東京アパッチ
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東京アパッチ(とうきょうアパッチ、英語名 Tokyo Apache)は、日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)に所属するバスケットボールチーム。
目次 |
[編集] 概要
[編集] チームカラー
- チームカラーはバイオレット・ゴールド。
[編集] ユニフォームスポンサー
- 株式会社ダイナシティ(胸)
[編集] 過去のユニフォームスポンサー
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
- 2005~ OZAKI
[編集] チーム名の特徴
- 現チームは選手のポジションを特定しないという方針のもと試合を行っている。チームの得点力はリーグ屈指である。
- ブライアント監督は日本人選手育成を目標の一つに掲げており、シーズン終盤には主力の外国人選手を敢えてベンチに下げる采配も見られた。
[編集] bjリーグでの戦い
[編集] 2005-2006シーズン
リーグ初年度の2005-06シーズン序盤は失点が多く苦しんだものの、その後徐々に勝ち星を増やしレギュラーシーズンの最終結果は20勝20敗で3位だった。個人タイトルは、レギュラーシーズンでハンフリーが平均得点でリーグ首位、ピペンは3位。その他ハンフリーはスティールとスリーポイントシュート成功数で、ピペンは出場時間でリーグ上位に入った。青木康平はフリースロー成功率でリーグ首位。ピペンはベスト5に選ばれた。プレイオフでは、緒戦でアパッチは新潟アルビレックスに敗れ、3位決定戦では仙台89ERSを下し3位の成績だった。
[編集] 2006-2007シーズン
東京アパッチは、西武ライオンズ選手・監督の東尾修氏を代表取締役社長兼ゼネラルマネージャーに迎える。また、同じく東京を本拠地とするプロ野球球団・東京ヤクルトスワローズとも協力関係を締結した。「ゴリエ杯争奪全日本チア選手権」準優勝の「ガムQ」(スーパーイコリーダンスプロダクション)が応援する。
なお、選手については日本人選手及びハンフリーと契約を更新。新外国人としてNBADLで田臥勇太のチームメイトだったニック・ビリングス(開幕直後契約解除)とNBAのキャンプに参加したジェレミー・マクガイヤ、(12月に契約解除)元仙台89ERSのマイケル・ジャクソンの3選手と契約。外国人以外の補強は行わずにシーズンを迎えた。東京アパッチは、リーグ屈指の得点力を誇ったが、リーグ最多失点を喫し、外国人選手の入退団も頻繁であったためチームの歯車が狂い、結果として、8チーム中最下位に終わった。個人タイトルは、青木康平はリーグベスト5、最高フリースロー成功率、ハンフリーは、試合平均得点の個人タイトルを2年連続で獲得している。
[編集] 2007-2008シーズン
青木康平、ハンフリーら主力が残留し、大阪から城宝匡史を、新潟からニック・デービスと大型補強に成功したアパッチは、攻撃力のアップと崩壊した守備の改善に成功し、新潟、埼玉とのプレーオフ争いを演じる。2月には中村友也やディーン・ブラウンを獲得し、チームのムードも良くなり、6連勝するなどしたが、埼玉、新潟も勝ち星を積み重ねたため、抜け出すことができない。そんな中、リーグ終盤の新潟との直接対決で連勝し、1ゲーム差に詰め寄ると、埼玉との直接対決の2戦目を勝利し、埼玉をプレーオフ争いから脱落させると、新潟も仙台に連敗を喫し、勝率で新潟と並ぶ。次の琉球戦で勝利し、東京アパッチのプレーオフ圏内である3位以内は確定したが、史上初の代々木第二体育館での開催を目指すべく、チームは踏ん張り4連勝。逆に新潟は、最終戦で黒星を喫し、東地区2位が確定した。史上初の代々木第二でのワイルドカードゲームは東京が新潟に勝利し、東京アパッチのプレーオフ進出が決まった。
[編集] 監督陣と選手
[編集] 監督陣
- 監督: ジョー・ブライアント
- アシスタントコーチ: 大場康弘
[編集] 選手
背番号 | 名前 | 生年 | 身長、体重 | 出身 | 前所属 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 李政濬 | 1984 | 193cm、93kg | 大韓民国 | 塘沽大学 |
5 | 岩佐潤 | 1980 | 183cm、82kg | 千葉県 | GYMRATS |
9 | 仲西翔自 | 1982 | 190cm、85Kg | 鳥取県 | 日本大学 |
10 | 牧ダレン聡 | 1979 | 175cm、70kg | 米国 | 世田谷UNK太子堂 |
11 | 青木康平 | 1980 | 167cm、65kg | 福岡県 | FAR EAST BALLERS |
12 | 仲摩純平 | 1983 | 191cm、84kg | 広島県 | 美鈴が丘クラブ |
16 | 信平和也 | 1981 | 192cm、85kg | 神奈川県 | エックス |
19 | 中村友也 | 1985 | 198cm、85kg | 大阪府 | 大阪エヴェッサ |
21 | ニック・デービス | 1976 | 203cm、98kg | 米国 | 新潟アルビレックスBB |
23 | ディーン・ブラウン | 1980 | 207cm、100kg | バルバドス | 栃木ブレックス |
31 | 城宝匡史 | 1982 | 183cm、75kg | 北海道 | 大阪エヴェッサ |
33 | デミオン・ベーカー | 1978 | 193cm、100kg | 米国 | マウントオリブ大学 |
35 | ジョン・ハンフリー | 1980 | 188cm、95kg | 米国 | ボストン・フレンジー(ABA) |
[編集] 過去の所属選手
[編集] キーワード
[編集] 小島よしおのギャグで相手を揶揄
2007-2008年のシーズンから、一部東京ブースターが小島よしおのギャグ「そんなの関係ねぇ!」を用いて相手チームを揶揄する横断幕を掲示している。例として
- 「お帰りなさい勝又英樹でもそんなの関係ねぇ!」(仙台89ERSに移籍した勝又英樹を揶揄)
- 「代々木第二と被ってるでもそんなの関係ねぇ!」(代々木第二体育館で行われていたJBLの試合時間が東京アパッチと被っていた事を揶揄)
- 「有明で12連勝中!?でもそんなの関係ねぇ!」(大阪エヴェッサが有明コロシアムで未だ負けなしの12連勝中(現在は14連勝に伸びている。)であったことから)
などである。
[編集] 大阪エヴェッサ出身の選手の方が人気?
2007-2008シーズンの公式HPでのアンケートにおいて、「あなたのナンバーワンプレーヤーは誰?」というアンケートで1位には生え抜き選手である青木康平が選ばれたが、2位には城宝匡史、3位には中村友也と大阪エヴェッサ出身の選手の方が上位を占めた。
[編集] 地域密着活動
アパッチはbjリーグの理念である地域密着活動を積極的に行っている。ほぼ毎週のように小学校を訪れ、クリニックを行っている他、学芸大学駅、渋谷センター街にも応援フラッグを掲示している。他にも、カリガリなどの東京アパッチ応援店舗とのコラボレーションを行うなどしている。
[編集] 観客動員数
観客動員数は2007-2008シーズンは合計で71425人、平均で3246人の観客を集めた。しかし、観客動員数の波が激しく、開幕戦では7000人以上のブースターを集めたが、反面1000人代の試合も数試合あり、リピーターの数が伸び悩んでいる状況である。また、大阪エヴェッサや埼玉ブロンコス、高松ファイブアローズ、新潟アルビレックスとの試合では、比較的多くの観客が集まる傾向である。
[編集] メディア露出について
メディアで取り上げられることは少なく、地上波でのテレビ中継は未だにない(埼玉ブロンコスも現時点ではない)。TOKYOMXTVが2回アパッチの特集を組んだくらいであり、東京都民にとって、東京アパッチの存在が薄いことは否めない。特に、有明コロシアムのある江東区ではアパッチの存在そのものを知らないという人が多くいるという。
[編集] 初めての代々木第二体育館での開催
2007-2008シーズンのプレーオフでJBLのファイナルが毎年行われる代々木第二体育館での始めてのbjリーグの試合が行われた。結果は東京が新潟に103-88で勝利し、プレーオフを決めた。