防衛)行動委員会」の抗議船が領海内に侵入、海上保安庁の警告で引き返す。
  • 2008年6月10日:台湾の遊漁船「連合号」と海上保安庁の巡視船「こしき」が衝突し、連合号が沈没した事故が発生した。この事故に関連し、台湾の劉兆玄行政院長(首相)は6月13日の立法院(国会)答弁において、領有権問題の解決にかかる最終手段として日本と開戦する可能性を排除しないという方針を示した。[5]

[編集] 保釣運動

保釣運動とは、「中国固有の領土である釣魚台列島(尖閣諸島)を守れ」と中国人社会で湧き起こっている運動。 1971年、ニューヨーク在住の中国人の間から発生したのが始まりといわれる。1996年以降、特に活発化しており、最近は毎年のように日本領海の侵犯を繰り返している。

1996年以降の動きの中心になっているのは香港や台湾の活動家であり、1997年の香港中国返還を目前にして盛り上がった民族主義的な動きの反映との見方もある。最近は憤青やその代表格の童増のようにネットも活用しており、日本政府も翻弄されている。

日本国内には、その無理を通せば道理が引っ込むといわんばかりの姿勢や過激な活動に嫌悪感を示す者もおり、話し合いでの問題解決を口にする中国政府の別働隊なのではないかと疑う者もいる。一方で純粋な市民による運動と見ている者もいる。

[編集] 争点

尖閣諸島を巡る日中間の争点は以下の通りである。

  1. 誰が最初に発見し、実効支配をしたか
  2. 1895年1月14日の日本による尖閣諸島編入の有効性
  3. 第二次世界大戦の戦後処理の妥当性

以下、それぞれについて日中両国の主張を整理してみる(ただし、各国政府の主張を一言一句正確に記述したものでないことに留意されたい)。

[編集] 誰が最初に発見し、実効支配をしたか

国際法上、発見は未成熟権原とされ、領域権原取得のための優先的権利の取得にすぎないとされている(パルマス島の判例)。また、東グリーンランドの裁判において「定住に向かない、無人の地では、他国が優越する主張をしない限り微かな実効支配でも有効」と判示され、近年の無人島の判例(ライタン・シパダン島等)でも支持されている。また、マンキエ・エクレオの判例において、中世の諸事情に基づく間接的推定は実効支配と認定されず、当該地の課税や裁判の記録等の司法、行政、立法の権限を行使した直接的証拠が必要とされた。

中国側の主張
  • 1403年(明代)に著された『順風相送』という書物に釣魚台の文字がある。 また1534年の冊封使・陳侃(チン・カン)の報告書である『使琉球録』にも「釣魚台を目印に航行した」との記述がある。 これらのことから、明の時代にすでに中国人が釣魚台(尖閣諸島)の存在を知っていたのは明らかである。
  • 1785年に日本の学者・林子平(はやし しへい)によって著された『三国通覧図説』という書物に付属している『琉球三省其三十六島之図』という地図で、釣魚台列島が中国大陸と同じ色で彩色されている。これは日本においても釣魚台列島が中国の領土と認識されていた証である。
  • これらを総合的に判断するなら、日本の主張する先占は無効である。
日本側の主張
  • 『琉球三省其三十六島之図』において尖閣諸島が中国大陸と同じ色で彩色されているのは事実である。しかし、この地図で尖閣諸島と同じく中国大陸と同じ色で彩色されている花瓶嶼は今日台湾の領土となっている。その台湾は『琉球三省其三十六島之図』においては大陸とは別の色で彩色されている。したがって、この地図の彩色と領土とは必ずしも関係しない。
  • 1871年に発生した牡丹社事件の事後処理のために清朝政府を訪れた日本の外務卿・副島種臣に対して清朝政府は責任を負わぬと言明している。尖閣諸島よりも大きくかつまた大陸に近い台湾ですら実効支配している認識がなかったのであるから、尖閣諸島をどのように認識していたかは明白。
  • 古文書に記載が見られるとしても実効支配の痕跡が見られない以上、その島は無主地と判断するのが妥当。

[編集] 1895年の日本による尖閣諸島編入の有効性

国際法で言う先占の法理をどう解釈し、認めていくかがこの問題の焦点である。

つまり、古文書に名前のある島は自動的に領土としたことになるのか否かの問題である。中国側は領土になると主張し、日本側は実効支配していなければ無主地であるとしている。無主地であるならば先占の法理を適用し得るし、日本の1895年1月の編入はその手順に則っているのだから有効である、というのが日本側の主張である。
なお、国際司法裁判所等の判例においては、不明瞭な記録による間接的推定は認めらず、課税や裁判記録といった行政、司法、立法の権限を行使した疑義のない実効支配の直接的証拠が要求されている。[6][7]

中国側の主張
  • 多くの文献に明らかなように少なくとも明の時代から中国では知られていたのであり、台湾の漁民が漁労に従事していたのだから無主地などでなく、よって日本の先占は無効。
  • 日本政府は沖縄県に対して内々の調査を命じている。これは中国領と承知していたからに他ならない。
  • 甲午中日戦争(日本で言うところの日清戦争)に勝利した勢いで、その戦後処理を取り決めた馬関条約(日本で言うところの下関条約1895年5月10日公布)にすらよらないで、掠め取ったものである。したがって、釣魚台列島は中国に返されるべきである。
日本側の主張
  • 早くから中国が尖閣諸島の存在を知っていたことは間違いない。しかし永続的に実効支配し続けようという国家意思が見られない島については、無主地と判断するのが国際法上妥当である。
  • 尖閣諸島は下関条約によって割譲された地域には含まれない。
  • 中国側は内々の調査を命じていることを中国領と承知していたからに他ならないというが、それは違う。無用な衝突を避けるためにしたまでのこと。第一、公然と調査しなければならない義務はない。
  • 1895年~1970年まで日本への編入を長いこと認めていた中国が、1971年、ガス油田埋蔵の可能性が出てきて、そのときになって突如領有権を主張するのは矛盾がある。

[編集] 第二次世界大戦の戦後処理の妥当性

第二次世界大戦の戦後処理についても対立している。 日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の締結に加わったのは、現在事実上台湾を統治する中華民国政府である。つまり中華人民共和国はこの条約に参加していないのである。中華人民共和国政府はこの点を捉えて、この条約の合法性と有効性を承認しないという立場を取っている。

一方、日本政府は第二次世界大戦の戦後処理は妥当なものであり、尖閣諸島は1895年1月14日の編入以来一貫して日本が統治し続けてきた固有の領土であって、このことは国際社会からも認められている、としている。

中国側の主張
  • 1943年カイロ宣言では、日本は中国東北部満州)や台湾、澎湖列島などを含める土地を返還すると規定している。 釣魚台(尖閣諸島)はそれらの地域に含まれているのだから、返還されるべきである。
  • 中華人民共和国政府は日本国との平和条約に参加していない。本当の平和条約とは言えないので、この平和条約の合法性と有効性を承認できない。
日本側の主張
  • 1895年1月14日の編入以来、南西諸島の一部を構成するものであり、下関条約によって割譲された台湾および澎湖諸島には含まれない。 したがってサン・フランシスコ平和条約第2条に基づき日本が放棄した領土のうちには含まれない。
  • 中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し何等異議を唱えなかったことからも明らか。
  • これより先に出されていた「連合国軍最高司令官総司令部覚書」667号(SCAPIN667 (Supreme Command for Allied Powers Instruction Note No.677, January 29,1946))「若干の外郭地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」に同諸島が含まれている事実に対しても何等異議を唱えなかった事実がある。

[編集] 尖閣諸島の領有問題に影響を与えている問題

尖閣諸島の領有問題に影響を与えている問題として、いくつかの問題の存在を指摘する意見がある。

中国側の主張
日本側の主張
  • 「日本の右傾化」と尖閣諸島
中国、および日本の左翼の一部は、尖閣諸島を中国の領土と認識している。彼らによれば、この問題は日本の右翼帝国主義的思想に基づいて領有権を主張しているために起きているだけであり、近年の日本の右傾化によりこういったトラブルが増え、国際関係を悪化させているのだという。
一方、中国のこうした主張については“日本の国防意識の高まりを「右傾化」と非難して自国の利益を失うまいとする意図”という見方がある。
ただし、日本の主要な左翼政党は尖閣諸島を日本領土としており、その一方で「日本の右傾化」を懸念する、という態度を取っている。つまり、右傾化批判と領土問題は直結しているわけではない。
日本政府は2005年現在において尖閣諸島にある日本青年社が建設した灯台を政府所有にして実効支配を進めている。先島諸島への自衛隊の駐留計画も現在進行中。
尖閣列島が琉球の領土(2007年現在は潜在的に)である事は明らかである。今日の国際法の示すところでは、ある地域がいずれの国に属すべきかを決定する基準は、その地域に対する実効支配の有無にある。少なくとも1896年来1970年までの74年間、琉球政府が排他的にその行政権を及ぼし、この事につき、他のいかなる国も、その支配に対して異議をはさまなかった事実が、琉球領土であると主張出来る根拠となる。この国際法の原則を離れて、領土権の帰属を論ずることに異論がある。何故なら領土権紛争をめぐる解決規範は国際法が与えているからである『三星天洋』(1972年発行)より要約
実効支配の実例として、1952年、琉球大学琉球政府資源局が共同で資源調査を行っていることが挙げられる。
引用=
いつの頃からか、沖縄本島の人達は、尖閣列島を「ユクン・クバジマ」、八重山では「イーグン・クバジマ」と呼んでいた。
http://akebonokikaku.hp.infoseek.co.jp/page054.html
「尖閣列島と竹島」より

[編集] 和書

  • 別冊宝島編集部編『ニッポン人なら読んでおきたい竹島・尖閣諸島の本』(宝島社)
  • 緑間栄『尖閣列島』(ひるぎ社)
  • 浦野起央『尖閣諸島・琉球・中国』(三和書籍)
  • 井上清 (1996)、「尖閣」列島―釣魚諸島の史的解明、第三書館 ISBN 4807496123
  • 浦野 起央, 劉 甦朝, 植栄 辺吉(2001年)、釣魚台群島(尖閣諸島)問題―研究資料匯編ISBN 4887082886
  • 惠忠久『尖閣諸島魚釣島』(尖閣諸島防衛協会)
  • 明石康『日本の領土問題』(自由国民社)
  • 高野雄一『日本の領土』(東京大学出版会)
  • 芹田健太郎『日本の領土』(中央公論新社)
  • 田久保忠衛『日本の領土』(PHP研究所)

論文

  • 奥原敏雄『明代および清代における尖閣列島の法的地位』
  • 奥原敏雄『尖閣列島領有権の根拠』(中央公論・特集〔日本国領土の範囲〕)
  • 奥原敏雄『動かぬ尖閣列島の日本領有権』(「日本及日本人」昭和48年新春号)
  • 奥原敏雄『尖閣列島の領有権問題』
  • 奥原敏雄『尖閣列島の法的地位』(季刊「沖縄」第五十二号・昭和45年3月31日刊)
  • 奥原敏雄『尖閣列島と日本の領土権』(〔世界と日本〕昭和54年4月15日)
  • 奥原敏雄『尖閣列島と領有権帰属問題』(朝日・夏季号特集1〔尖閣列島問題〕)
  • 奥原敏雄『尖閣列島の領有権』(現代の法律問題 ―時の法を探る―〔増訂版〕粕谷進編法学書院、237~260ページ)
  • 奥原敏雄『尖閣列島問題と井上清論文』(アジアレビュー)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ 双方の船長書類送検=巡視船と台湾船の衝突事故-海保
  2. ^ 日本の巡視船接触による台湾漁船「連合号」の沈没に対する抗議声明
  3. ^ <台湾>駐日代表を召還 遊漁船沈没事故で対日批判が過熱
  4. ^ http://blog.pixnet.net/Richter/post/18881937
  5. ^ http://sankei.jp.msn.com/world/china/080613/chn0806132028016-n1.htm
  6. ^ THE MINQUIERS AND ECREHOS CASE "The Court does not, however, feel that it can draw from these considerations alone any definitive conclusion as to the sovereignty over the Ecrehos and the Minquiers, since this question must ultimately depend on the evidence which relates directly to the possession of these groups.[1]
  7. ^ CASE CONCERNING SOVEREIGNTY OVER PULAU LIGITAN AND PULAU SIPADAN "The Court finally observes that it can only consider those acts as constituting a relevant display of authority which leave no doubt as to their specific reference to the islands in dispute as such."[2]

[編集] 外部リンク

[編集] 日本国公的機関のサイト

[編集] アジア歴史資料センターのサイト

  • アジア歴史資料センター:数字はレファレンスコード
    • 「沖縄県ト清国福州トノ間ニ散在スル無人島ヘ国標建設ノ件」(公文別録・内務省・明治十五年~明治十八年・第四巻・明治十八年) - A03022910000
    • 「1. 沖縄県久米赤島、久場島、魚釣島ヘ国標建設ノ件 明治十八年十月」(帝国版図関係雑件) - B03041152300
    • 「沖縄県下八重山群島ノ北西ニ位スル久場島魚釣島ヘ標杭ヲ建設ス」(公文類聚・第十九編・明治二十八年・第二巻・政綱一・帝国議会・行政区・地方自治一(府県会・市町村制一)) - A01200793600
    • 「新領土ノ発見及取得ニ関スル先例」(新領土ノ発見及取得ニ関スル先例) - B04120002200

[編集] その他のサイト

他の言語


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