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三村敏之 - Wikipedia

三村敏之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三村 敏之
Toshiyuki Mimura
基本情報
出身地 広島県安芸郡海田町
生年月日 1948年9月19日(59歳)
身長
体重
173cm
71kg
選手情報
投球・打席 右投右打
守備位置 内野手
プロ入り 1966年 第一次ドラフト2位
初出場 1967年5月7日
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

三村 敏之みむら としゆき1948年9月19日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手内野手)、プロ野球監督野球解説者。現東北楽天ゴールデンイーグルスチーム統括本部編成部部長。

目次

[編集] 来歴・人物

1966年広島商業高校三年時、遊撃手として夏の甲子園に出場(この時のチームメイトには山本和行がいる)。同年、ドラフト2位で広島カープに入団した。プロ入り後しばらくは芽が出ず、一度は戦力外リストに入るも、関根潤三広岡達朗両コーチによる熱血指導により奮起し、1970年から今津光男に代わってショートのレギュラーポジションに定着。1972年にはリーグ2位の打率も記録した。

山本浩二衣笠祥雄のような派手さはなかったが、その地味ながらもセンス溢れるプレーは巨人川上哲治監督も舌を巻くほどだった。バントヒットエンドランを確実に決める堅実なプレーで1975年のチーム初優勝にも大きく貢献し、翌1976年には27本塁打を放ってクリーンナップの一翼を担った。1977年からの2年間は不振にあえいだが、1979年に復活しカムバック賞を獲得、同年1980年の日本シリーズ2連覇の原動力となった。走攻守と三拍子揃ったまさに名手で、ベストナインにも3度選ばれている。また、左足を大きく踏み込んで打つ打法をしていたため死球が多く、二度ほど死球王にもなっている。

1983年に現役引退。1984年から二軍守備走塁コーチに就任し、1986年一軍昇格。1991年から二軍監督。1994年、一軍監督に昇格。監督としては、すでに若き主軸となっていた伸び盛りの前田智徳江藤智野村謙二郎に加え、二軍監督時代から手塩にかけていた緒方孝市金本知憲浅井樹ら、長きに渡り広島を支えることになる名選手を一本立ちさせた。「トータルベースボール」(総合野球)を掲げ、伸び盛りの若手にルイス・ロペスを加えた強力打線を前面に押し出し、優勝争いに加わった。この打線を自ら「ビッグレッドマシン」と命名するなど、報道陣へのリップサービスも豊富で人気を集めていた。

1996年には夏場まで首位を独走しながらも秋口に失速、巨人のメークドラマを許した。ロビンソン・チェコの増長や、前田のアキレス腱断裂(1995年)といった不運に見舞われ、主力選手と控え選手の実力の格差が、浮き彫りになったシーズンであった。リリーフ陣を筆頭に投手陣の人材不足解決の目処が立たず、若手投手の酷使に繋がった。1998年1993年以来5年ぶりのBクラス転落を機に、選手・コーチ・監督として32年間に渡って務めた現場から勇退した。1999年2003年中国放送スポーツニッポンの野球解説者。その後2004年ヘッドコーチとして6年ぶりに古巣に復帰したが、2005年チームの成績不振から山本監督と共に辞任した。

現役時代から読書家として知られており、著書も出版している。2006年から再び中国放送の野球解説者。そのかたわら福山大学の客員教授に就任、「実践コーチ論とプレーヤー」と題した講座で一年間教鞭を取っている。スポーツニッポン紙上でも、福山大学客員教授の肩書で野球評論をすることがある。

2007年12月1日、東北楽天ゴールデンイーグルスチーム統括本部編成部部長に就任。

[編集] 指導者歴

[編集] 背番号

[編集] タイトル・記録


[編集] 年度別打撃成績

  • 表中の太字はリーグ最多数字
年度 チーム

試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死
三振 打率(順位)
1967年 広島 48 42 99 7 18 3 0 2 27 7 0 1 0 6 24 .182
1968年 63 119 7 25 1 1 3 37 8 1 1 0 8 27 .210
1969年 63 140 18 28 3 1 4 45 10 4 1 0 19 44 .200
1970年 30 111 368 45 96 9 1 9 134 27 16 3 1 33 70 .261(14)
1971年 9 126 463 51 100 14 1 15 161 45 6 17 5 50 73 .216(26)
1972年 127 468 62 144 22 3 12 208 39 7 18 2 80 69 .308(2)
1973年 121 449 56 121 14 2 12 175 32 7 7 0 65 59 .269(11)
1974年 96 331 36 86 14 0 14 142 40 0 8 2 26 37 .260
1975年 122 442 67 124 21 3 10 181 42 3 10 2 48 47 .281(12)
1976年 130 487 76 131 19 3 27 237 69 1 13 3 36 67 .269(26)
1977年 104 347 27 83 14 1 8 123 40 2 5 2 22 54 .239
1978年 95 261 48 65 11 0 11 109 23 0 6 2 33 35 .249
1979年 116 389 46 112 17 0 12 165 60 1 14 3 43 46 .288(16)
1980年 89 199 18 42 5 0 3 56 13 0 9 0 27 33 .211
1981年 96 247 19 56 11 0 7 88 26 1 7 2 19 37 .227
1982年 57 74 3 14 5 0 0 19 9 0 2 2 13 14 .189
1983年 9 7 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 2 .000
通算成績 1567 4890 586 1245 183 16 149 1907 490 49 123 26 528 738 .255

[編集] 監督としてのチーム成績

年度 チーム 順位 試合数 勝利 敗戦 引分 勝率
1994年 広 島 3位 130 66 64 0 .508
1995年 広 島 2位 131 74 56 1 .569
1996年 広 島 3位 130 71 59 0 .546
1997年 広 島 3位 135 66 69 0 .489
1998年 広 島 5位 135 60 75 0 .444
通 算 661 337 323 1 .511
※1 1994年から1996年までは130試合制
※2 1997年から2000年までは135試合制

[編集] エピソード

  • 広島に生まれ、高校野球の強豪・広島商業で活躍、プロでは広島東洋カープ以外の球団に所属したことがないという、まさに広島一筋の野球人生を送っている人物であるが、実は少年時代は阪神タイガースのファンで、郷土出身の大スター・藤村富美男に憧れて野球を始めたという。
  • 1975年のシーズン、その年移籍してきた大下剛史と打順1、2番を形成した(1番大下、2番三村)。三村と大下は広島商業の同窓であるだけでなく、同じ広島県安芸郡海田町の出身でもある。チームメイトが同郷もしくは同出身校というのは珍しく無いが、同郷で出身校も同じ、更に生まれた町まで同じというのは、かなり珍しいケースと思われる。
  • アクの強い広島出身者及び広島選手の中では珍しく紳士的でスマートな雰囲気で女性ファンの人気が高かったが、そんな三村が現役時代1度だけその怒りを露にしたことがある。1975年9月10日中日戦、本塁上でのタッチプレーの際の相手捕手新宅洋志のブロックに激怒、これを境に両軍だけでなくファンもグラウンドに入り乱れての大乱闘となり、翌日の試合は中止という異常事態へと発展した。この事件は、初優勝に邁進するチームを一つにまとめるきっかけになった出来事として、現在でもしばしばファンの間で語られている。
  • 1996年に放送されていた東海テレビ制作の昼ドラマ真夏の薔薇』にはまっていた事があり、優勝争いの中、記者に「いよいよ盛り上がってきたね、真夏の薔薇!」と語っていたことがある。
  • 1997年巨人戦に負けた試合後に記者から敗因を聞かれた際「敗因は8回の広沢のショートゴロをセーフにしたジャイアンツのユニフォームを着たあの審判。あの審判をお立ち台に上げてやれ」と発言。後日、コミッショナーから20万円の罰金を命じられた。
  • 監督時代に、「ミスター」長嶋茂雄(巨人監督)、「ムッシュ」吉田義男(阪神監督)に対抗するためかマスコミに「セニョールと呼んでよ」と頼んだが、全くと言っていいほど話題にならなかった。(ドミニカにカープアカデミーがある点からスペイン語を選択していた。)
  • 大変な読書家で、特に漢籍に関する造詣が深い。監督時代蜂に刺された時、記者団に対し「宋襄の仁(余計な情けをかけた為に後から手痛い目に遭う意)をかけたため刺された」と語った事もある。

[編集] 著書

  • 『超二流のススメ』(2001年、株式会社アスリート)

[編集] 現在の出演番組

[編集] 関連項目

先代:
野村収
セ・リーグカムバック賞
1979年
次代:
谷沢健一
先代:
山本浩二1989年1993年
広島東洋カープ監督
1994年1998年
次代:
達川晃豊1999年2000年
※カッコ内は監督在任期間。
広島カープ
1966年ドラフト指名選手
第1次(9月) − 1位:須山成二 / 2位:三村敏之 / 3位:小野一茂 / 4位:古角哲士
第2次(11月) − 1位:西本明和 / 2位:矢沢正 / 3位:東山親雄 / 4位:佐藤直信


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