三浦貴
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三浦 貴 埼玉西武ライオンズ |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県与野市(現さいたま市中央区) |
生年月日 | 1978年5月21日(30歳) |
身長 体重 |
184cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 2000年 ドラフト3位 |
初出場 | 2001年3月31日 |
年俸 | 700万円(推定) |
経歴 | |
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三浦 貴(みうら たか、1978年5月21日 - )は、埼玉県さいたま市(旧与野市)出身のプロ野球選手(外野手)。埼玉西武ライオンズに所属。背番号は53。
目次 |
[編集] 入団後
2001年、阿部慎之助と同い年・同期入団で開幕一軍に加わりバッテリーを組んだ。1年目から中継ぎ投手として140キロ台後半の直球とカーブ、フォークを武器に活躍。プロ初勝利を含む3勝を記録し、49試合に登板して防御率3.41の成績だった。
2002年、緒方孝市に与えた頭部死球をキッカケに相手打者のインコースへ投げられなくなってしまい、それ以降は登板機会が無くなってしまった。この年新規定になって初めての危険球退場者であった(ちなみに二人目の危険球退場者は同じ高校出身の1年先輩木塚敦志で、木塚が当てたバッターも緒方であった)。
これを見兼ねた当時の原辰徳監督が「投手なら3000万円どまりだが野手なら2億円稼げる素質がある」と熱烈に説得。2003年から内野手(三塁手)に転向。2004年からは打撃に専念するため外野手に転向した。野手転向後の初安打が本塁打と非凡な打撃センスを見せつけた。将来性の豊かな選手の1人として注目されていた。
2005年二軍で打率.256・10本塁打・47打点(チームトップ)・長打率.507をマークし、2006年は打率.288・5本塁打・6盗塁、2007年は打率.241・6本塁打・6盗塁と、二軍で主力選手として活躍した。しかし一軍ではなかなかチャンスを生かせず、目立った成績も出せない状態が続いていた。
2007年11月2日に戦力外通告を受け、戦力外後は、11月17日に第1回12球団合同トライアウトと11月27日の第2回12球団合同トライアウトにも参加したが獲得のオファーはなかった。11月30日に自由契約公示された。一時期は引退を決意していたが、その後12月28日に外野手の補強を理由に西武が獲得することが報じられた。2008年1月10日に埼玉西武ライオンズと正式契約を結び、同日入団会見を行った。
[編集] エピソード
- 大学4年の時、先発投手として登板した後に右翼を何度か守った。ちなみに、東洋大学が所属する東都大学リーグは指名打者を採用しているが、三浦はスタメンで5番を打ったりした。
- 大学での登録名の読みとベースボールマガジンカード(ルーキー)※では「みうら たかし」だった。※後に誤植として再版、なお「たかし」と書いてあるものはレアカードになっている
- 埼玉西武ライオンズに所属する石井義人とは高校時代の同級生である。三浦の西武入団によって再び同じチームでプレーすることとなった。
[編集] 特徴
運動能力が高くスポーツマンNo.1決定戦で総合No.1に輝いた実績を持つ。過去3回出場。2002年総合8位、2004年総合No.1、2005年総合3位。モンスターボックス(跳び箱)ではプロスポーツマン記録20段を越え、TAIL IMPOSSIBLE(持久走)では過去3回全てNo.1になっている。
[編集] テーマソング
- Safri Duo「Played A Live」(2006年まで)
[編集] 背番号
- 39(2001年~2006年)
- 54(2007年)
- 53(2008年~)
[編集] 通算成績
年度 | チーム | 背番号 | 登板 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 投球回 | 奪三振 | 防御率 |
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2001年 | 巨人 | 39 | 49 | 3 | 2 | 0 | 58 | 38 | 3.41 |
2002年 | 3 | 0 | 0 | 0 | 2.2 | 2 | 6.75 | ||
投手通算 | 52 | 3 | 2 | 0 | 60.2 | 40 | 3.56 | ||
年度 | チーム | 背番号 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 |
2001年 | 巨人 | 39 | 49 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | .250 |
2002年 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | ||
2003年 | 10 | 6 | 1 | 1 | 1 | 0 | .167 | ||
2004年 | 3 | 8 | 1 | 0 | 0 | 0 | .125 | ||
2005年 | 19 | 23 | 5 | 0 | 1 | 0 | .217 | ||
2006年 | 16 | 28 | 6 | 0 | 1 | 0 | .214 | ||
2007年 | 54 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | |
打者通算 | 104 | 70 | 14 | 1 | 3 | 0 | .200 |
2007年シーズン終了時点での成績。
[編集] 関連項目
監督 |
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99渡辺久信 |
コーチ |
81黒江透修(ヘッド)|80小野和義(投手)|86潮崎哲也(投手)|96大久保博元(打撃)|78熊澤とおる(打撃補佐)|82岡村隆則(守備走塁)|85清家政和(守備走塁)|88相馬勝也(バッテリー)|98大迫幸一(トレーニング) |
二軍監督・コーチ |
72片平晋作(監督)|77石井丈裕(投手兼トレーニング)|97石井貴(投手)|89森博幸(打撃)|76田辺徳雄(打撃)|70河田雄祐(守備走塁)|91大井久士(バッテリー)|92坂元忍(トレーニング) |
投手 |
11岸孝之|12岡本真也|13西口文也|14小野寺力|15大沼幸二|16涌井秀章|17山崎敏|19平野将光|20山本淳|23許銘傑|24松永浩典|25正津英志|26星野智樹|28藤原良平|29三井浩二|30岡本篤志|34長田秀一郎|35岩崎哲也|36山岸穣|38西川純司|40キニー|41木村文和|47帆足和幸|48武隈祥太|50田沢由哉|54グラマン|57田中靖洋|59山本歩|61石井一久|62朱大衛|63藤原虹気|66東和政|69谷中真二| |
捕手 |
22野田浩輔|27細川亨|31吉見太一|37銀仁朗|49上本達之|64中田祥多|68田原晃司 |
内野手 |
2種田仁|3中島裕之|4高木浩之|5石井義人|6後藤武敏|7片岡易之|8平尾博嗣|33江藤智|42ブラゼル|43原拓也|45水田圭介|52星秀和|56黒瀬春樹|60中村剛也|65梅田尚通 |
外野手 |
0大崎雄太朗|1栗山巧|9赤田将吾|10佐藤友亮|39貝塚政秀|44高山久|46G.G.佐藤|51大島裕行|53三浦貴|55ボカチカ|58松坂健太|67斉藤彰吾 |
読売ジャイアンツ 2000年ドラフト指名選手 |
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1位:阿部慎之助 / 2位:上野裕平 / 3位:三浦貴 / 4位:根市寛貴 / 5位:川本大輔 6位:山下浩宜 / 7位:小野剛 / 8位:李景一 |