年寄名跡
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年寄名跡(としよりめいせき、みょうせき)とは、日本相撲協会の「年寄名跡目録」に記載された年寄の名称であり、俗に年寄株、親方株とも呼ばれる。年寄名跡は、日本相撲協会の役員になったり、相撲部屋を作り弟子を養成するために必要な資格である。
なお本項とともに、「年寄」の項も併せて参照されたい。
目次 |
[編集] 襲名条件
年寄名跡を襲名するには、日本国籍を有するとともに、以下の条件がある。
次のいずれかの条件を満たすこと:
- 横綱または大関
- 三役(小結以上)1場所以上
- 幕内通算20場所以上
- 十両と幕内通算30場所以上
ただし例外として、相撲部屋継承者と承認された場合には、次のいずれかの条件が適用される:
- 幕内通算12場所以上
- 十両と幕内通算20場所以上
空き名跡がない場合の優遇措置として次のものがある:
- 横綱は年寄として五年間在籍
- 大関は年寄として三年間在籍
年寄名跡は一人で複数所有することはできない。ただし一代年寄に限っては、一代年寄名跡とそれ以外の年寄名跡を一つ所有することができる。
[編集] 年寄名跡一覧
一代年寄を除く年寄名跡の定数は105家である。各名跡の読み方や詳細についてはそれぞれの記事を、現在の襲名者については「現役年寄一覧」を参照。
[編集] 一代年寄
- 功績顕著の一代年寄
一代年寄とは、現役時代の功績が著しかった横綱が引退した際、日本相撲協会の理事会がその横綱一代に限って認める特別な年寄名跡で、名称には引退時の四股名がそのまま用いられる。
過去に功績顕著として一代年寄の襲名が認められた横綱には、大鵬、北の湖、千代の富士、貴乃花がいる。千代の富士は満場一致で承認されたが、千代の富士本人が「部屋の名前は一代限りで無く末永く続くものにしたい」と辞退し、年寄・陣幕を襲名している(後に九重)。
通常ただ「一代年寄」というと、一般にはこの「功績顕著の一代年寄」のことを指す。
- 期間限定の一代年寄
引退時に年寄名跡を取得していない横綱や大関に、横綱五年・大関三年の期間を限って、現役時の四股名のまま年寄の資格を認める制度がある。
これも制度上は一代年寄だが、通常は上記の一代年寄と区別するため「現役名年寄」「期間限定の年寄」などと呼ばれることが多い。
- 横綱特権の一代年寄(過去)
過去には、横綱になればその後の成績にかかわらず、引退後に自由に一代年寄を襲名したり返上したりすることができる時代があった。名称には引退時の四股名をそのまま用いる者もいれば、新たな名称を創作する者もおり、その点についても横綱の自由だった。
この最後の例は吉葉山である。
[編集] 現在の一代年寄
年寄名 | 横綱・大関 | 経歴 |
---|---|---|
功績顕著 | ||
北の湖敏満 きたのうみ としみつ |
第55代横綱 | 第九代日本相撲協会理事長 |
貴乃花光司 たかのはな こうじ |
第65代横綱 | |
横綱五年 | ||
武蔵丸光洋 むさしまる こうよう |
第67代横綱 | 期限は2008年11月15日 |
大関三年 | ||
栃東大裕 とちあずま だいすけ |
大関 | 期限は2010年5月6日 |
[編集] 過去の一代年寄
年寄名 | 横綱・大関 | 経歴 |
---|---|---|
功績顕著 | ||
大鵬幸喜 たいほう こうき |
第48代横綱 | 2005年5月28日定年退職 |
横綱特権 | ||
鬼面山谷五郎 きめんざん たにごろう |
第13代横綱 | 1871年9月7日死去 |
梅ヶ谷藤太郎 うめがたに とうたろう |
第15代横綱 | →雷 |
男女ノ川登三 みなのがわ とうぞう |
第34代横綱 | 1945年6月廃業 |
双葉山定次 ふたばやま さだじ |
第35代横綱 | →時津風 |
羽黒山政司 はぐろやま まさじ |
第36代横綱 | 二枚鑑札で5代立浪 |
千代の山雅信 ちよのやま まさのぶ |
第41代横綱 | →九重 |
鏡里喜代治 かがみさと きよじ |
第42代横綱 | →粂川→立田川→時津風→立田川→二十山 |
吉葉山潤之輔 よしばやま じゅんのすけ |
第43代横綱 | →宮城野 |
横綱五年 | ||
朝潮太郎 あさしお たろう |
第46代横綱 | →振分→高砂 |
栃ノ海晃嘉 とちのうみ てるよし |
第49代横綱 | →中立→春日野→竹縄 |
若乃花幹士 わかのはな かんじ |
第56代横綱 | →間垣 |
北勝海信芳 ほくとうみ のぶよし |
第61代横綱 | →八角 |
大乃国康 おおのくに やすし |
第62代横綱 | →芝田山 |
旭富士正也 あさひふじ せいや |
第63代横綱 | →安治川→伊勢ヶ濱 |
曙太郎 あけぼの たろう |
第64代横綱 | 2003年11月依願退職、プロレスラーに転向 |
[編集] 準年寄
1998年5月1日、協会はそれまで問題になっていた年寄名跡の貸借と複数所有を禁止する措置をとった。その一方で、年寄名跡取得資格がありながら取得が叶わず、しかし親方として協会には残りたいという元関取を救済するための措置がとられた:
- 同日の時点で年寄名跡を借りている者や複数所有している者に対しては向こう五年間を限って現状の維持を認めた。
- 年寄名跡の取得資格を、従来の「幕内全勤1場所以上・十両で連続25場所以上・通算で30場所以上、のいずれか」から「三役1場所以上・幕内で20場所以上・幕内十両通算で30場所以上、のいずれか」と緩和した。
- それまで「横綱五年」のみが認められていた期間限定の現役名年寄に、「大関三年」と「関脇以下二年」を追加した。
ただし「関脇以下二年」の年寄については、定員を10名と限る、役員選挙での投票権は与えないなど、いくつかの制約を設けて差別化した。これが「準年寄」である。
しかしこの新制度をもってしても年寄名跡の貸借は後が絶えなかった。二年という短い期限内に年寄名跡を取得することは至難の業で、期間満了が迫った準年寄は軒並み所有者から名跡を借りうけて年寄を襲名したのである。やがて所有者の名義変更は届け出るが本当の所有者は違う「名義貸し」までもが復活、貸借禁止は2002年初め頃までには有名無実化してしまった。これを受けて協会の理事会は2002年9月3日に年寄名跡の貸借禁止を解除することを決定。またこれと同時に準年寄の限定期間を一年に短縮、定員も5人に縮小した。
ところが期限が一年になったことで、逆に期間満了が目前に迫った準年寄が年寄名跡を滑り込みで借りて年寄を襲名する事例が目立つようになった。このため協会は準年寄制度の意義はもはや消失したとして、2006年12月21日にその廃止を決定した。ただしこの時点で準年寄だった4名(闘牙、隆の鶴、金開山、春ノ山)にはそれぞれの在籍期間が満了するまで準年寄としての地位を引き続き認めた。最後の準年寄となった春ノ山は期間満了が5日後に迫った2007年11月25日、栃乃洋泰一が所有する年寄名跡を借りて年寄・竹縄を襲名。準年寄の短い歴史がここに終わった。
なおこの制度下の10年で準年寄になった者は21名を数えるが、このうち期間満了までに年寄名跡を取得することも借りることもできずにやむなく退職したのは時津洋と琴龍の2名のみである。
[編集] 過去の準年寄
参考までに借り名跡には(借)を添えた。
準年寄名 | 引退時四股名 | 最高位 | 経歴 |
---|---|---|---|
三杉里 公似 みずぎさと こうじ |
三杉里公似 | 小結 | →浜風→2006年11月26日退職 |
小城乃花 昭和 おぎのはな あきかず |
小城乃花昭和 | 前頭2 | →高崎 |
久島海 啓太 くしまうみ けいた |
久島海啓太 | 前頭1 | →田子ノ浦 |
旭豊 耐治 あさひゆたか たいじ |
旭豊勝照 | 小結 | →立浪 |
大翔鳳 昌巳 だいしょうほう まさみ |
大翔鳳昌巳 | 小結 | 1999年12月4日病死 |
時津洋 宏典 ときつなだ ひろのり |
時津洋宏典 | 前頭4 | 2001年9月30日任期満了により退職 |
巌雄 謙治 がんゆう けんじ |
巌雄謙治 | 前頭1 | →小野川 (借)→山響 |
琴錦 功宗 ことにしき かつひろ |
琴錦功宗 | 関脇 | →若松 (借)→竹縄 (借)→浅香山 (借) |
敷島 勝盛 しきしま かつもり |
敷島勝盛 | 前頭1 | →立田川 (借)→富士ヶ根 (借)→錦島 (借)→小野川 (借) |
智ノ花 伸哉 とものはな しんや |
智乃花伸哉 | 小結 | →浅香山 (借)→玉垣 |
朝乃翔 一 あさのしょう はじめ |
朝乃翔一 | 前頭2 | →若松 (借)→佐ノ山 (借)→関ノ戸 (借)→押尾川 (借)→若藤 (借) →2008年1月24日退職 |
大至 伸行 だいし のぶゆき |
大至伸行 | 前頭3 | →2003年6月18日依願退職、タレントに転向 |
若ノ城 宗彦 わかのじょう むねひこ |
若ノ城宗彦 | 前頭6 | →西岩 (借)→2007年5月30日退職 |
大碇 剛 おおいかり つよし |
大碇剛 | 前頭11 | →甲山 |
琴龍 宏央 ことりゅう ひろお |
琴龍宏央 | 前頭1 | 2006年4月30日任期満了により退職 |
燁司 大司 ようつかさ だいし |
燁司大 | 前頭11 | →二十山 (借) →若藤 (借) |
五城楼 昭二 ごじょうろう しょうじ |
五城楼勝洋 | 前頭3 | →浜風 |
金開山 龍水 きんかいやま りゅうすい |
金開山龍 | 前頭6 | →関ノ戸 (借) |
闘牙 進 とうき すすむ |
闘牙進 | 小結 | →佐ノ山 (借) |
隆の鶴 伸一 たかのつる しんいち |
隆の鶴伸一 | 前頭8 | →西岩 (借) |
春ノ山 竜尚 はるのやま たつなお |
春ノ山竜尚 | 前頭10 | →竹縄(借)→2008年1月24日退職 |
[編集] 過去に存在した年寄名跡
[編集] 東京相撲
1927年(昭和2年)の東西合併前には、東京相撲の年寄定員は88家と定められていた。そのうち現存するのは85家、返上または廃止されたのは3家である。
- 根岸治右衛門(ねぎし じえもん)
- 根岸流相撲字の家元としての年寄名跡で代々根岸家が継承したが、1952年(昭和27年)に10代目(本名:根岸 眞太郎、1910年4月10日 - 2005年12月18日)が相撲協会へ名跡を返上した。その折の家元の要望で力士への譲渡は行われず、現在に至っている。
- 木村庄之助(きむら しょうのすけ)
- 行司名でもある木村庄之助は、かつては年寄名跡であった。
- 式守伊之助(しきもり いのすけ)
- 行司名でもある式守伊之助は、木村庄之助同様かつては年寄名跡であった。一時、年寄・永浜を名乗った時もある。
[編集] 大阪相撲
東西合併時において大阪相撲から22家のうち17家が繰り入れられた。その後1929年(昭和4年)に荒岩と鏡山の2家が廃家となり、1943年(昭和18年)に5家が追加復活した。
- 荒岩
- 一代限りで1929年に廃家
- 鏡山
- 一代限りで1929年に廃家
[編集] 大阪相撲の年寄名跡
大正末年まで存在した大坂相撲では、東京相撲の年寄にあたる地位を頭取(とうどり)と呼んだ。頭取は力士経験者が襲名するのが原則であったが、時には侠客が襲名することもあった。1927年(昭和2年)の東西合同時における大阪相撲の年寄名跡は、全部で22家であった。
- 東西合併時の年寄名跡一覧
- 荒岩(1929年限りで廃家)
- 朝日山
- 猪名川(東西合併時に廃家、1943年に安治川と改名して復活)
- 岩友
- 枝川
- 藤島(東西合併時に廃家、1943年に大島と改名して復活)
- 大鳴戸
- 押尾川
- 小野川
- 鏡山(1929年限りで廃家)
- 北陣(東西合併時に廃家、1943年に復活)
- 不知火(東西合同時に廃家、1943年に復活)
- 陣幕
- 千田川
- 高崎
- 高田川
- 竹縄
- 時津風
- 中村
- 西岩(東西合併時に廃家、1943年に復活)
- 湊
- 三保ヶ関