栃栄篤史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
栃栄 篤史(とちさかえ あつし、本名:岡本 篤(おかもと-)、1974年6月27日 - )は、佐賀県佐賀郡富士町(現在の佐賀市、出生地は東京都中野区)出身で春日野部屋所属の元大相撲力士。身長183cm、体重155kg。得意技は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(2001年1月場所)。趣味は演劇鑑賞、釣り、アウトドア。血液型はB型、愛称はアツシ。現、年寄・竹縄。
目次 |
[編集] 来歴
埼玉栄高校出身で、高校横綱にもなった。また、史上初の大学に進学しなかった高校横綱でもある。高校時代、当時の幕下付出基準である全日本相撲選手権大会ベスト16に進出し物議をかもしたが、幕下付出は20歳以上という下限を設けたことで決着した。
栃ノ巌の四股名は「怪我が多いので体が丈夫になるように」との願いを込めて名づけられた。しかし、その四股名の頃は、願いとは裏腹に関取に昇進しても怪我で15日間皆勤せず、幕下に陥落することを繰り返した。だが、栃栄の四股名になってからは、徐々に力をつけ幕内に定着するようになった。栃栄の四股名は母校である埼玉栄高校に因んだもの。しかし2006年1月場所を最後に幕内から遠ざかった。その後は十両上~中位の往復が続いていたが、2007年5月場所では、西十両3枚目の位置で10連敗した後に怪我で休場したため、7月場所では幕下に陥落した。その後も十両復帰を目指していたが、2008年1月場所で西幕下筆頭で負け越したことで現役を引退した。今後は年寄竹縄を襲名し後進の指導に当たる。 基本的に突き押し一辺倒が持ち味であり、四つ相撲は全くの不得意であった。
[編集] 略歴
[編集] 主な成績
- 通算成績:480勝423敗86休(91場所) 勝率.532
- 幕内成績:149勝188敗53休(26場所) 勝率.442
- 各段優勝:十両2回(2003年3月場所、2005年5月場所)、幕下1回(1994年7月場所)、三段目2回(1993年9月場所、1999年9月場所)、序二段1回 (1993年5月場所)
[編集] 改名歴
- 岡本(おかもと)1993年1月場所~11月場所
- 栃ノ巌(とちのいわ)1994年1月場所~1995年9月場所
- 岡本(おかもと)1995年11月場所~1998年1月場所
- 栃ノ巖(とちのいわ)1998年3月場所~1998年11月場所
- 栃栄(とちさかえ)1999年1月場所~2008年1月場所
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
|
|
---|---|
斜体は部屋付き親方、 (1) は一代年寄、 (G) は現役名年寄 | |
出羽海一門 | 出羽海・稲川・出来山・山科・高崎・中立・関ノ戸 | 武蔵川・武蔵丸 (G) ・藤島・山分・大鳴戸 | 境川 | 田子ノ浦 | 春日野・岩友・二十山・竹縄 | 玉ノ井・栃東 (G) | 入間川・若藤 | 千賀ノ浦 | 三保ヶ関・清見潟・待乳山 | 北の湖 (1) ・山響 | 木瀬 | 尾上 |
二所ノ関一門 | 二所ノ関・北陣・湊川・富士ヶ根 | 大嶽・楯山・二子山 | 阿武松 | 佐渡ヶ嶽・秀ノ山・粂川・白玉・浜風・浅香山 | 尾車・不知火・押尾川 | 片男波 | 間垣 | 鳴戸・西岩 | 松ヶ根 | 荒磯 | 花籠 | 貴乃花 (1) ・音羽山・常盤山 | 放駒 | 峰崎 | 芝田山 |
時津風一門 | 時津風・枝川・錦島 | 湊・立田川 | 式秀 | 荒汐 | 伊勢ノ海・勝ノ浦・甲山 | 鏡山・立川 | 井筒 | 陸奥・立田山・小野川 | 錣山 |
高砂一門 | 高砂・振分・大山・若松 | 東関 | 中村 | 錦戸 | 九重・佐ノ山 | 八角・君ヶ濱・谷川・陣幕 |
立浪一門 | 立浪・雷 | 大島 | 追手風・中川 | 伊勢ヶ濱 | 高島 | 宮城野・熊ヶ谷・安治川 | 友綱・武隈・玉垣 | 春日山 | 桐山・浦風 | 朝日山 |
無派閥 | 高田川・千田川 |