赤田将吾
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赤田 将吾 埼玉西武ライオンズ No.9 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 鹿児島県曽於郡大崎町 |
生年月日 | 1980年9月1日(27歳) |
身長 体重 |
179cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投両打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1998年 2位 |
初出場 | 1999年8月20日 |
年俸 | 4500万円(推定) |
経歴 | |
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赤田 将吾(あかだ しょうご、1980年9月1日 - )は、埼玉西武ライオンズ所属のプロ野球選手。ポジションは外野手。背番号は9番。松坂世代の1人。
目次 |
[編集] 来歴・人物
入団時は内野手(二塁手)だったが、ルーズショルダーの影響で2年目より外野手に転向した。高卒1年目で5盗塁を決めるなど俊足は期待されていたが、打撃がいまいちで足踏みしていた。2001年に二軍でイースタン・リーグ2位の打率.324、同リーグ3位の11本塁打、11盗塁を記録した。俊足を生かすため、もともと右打ちだったが2002年よりスイッチヒッターに転向、二軍で打率.288、11本塁打、6盗塁を記録。これが飛躍のきっかけとなる。
小関竜也の不調で終盤から2番打者に定着し、初の規定打席到達。佐藤友亮との1・2番コンビで高い出塁率(二人で.341)を誇った。5年間で3本しか打っていない本塁打をこの年だけで9本打ち、意外なパンチ力も見せた。北海道日本ハムファイターズ、福岡ダイエーホークスとのプレーオフ、中日ドラゴンズとの日本シリーズでも活躍し、チームの12年ぶりの日本一に貢献した。
2番・中堅手のレギュラーを獲得し、夏ごろから課題の打撃も向上して打率を急上昇させた。打率.272、自己最高の20盗塁を記録。またこの年の9月1日(25歳の誕生日)にオフィシャルサイト「侍魂」を設立。
この年からライオンズの主将に就任、名実共にチームを引っ張る立場になった(ちなみに主将指名は事前に本人にも知らされていなかった)。外野の層の厚い西武の中でセンターのレギュラーをつかみ、主に1番か9番で堅実な打撃を見せ、打率は自己最高の.293を記録した。またと並びリーグ最多タイの三塁打7本(西岡剛、鉄平、川崎宗則と並ぶ)、チーム3位(自己最多)の25犠打、3年連続2ケタ盗塁を決め、機動力を生かしてチームに貢献した。この年も夏場から調子を上げ、交流戦以降の打率は3割を超えた。
前選手会長の松坂大輔がボストン・レッドソックスに移籍したため、代わって選手会長に就任した。この年も中堅手のレギュラーとして期待されていたが、開幕直前の3月15日に右太ももを痛め、開幕1軍からは外れた。ケガのリハビリに予想以上の時間がかかり、シーズン終盤の9月5日にようやく一軍登録。9月12日のソフトバンク戦で猛打賞に輝き、復帰後初のお立ち台に上った。しかし打率は.162に終わり、レギュラー再獲得はならなかった。
[編集] エピソード
- 松坂世代の総会、「昭和55年会」の会長を努めている。
- 入団当初は、圧倒的な身体能力を持つ反面、野球のプレイでは不器用さが目立ち、コーチから「赤田は一番苦手なスポーツで飯を食っている」と言われたことがある。
- 2005年以降記録した本塁打はすべて右打ちでだが、確実性はむしろ入団後に覚えた左打ちのほうが高く、適応力の高い器用な選手である。
- ファンへの意識が非常に強く、球場におけるファンへの気配りの他、2005年オフには自身のサイト「侍魂」を設立、毎日全国のファンへメッセージを発信している。主将選任に当たって伊東勤監督もその人間性を見込むなど、人望はチーム内外ともに厚い。
- テレビ番組のスポーツマンNo.1決定戦で2000年総合5位、2005年総合2位、2006年総合5位、2007年総合6位になるなど、身体能力の高さが伺える。実際に高校時代からハイレベルなスポーツ万能少年であったらしく、まだ一軍に定着出来なかった頃にはコーチに「お前はどうして一番苦手な球技のプロになったんだ」とからかわれたことがあるほどである。
- 現在文化放送ライオンズナイター内で「赤田将吾の暴れん坊ショーゴ!」のコーナーを担当。内容はライオンズコメンテータの中川充四郎が前の試合の感想及び中継試合に向けての意気込みをインタビューするものである(これは後述の中島裕之のコーナーと同様インターネットラジオのBBQRでは流れず、無音声になる)。コーナーのジングルや、西武ドームでのテーマ曲もチャンス時だけ「暴れん坊将軍のテーマ」を使用する(通常は映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」のテーマ曲)。そしてコーナーの締めの挨拶は「暴れん坊ショーゴでがんばります」と言って終わる。ちなみに同番組で「中島裕之の何が何でもやったるで!」を担当している中島が負傷などで一軍から外されたときの締めの挨拶は「暴れん坊ショーゴでやったるで!」になる。なお、2006年オフでは「赤田将吾の暴れん坊マンデー」のパーソナリティを担当している。
- 高校生時代はレギュラーではなかったが、試合前のシートノックのときに赤田のフィールディングを見ていたプロ野球チームのスカウトが、日南学園の監督に守備のうまさを指摘したところ、レギュラーとして使われ始めたというエピソードがある。
- 幼少期にはエレクトーンを習っていた(2007年9月8日放送、サタデーライオンズより)。
[編集] 交渉問題
2006年オフの交渉では、球団側の代表や査定担当者が二日続けて交渉中に着信音を鳴らしてしまった事に深い怒りと悲しみを覚え、トイレに駆け込んで泣いた。「普通の会社の会議なんかではあり得ない。年に1回のビジネスの場である交渉と契約なのに」と、交渉を保留し、真っ当な胸の内を明かしている。 その後、自身のホームページで別件でもショックを受けていたことや、そのことで交渉を保留したことに対しては謝罪する意志があることなどを明らかにした。
[編集] 他の人のユニフォームで試合出場
2006年6月9日交流戦の阪神タイガース戦でユニフォームが届かなかったとという理由で上田浩明コーチのユニフォームを着て出場した。そのときの背番号は「85」。なお、この試合で赤田は下柳剛投手から左中間に決勝タイムリーツーベースを放っている。
[編集] 通算成績(2007年シーズン終了時)
年度 | チーム | 背番号 | 試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
失 策 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1999 |
西武
|
9
|
13 | 50 | 49 | 7 | 14 | 2 | 0 | 0 | 16 | 5 | 5 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 9 | 1 | .286 | 0 |
2000 | 31 | 79 | 65 | 10 | 10 | 0 | 1 | 1 | 15 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 13 | 1 | 26 | 2 | .154 | 4 | ||
2001 | 17 | 35 | 32 | 2 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 5 | 1 | .188 | 0 | ||
2002 | 37 | 62 | 57 | 4 | 9 | 1 | 0 | 1 | 13 | 2 | 3 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 17 | 2 | .158 | 0 | ||
2003 | 46 | 94 | 88 | 24 | 22 | 7 | 3 | 1 | 38 | 13 | 4 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | 19 | 0 | .250 | 0 | ||
2004 | 122 | 436 | 374 | 68 | 97 | 18 | 2 | 9 | 146 | 41 | 16 | 5 | 15 | 3 | 42 | 2 | 87 | 3 | .259 | 2 | ||
2005 | 131 | 478 | 427 | 56 | 116 | 19 | 3 | 3 | 150 | 24 | 20 | 6 | 18 | 1 | 30 | 2 | 93 | 8 | .272 | 2 | ||
2006 | 124 | 518 | 451 | 50 | 132 | 16 | 7 | 2 | 168 | 34 | 16 | 9 | 25 | 4 | 36 | 2 | 79 | 3 | .293 | 2 | ||
2007 | 20 | 44 | 37 | 6 | 6 | 1 | 0 | 0 | 7 | 2 | 1 | 1 | 0 | 0 | 5 | 1 | 8 | 0 | .162 | 0 | ||
通算成績 | 541 | 1796 | 1580 | 227 | 412 | 65 | 16 | 17 | 560 | 126 | 67 | 23 | 64 | 9 | 134 | 8 | 343 | 20 | 261 | 10 |
年度 | 外野 | 二塁 | 一塁 | |||||||||||||||
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試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
1999 | - | 4 | 5 | 13 | 0 | 2 | 1.000 | - | ||||||||||
2000 | - | 20 | 28 | 26 | 3 | 5 | .947 | 5 | 22 | 3 | 1 | 1 | .962 | |||||
2001 | 13 | 21 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2002 | 34 | 36 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | |||||
2003 | 43 | 49 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
2004 | 114 | 195 | 4 | 2 | 1 | .990 | - | - | ||||||||||
2005 | 128 | 240 | 3 | 2 | 1 | .992 | - | - | ||||||||||
2006 | 122 | 254 | 10 | 2 | 4 | .992 | - | - | ||||||||||
2007 | 15 | 21 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | ||||||||||
通算 | 469 | 816 | 19 | 6 | 6 | .993 | 26 | 33 | 39 | 3 | 7 | .960 | 5 | 22 | 3 | 1 | 1 | .962 |
- 初出場・初安打/初盗塁 1999年8月20日オリックス戦(西武D) 1番DHで先発、5打数1安打/二盗
- 初打点 1999年8月21日オリックス戦(西武D) 6回金田から2点適時打
- 初本塁打 2000年4月21日日本ハム戦(東京D) 8回下柳から代打2ラン
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
監督 |
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99渡辺久信 |
コーチ |
81黒江透修(ヘッド)|80小野和義(投手)|86潮崎哲也(投手)|96大久保博元(打撃)|78熊澤とおる(打撃補佐)|82岡村隆則(守備走塁)|85清家政和(守備走塁)|88相馬勝也(バッテリー)|98大迫幸一(トレーニング) |
二軍監督・コーチ |
72片平晋作(監督)|77石井丈裕(投手兼トレーニング)|97石井貴(投手)|89森博幸(打撃)|76田辺徳雄(打撃)|70河田雄祐(守備走塁)|91大井久士(バッテリー)|92坂元忍(トレーニング) |
投手 |
11岸孝之|12岡本真也|13西口文也|14小野寺力|15大沼幸二|16涌井秀章|17山崎敏|19平野将光|20山本淳|23許銘傑|24松永浩典|25正津英志|26星野智樹|28藤原良平|29三井浩二|30岡本篤志|34長田秀一郎|35岩崎哲也|36山岸穣|38西川純司|40キニー|41木村文和|47帆足和幸|48武隈祥太|50田沢由哉|54グラマン|57田中靖洋|59山本歩|61石井一久|62朱大衛|63藤原虹気|66東和政|69谷中真二| |
捕手 |
22野田浩輔|27細川亨|31吉見太一|37銀仁朗|49上本達之|64中田祥多|68田原晃司 |
内野手 |
2種田仁|3中島裕之|4高木浩之|5石井義人|6後藤武敏|7片岡易之|8平尾博嗣|33江藤智|42ブラゼル|43原拓也|45水田圭介|52星秀和|56黒瀬春樹|60中村剛也|65梅田尚通 |
外野手 |
0大崎雄太朗|1栗山巧|9赤田将吾|10佐藤友亮|39貝塚政秀|44高山久|46G.G.佐藤|51大島裕行|53三浦貴|55ボカチカ|58松坂健太|67斉藤彰吾 |
西武ライオンズ(現-埼玉西武ライオンズ) 1998年ドラフト指名選手 |
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1位:松坂大輔 / 2位:赤田将吾 / 3位:星野智樹 / 4位:柴田博之 |