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吉野川 - Wikipedia

吉野川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉野川
吉野川、2005年3月30日撮影
瀬詰大橋(阿波市・吉野川市)から西望
水系 一級河川吉野川
種別 {{{種別}}}
延長 194 km
水源の標高 1897 m
平均流量 -- /s
流域面積 3750 km²
水源 瓶ヶ森(愛媛県)
河口合流先) 紀伊水道(徳島県)
流域 高知県徳島県
吉野川中流域。阿波市・吉野川市周辺2007年9月19日撮影
吉野川中流域。阿波市吉野川市周辺
2007年9月19日撮影
吉野川河口2007年9月19日撮影
吉野川河口
2007年9月19日撮影

吉野川(よしのがわ)は、吉野川水系(一級水系)の本川である。高知県および徳島県を流れる。幹川流路延長は194km、流域面積は3,750km²。日本三大暴れ川の一つであり、四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持つ(順位争いで「四国次(二)郎」といわれることもある)。また、四万十川と並ぶ清流でもあり、その流れは、徳島県北・西部民の心の象徴であるとも言われている

四国山地を横切る箇所は日本における先行谷の代表例であり、大歩危小歩危と呼ばれる景勝地である。

近畿の紀の川上流、奈良県内の部分も「吉野川」と呼ばれている。

目次

[編集] 地理

愛媛県西条市高知県本川村(現:いの町)に頂を有する瓶ケ森(標高1896.2m)より湧き出で高知県吾川郡いの町の白猪谷を最源流とし四国山地の南側を東流、その後高知県長岡郡大豊町で向きを北に変え四国山地を横断する。三好市山城町で愛媛県新居浜市の冠山を源とする最長の支流、銅山川が合流し、三好市池田町の池田ダム香川用水により香川県に分流、三好市池田町で再び東流し、徳島市紀伊水道に注いでいる。高知、愛媛、徳島が関係するため、かつて、この付近では三土地川(みどちがわ)とも呼ばれていた。 讃岐山脈と四国山地に挟まれた下流域では徳島平野を形成している。
四国最大にして、唯一水流が四国四県に及ぶ水系である。ただし各県内で一番長い川は高知県では四万十川、徳島県では那賀川であるので注意。

[編集] 本川沿岸の自治体


[編集] 本川は流れていないが、支流が流れている自治体


[編集] 吉野川開発史

「坂東太郎」(利根川)・「筑紫次郎」(筑後川)と並び「四国三郎」と渾名される吉野川の名は「ヨシが河原に多く繁る川」から来たと言われている。四国四県を網羅するその水系は流域の生命線として多大なる恩恵を与えると同時に、数多くの水害の歴史を持つ。有史時代では886年仁和2年)の洪水が初出である。

[編集] 徳島藩の治水事業

吉野川の河川開発が本格的に開始されたのは江戸時代に入ってからのことである。1585年天正13年)、長宗我部元親四国征伐で下した豊臣秀吉は、功のあった蜂須賀正勝(蜂須賀小六)を阿波国一国17万石に封じた。これより蜂須賀氏による阿波支配は始まる。後に蜂須賀家政蜂須賀至鎮父子は徳川家康に与し大坂の陣の功績により淡路国も与えられ阿淡25万石の太守となった。以後徳島城を本拠として代々の藩主は領国の経営に当たるが、最大の課題は吉野川の治水・利水であった。

特に阿波は、国内での豪雨の他に上流の土佐藩領内で豪雨が降ると、阿波で雨が降らなくても水害に見舞われる状況であった。このため阿波での豪雨に伴う水害を「御国水」、土佐藩内での豪雨に伴う水害を「阿呆水(土佐水)」と呼んだ。初期の対策としては築堤の他水防竹林の植生があり、「筍奉行」を設置して竹林の整備を重点的に行った。一方住民の水防対策としては「石囲い」や石垣による住居嵩上げで防衛策を取った。これは木曽川の水屋に似たものであるが、その石垣は均整の取れた見事なものである。徳島県名西郡石井町に現存する「田中家住宅」は石垣で囲まれた江戸時代の屋敷構えを残し、国の重要文化財に指定されている。下る19世紀中期には貞光代官・原喜右衛門によって「藤森堤」が完成しているが難工事による工費増額等が要因で、藩より「見積もり違い・不調法」の廉で切腹させられている。

[編集] 新田開発と干拓

利水に関しては、新田開発に絡む事業が多い。元来阿波は藍染の盛んな地域で稲作よりも普及していた。だが、人口増加や天候不順に伴う飢饉の頻発、藩財政の逼迫等複合的要因から新田開発による年貢増徴を藩は図ろうとした。だが、実情は藩主導というよりは筑後川と同様に庄屋等の民間主導によるものである。1692年元禄5年)名東郡島田村庄屋・楠藤吉左衛門は島田村・蔵本村・庄村3か村の新田開発を図るため、旧佐吉川筋に幅10間 (18m)・延長200間 (360m) の用水路開削に着手した。だが藩からは規模の半分しか許可されなかったため、計画を縮小しての工事となった。1699年(元禄12年)完成した袋井用水は、その後も子の楠藤善平、孫の楠藤繁左衛門によって拡充され3か村数百町歩を潤した。なお藩から御褒美米30俵が下賜されたが吉左衛門は丁重に辞退している。

1752年宝暦2年)第十堰が完成している。当初は徳島城防衛のために第4代藩主・蜂須賀綱通が別宮川(現在の吉野川)を開削したのだが、その後の洪水で別宮川が本流となってしまい、吉野川本流(現在の旧吉野川)に水が流れなくなったので水量調整と灌漑を目的として第十堰は完成した。一方土佐藩領内の長岡郡では、家老野中兼山により地蔵寺川筋に新井堰を建設、そこから新井溝用水を開削・引水し長岡郡内の灌漑を図った。

その旧吉野川・今切川筋であるが、河口部において新田開発を目的とした干拓事業が行われていた。嚆矢となったのは17世紀中頃に大坂の豪商・三島泉斎によって着手された笹木開拓であるが、洪水や波浪によって事業は頓挫し泉斎は破産。その後数代を経て難工事は完成した。続く1783年天明3年)には伊澤亀三郎による開拓が行われた。これは大坂の豪商・鴻池家の援助により行われ、子の伊澤速蔵・孫の伊澤文三郎の3代に亘り笹木開拓地の北端・西端に石積み堤防を築き波浪・洪水を防止、開拓を成功させた。これを住吉新田と呼び現在でも伊澤家3代の遺徳が偲ばれている。さらに1804年文化元年)には坂東茂兵衛によって豊岡開拓が行われ、防潮・防風を目的に20万本の松を植林し築堤。今切川下流の新田開発を図った。この開拓は孫で今切川用水裁判人の役職に就いていた豊岡茘敦(れんとん)によって完成を見た。

こうして新田開発とそれに伴う利水事業は進められたが、総合的な灌漑は遅々として進まなかった。こうした中1850年嘉永3年)に後藤庄助が徳島藩勧農方に「吉野川筋用水存寄申上書」を提出、さらに1865年慶応元年)には庄野太郎が「芳川(吉野川)水利論」を著し吉野川南岸用水の必要性を論じた。この計画は後の麻名用水事業に結実して行く。一方豊岡茘敦も1874年明治7年)に「疎鑿迂言」を著し吉野川北岸部の用水整備と藍染依存からの転換を論じた。だが彼の意見が実現をみるには1990年(平成2年)の吉野川北岸用水事業の完成を待たねばならなかった。

[編集] 明治期の河川開発~麻名用水と第十樋門~

明治時代に入り近代河川技術が吉野川にも導入された。1884年(明治17年)に全国の河川整備に携わったヨハニス・デ・レーケは吉野川を視察。翌1885年(明治18年)より旧内務省徳島県の共同事業として「吉野川改修工事事業」が着工した。だが1888年(明治21年)7月の水害で流域は大きな被害を受け、原因を河川整備の不備・失策と見た住民は蜂起して工事事務所を襲撃し改修事業を中止に追い込んだ。この暴動を「覚円騒動」と呼び、以降河川改修は中断した。

一方利水に関しては1906年(明治39年)より麻名用水の建設が開始された。元来は麻植郡名西郡の農地開墾と藍染から稲作への転換を目的に、麻植郡郡長・井内恭太郎が中心となって1899年(明治32年)に「麻植・名西郡水利組合」を結成したことが発端である。だが藍染を生業とする業者や負担金分担に反対する者による激烈な反対運動で一時頓挫した。ところが1903年(明治36年)ドイツ製化学染料が輸入されたことにより藍染業者は大打撃を受け、翌明治37年の大旱魃も重なって用水開鑿の重要性がにわかにクローズアップされた。名西郡郡長に転出していた井内は用水建設の総指揮を執り、1912年(明治45年)に完成させた。さらに1914年大正3年)には用水機能補完のための飯尾川引水事業も完成。吉野川南岸の灌漑は飛躍的に整備された。

大正時代に入ると「覚円騒動」で中断していた治水事業も復活。吉野川各地に水刎水制である「ケレップ水制」が設置された。また、旧吉野川との分流点・第十堰付近には旧吉野川の洪水調節・河川維持用水を目的に1923年(大正12年)に第十樋門が建設された。当時日本一の樋門として吉野川の名所となり多くの見物客が訪れた。その後1927年昭和2年)に吉野川築堤は完成し第1期吉野川改修事業は完了した。この堤防はその後流域を襲った1934年(昭和9年)の室戸台風1945年(昭和20年)の枕崎台風、さらには吉野川最大の出水となった1954年(昭和29年)の台風12号、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風1961年(昭和36年)の第2室戸台風においても破堤せず洪水防御に役立った。

[編集] 銅山川分水と利害の対立

一方愛媛県宇摩地方(現在の四国中央市一帯)では慢性的な水不足を解消するため、銅山川からの分水計画・銅山川分水を安政年間より計画していた。1924年(大正13年)に宇摩郡疎水組合が結成され翌年には「銅山川疎水事業期成同盟会」が結成されて法皇山脈を貫く導水事業の早期完成を行政に促した。これを受け愛媛県は1928年(昭和3年)に柳瀬ダムを銅山川に計画して利水・発電を目論んだ。

ところが下流の水利権を持つ徳島県が猛反発、1931年(昭和6年)に愛媛県と徳島県は「分水に関する仮協定覚書」を締結したものの徳島県議会はこれを批准せず、翌年には全会一致で分水反対を決議した。これを見た内務省は調停に乗り出し発電計画を中止する縮小案で妥協を図ったが、折からの戦時体制で軍需省が発電事業への参入を決定。混乱する中終戦を迎えることとなった。

[編集] 吉野川総合開発事業

[編集] 吉野川総合開発計画

戦後の吉野川水系の開発は、複数の事業者によって同時進行で進められた。先行したのは電気事業者で、日本発送電株式会社が過度経済力集中排除法の適用を受け1950年(昭和25年)に分割・民営化したことで四国地方においては四国電力株式会社が四国四県の発電施設を全て継承した。既に1931年(昭和6年)に吉野川水系初のコンクリートダムである明谷ダム(明谷川)、1939年(昭和14年)に戦前では屈指の大ダムである大橋ダム(吉野川本川)が完成していたがこれら水力発電事業の拡充を図った。四国電力は1949年(昭和24年)に完成していた長沢ダム(吉野川本川)や大橋ダム等の旧日本発送電施設を継承した他、さらに大森川や穴内川に発電ダムの計画を進めた。

一方1938年(昭和13年)から内務省によって吉野川河水統制事業の予備調査が進められていたが戦争により中断。銅山川分水も愛媛県と徳島県の対立が解けぬまま中断していた。さらには1946年(昭和21年)に南海地震が発生、旧吉野川・今切川河口部で地盤沈下が発生し今切川樋門等の防潮施設が破損、汐止め効果が減退した。こうしたことから吉野川水系の総合開発の必要性が問われた。

1949年経済安定本部は全国の主要水系10水系を対象に、多目的貯水池による総合的な治水対策を柱とした「河川改訂改修計画案」を発表した。吉野川も対象として選定され翌年、吉野川河水統制計画を発展させた「吉野川総合開発計画」をまとめた。この計画では吉野川本川に二箇所の巨大なダムを建設するほか、支流の銅山川・穴内川に洪水調節用のダムを建設。また大森川には発電専用ダムを建設した上で徳島県三好郡池田町(現在の三好市)に上流ダム群から放流した水を平均化する逆調整池を建設するという方針を採った。

  • 吉野川総合開発計画によるダム案[1]
ダム 河川 現行規模 経済安定本部
原案
経済安定本部
修正第一案
経済安定本部
修正第二案
電源開発B 電源開発A案
早明浦ダム 吉野川 106.0
316,000,000
72.0
147,000,000
72.0
147,000,000
80.0
165,000,000
92.0
255,000,000
92.0
255,000,000
敷岩ダム 吉野川 33.0
36,500,000
33.0
36,500,000
永淵ダム 吉野川 26.0
6,600,000
赤野ダム 吉野川 28.0
4,800,000
小歩危ダム 吉野川 126.0
307,500,000
106.0
165,000,000
90.0
106,000,000
38.0
10,000,000
大佐古ダム 吉野川 146.0
676,000,000
池田ダム 吉野川 24.0
12,650,000
17.0
14,800,000
10.0
5,700,000
17.0
14,800,000
17.0
14,800,000
17.0
14,800,000
川崎ダム 吉野川 29.6
4,200,000
29.6
4,200,000
大森川ダム 大森川 73.2
19,120,000
60.0
18,000,000
60.0
18,000,000
60.0
18,000,000
60.0
18,000,000
60.0
18,000,000
樫谷ダム
穴内川ダム
穴内川 66.6
46,260,000
65.0
48,000,000
65.0
48,000,000
65.0
48,000,000
65.0
48,000,000
65.0
48,000,000
岩戸ダム
新宮ダム
銅山川 42.0
13,000,000
136.0
289,000,000
116.0
163,000,000
大野ダム
(新宮ダム)
銅山川 42.0
13,000,000
65.0
41,500,000
65.0
41,500,000
  1. ^ 数値の上段はダムの高さ(単位:メートル)、下段は総貯水容量(単位:トン)である。

この計画の目的は早明浦小歩危(または大佐古)の二大ダムを建設して巨大な人造湖を形成することで吉野川本流の洪水を調節するほか、銅山川と穴内川のダムによって支流からの洪水も調節。また貯水した湖水を徳島県への農業用水として利用するほか、岩戸(または大佐古)ダムより慢性的な水不足に悩む愛媛県宇摩地域(現在の四国中央市新居浜市一帯)に銅山川分水を通じて農業用水を既設の柳瀬ダムと共に供給。併せて有効落差を利用して水力発電を行うというものである。

1951年(昭和26年)には国土総合開発法が施行され吉野川総合開発推進のために「四国地方総合開発審議会」が設置された。さらに翌1952年(昭和27年)には「電源開発促進法」も施行され電源開発株式会社が吉野川水系の電源開発に乗り出した。こうして複数の事業者が吉野川水系の開発に乗り出したことから調整の必要性が生まれた。折から1954年(昭和29年)の台風12号で吉野川は過去最高の出水を記録したことから河川整備の再検討にも迫られた。1958年(昭和33年)建設省四国地方建設局(現国土交通省四国地方整備局)が中国地方建設局から分離する形で設置され、安本案や各電気事業者の開発案を総合的に調整し作成された「吉野川総合開発事業」が本格的に推進された。

この時までに経済安定本部より三案、電源開発より二案が提出されてダム地点や規模、目的について議論がなされた。この間柳瀬ダムが完成し銅山川分水が仮通水したものの、開発審議会において徳島県が必要以上の分水に反対し事業の推進が滞り、しびれを切らした四国電力は単独で電源開発を進め大森川ダム穴内川ダムを相次いで完成させた。建設省と電源開発は四国電力の離脱後、早明浦・小歩危・池田の三ダムを建設して洪水調節のほか早明浦と小歩危ダム間で揚水発電を行い、加えて讃岐平野への導水を視野に入れた開発計画をまとめた。だが小歩危ダムについては当初の計画案で建設すると水没面積が高知県本山町中心部付近まで達することになり、規模を高さ38.0メートル・1千万トンにまで縮小したとしても名勝の大歩危小歩危の水没が免れないことから地元の反発が大きく。1960年代には小歩危ダム計画の断念を余儀無くされ、最終的に早明浦ダムと池田ダムによる総合開発計画に縮小された。

[編集] 吉野川水系水資源開発基本計画

1960年(昭和35年)「四国地方開発促進法」が制定され四国四県の総合的な発展が図られた。折から高度経済成長期に突入する時期であったが四国地方は水資源の安定確保が難しく、特に香川県・徳島県吉野川北岸地域・愛媛県宇摩地域は水不足に悩まされた地域でもあった。1962年(昭和37年)「水資源開発促進法」の制定に伴い水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)が発足、利根川・木曽川淀川等の総合的水資源開発が計画されたが吉野川についても総合的な水資源開発を図り安定的・平等な水供給を四国全域に図るべく1966年(昭和41年)に「水資源開発水系」に指定され、「吉野川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)が策定された。

この中心として計画されたのが先の「吉野川総合開発計画」においても中心的事業として計画されていた早明浦(さめうら)ダムであり、建設省から公団へ事業継承がなされた。1968年(昭和43年)には阿讃地域の慢性的水不足解消を図る根幹施設である池田ダム香川用水・吉野川北岸用水事業が計画され、1971年(昭和46年)には吉野川の水を四国山地を貫き鏡川へ導水し高知市等の水源とする高知分水事業も計画された。

これら香川・徳島・高知への導水事業の水源として早明浦ダムは重要な施設となり、水没地域の大川村等による壮絶な反対運動を克服し1975年(昭和50年)に完成した。池田ダムも同年に完成しダムから取水された水は阿讃山脈を貫いて慢性的な水不足に数百年悩まされた香川県へ導水された。この香川用水の完成は県民の悲願でもあり、現在でも重要な水源として県全域の水需要を担っている。1978年(昭和53年)には高知分水が完成し、早明浦ダムの水は鏡川の鏡ダムを通じて高知市等の水需要を担っている。

南海地震で防潮機能が低下していた今切川樋門・旧吉野川樋門も改良され、旧吉野川河口堰今切川河口堰が建設され塩害防止と利水に供用された。農林水産省中国四国農政局によって進められていた「国営吉野川北岸農業水利事業」の根幹である吉野川北岸用水も池田ダムを水源として1990年平成2年)完成し、豊岡茘敦の発案した事業は126年の時を経て実現した。

一方銅山川分水は愛媛分水として拡充され、1964年(昭和39年)には幹線水路が完成していたが水源の整備も進み柳瀬ダム・早明浦ダムのほか旧岩戸ダムの後継として新宮ダム1976年(昭和51年)に銅山川に完成。さらに2000年(平成12年)に富郷ダムが完成するにおよび愛媛分水の水源が完備された。富郷ダムの完成に伴い、長年の懸案であった「吉野川総合開発事業」は完了することになった。

[編集] 環境保護と水不足

第十堰
第十堰

だが、開発と自然保護との対立もあった。電源開発は吉野川電源開発計画の中で早明浦ダムを上池、小歩危ダムを下池として揚水発電を行い池田ダムを逆調整池として発電所を建設する計画を立てていた。ところが下池の小歩危ダムが、名勝の大歩危小歩危を水没させることから地元住民からの猛反対を受け、電源開発計画自体を大幅に縮小せざるを得ない事態となった。同時期東では尾瀬原ダム計画反対運動が繰り広げられており、河川開発と自然保護の兼ね合いが大きな問題となった。

1982年(昭和57年)には「吉野川水系工事実施基本計画」に基づき第十堰直下流に可動堰を建設して治水・利水を図る「吉野川可動堰計画」が立案された。これに対し環境保護団体が猛反発、反対運動は2000年(平成11年)に可動堰建設の賛否を巡る徳島市住民投票にまで発展した。結果反対票が投票全体の90%を超え、これを受けて徳島市は建設反対に転じた。さらに2002年(平成14年)の徳島県知事選挙で建設反対派の知事が当選。可動堰計画は完全に凍結状態となった。だが、この徳島市住民の姿勢に対し、第十堰流域の板野町藍住町等の一部の住民は、早期の可動堰化を要望し徳島市や市民団体に対し激しく反発している。

一方、1994年(平成6年)と2005年(平成17年)に水不足は吉野川に深刻な渇水を招き、特に2005年の渇水では早明浦ダムの貯水率が0%となり連日ニュースで報道された。吉野川流域の渇水被害は徳島県だけで約50億円にも上り、水需要を巡り香川県と徳島県が対立するなど水を巡る争いはいまだに収まっていない。吉野川総合開発事業は完了したものの、今後水不足に対しどう対応するかが新しい問題として問われている。

[編集] 吉野川水系の主要河川

[編集] 吉野川水系の河川施設

吉野川水系の河川施設は、1966年(昭和41年)の「吉野川水系水資源開発基本計画」(フルプラン)に基づいて、国土交通省四国地方整備局と独立行政法人水資源機構吉野川局によって管理・運営されている。水資源施設のほとんどは水資源機構管理ダムであり、国土交通省直轄ダムは銅山川の柳瀬ダムのみである。これは他の水系ではない珍しい体系である。2000年(平成12年)の富郷ダム完成によって「吉野川総合開発事業」は全ての計画を完了した。

一方水力発電施設においては、吉野川本川上流部や祖谷川流域で発電用ダムが多く建設されているが、大規模水力発電所は本川揚水発電所 (615,000kW) 程度である。特殊なところでは銅山川源流部に建設された別子ダムで、住友グループの系列企業である住友共同電力株式会社が保有する民間企業所有ダムである。

[編集] 河川施設一覧

一次
支川名
(本川)
二次
支川名
三次
支川名
ダム名 堤高
(m)
総貯水
容量
(千m³)
型式 事業者 備考
吉野川 - - 長沢ダム 71.5 31,900 重力式 四国電力
吉野川 - - 大橋ダム 73.5 24,030 重力式 四国電力
住友共同電力
土木遺産
吉野川 - - 早明浦ダム 106.0 316,000 重力式 水資源機構
吉野川 - - 山崎ダム - - 重力式 電源開発 小堰堤
吉野川 - - 池田ダム 24.0 12,650 重力式 水資源機構
吉野川 - - 吉野川第十堰 - 固定堰 国土交通省
吉野川 - - 吉野川可動堰 6.2 6,500 可動堰 国土交通省 凍結中
大森川 - - 大森川ダム 73.2 19,120 中空重力式 四国電力
瀬戸川 - - 稲村ダム 88.0 5,800 ロックフィル 四国電力
穴内川 - - 穴内川ダム 66.6 46,260 中空重力式 四国電力
祖谷川 - - 名頃ダム 37.0 1,367 重力式 四国電力
祖谷川 - - 三縄ダム 17.0 299 重力式 四国電力
祖谷川 若宮谷川 - 若宮谷ダム 32.2 94 重力式 四国電力
祖谷川 松尾川 - 松尾川ダム 67.0 14,300 重力式 四国電力
銅山川 - - 別子ダム 71.0 5,628 重力式 住友共同電力
銅山川 - - 富郷ダム 111.0 53,200 重力式 水資源機構
銅山川 - - 柳瀬ダム 55.5 32,200 重力式 国土交通省 愛媛県施工
銅山川 - - 新宮ダム 42.0 13,000 重力式 水資源機構
銅山川 - - 影井堰 - 固定堰 水資源機構
銅山川 - - 銅山川ダム - - 重力式 四国電力 小堰堤
銅山川 柴川谷川 - 柴川ダム 40.0 252 重力式 徳島県 建設中
曾江谷川 - - 夏子ダム 43.8 1,600 重力式 徳島県
貞光川 明谷川 - 明谷ダム 19.6 52 重力式 四国電力
旧吉野川 - - 旧吉野川河口堰 7.3 4,930 可動堰 水資源機構
旧吉野川 宮川内谷川 - 宮川内ダム 36.0 1,350 重力式 徳島県
旧吉野川 今切川 - 今切川河口堰 - 可動堰 水資源機構

(注):黄色欄は建設中もしくは計画中のダム・堰。
(注2):赤欄は建設凍結中のダム・堰(2006年現在)。

[編集] 橋梁など

昭和初期に、当時の最先端技術を投じて架けられ、当時「東洋一の吊り橋」と言われた三好橋がある。いくつかの潜水橋も見ることができる。河口付近では近年の優れた橋梁技術を多数見ることができる。

[編集] 自然景勝地・名所・祭典

[編集] かつて存在したもの

[編集] 参考文献

  • 「吉野川図書館」:国土交通省四国地方整備局 徳島河川国道事務所 サイト
  • 「ダム便覧 2006」:財団法人日本ダム協会2006年
  • 「水資源開発公団二十年史」:水資源開発公団。1982年
  • 「日本の多目的ダム」1963年版:建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編。山海堂、1963年
  • 「日本の多目的ダム」1972年版:建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編。山海堂、1972年
  • 「日本の多目的ダム」1980年版:建設省河川局監修・全国河川総合開発促進期成同盟会編。山海堂、 1980年
  • 「河川総合開発調査実績概要」第二巻:建設省河川局開発課 1955年11月

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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