Dir en grey
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Dir en grey(DIR EN GREY) | |
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基本情報 | |
別名 | ディル、灰銀 |
出身地 | 日本 |
ジャンル | ロック ハードロック ハードコア スクリーモ |
活動期間 | 1997- |
レーベル | FREE-WILL (1997〜1998) eastwest japan (1999〜2000) Fire Wall Division (2000〜) |
公式サイト | Dir en grey Official site |
メンバー | |
京 Voice. (Vo.) 薫 G. Die G. Toshiya B. Shinya Dr. |
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Dir en grey/DIR EN GREY(ディル・アン・グレイ)は、日本のロックバンド。
目次 |
[編集] 概要
Dir en greyの意は、「Dir」はドイツ語で「銀貨」、「en」はフランス語で「〜の」、「grey」は英語で「灰色」を合わせ、“灰色の銀貨”という意味であるとされている[要出典][1]
言葉そのものの意味よりも、発音したときの響きが良かったからつけたというのが理由だと語っている[要出典]。略称は頭部分をとって“Dir (ディル)”としたものや、和訳を略した「灰銀」が用いられることが多い[要出典]。また、シングル『凌辱の雨』、アルバム『THE MARROW OF A BONE』やアメリカでの表記は大文字でDIR EN GREYとなっている。
Dir en greyのファンのことは初期の楽曲タイトルから「虜」と呼ばれる[要出典]。
1999年のデビュー以後もハードメイクで活動してきた彼らであったが、近年の海外進出(詳細は後述)を機にメイクやファッションはシンプルになりつつある。
楽曲はハードコア、ミクスチャー・ロック等をベースに数々のオリジナルなテイストを盛り込んでいる。また、ヴォーカルの京はデスボイスやデスボイスに近いシャウト、ファルセットを多用する。
作詞は全て京が行っている。作曲については薫がメインではあるが全員で行っている。アルバム『VULGAR』以降は全ての作曲のクレジットが「Dir en grey」と表記されている。これは原案の曲をレコーディング中にメンバー同士で話し合いながらさらに変化させていくスタイルをとっているためと答えている[要出典]。
[編集] メンバー
- 京都府出身、血液型B型。身長160cm
- 途中クレジットの変更があるが、パートとしては一貫してボーカルである
- ex.(黒夢のローディー→ALBATROSSローディ→月蝕(殀磨)→ぷよぷよ→Visun(殆磨)→Masquerade→La:Sadie's→Dir en grey)
- 兵庫県出身、血液型A型。身長170cm
- ex.(CHARM→La:Sadie's(kaoru)→Dir en grey)
[編集] 概説
[編集] 結成〜メジャーデビュー
1996年、元PhantasmagoriaのベーシストKISAKIを中心にLa;Sadie's(Toshiya以外の4人のメンバーが在籍)が結成される。事実上、Dir en greyの前身と言われるが、京は「あくまで再結成する気はなく解散したから」と否定している。1年の活動期間を経て解散[要出典]。その後再び京、薫、Die、Shinyaの4人が集まり、Bassに新たにToshiyaを加え、「人間の弱さ、あさはかさ、エゴが原因で引き起こす現象により、人々が受ける様々な心の痛みを世に広める」という意志の元、1997年に大阪で結成。
その後すぐに、ヴィジュアル系創世記に東のX、西のCOLORと言われた[要出典]2大バンドの一方、COLORのボーカリスト、DYNAMITE TOMMYに見出され、彼とイーストウエスト・ジャパンが仕掛けたメジャー発のインディーズ系新レーベル「ソルフィンステレ」でインディーズデビュー。
初期の頃は、ボーカルの京自身が黒夢のローディーを経験した(リスペクトもしていた)こともあり、黒服に金髪というファッションや化粧の仕方、パフォーマンス等に黒夢の影響を強く受けていた(この件で雑誌上で清春と対談もしている)。また、他のメンバーも、X JAPANやLUNA SEAなどそれぞれ1990年代初頭の創生期のヴィジュアル系バンドに影響を受けている[要出典]。
インディーズ時代のラストシングルとなる『-I'll-』がオリコンシングルチャートで最高7位に入るという快挙を成し遂げた[要出典][2]。さらに、インディーズバンド初の日本武道館単独ライブを行い、これを成功させた[要出典]。
メジャーデビューの際にはX JAPANのYOSHIKIをプロデュースに迎えたことや、3枚のシングルを同時に発売したことが話題に[要出典]。この時発売した『ゆらめき』『残-ZAN-』『アクロの丘』はそれぞれオリコンで5,6,7位を記録。『ミュージックステーション』に出演し『残-ZAN-』を演奏した。しかしセットに逆さに吊った人や壁に埋め込まれた人の演出や選曲もあり番組終了後に視聴者、特に子供を持つ主婦などから苦情が寄せられた[要出典]。
初期にはプロデューサーとしてニューヴォーグのCHIKA、X JAPANのYOSHIKI、ホッピー神山、COLORのTATSUYA、元D≒SIREでJILSのYUKIYA等を迎えたが、『MACABRE』以降はセルフプロデュースとなっている。またCDの製作、販売、流通、コンサートの運営などに関してはフリーウィルと契約して以来、エグゼクティヴ・プロデューサーのDYNAMITE TOMMYが統括している。
[編集] 『MACABRE』以降
『MACABRE』以降はそれ以前の綺麗系ヴィジュアルではなく、ホラー映画の様なメイクや演出を行っている。音楽面でも単なるロックのみならず、ミクスチャー音楽やハードコアパンク、和風なテイストも取り入れた[要出典]。また、ヴィジュアル面においても、メジャーデビュー以降、あまりメイクをしなくなったり、曲調もポップな路線に変更していくヴィジュアル系バンドが多く現れる中で、彼らは曲のコンセプトに合わせた奇抜なファッションをしていた。
先にも述べたが、PVに関してもグロテスクな表現を多用したものが多く、レコード会社EastWestJapanやソニーミュージックから規制がかけられたものもあった。2004年に起きたKLACK事件では一部の人間[要出典]によって“こういう過激な表現が若いミュージシャンに過激な行為を誘発する”と彼らのPVが引き合いに出されてしまう[要出典]こともあった。映像規制をかけられた代表的なものには、『VULGAR』に収録されている『OBSCURE』や、『Withering to death.』に収録されている『朔-saku-』などがある。これらのPVのノーカットバージョンはフリーウィルから直接発売されたPV集AVERAGE PSYCHOにて視聴できる。
京はステージでは「リストカット」(鬼葬)「体中を引掻き血を流す」(鬼葬~)「自ら頬を殴り吐血」(VULGAR)「歌いながら自慰的行為」(VULGAR)「口の中を引っ掻き吐血」(Withering to death.~この頃からメンバー全員がすっぴんで活動するようになった。)などのパフォーマンスを行う。また、バンドの活動を通して幾度も怪我や病気にかかっている[要出典]。セカンドアルバム『MACABRE』発売後のツアー中に突発性難聴を患いツアーを中断(これ以降に発表された曲の歌詞からこの件が以降の音楽性の変化の一因になっていることが分かる[要出典])、その後も急性扁桃炎などの体調不良で日程が延期になっている。
[編集] 海外進出
Dir en greyは日本国内のみならず、アジアや欧米でも活動している。2002年には東アジア4カ国7公演(上海、香港、台湾、韓国など)を含む「列島激震行脚」と題したアジアツアーでのべ10万人を動員した[3]。ヨーロッパでは、以前よりアルバムがドイツ・フランスで各3万枚の売上を記録しており[4]、2005年に欧州最大級のロックフェスティバル「Rock am Ring」、「Rock im park」への出演を果たし[5]、フィンランドの公式ヒットチャートで、アルバム『Withering to death.』がランクイン[6][7]、シングル『CLEVER SLEAZOID』が初登場15位から10位にランクイン[7]するなどしている。
同様にドイツでは同アルバム(『Withering to death.』)がチャートで7位にランクインした[要出典]。2006年5月にはアルバム『Withering to death.』がビルボードチャートで42位にランクイン(これは日本人としてはラウドネスのアルバム『LIGHTNING STRIKES』(ビルボード・アルバム・チャートで64位)に次ぐ。)し[8]、Amazon.comでは『2006年に最も売れたハードロック/メタルアルバムトップ10(Top 10 Hard Rock & Metal albums of 2006)』に入った[9]。これを引っさげ全米デビュー。そのデビューに先駆けたアメリカでのライブは5000人クラスのライブ会場をソールドアウトさせている[要出典]。
2度目の欧州ツアーの幕開けとなった同年5月には、その最初の舞台としてベルリンのコロムビアハッレでワンマンライブを行い、欧州や米国のアーティストでもなかなか満員にすることができないこの会場を2階席まで満員にし、2年連続となるこの舞台でのライブを大盛況のうちに成功させている。[6]
2006年06月18日に放送された「カウントダウンTV」の中で、「世界に通用する日本のアーティストベスト10」の第2位にランキングされた。
2006年8月、アメリカのミクスチャーロックバンド・Kornが主催する北米ツアー「THE FAMILY VALUES TOUR」へ参戦[10]。そのKornのヴォーカル、ジョナサン・デイヴィスはDir en greyについて“日本から来た最高にクレイジーでサイコティックなバンド”と絶賛した[11]。同年10月にはへヴィメタルフェス「LOUD PARK 06 」に出演。
2006年11月には「Dir en grey史上最狂の曲」との売り込みで『Agitated Screams of Maggots』を発売し、またアメリカでは、大手音楽専門チャンネルMTVの人気番組『ヘッドバンガーズ・ボール』で、2005年に新設された視聴者が選定するPV音楽賞(HEADBANGERS BALL PV 2006)に、Dir en greyの『朔-saku-』(2004年発売)のプロモーションビデオが日本のロックバンドの作品として初めてノミネートされ、グランプリを獲得した[12]。
[編集] 2007年〜
この年からは特に世界各国での活動が顕著となり、連合王国、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、オランダ、スイス、ポーランド、合衆国、そして日本など、一日刻みの過密日程で世界中でライブを行うようになっていった。[13]
結成10年目となる2007年初頭に自らがヘッドライナーとしてアメリカを回るツアー「TOUR07 INWARD SCREAM」を敢行。また、アルバム『THE MARROW OF A BONE』を日本で2007年2月7日にリリース。アメリカでも2月20日にリリースされた同アルバムは、2007年3月10日付の米ビルボードのTop Heatseekersチャートで8位[14]、Top Independent Albumsチャートで21位にそれぞれランクインしている[15]。
6月6日より「THE FAMILY VALUES TOUR」で共演したDEFTONESとともにゲストとして全23公演を行う全米ツアーを展開。約1ヶ月間で23公演というこのツアーでは、合流してから7連続公演を行い、1日間を挟んで4日連続でまたライブをするといったハードな内容であった。同年8月には初のヨーロッパ・ツアーを展開。イギリスでの単独公演をはじめ、8月4日、ドイツのハンブルク近郊で開催された世界最大規模のヘヴィ・メタル・フェス、「WACKEN OPEN AIR」にも出演した。[16]
5月13日放送のラジオ「THE MARROW OF A Dir en grey」ではDieが、年内に日本でツアーを行うことを明言したとおり、先日今年2度目の日本国内ツアー「TOUR07 DOZING GREEN」を9月から行った。このツアーでは11月に再び渡欧、2度目のヨーロッパツアーを敢行している。帰国後はアメリカのロックバンド、LINKIN PARKの日本公演にスペシャルゲストとして参加(11月23、24日のさいたまスーパーアリーナ公演のみ)[17]。
12月には再び日本での3度目となるツアー、「TOUR07 THE MARROW OF A BONE」を行い、オープニングアクトとして、アメリカのロックバンド、10Yearsを迎えた[要出典]。
オリコン調べでは、ドイツ、アメリカ、アイルランドで日本のバンドと言えば、「Dir en grey」という答えが80%を占め[要出典]、アメリカグラミー賞の公式サイトでも紹介記事が掲載された。(日本人アーティストがグラミー賞で紹介されたのは喜多郎がグラミー賞を獲得した時以来である)[18]
2007年10月24日、21枚目となるシングル「DOZING GREEN」をリリースし、日本のオリコンチャートでは初のTOP3に入った。
2007年12月19日、Dir en grey初のベストアルバム「DECADE 1998-2002」「DECADE 2003-2007」をリリースした。
2008年2月7日、5月1日より「TOUR08 DEATH OVER BLINDNESS」を行うことが告知された。
2008年4月9日、イギリスのヘヴィ・メタル専門月刊誌『Metal Hammer』が主催するメタル音楽賞「METAL HAMMER GOLDEN GODS 2008」の最優秀インターナショナルバンド部門にノミネートされる。授賞式は6月16日にロンドンで開催[19]。
2008年5月4日に行われたhide追悼ライブイベント「hide memorial summit」に出演し、「THE IIID EMPIRE」等の自身の曲を演奏した他、hide作詞作曲の「Miscast」を熱唱した。
2008年9月10日、22枚目となるシングル「GLASS SKIN」をリリースする。
2008年6月12日、9月10日から年2度目となる全国ツアー「TOUR08 THE ROSE TRIMS AGAIN」を行うことが告知された。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] 脚注
- ^ 但し、実際にはドイツ語の「Dir」には銀貨という意味はなく、ドイツ語で銀貨を意味する単語は「Silbermünze」である。
- ^ それまでのランキング最高記録はXの『VANISHING VISION』の13位。これはアルバムである
- ^ 列島激震行脚final 2003 5 Ugly Kingdom - HMV Reviews
- ^ 世界に吹き荒れる!ショック・ロックの嵐 ディルアングレイワンマン・ライブ
- ^ ORICON STYLE 2006年06月06日
- ^ a b DIR EN GREY : Dir en grey、ベルリン・ワンマン公演のライヴ速報
- ^ a b Dir en grey - History - Global Oneness
- ^ 2006年5月24日付、米・ビルボード週間インディペンデント
- ^ Mitch Schneider Organization Dir En Grey
- ^ ORICON STYLE 2006年11月10日
- ^ A Tribute to Dir En Grey - Vulgarity
- ^ ZAKZAK 2007年1月5日
- ^ Dir en grey OFFICIAL WEB SITE * Tour info 2007
- ^ Top Heatseekers - The Marrow of a Bone - ビルボード
- ^ "Top Independent Album" (March 17, 2007). Billboard Magazine.
- ^ HMV 2007年6月1日
- ^ ZAKZAK 2007年9月12日
- ^ GRAMMY.com
- ^ 『Metal Hammer Golden Gods 2008』Metal Hammer 2008年04月9日
[編集] 関連項目
- ヴィジュアル系
- La;Sadie's
- KISAKI
- X JAPAN
- LUNA SEA
- ガゼット
- DYNAMITE TOMMY
- フリーウィル
- COLOR
- 蜉蝣
- 黒夢
- kein
- lynch.
- コーン (バンド)
- Deftones
- Fair to Midland
- Wednesday 13
[編集] 外部リンク
- Dir en grey Official site 公式サイト
- Free-Will web site 所属事務所フリーウィルの公式サイト
メンバー |
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京 - 薫 - Die - Toshiya - Shinya |
Single |
JEALOUS - -I'll- - ゆらめき - 残-ZAN- - アクロの丘 - Cage - 予感 - 脈 - 【KR】cube - 太陽の碧 - ain't afraid to die - FILTH - JESSICA - embryo - Child prey - DRAIN AWAY - かすみ - THE FINAL - 朔-saku- - CLEVER SLEAZOID - 凌辱の雨 - Agitated Screams of Maggots - DOZING GREEN |
Album |
MISSA - GAUZE - MACABRE - 改-KAI- - 鬼葬 - six Ugly - VULGAR - Withering to death. - THE MARROW OF A BONE |