ロバート・ローズ
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ロバート・ローズ Robert Rose |
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基本情報 | |
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出身地 | アメリカ合衆国・カリフォルニア州 |
生年月日 | 1967年3月15日(41歳) |
身長 体重 |
180cm 85kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 二塁手 |
初出場 | NPB / 1993年4月10日 |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
ロバート・ローズ(Robert Richard Rose , 1967年3月15日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手。横浜ベイスターズで活躍し、プロ野球史上最強の外国人助っ人の一人として知られる。
「ロバート」の愛称である「ボビー」と表記されることも多い。また、タフィ・ローズと区別するためR.ローズ、白ローズと表記されることがある。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1985年にカリフォルニア・エンゼルスに入団。1989年メジャーデビュー。1992年、移動中の交通事故で骨折したためマイナーに降格し、その年のオフに横浜ベイスターズと契約した。背番号23。
来日当初はゲッツーのとれるセカンドとして打撃をあまり期待されておらず、守備要員という印象すらあった。同じ年に入団したグレン・ブラッグスの方が長打力があり評価が高かったが、驚異的と思えるほどの勝負強いバッティングを見せ、来日1年目から94打点の活躍で打点王のタイトルを獲得。ブラッグスの退団後は横浜不動の4番打者となり、いわゆる「マシンガン打線」のポイントゲッターとして、1998年の横浜のリーグ優勝、日本シリーズ制覇に大きく貢献した。
二塁の守備も秀逸で、スナップの強さを生かした速い送球や的確なポジショニングには定評があり、センターへ抜けたと思われた打球を真正面で捕ってアウトにする事も珍しくなかった。1998年にはゴールデングラブ賞に選出されている。
1999年、一度引退宣言をしたが後に撤回。開幕から例年にないハイペースで打ちまくり、6月30日にはプロ野球史上初となる3度目のサイクル安打を記録。特に打点はシーズン記録(161打点)の更新が期待されるほどで、7月22日のヤクルトスワローズ戦では1試合10打点のセントラル・リーグタイ記録を達成するなど、史上初めて前半戦(81試合目)で100打点に到達。また、7月25日に行われたオールスター第2戦では2度の満塁安打に加えソロホームランを放ち、オールスタータイ記録となる6打点を挙げてMVPに選出されている。
チームは3位に終わったものの、この年記録した153打点はプロ野球歴代2位の記録となり、さらに右打者では史上最高の打率3割6分9厘、192安打はセ・リーグ歴代1位(当時)、本塁打もリーグ3位の37本と、いずれも驚異的な打撃成績を残した。この年のMVPは優勝した中日ドラゴンズの野口茂樹だったが、投票前は20勝したことを理由に読売ジャイアンツの上原浩治を推す声が強かった。しかしなぜかローズのMVPに関してはあまり話題にならなかった。
2000年オフ、アメリカでの生活を家族が望んだ事や、高額となった年俸・複数年契約の希望など、横浜球団との条件面での折り合いがつかなくなったことから、横浜を退団・帰国した。
2年間のブランクの後、2002年シーズンオフに千葉ロッテマリーンズと契約し日本球界に復帰。背番号は「4」。しかし2003年の春季キャンプ途中に憔悴しきった表情で「野球に対する情熱と野球に関するすべてのものがなくなった」との記者会見を開き、実戦でプレーすることなく開幕前に退団し、引退となった。
在籍8シーズン中、打率3割を7回記録するなど通算打率.325を残している。生涯通算打率ランキングの条件となる4000打数まで71打数足りないが、仮にこの71打数すべて凡退したとしても.319であり、レロン・リーの打率.320を抜いて実質のランキング1位と言われることがある。
現在、横浜ベイスターズのチャンステーマにローズが現役のときのテーマが使われており、ジョン・シピン、カルロス・ポンセなどと並んで、球団史上に残る外国人選手の一人として今も多くのファンから愛されている。
[編集] 人物・エピソード
- グラウンド上では審判への抗議や死球に対する報復行為とは無縁の紳士でもあった。しかしブラッグスが与田剛の投球に激昂した際、逃げる与田にタックルを浴びせたことがある(斎藤隆は後年、ブラッグスとローズのタッグは最強だった旨をプロ野球珍プレー・好プレー大賞で語っている)。
- ハドソンが発売の桃太郎電鉄USAには、ローズそっくりのキャラクターがカードのセールスマンとして登場している。ボビーという名前を名乗り帽子に23と書かれ、「ニッポンのヨコハマの調子はどうだい?」などと話しかけてくる(桃太郎シリーズをプロデュースしているゲーム作家・さくまあきらが熱狂的な横浜ファンのため)。
- 引退の理由の一つに、家族との時間を大切にしたい、ということを挙げている。自分の知らないうちに娘がブラジャーをするようになっており、そのことに関して「娘の成長に目を向けられないほど、家族のことをほったらかしにしてしまっていた」という旨の発言をしている。
- 8年という長い間横浜球団に在籍していたが、当時横浜の渉外担当だった牛込惟浩によると、ローズは日本語を一切喋ろうとも、覚えようともしなかったと言う。これについて牛込は「あくまで自分はアメリカからの助っ人であり、日本に染まりたくはなかったのではないか」としている。また、「ベースボールマガジン」では来日当初は日本語を覚えようとしたが、結局「日本には野球をしに来ている」と割り切る思考に転換して、日本語を覚えるのを断念した、とあった。しかし孤立していたわけではなく、退団が決まった際、二遊間を組んだ石井琢朗や佐伯貴弘らは号泣したと言い、石井は当時受け持っていた週刊ベースボールのコラムに、ローズへのメッセージを掲載している。
- 憧れの選手はスティーブ・ガービーであった。
- 薔薇の絵柄をトレードマークとしており、着衣のワンポイントなどにしていた。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
長 打 率 |
出 塁 率 |
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1993 | 横浜 | 23 | 130 | 544 | 486 | 61 | 158 | 33 | 4 | 19 | 256 | 94 | 2 | 3 | 1 | 4 | 47 | 8 | 6 | 63 | 16 | .325 | .527 | .389 |
1994 | 130 | 574 | 510 | 71 | 151 | 28 | 4 | 15 | 232 | 86 | 1 | 1 | 0 | 7 | 55 | 0 | 2 | 72 | 25 | .296 | .455 | .362 | ||
1995 | 130 | 552 | 492 | 76 | 155 | 32 | 4 | 22 | 261 | 97 | 3 | 1 | 0 | 6 | 38 | 2 | 16 | 76 | 15 | .315 | .530 | .379 | ||
1996 | 126 | 552 | 483 | 62 | 147 | 21 | 6 | 16 | 228 | 86 | 1 | 0 | 0 | 12 | 53 | 0 | 4 | 66 | 11 | .304 | .472 | .370 | ||
1997 | 130 | 572 | 463 | 70 | 152 | 30 | 7 | 18 | 250 | 99 | 3 | 2 | 0 | 7 | 91 | 11 | 11 | 70 | 17 | .328 | .540 | .444 | ||
1998 | 124 | 545 | 468 | 70 | 152 | 29 | 4 | 19 | 246 | 96 | 2 | 3 | 0 | 4 | 68 | 6 | 5 | 79 | 25 | .325 | .526 | .413 | ||
1999 | 134 | 597 | 521 | 93 | 192 | 34 | 2 | 37 | 341 | 153 | 3 | 1 | 0 | 6 | 63 | 7 | 7 | 81 | 19 | .369 | .655 | .439 | ||
2000 | 135 | 589 | 506 | 71 | 168 | 31 | 5 | 21 | 272 | 97 | 1 | 1 | 0 | 4 | 73 | 10 | 6 | 59 | 16 | .332 | .538 | .419 | ||
2003 | ロッテ | 4 | 出場なし | |||||||||||||||||||||
通算成績 | 1039 | 4525 | 3929 | 574 | 1275 | 238 | 36 | 167 | 2086 | 808 | 16 | 12 | 1 | 50 | 488 | 44 | 57 | 566 | 144 | .325 | .531 | .402 |
- 表中の太字はリーグ最多数字
[編集] タイトル・表彰・記録
- 首位打者: 1回、1999年(.369)
- 最多打点: 2回、1993年(94) 、1999年(153)
- 最多安打: 2回、1999年(192) 、2000年(168)
- 最高出塁率: 1回、1997年(.444)
- 最多勝利打点: 1回1994年(19)
- ベストナイン: 6回、1993年、1995年、1997年~2000年
- ゴールデングラブ賞: 1回、1998年
- セ・リーグ会長特別表彰:1回、1999年
- サイクル安打: 3回(日本プロ野球歴代最多、1995年5月2日、1997年4月29日、1999年6月30日)
- 1試合10打点(1999年7月22日)
- オールスターゲーム出場 4回(1995年、1997年、1999年、2000年)
- オールスターゲーム最優秀選手(1999年第2戦)
- シーズン192安打(二塁手記録)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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