人によって引き起こされた核爆発以外の大爆発一覧
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高性能爆薬の発明以来、数多くの大爆発が人の手により引き起こされてきた。人によって引き起こされた核爆発以外の大爆発一覧では、そうした大爆発の中でも特に規模の大きな事例を列挙する。なお、爆発物の量が爆発の規模に直接相関しているわけではないので、正確な順位付けはもとより不可能であることに留意されたい。
20世紀以前 - 1900年代 - 1910年代 - 1920年代 - 1930年代 - 1940年代 - 1950年代 - 1960年代 - 1970年代 - 1980年代 - 1990年代 - 2000年代 - 関連項目
[編集] 20世紀以前
- デルフト大爆発(1654年10月12日)
- オランダのデルフトで火薬庫に蓄えられていた40tの火薬が爆発、市街の大部分が破壊された。100名以上が死亡し、1,000名以上の負傷者が出た。
- ブレシア・聖ナザロ教会爆発事故 (1769年8月18日)
- イタリアのヴェネツィア近郊の都市ブレシアにある聖ナザロ教会の通廊に保管されていた80トンの火薬が教会に落ちた雷によって爆発、都市の1/6が破壊され、3000人の死者を出す大事故となった。この事故がきっかけでローマカトリック教会は各教会の尖塔に避雷針を立てることを許可することとなる。
- ロードス島騎士の宮殿爆発事故 (1856年)
- ギリシャのロードス島において騎士団長の居城と称される宮殿の地下火薬庫が落雷により爆発し4000人が死亡した。
- ワッシュバーン製粉所大爆発(1878年5月2日)
- ミシシッピ州・ミネアポリスにあるワッシュバーン製粉所で粉塵爆発。18人が死亡。その後製粉所は再建されたが、元の遺構はそのまま保存されている。
- ナナイモ鉱山大爆発(1887年5月3日)
- カナダのブリティッシュコロンビア州ヴァンクーヴァー島にあるナナイモ鉱山第1炭坑で爆発が起きた。爆薬を仕掛ける際に何らかの不手際があったことが原因だと見られている。この爆発により炭坑は丸一日炎に包まれ、炭坑夫150名が死亡した。犠牲者のうち53名は中国人労働者だった。
[編集] 1910年代
- ブラック・トム大爆発(1916年7月30日)
- ニュージャージー州ジャージーシティでジョンソン17号艀が爆発。これにはヨーロッパへと運ばれる予定の爆発物1,000tが積まれていた。この爆発で自由の女神像が損傷を受け、数名の死者と約100名の負傷者が出た。原因は、軍需品の補給を阻止しようとしたドイツの工作員が放火したことによる。1953年にはドイツ側がこの事件に関して責任を認め、9,500万ドルの賠償金を支払うことに同意した。
- メシヌの戦い(1917年6月7日)
- 第一次世界大戦中の1917年、イギリス第2軍は、ベルギーのメシヌの尾根にあるドイツ軍根拠地への攻撃を計画していた。6月7日、ドイツ軍根拠地の地下にトンネルを掘って埋設された19個の巨大な地雷(総計600t)が爆破され、これによりドイツ兵約10,000名が死亡。爆発の音は遠くダブリンにまで響き、チューリッヒでも振動を感じたとされる。しかし、このとき使用された火薬は全て爆発したのではなく、1950年代に落雷により残った火薬の一部が爆発する事故が発生した。現在でも不発の爆薬が現地の尾根に眠っていると思われている。
- ハリファックス大爆発(1917年12月6日)
- カナダのハリファックス港で船同士が衝突。そのうち1隻はピクリン酸を主とする2,600tの爆発物を積んでいた。衝突の際に火災が起き、爆薬を積んだまま火の点いた船は埠頭へと流れ着いてそこで爆発した。1,600名が死亡し、ハリファックス中心街の大部分が壊滅した。
[編集] 1920年代
- オッパウ大爆発(1921年9月21日)
- ドイツのオッパウで4,500tの化学肥料を貯蔵していたサイロが爆発し、560名が死亡、2,000名以上が負傷した。爆発の規模はTNT火薬で1-2kt程度と推定され、被害は周囲30kmに及んだ。
[編集] 1930年代
- ニューロンドンハイスクールガス爆発(1937年3月18日)
- テキサス州ニューロンドンのハイスクールでガス漏れから爆発。生徒311名が死亡。これをきっかけとしてガスに着臭してガス漏れを発見でき易くするようになった。
[編集] 1940年代
- 横浜港ドイツ軍艦爆発事件(1942年11月30日)
- 横浜港内で起こった爆発事故。ドイツのタンカーウッカーマルクが、船倉清掃作業中に火災を起こし、近くの停泊していたドイツの仮装巡洋艦トール他2隻を巻き込んで爆発。ドイツ兵を中心に102名の犠牲者を出し、横浜港内の設備が甚大な被害を受けた。
- テッセンデルロー肥料工場爆発事故(1942年4月29日)
- ベルギーのテッセンデルローにあるテッセンデルロー化学社の肥料工場で、野積みされていた塩化カリウムの山をダイナマイトで崩そうとして誤って硝酸アンモニウムの山を爆発させてしまった事故。硝酸アンモニウム150トンが爆発し、工員と市民合わせて189人が死亡した。
- ボンベイ埠頭大爆発(1944年4月14日)
- ボンベイのヴィクトリア埠頭に停泊中の汽船フォート・スティキーン号で火災が発生。さまざまな物資とともに積み込まれていた1,400tの爆発物に引火し、爆発が起きた。740名が死亡し、1,800名以上が負傷した。
- シカゴ港大災害(1944年7月17日)
- シカゴ港で汽船E.A.ブライアン号が爆発した。爆発は、ヨーロッパへと運ぶ予定の弾薬を積み込んでいる最中に起きた。高性能爆薬・焼夷弾・爆雷をはじめとする弾薬4,606tがすでに積み込まれており、貨車上で待機していた残りの429tとともに爆発。これにより船員320名が死亡し、390名が負傷した。死者のうち202名はアフリカ系で、これは第二次世界大戦で死亡したアフリカ系アメリカ人の15%にあたる。
- フォールド大爆発(1944年11月27日)
- イングランド中部スタフォードシャー州にあるイギリス空軍のフォールド地下武器庫で爆発が起きた。3,670tの爆弾が爆発し、公式発表によると78名が死亡した。爆発により、周囲約1.2kmにわたって深さ約120mのクレーターが生じた。1974年に公式の調査結果が発表され、原因は、信管が付いたまま運び出されようとした爆弾が何らかの理由で爆発したものとされた。
- 戦艦大和沈没(坊ノ岬沖海戦)(1945年4月7日)
- 旧日本海軍の戦艦大和は鹿児島県坊ノ岬沖合で空襲により大火災を起こし横転、弾薬庫内にあった多数の主砲弾が誘爆して轟沈した。火柱が高さ6,000mまで立ち上り、鹿児島からも見ることができた。また近くを飛んでいた米軍機が爆風に巻き込まれて墜落したと言われている。
- 玉栄丸爆発事故(1945年4月23日)
- 鳥取県境港市大正町の岸壁で火薬を陸揚げ中だった旧日本陸軍の徴用船「玉栄丸(たまえまる)」(937トン)が爆発。その後の誘爆によって周辺の家屋431戸が倒壊焼失し、115人が死亡、309人が負傷。陸揚げの途中での休憩中に上等兵が投げ捨てたタバコが火薬に引火したのが原因。日本海新聞2007/5/31
- 密山駅爆破事件(東安駅爆破事件とも 1945年8月10日)
- 南満州鉄道東安駅で、関東軍が撤退に当たって弾薬を爆破処分。安全確認を怠った為、ソ連軍進撃により満州を脱出しようとした満蒙開拓団のグループが巻き込まれる。死亡・行方不明800人。
- 二又トンネル爆発事故(1945年11月12日)
- 福岡県添田町にあった日田彦山線未開通区間の二又トンネルに旧日本軍が保管していた約530tの弾薬を、進駐軍の監督下で処分しようとしたところ爆発。トンネルの上の山が吹き飛ばされ、周辺住民147名が死亡、149名が負傷した。
- テキサスシティ大災害(1947年4月16日)
- テキサス州テキサスシティの港で汽船グランドキャンプ号が爆発した。この船には8,500tの硝酸アンモニウムが積まれており、爆発により581名の死者と5,000名以上の負傷者が出た。
- ヘルゴラント島(1947年4月18日)
- イギリス海軍の技術者はヘルゴラント島全体を破壊することにより、島に残された旧ドイツ軍の防御設備を一挙に片付けようとした。「ブリティッシュ・バン」(あるいは「ビッグ・バン」)と呼ばれるこの計画では、第二次世界大戦で余剰した4,061t(一説には6,800t)の弾薬が島の各所に配置され、爆破された。防御設備の大部分は破壊されたが、島自体は残った。1952年に島はドイツに返還され、その後は修復を経て、現在では観光地となっている。
[編集] 1950年代
- リップル・ロック(1958年4月5日)
- カナダのセイモア海峡では、長年にわたりリップル・ロックと呼ばれる岩山が船の航行の障害となっていた。この岩山は1958年4月5日、1,375tの爆薬により爆破除去された。
[編集] 1960年代
- ネデリン大災害(1960年10月24日)
- 旧ソビエト連邦のバイコヌール宇宙基地でR-16大陸間弾道ミサイルの発射試験中にミサイルが爆発。初代戦略ロケット軍司令官のミトロファン・ネデリン砲兵元帥をはじめとする100名以上(一説には約200名)が死亡した。爆発の炎は50km離れた地点からも観測できたと伝えられる。当時、この事故は政府によって秘匿され、1990年代になってようやく事故事実が公表された。
- N-1ロケット爆発(1969年7月4日)
- バイコヌール宇宙基地で打上げ試験が行われたN-1ロケット(総重量約2,750t)2号機は発射台を離れた直後に爆発。死傷者数は不明(関連項目:ソ連の有人月旅行計画)。
[編集] 1970年代
[編集] 1980年代
- シベリア横断ガスパイプライン大爆発(1982年6月)
- シベリアでガスのパイプラインが爆発した。アメリカの情報機関の推定によると爆発の規模はTNT火薬で3kt相当だったとされるが、遠隔地での爆発だったため死傷者は出ていない。後に、CIAが故意に欠陥のあるシステムをソビエトに売り込んで爆発を起させたとの報道がなされたことがあった。これに対しパイプラインの計画責任者は、爆発の原因は単なる設計上のミスであるとして、CIA関与説を否定している。
- ペプコン大爆発 (1988年5月4日)
- アメリカ・ネバダ州のPEPCONロケット燃料工場で火災が発生。チャレンジャー事故によるスペースシャトル計画凍結のため、出荷されずに工場建物内に保管されていた過塩素酸アンモニウム3900トンが乾燥過程において炎上爆発し死者2名、負傷者372人の被害を出した。この爆発はコロラド州の国立地震情報センターでマグニチュード3.0~3.5の規模の地震であると観測され、工場から16km離れたラスベガス市街地にも被害を及ぼした。
[編集] 1990年代
- 長征3Bロケットの爆発(1996年2月14日)
- 中国の四川省リャンシャン・イ族自治州で打ち上げられた長征3Bロケットが西昌市に墜落・爆発した。強い腐食性を持つ非対称ジメチルヒドラジンが一帯に飛散し、街は壊滅。当局は現場を封鎖して証拠隠滅を図ったが、すぐに世界の知るところとなった。死者は公式発表によれば約500名(実際はそれ以上)、負傷者数は不明。
[編集] 2000年代
- 龍川駅列車爆発事故(2004年4月22日)
- 北朝鮮平安北道龍川郡で大爆発(TNT換算で推定800t相当)が起こり、龍川駅を中心に半径約2kmが被害を受けた。死者150名以上、負傷者1,200名以上(3,000名以上との説もあり)。公式発表によれば、硝酸アンモニウムを積んだ列車と石油輸送列車が線路脇の電線のショートにより炎上爆発したとされている。