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種田仁 - Wikipedia

種田仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

種田 仁
埼玉西武ライオンズ No.2
基本情報
出身地 大阪府八尾市
生年月日 1971年7月18日(36歳)
身長
体重
173cm
80kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 内野手
プロ入り 1989年 6位
初出場 1990年8月20日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

種田 仁(たねだ ひとし、1971年7月18日 - )は、プロ野球埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手。ポジションは内野手。西武での背番号は2

愛称は「タネタネ」、「アパッチ」、「マイケル」(命名者は入団当時の星野仙一監督。由来は、マイケル・ジャクソンが飼っていた猿に似ていたからである)。

目次

[編集] 来歴・人物

二塁を主に守り、時には一塁遊撃三塁外野も守る。二塁の守備は堅実で評価が高いが、外野の守備はあまり上手くはない。

足を大きく開きバットを立てて構える独特のバッティングフォームは「ガニ股打法」と呼ばれている。この打法はプロの球に対応できず苦しんだ種田が悩みに悩んだ末に、左肩がベースに入りすぎるクセを直すために、バットを振り切った状態から逆算する形でフォームを考えていき、「初めから体を開いて左足をつま先立ちすれば左肩は入りようがない」という結論に達し生まれた。(米メジャーリーグにもガニ股打法で知られるジェフ・バグウェルがいるが、彼のフォームは「空気椅子に座っているような」スタイルのフォームであり、つま先立ちもしておらず、種田のフォームとは違うものである。)また、種田は同じ二塁手だったロバート・ローズに憧れており、彼のバッティングフォームを真似たという説もある。[要出典]

横浜ファンはその独特のフォームを真似て「タネダンス」を踊って応援する。珍しがって相手チームのファンが踊っている事もある。バット型メガホンをものすごい高さに積み重ねて踊る者もしばしば見受けられるが、本人は、「自分が打てるんだから何ら問題はない」と、全く気にしていないようである。ファン感謝デーでも「1万人のタネダンス」というイベントが行われたことがある。

上宮高時代から注目された逸材で、当時の監督は「種田が9人いたら監督は要らない」とまで話している。同期にはお笑い芸人のほっしゃんと元巨人元木大介内野手がいる。また、3年時の春の甲子園決勝の東邦戦で、自らの悪送球とそれをカバーに入った右翼手のエラーにより逆転サヨナラ負けを喫した。元木らは号泣して倒れ込んでいる中、種田はインタビューしようとしていたマスコミに「うるせぇ、邪魔だ」と一喝。非常に気の強い選手である。しかし試合中、サードベースに手でタッチしようとし、阪神関本健太郎のスパイクに踏まれ、思わず手を引っ込めてしまったために関本にタッチされて(但し、グラブは種田には当たっていなかった)アウトを宣告されてしまい、塁審に抗議した際に泣いたこともあった。 中日時代の応援歌はサザエさんの再放送の方の主題歌であった(のちに変更)。

[編集] 経歴

  • 1989年 - 上宮高校3年時の春の甲子園では、決勝の東邦(愛知)戦10回裏、優勝まであと1アウトまで迫りながら、自らの悪送球により痛恨の逆転サヨナラ負けを喫し準優勝に終わる。同年のドラフト会議で6位指名を受け専大進学辞退し中日ドラゴンズに入団。下位指名ではあったが契約金は上位指名選手並みの4000万円で背番号は一桁の0と、高く評価されていた。
  • 1992年 - この年から監督に就任した高木守道の現役時代の背番号1を与えられ、3年目ながら肩に不安を抱えていた立浪和義を遊撃から二塁にコンバートさせる形で遊撃手のレギュラーとなる。
  • 1993年 - 初の全試合出場など活躍する。
  • 1994年 - 怪我などの影響で不調に陥り、41試合出場に留まる。
  • 1995年 - 復調するものの即戦力である鳥越裕介の加入もあり、89試合の出場。
  • 1996年 - 40試合の出場に留まり、完全に遊撃手のレギュラーを鳥越に奪われてしまう。
  • 1997年1998年 - 97年は8試合の出場にとどまった。その年のオフにプロ野球脱税事件に関わり、翌98年に開幕から3週間の出場停止処分を受け、阪神タイガースから移籍してきた久慈照嘉の活躍もあり、打率は.280であったものの、43試合の出場に留まる。同年、当時のドラフトの目玉で中日入りが予想されていた福留孝介の為に背番号1を奪われる形になり、背番号を49番に変更した。
  • 2000年 - 「ガニ股打法」を開発し、代打11打席連続出塁という日本記録を樹立。規定打席には満たなかったものの打率.314 7HR 31打点を記録し、その年のカムバック賞を受賞する。
  • 2001年 - シーズン途中に波留敏夫外野手とのトレード山田博士投手と共に横浜へ移籍。
  • 2002年2003年 - 守備に不安を抱え打撃でも安定感を欠く若手の内川聖一村田修一に代わり、二塁手三塁手として数多く先発で起用されるようになる。
  • 2004年 - 開幕当初は控えであったが、5月頃から先発で起用されると好成績を挙げ規定打席に到達するなどレギュラーに定着。打率も3割をマークした。
  • 2005年 - 開幕から二塁手としてスタメンで起用され、自己最多となる145試合に出場。打率.310(セ・リーグ9位)の好成績を残す(1試合の欠場は、判定に抗議して上本孝一審判を突き飛ばした(種田本人の主張は審判に突き飛ばされ、2回目に体当たりに向かっていった時、上本球審に小手投げを喰らっていた。)ために1試合の出場停止処分を受けたもの)。セ・リーグの二塁手の中で、打率,本塁打,打点のすべてにおいて最高の成績を残すも、ベストナインには選出されなかった。
  • 2006年 - ひじの故障の影響で不振に陥り80試合の出場に留まる。打率.217は移籍後ではワーストの成績。
  • 2007年 - 移籍してきた仁志敏久の活躍もありスタメンでの出場が大幅に減少。主に代打での出場で、右の代打要員として.289の成績を残すが、シーズン終了後戦力外通告を受けた。本人は現役続行を志願し、これを受け埼玉西武ライオンズが獲得を表明。12月に前楽天の谷中真二と共に西武との正式契約を結んだ。年俸は1500万円プラス出来高(推定)。背番号は2に決定。

[編集] 背番号

[編集] 年度別打撃成績

年度



























1990年 中日 0 8 6 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 1 0 1 0 0 .000
1991年 107 368 298 44 81 12 3 5 114 15 13 5 33 2 31 4 42 7 5 .272
1992年 1 102 357 317 42 78 11 4 3 106 27 7 2 22 1 17 0 35 0 15 .246
1993年 132 578 512 65 130 13 4 10 181 40 10 6 29 2 30 5 85 8 14 .254
1994年 41 139 120 14 19 5 1 3 35 10 6 0 7 1 11 0 27 7 3 .158
1995年 89 275 244 25 55 10 0 8 89 22 8 3 9 1 20 1 48 3 9 .225
1996年 40 122 107 6 19 1 0 1 23 6 2 3 6 1 7 1 17 1 7 .178
1997年 8 19 13 1 1 1 0 0 2 0 0 0 5 0 1 0 2 0 1 .077
1998年 49 43 113 100 10 28 4 1 3 43 8 2 1 4 1 8 0 11 4 0 .280
1999年 43 61 51 6 10 3 1 0 15 2 3 0 4 0 6 0 10 0 0 .196
2000年 102 295 264 30 83 14 3 7 124 31 4 4 3 2 25 1 30 5 1 .314
2001年 8 18 17 0 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 1 0 1 0 0 .176
横浜 12 98 278 237 30 66 12 2 4 94 42 1 3 12 4 22 3 15 9 3 .278
2002年 116 438 397 47 100 18 0 5 133 29 5 0 14 1 22 4 84 6 10 .252
2003年 92 281 261 24 75 13 0 3 97 21 3 4 4 0 10 6 34 8 3 .287
2004年 3 120 470 410 52 123 27 3 8 180 52 2 6 15 5 38 2 50 11 8 .300
2005年 145 606 529 66 164 24 1 9 217 61 7 3 10 2 60 5 62 16 8 .310
2006年 80 268 230 33 50 9 0 1 62 17 3 1 8 1 25 4 25 5 6 .217
2007年 60 76 66 6 17 6 1 1 28 17 0 0 3 0 6 1 7 1 1 .252
通算成績(17年) 1434 4768 4176 501 1102 183 24 71 1546 401 76 41 190 24 341 37 586 91 94 .264

[編集] タイトル・表彰

  • カムバック賞(2000年)
  • 会長特別表彰:1回(2000年、※代打11打席連続出塁 - 6月2日~7月12日)
  • オールスター戦出場:3回(1993年、2004年、2005年)

[編集] 個人記録

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
遠山奨志
セ・リーグカムバック賞
2000年
次代:
成本年秀
中日ドラゴンズ
1989年ドラフト指名選手
1位:与田剛 / 2位:井上一樹 / 3位:松永幸男 / 4位:松井達徳 / 5位:山田喜久夫 / 6位:種田仁


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