鰹節
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基本的には魚体を三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみのもの(なまり節)、それを燻製したもの、さらに黴を付けることにより水分を抜きながら熟成させたものがある。通常よく知られている鰹節は黴まで生やしたものであるが、広くは何れも鰹節と呼ぶ。「鰹節」の称は燻製法ができる江戸時代以前から既に用いられている。
うま味成分のイノシン酸を多量に含有し、調味料として好んで用いられる。ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。
また、黴を生やした枯節(かれぶし)と呼ばれる種類の鰹節は、うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。これらは現存する食材の中で世界一の硬さを誇ると言う説がある。
モルディブなどにも類似した加工食品が存在する。
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[編集] 歴史
カツオ自体は古くから日本人の食用となっており、縄文時代にはすでに食べられていた形跡がある(青森県の八戸遺跡など)。5世紀頃には干しカツオが作られていたとみられるが、これらは現在の鰹節とはかなり異なったものであったようだ(記録によるといくつかの製法があったようだが、干物に近いものであったと思われる)。
飛鳥時代(6世紀末-710年)の701年には大宝律令・賦役令により、この干しカツオなど(製法が異なる「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」に分類されている)が献納品として指定される。うち「堅魚」は、伊豆・駿河・志摩・相模・安房・紀伊・阿波・土佐・豊後・日向から献納されることとなった。
現在の鰹節に比較的近いものが出現するのは室町時代(1338年-1573年)である。1489年のものとされる「四条流包丁書」の中に「花鰹」の文字があり、これはカツオ産品を削ったものと考えられることから、単なる干物ではない、かなりの硬さのものとなっていたことが想像できる。
燻製法が確立したのは江戸時代で、紀州(熊野)の甚太郎という人物が燻製で魚肉中の水分を除去したことに始まる。また、かび節は紀州(熊野)の土佐与一(とさのよいち)という人物が製法を広めたことに始まるとされる。以後、薩摩や土佐、阿波、紀伊、志摩、伊勢、伊豆など太平洋沿岸のカツオ主産地で多く生産された。江戸期には国内での海運が盛んになり、九州や四国などの鰹節も江戸に運ばれるようになった。
江戸時代には鰹節の番付表も作成され、それには伊勢の「阿曾節」、志摩の「波切節」等が行司役、遠州(静岡)の「清水節」、薩摩の「屋久島節」などが大関として名を連ねている。主に京料理などで使われていたのは行司役の鰹節で、現在でも志摩の「波切節」等の枯節は京都の寺社の茶懐石料理などに使われている。
明治以降、尖閣諸島の魚釣島や日本が国際連盟の委任統治領としていた南洋諸島(南太平洋の島々)でも製造されるようになった。特に南洋ものは安価であったことから大いに市場を拡大したが、南洋諸島が第二次世界大戦後に日本の統治を離れたことで、この地域での鰹節産業は終焉を迎えた。
[編集] 参考・文政五年の諸国鰹節番付
- 行司 - 阿曾節・慥栖節(伊勢)、波切節(志摩)、由黄浦節・ムキ浦節・大島節(阿波)、田の浦節(土佐)
- 大関 - 清水節(東方・遠州)、役島節(西方・薩摩)
- 関脇 - 宇佐節(東方・遠州)、御前節(西方・土佐)
- 小結 - 福島節(東方・遠州)、須崎節(西方・土佐)
- 以下、前頭、世話方、勧進元が続く。
尚、土佐節、薩摩節などは土佐、薩摩などで作られた節の総称である。
[編集] 用途
日本食の調味料の基礎と位置づけられており、だし汁の素材として昆布などと共に欠かせないものである。料理の仕上げとして最後に振りかける天盛りとしても使われる。
鰹を三枚におろした物を亀節、三枚から背と腹におろした物を本節、本節の中でも背側を使ったものを雄節(または背節)、腹側を使ったものを雌節という。
昔は、各家庭に「鰹節削り器」があり、使用する直前に鰹節を削っていた。この鰹節削り器は、大工道具のカンナを刃を上向きにして小箱に据え付けたもので、小箱には引き出しがついており、削った鰹節が取り出せるようになっている。この器械は正式名称を小倉式鰹節削り器といい、東京都在住の小倉某の考案[要出典]という。その使用法から、小さくなった鰹節を削ろうとして手を負傷する場合もままあるため、使用には十分な注意が必要である。
現在では節の状態で売られることは少なく、薄いスライス状に削られたものに窒素を入れ気密パックの状態で販売され、用いられることが一般化した。しかし、削ると否応なしに劣化がはじまることから、高級和食の料理人は風味を重視して使う直前に削ることが多い。
一般的な料理では「花かつお」(はなかつお)とも呼ばれる「荒節」を削ったものを出汁によく使うが、高級料亭などは「枯節」を使うところが多い。
因みに「荒節」は一括表示では「かつお・ふし(原産国)」と称され「かつお削りぶし」の原料となる。 対する「枯節」は「かつお・かれぶし」で、「かつおぶし削りぶし」の原料。
削り方にもいろいろな種類があり、一般的に見られるのは「糸削り」(主にトッピング用)や「厚削り」(主にだし取り用)、「薄削り」(両用)などがある。
また、削節を佃煮にしたものや醤油であえたものはおかかと呼ばれ、握飯の具として人気がある。
その他の用途として、粉状にしたものをたこ焼きやお好み焼きに振り掛けてコクを出す。出荷用の鰹節を直接粉状にすることは稀で、製作工程上で出た屑節や廃棄用の物を粉状にして販売することで有効利用していることが多い。
[編集] 伝統的製法の例
- カツオを解体する。頭部、内臓を取り除き、三枚におろして形を整える。
- これを籠に入れて、釜で100分前後煮る。慎重な温度管理を要する。
- 取り出したカツオのうろこをはぎ、脂肪や骨の除去を行う。ここまでが済んだものを生節または生利節と言う。鰹節産地の隠れた珍味であるが、最近は通信販売などで購入も可能となっている。
- 燻蒸して乾燥させる。ナラやシイなどの木を用いる。必要に応じて幾度か繰り返す。この行程を終えた物が「荒節」で、いわゆる「花かつお」の原料となる。
- 表面を削って汚れを除いて(裸節)から、水分を落とし、天日干しで乾燥させる。その後閉め切った室に入れ、カビを自然繁殖させる。このカビはコウジカビの一種である。
- カビが繁殖したらこれを削り落とし、5の行程を繰り返す。
- 行程5→6の繰り返しで、最終的に水分が失われて木材のように硬くなり、カビも付かなくなる。重量は加工前のカツオの20%以下となり、「枯節」の完成となる。良質の枯節どうしをぶつけると、「カンカン」と硬い木材同士を叩いたような乾いた音を発し、割れると一見ルビーに似た透明感のある、濃い赤色の断面が現れる。
[編集] 他の魚を用いたもの
同様の製法(荒節までの場合が多い)でカツオ以外の魚を用いたものに
などがある。 最近では豊漁感のある秋刀魚や鰊で造る試みも行われている。 また、北海道や東北では、川に遡上して産卵を終え死んだサケを、そのままでは味が落ち食用に向かないため、「鮭節」に加工する試みを行っている。
[編集] その他
鰹節についての古くからの常識が忘れられた時代となり、黴の生えた節が高級品であることを知らない者が世間の多数となった。実際に香りにこだわる場合は、削った物よりも節を購入するのだが、近年では既に削られた密封パック製品が増え、そもそも固形状態の鰹節を見たことが無い者も多い。
贈答品として枯節(黴節)を贈られた者が、黴の生えた鰹節の価値を知らず、悪くなったものと勘違いして捨ててしまう事態もしばしば生じている。この為、鰹節メーカーでは注意書きを添付するようになったが、それでも黴節が捨てられてしまうケースは後を絶たないという(そもそも鰹節を削る道具が家庭から消えてしまっているのである)。
なお、インド洋の島国・モルディブでは「モルディブ・フィッシュ」という鰹節とよく似た乾燥食品を生産している。スリランカ等を含む周辺地域で料理の味つけに用いる。
ジョン・レノンは1975年、ビートルズ脱退後のソロ曲を集めたベストアルバム『ジョン・レノンの軌跡 シェイヴド・フィッシュ』(Shaved Fish)を出しているが、ここでの「シェイヴド・フィッシュ」とは鰹節の事だ、と言われる。鰹節のように多目的、との意味が込められているのである。
一説には「世界で最も堅い食品」とも呼ばれている。実際、かつては堅いものの代名詞であった。
昭和中期までに子供時代を過ごした人々の多くは、叩いて楽器代わりにしたり、いたずらで友達や兄弟の頭を叩いたりしては「食べ物を粗末に扱うな」と怒られた経験があるという。