台湾団結連盟
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中華民国(台湾)の政党 台湾団結連盟 台灣團結聯盟(Taiwan Solidarity ) |
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主席 | 黄昆輝 |
成立年月日 | 2001年7月31日 |
所在地 | 台北市中正区館前路65號9樓 |
立法院 | 0 / 113 (2008年1月) |
党員・党友数 | 約15,000 (2005年) |
公式サイト | 台灣團結聯盟 |
国際組織 | 未加盟 |
台湾団結連盟(たいわんだんけつれんめい、中:台灣團結聯盟、ピンイン:Táiwān tuánjié liánméng)は、台湾の政党。主席は黄昆輝(第3代)。
2001年、李登輝を支持する国民党台湾本土派の立法院委員(国会議員)が離党して結成。国家アイデンティティや対中関係では民進党と似た「台湾本土・主体性」を強調し、台湾独立派右派政党と見做されていた。しかし、黄昆輝が主席になってからは、「中道左派」へと軸足を移し始めている。
目次 |
[編集] 概要
初代主席となった黄主文は、李登輝政権時代の内政部長(内相)。李登輝は台連の精神的指導者となった。「台湾優先」を原則に、政局の安定、経済の振興、民主の強化、台湾の壮大化、を掲げる。中国と台湾の関係を「中台併存」、李登輝の「国と国との関係」と認識する。また、独立か統一かという台湾の将来については、結党から2006年までは、台湾人の民主的な投票によって決定するとし、陳水扁の民進党とは友党関係にあった。2001年12月の立法委員選挙で13議席を獲得、閣外協力の形で(ただし政策協定などはないため、連立与党とはいえない)、陳水扁政権を強力にバックアップすることになった。当初は、台湾団結聯盟が国民党の支持基盤を切り崩す役割を担い、民進党との共存が図られていた。だが、2004年12月の立法委員選挙において議席の増加を果たせず、むしろ与党民進党と票を奪い合うライバル関係に変化した。また、台湾アイデンティティの追求をめぐる意見対立、あるいは選挙時には集票のため、対立関係は激化しつつある。
2005年4月4日、蘇進強以下党員数名が、日本の靖国神社を参拝した。参拝に当たって蘇主席は「台湾出身者も含めて、靖国神社に祀られているすべての英霊に敬意を表するために来た」と話した。
2006年12月の高雄市長選挙で同党候補が不振で、党勢も伸び悩んだことから、李登輝が「中道左派路線」への転換を主張。また、2007年10月になって突然、有力な立法委員2人を「民進党寄り」だとして除名。ところが、この除名決定は中央執行委員25人のうち10人あまりと定足数に満たないまま、黄主席の独断で決定されたことから、党内は動揺。「中道左派」路線を打ち出して以降、党本部に反陳水扁派や統一派が出入りし、政策決定に影響を与えている事実も、党関係者から暴露され、離党する立法委員が続出している[1]。2008年2月の立法院選挙では民進党と国民党の2大政党の争いに埋没し、小選挙区及び比例代表の両方で議席を獲得できず、壊滅的な敗北を喫した(第七回中華民国立法委員選挙参照)。
[編集] 歴代主席
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 黃適卓尹伶瑛促開除賴幸媛 否則退黨 自由時報2007年11月7日
[編集] 外部リンク
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