高麗航空
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高麗航空 | |
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高麗航空のIl-62 | |
{{{caption}}} | |
各種表記 | |
チョソングル: | 고려항공 |
漢字: | 高麗航空 |
平仮名: (日本語読み仮名) |
こうらいこうくう |
片仮名: (現地語読み仮名) |
コリョハンゴン |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Air Koryo Korean Airways (Air Koryo) |
高麗航空(こうらいこうくう、コリョこうくう)は、朝鮮民主主義人民共和国の航空会社であり、同国のフラッグキャリアかつ唯一の民間航空会社である。
1993年までは朝鮮民航と呼称しており、他の「社会主義国」で見られた民間航空会社と民間航空行政が一体化した組織であった。またアジア諸国で唯一西側の航空機材を運用したことが無い。なお、同国に割り当てられた機体記号は「P」であるが、この機体記号をもつのも高麗航空だけである。
高麗航空 Air Koryo |
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IATA JS |
ICAO KOR |
コールサイン Air Koryo |
設立日 | 1955年 | |
ハブ空港 | 平壌国際空港 | |
保有機材数 | 20機 | |
目的地 | 5都市 | |
本拠地 | 朝鮮民主主義人民共和国平壌市 | |
代表者 | ||
ウェブ: http://www.korea-dpr.com/airkoryo.htm |
目次 |
[編集] 概要
[編集] 成り立ち
北朝鮮における航空事業はソ朝両国合弁によるSOKAOが1950年から行っていたが、朝鮮戦争終結後の1954年に朝鮮民航(CAAK)として設立、1955年9月21日から運航を開始した。当初はLi-2やAn-2、そしてIl-12といったソ連製双発レシプロ機を運航しており、1960年代になってIl-14やIl-18といったターボプロップ機が導入された。
また、近代化は大変遅く、最初のジェット機であるTu-154が導入されたのは1975年のことで、平壌とプラハ、東ベルリン、モスクワ線を開設した。またTu-154が中距離航空機であったため、途中シベリアのイルクーツクとノボシビルスクに着陸していた。こうした状況は長距離機材のIl-62が導入された1982年には解消し、そのときにはソフィア線も開設された。また国際航空運送協会に加盟したのは1977年のことであった。
朝鮮民航の国際路線は東西冷戦終結もあり、旧東側諸国への路線も大きく縮小した。1993年に、当時の元首である金日成によって高麗航空と名称を変更。外形的には会社の形態をとっているが現在も国営企業である。なお保有する旅客機は、2007年当時で最も新しい機体でも1990年に導入されたもので、機齢40年近いものもあり経年化(老朽化)していたが、長距離路線にも運用できる最新鋭機としてロシアからTu-204-300を購入することを決定し2008年2月23日に最初の機体を受領した[1]。近い将来営業路線に就航するとされている。
[編集] 「危ない航空会社」
前述のように保有機体の経年化が著しく、旧ソ連製でも旧式である。そのためか、フランスとドイツで行われた航空会社に対する安全検査で安全性の欠如が指摘され、高麗航空側が適切な対策を取ろうとしないとして、2005年8月26日に、フランス航空当局の安全強化措置により正式に、また他の欧州連合 (EU) においても「危ない航空会社」に指定され、フランスやイタリア、ドイツなどのEU諸国内の運航、航行禁止処置が取られている。安全のための一般基準すら満たしていないとされている[2]。この措置のため、EU加盟国に囲まれた永世中立国スイスへ飛行することも事実上できなくなった。
[編集] コードデータ
便名の頭につく、航空会社をあらわすアルファベット2文字(IATA航空会社コード)は、高麗航空については「JS」が用いられる。これは、「朝鮮」を朝鮮語で読んだ「チョソン (Jo Sŏn) 」のイニシャルに由来している。高麗航空がかつて「朝鮮民航 (Choson-Minhang, Korean Airways)」と呼ばれていたころの名残である。
- IATA航空会社コード:JS
- ICAO航空会社コード:KOR
- コールサイン:Air Koryo
[編集] 運航路線
[編集] 国際定期路線
路線は北朝鮮の首都の平壌を中心に、中華人民共和国の瀋陽、北京に週3往復、ロシアのウラジオストク、ハバロフスクに週2往復の定期便を運行している。また、韓国にも、ソウルをはじめ必要に応じてチャーター便が運行される。また、かつてはモスクワ、ソフィア(モスクワ経由)、ベルリン(モスクワ経由)、マカオ線も運行していた。以前から日曜日には全く運航便がなく、全保有機が本拠地の順安空港で1日中休んでいる。
[編集] 国際チャーター運航
2002年の釜山でのアジア大会、および2003年の大邱でのユニバーシアードに来訪し話題となった北朝鮮の「美女応援団」の往来に際しても、高麗航空がチャーター便を運行し、彼女らの足を担った。日本にも、かつて年に1~2回、名古屋空港(現在の名古屋飛行場)と新潟空港にチャーター便が乗り入れ、在日コリアン(在日朝鮮人)の往来やマツタケの輸入、日本人観光客の輸送に活用されていたが、乗り入れ機材のTu-154が空港の騒音基準に適合しなくなったため、2002年以後は一度も乗り入れていない。なお、新東京国際空港(現在の成田国際空港)へは、1985年に行われたユニバーシアード神戸大会へ選手団を送るためIL-62による特別便を運航したのが唯一である。
2006年11月22日、12月1日、12月10日の計3回にわたり、初めて平壌~大連間のチャーター便を運行した。これは、主に朝鮮総聯関係者を乗せるために運行したと説明し、現時点では再運行の予定は無いようである。
[編集] 国内定期路線
民間人の自由な国内の往来が許されていない上に、経済的に困窮していることもあり、国内線の運航は諸外国の航空会社の国内線とは比べ物にならないほど少ない。また国内線にはターボプロップ機が使用されているといわれているが、詳細は不明である。
[編集] 保有機種
政治的、財政的な理由からボーイング社やエアバス社など旧西側諸国の製造する最新鋭の機体を導入できない。そのため、現在に至るまでアジア諸国で唯一西側旅客機を運航したことはない。旧ソ連製のツポレフTu-154やイリューシンIl-62、ツポレフTu-134など、いずれも1960年代から1970年代に開発された旧式の機体で占められていたが、前述の通り近年になってロシア製の最新鋭機、ツポレフTu-204が導入された。
2007年3月現在の保有機
確認されている機体番号:P-532,533
確認されている機体番号:P-881,885,618,882
- イリューシン Il-76MD 3機(1990年導入、貨物専用機)
確認されている機体番号:P-912,913,915
確認されている機体番号:P-813,814
- ツポレフ Tu-154B 3機(1975-77年導入)
- ツポレフ Tu-154B-2 1機(1983年導入)
確認されている機体番号:P-552,553,561
- ツポレフ Tu-204(2007年12月27日に1機を受領、2008年導入)
確認されている機体番号:P-632[3](現在運用についている機体かどうかは不明)
現在発注中の機体
- ツポレフ Tu-204 1機発注中
[編集] サービス
[編集] 機内サービス
国際線においては現在、エコノミークラスとファーストクラス(事実上ビジネスクラス)の2クラスで運航されている。なお、機内食や飲み物、免税品販売などのサービスは行われているが、映画の上映や音楽チャンネル、個人用テレビや機内誌などのサービスは提供されていない。なお、地上駐機中は機内のエアコンが切られているために、ブランドロゴ入りのうちわが提供される。
[編集] その他のサービス
諸外国の航空会社では多く行われているようなインターネットによるオンライン予約やマイレージサービス、他の航空会社とのコードシェア便の運行なども行われていない。なお、インターネットによるオンライン予約はできないものの、一部の海外事務所、支店にはメールアドレスが設定されている。
[編集] 海外事務所、支店
- 北京
- 瀋陽
- マカオ
- バンコク
- モスクワ
- ウラジオストク
- ハバロフスク
[編集] 日本総代理店
- 株式会社中外旅行社
[編集] 事故
前身の朝鮮民航および高麗航空は、これまでにも複数の航空事故を起こしていると見られている。しかし、かつての社会主義国と同様に事故を公式に認めたことはないため、詳細は不明である。
朝鮮日報の報道[7]によれば、1970年以降に北朝鮮国内で次のような多数の死傷者を出す事故を起こしたとしているが、詳細は不明である。
- 1970年8月 旅客機が墜落、搭乗者全員死亡
- 1970年代? 旅客機が離陸中に墜落、海外公演に向かっていたピバダ劇団など搭乗者100人余死亡。
- 1984年2月 ソ連に向かっていた旅客機が墜落、搭乗者全員死亡。
- 1983年7月1日、ギニアのコナクリに向かっていた朝鮮民航の不定期便(IL-62M、機体記号P-889)がギニア山中に墜落、乗員乗客23名全員が死亡したとの報告があった[8]。
- 2006年8月15日に、北京発平壌行きのJS152便(機体記号:P-561か?)が順安空港への着陸に失敗し、前輪と翼の一部が破損したままで再度着陸を行おうとしたものの果たせずに近隣の畑に胴体着陸した。イギリス人やドイツ人などの外国人を含む50名ほどの乗客は全員無事であったが、機体は全損した模様である。なお、この事故は公式には報道されていなかったが、北朝鮮の政府高官が、平壌に駐在しているヨーロッパの外交官に語ったことから明らかになった」。[9][10]
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ http://www.dprkstudies.org/2008/02/23/air-koryo-prepares-russian-tu-204-300-airliner-for-service/
- ^ Commission Regulation (EC) No 474/2006 of 22 March 2006 (PDF-file)(英語), European Commission, 2006年3月22日
- ^ 高麗航空最新フリートTu-204の画像
- ^ Il-18D(P-835)がウラジオストクで確認されたときの画像(1)/Airliners.net
- ^ Il-18D(P-835)がウラジオストクで確認されたときの画像(2)/Airliners.net
- ^ 高麗航空Tu-204(P-632) 北京首都空港にて/Airliners.net
- ^ 朝鮮日報
- ^ Aviation Safety Database report
- ^ FCO Country report - August 15, 2006 Tu 154 crash
- ^ Aviation Safety Database report - August 15, 2006 Tupolev 154 crash
[編集] 外部リンク
- airkoryo.jpg
- 朝鮮高麗航空会社(JS)の非公式なウェブサイト(英語・中国語が混在)
- 朝鮮平壌順安国際空港(FNJ)の非公式なウェブサイト(英語・中国語・日本語が混在)
- 中外旅行社(高麗航空日本総代理店)
- 朝鮮国際ゴールドカップ旅行社
- Air Koryo:The gateway of DPRK
- 高麗航空最新フリートTu-204の画像