広島県立広島商業高等学校
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広島県立広島商業高等学校(ひろしまけんりつひろしましょうぎょうこうとうがっこう)は、広島県広島市中区舟入南にある商業高等学校である。
1899年に設立された伝統ある高等学校。1901年に県立となる。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下により壊滅的な打撃を被るが、学制再編により現在の県立広島商業高等学校となる。 2000年には創立100周年記念式典を挙行した。
一般的には「広商(ひろしょう)」と呼ばれているが、広島市民・県民には「県商(けんしょう)」と呼ばれることもある。それは、広島市には広島市立広島商業高等学校があり、「市商(ししょう)」と呼ばれているの対して、区別するための略称である。
野球部は高校野球の前身・全国中等野球優勝大会草創期からの強豪として知られ、春21回、夏22回の出場、うち春1回、夏6回(全国最多)の優勝を誇る(準優勝春夏各1回)。広陵とともに、広島県のみならず「日本高校野球史」を代表する名門の一つである。また特に夏の甲子園に強いため県内では、「春の広陵、夏の広商」と呼ばれる。「緻密な野球」で知られ、送りバント・スクイズ・盗塁を多用し、固い守備で1点差で守り勝つ野球が身上である。
バスケットボール部も第3回ウィンターカップで優勝している。
毎年、12月に2日開催される販売実習「模擬株式会社広商デパート」は地域からの支持も高い。
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[編集] 所在地
[編集] 周辺
[編集] 沿革
- 1899年 広島市により広島商業学校として設立。
- 1901年 広島県に移管し、広島県広島商業学校に改称。
- 1934年 広島市江波町(当時)の現在地に移転。
- 1944年 陸軍兵器学校広島分教所として徴用され被爆、爆心地から2.88kmのため被害は軽微。
- 1948年 学制改革に伴い、広島県広島商業高等学校となる。
- 1949年 広島県芸陽高等学校と統合し、広島県広島観音高等学校と改称。全日制(普通科・家庭科・商業科)と定時制(普通科)課程を設置。
- 1950年 広島市西区南観音町(現在の広島県立広島観音高等学校敷地)に移転する。
- 1954年 広島観音高等学校より商業科が分離され、広島県広島商業高等学校となる。広島市仁保町本浦(現在の広島市立広島工業高等学校敷地)に仮校舎を設置。
- 1960年 現在地に復する。(1950年から1960年までの間、現在地は広島大学政経学部校舎として使用された。)
- 1968年 広島県立広島商業高等学校に改称。
[編集] 校風
「誠実・進取」・・・真心を持った人間になろう。物事を自分から進んで行われる人間になろう。
[編集] 教育方針
「キャリア教育日本一」
[編集] 学科
- 商業科
- 国際経済科
- 会計科
- 情報システム科
[編集] 部活動
- 硬式野球部
- 軟式野球部
- バスケットボール部
- 卓球部
- 簿記部
- 珠算部
- 商業研究部ほか
[編集] 著名な出身者
- 道面豊信(実業家、元味の素社長)
- 大木惇夫(詩人)
- 峠三吉(原爆詩人)
- 石本秀一(広島東洋カープ初代監督他)
- 小野吉郎(第11代NHK会長)
- 高木俊介(タカキベーカリー創業者)
- 灰山元治(ライオン軍)
- 鶴岡一人(元南海ホークス監督)
- 土屋雅敬(元国鉄スワローズ他)
- 山本文男(元広島東洋カープ、元セリーグ審判部長)
- 山本一義(元広島東洋カープ他)
- 大下剛史(元広島東洋カープ他)
- 三村敏之(元広島東洋カープ、同監督)
- 山本和行(元阪神タイガース他)
- 大倉英貴(元阪神タイガース)
- 迫田穆成(元野球部監督)
- 金光興二(法政大学野球部監督)
- 達川光男(元広島東洋カープ、同監督)
- 佃正樹(元野球部エース)
- 桑原秀範(元野球部監督)
- 桝本壮志(放送作家)
- 仲摩純平(東京アパッチ)
[編集] 最寄電停
[編集] 関連項目
- 江波 (広島市)
- 舟入地区 (広島市中区)
- 広島市立舟入高等学校 - 広島市の中でも屈指の進学校。当校から近く、同じ舟入地区に位置する。
- 広島市立江波中学校 - 当校から非常に近い。当校が位置する広島市中区舟入地区は、全域が広島市立江波中学校の通学区域である。
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