三杉磯拓也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三杉磯 拓也(みすぎいそ たくや、1956年5月11日 - )は青森県八戸市出身の元大相撲力士。花籠部屋所属(晩年に放駒部屋へ移籍)。最高位は前頭2枚目。本名は上沢 秀則。身長187cm、体重123kg。得意手は突っ張り、左四つ、寄り、上手投げ、突き落とし。現、年寄峰崎。
目次 |
[編集] 来歴
1971年3月場所中学在学中(当時は認められていた)に初土俵。胴長で下半身の発達した相撲向きの体型に加え、稽古熱心さで早くから注目された。1976年11月場所新十両、そして1977年11月場所で新入幕を果たした。当時は蔵間や出羽の花と並ぶ美男力士として人気があり、1979年9月場所には北の湖と三重ノ海から2日連続で金星を獲得したこともある(ただし、金星はその2個で終わってしまった)。突っ張って左四つからの寄り、投げに威力があったが、消極的な性格が災いして、上位ではなかなか勝てず、下位での大勝ちもなく、結局三賞・三役とも手が届かなかった。晩年には兄弟子であり部屋を継いでいた輪島の不祥事に伴い部屋を移籍した。
1986年9月場所限りで引退。部屋付きの親方を経て、独立して峰崎部屋を興した。独立直後に実弟が入門したが、三段目止まりで終わった。師匠としては、いわゆる「たたき上げ力士」の育成に特に力を入れているが、現在に至るまで関取は一人も出していない。
[編集] 主な成績
- 幕内在位:35場所
- 幕内成績:233勝287敗5休
- 金星:2個(北の湖、三重ノ海)
[編集] 改名歴
- 上沢(1971年3月の初土俵から1976年7月まで)
- 三杉磯(1976年9月から1981年3月まで)
- 東洋(あずまなだ)(1981年5月から1984年1月まで)
- 三杉磯(1984年3月から1986年9月の引退まで)
[編集] その他のエピソード
子供の頃からの鉄道ファンであり、鉄道模型製作を趣味としている。現役時代には鉄道ファン向けの雑誌等の取材も受けている。
[編集] 関連項目
|
|
---|---|
斜体は部屋付き親方、 (1) は一代年寄、 (G) は現役名年寄 | |
出羽海一門 | 出羽海・稲川・出来山・山科・高崎・中立・関ノ戸 | 武蔵川・武蔵丸 (G) ・藤島・山分・大鳴戸 | 境川 | 田子ノ浦 | 春日野・岩友・二十山・竹縄 | 玉ノ井・栃東 (G) | 入間川・若藤 | 千賀ノ浦 | 三保ヶ関・清見潟・待乳山 | 北の湖 (1) ・山響 | 木瀬 | 尾上 |
二所ノ関一門 | 二所ノ関・北陣・湊川・富士ヶ根 | 大嶽・楯山・二子山 | 阿武松 | 佐渡ヶ嶽・秀ノ山・粂川・白玉・浜風・浅香山 | 尾車・不知火・押尾川 | 片男波 | 間垣 | 鳴戸・西岩 | 松ヶ根 | 荒磯 | 花籠 | 貴乃花 (1) ・音羽山・常盤山 | 放駒 | 峰崎 | 芝田山 |
時津風一門 | 時津風・枝川・錦島 | 湊・立田川 | 式秀 | 荒汐 | 伊勢ノ海・勝ノ浦・甲山 | 鏡山・立川 | 井筒 | 陸奥・立田山・小野川 | 錣山 |
高砂一門 | 高砂・振分・大山・若松 | 東関 | 中村 | 錦戸 | 九重・佐ノ山 | 八角・君ヶ濱・谷川・陣幕 |
立浪一門 | 立浪・雷 | 大島 | 追手風・中川 | 伊勢ヶ濱 | 高島 | 宮城野・熊ヶ谷・安治川 | 友綱・武隈・玉垣 | 春日山 | 桐山・浦風 | 朝日山 |
無派閥 | 高田川・千田川 |
この「三杉磯拓也」は、相撲に関連した書きかけ項目です。記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています(PJ相撲)。 |