新潟アルビレックスBB
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新潟アルビレックスBB(にいがたアルビレックスびーびー)は、bjリーグに加盟するバスケットボールチーム。新潟県新潟市に本拠地を置き、新潟市体育館や朱鷺メッセなどで主に試合を行っている。
目次 |
[編集] 概要
チームとしては、泥臭いくらいのディフェンス、ロングレンジのシュートやスクリーンプレイを基本としたスペース活用のバスケが持ち味。常に前に向かっていくということ、挑みつづけている事、あたりまえの選手がそれ以上の力で勝利していくことそれがアルビレックスの魅力である。 それをリーグ”最狂”のブースターたちが支える。そのブーストはアウェイでも遺憾なく発揮され、通称”オレンジ軍団”の名前で味方には愛され、敵には嫌がられている。
二軍チームとして「新潟アルビレックスA2」も持つ。
[編集] チームカラー
- チームカラーはオレンジと青(チーム名の由来となった「アルビレオ」の色から)・白。また、オレンジは日本海に沈む夕日、青は日本海と信濃川、白は白鳥と雪という位置づけもされている。
[編集] ユニフォームスポンサー
[編集] 過去のユニフォームスポンサー
- CORONA(胸 2000~2003,背 2003~2006)
- NSG(背 2000~2003,胸 2005~2007)
- Yahoo! BB(胸 2003-2004シーズンの2004年のみ)
- INVOICE(胸 2004-2005)
- クレアール(胸 2006-2007)
- コーポレートソフトウェア株式会社(パンツ 2005-2006)※2006年8月に富士通コミュニケーションサービスへ社名変更
[編集] ユニフォームサプライの遍歴
- ~2004 チャンピオン
- 2005~ OZAKI
[編集] チーム名の変遷
- 1954年 大和証券バスケットボール部
- 1994年 大和証券ホットブリザーズ
- 2000年 新潟アルビレックス
- 2006年 新潟アルビレックス バスケットボール(略称:新潟アルビレックスBB)
[編集] 歴史
JBL 大和証券時代(1954~1999)
元母体は大和証券バスケットボール部で1954年の結成である。当時は証券会社による対抗バスケットボール大会に参加し、結成当初から1963年度までの10年間無敗で連続優勝を続けた。その後1963年に関東実業団連盟の1部リーグ戦に参加。1991年から旧・日本リーグ参戦を果たし、1993/1994年シーズンから1部加盟。その際「ホットブリザーズ」という愛称でプレーするとともに、1993年度で廃部された熊谷組バスケットボール部から選手及びコーチを受け入れて再スタートを切った。
しかし、長期不況が影響し証券業界の再編が進むことを背景に1999/2000年シーズンを最後に大和証券のバスケット部は休部することになった。その後全選手の受け皿となる企業を探したが、サッカー(Jリーグ)・アルビレックス新潟のメインスポンサー企業である新潟県の学校法人「NSGグループ」が受け入れることを決定し、実質的なプロチームとして運営法人「新潟スポーツプロモーション」を設立。サッカーと同じアルビレックスの愛称を使用し、「新潟アルビレックス」として県民密着型のバスケットクラブチームを目指すことになった。
JBL 新潟アルビレックス設立(2000~2004)
当初は新・日本リーグ(2部相当)でプレーし、2000/2001年、2001/2002年の2シーズンに渡って同リーグ連覇達成。2002/2003年度からスーパーリーグに昇格を果たす。しかし、2004年には新潟アルビレックスがさいたまブロンコスと共にバスケットボール日本リーグ機構(JBL)を脱退し、プロ組織による新リーグを結成するというプロリーグ構想が発表された。一旦それは認められなかったが、2005年4月に正式に脱退が認められた。しかし、日本バスケットボール協会が主催するプロリーグの構想も明らかになっており、今後の完全プロ化・一本化が厳しくなる可能性がある。
また、2003年にはアメリカ合衆国のマイナーリーグ、ABAに所属するロングビーチ・ジャムと資本関係を結び、チーム名のアルビレックスを冠化し「ロングビーチ・ジャム・アルビレックス」(現ベーカーズフィールド・ジャム)として活動を開始した。
bjリーグ加盟 新潟アルビレックスBB(2005~)
bjリーグ初年度は大阪エヴェッサと優勝争いを展開し、最終的には準優勝となった。 bjリーグ2年目はリーグ新加入の高松ファイブアローズと戦い敗れ、大分にも敗れ、痛恨の4位となった。 3年目は新外国人の獲得の失敗、途中解雇とごたつき、日本人選手の活躍もあったが、全般的に見て、持ち味であったチーム力の低下、物堅いディフェンスが影をひそめ、スリーポイントを含むシューターの迷い、そしてインサイドの不調。これらを踏まえて、プレイオフ進出を決める東京アパッチとのワイルドカード敗退という結果におわり、今年は6位となった。
チームロゴがサッカーのアルビレックス新潟と酷似しているとJリーグから抗議を受け、2006年7月より「新潟アルビレックス バスケットボール(略称:新潟アルビレックスBB)」と改称し、チームロゴも一変させた。
[編集] 獲得タイトル
- 2000/2001年 新・日本リーグ(2部相当)優勝
- 2001/2002年 新・日本リーグ(2部相当)優勝
[編集] 個人別タイトル
ベスト5
[編集] その他受賞
[編集] リーグ戦の主な記録
[編集] 個人記録
- 通算最多試合出場
- 最多連続試合出場
- 最年少試合出場
- 最年長試合出場
- シーズンフルタイム出場
- 1試合最多得点
- 1試合最多リバウンド
- 1試合最多アシスト
- 通算最多得点
- 最多連続得点試合
- シーズン最多得点
- 最年少得点
- 最年長得点
[編集] チーム記録
[編集] 得点失点関連記録
- 最多得点・最多失点
- 1試合最多得点
- 1試合最多失点
[編集] 連勝記録
- 最多連勝
- リーグ戦に於ける連勝記録に限れば、日本リーグ時代に2001年1月28日から2002年2月17日にかけて記録した18連勝が最多となる。間に全日本総合バスケットボール選手権大会(通称:オールジャパン)や親善試合を含まない連勝となると、bjリーグに入って2005年11月26日から2006年2月5日にかけて記録した15連勝が最多。
- 最多連敗
- JBLスーパーリーグ時代に2004年1月31日から2月29日にかけて記録した9連敗が最多。
- 同一カード最多連勝
- 同一カード最多連敗
[編集] 観客動員記録
最多観客動員試合
最少観客動員試合
- 2005-06 小千谷市総合体育館 1,459人
年度別観客動員記録
部 | 年度 | 試合数 | 合計 | 平均 | 最大 | 最小 | 試合会場 | 備考 |
日本リーグ | 2000-01 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | リーグ優勝 |
2001-02 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | Sリーグ昇格 | |
Sリーグ | 2002-03 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- |
2003-04 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2004-05 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | Sリーグ脱退 | |
bjリーグ | 2005-06 | 20 | ---人 | 3,008人 | 4,394人 | 1,459人 | --- | bjリーグ開幕 |
2006-07 | 20 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- |
会場別観客動員記録
年度 | 自治体 | アリーナ | 座席数 | ホームゲーム観客数 | ||||
試合数 | 合計 | 平均 | 最大 | 最小 | ||||
2005-06 | 新潟市 | 朱鷺メッセ | 約5,000席 | 10 | ---人 | 4,021人 | 4,394人 | 3,498人 |
新潟市 | 市東総合SC | 3,120席 | 2 | ---人 | 2,116人 | 2,158人 | 2,073人 | |
長岡市 | 市厚生会館 | 席 | 4 | ---人 | 1,887人 | 2,200人 | 1,579人 | |
小千谷市 | 市総合体育館 | 席 | 2 | ---人 | 1,502人 | 1,544人 | 1,459人 | |
上越市 | リージョンプラザ | 3,476席 | 2 | ---人 | 2,586人 | 2,711人 | 2,460人 | |
ホーム計 | 20 | ---人 | 3,008人 | 4,394人 | 1,459人 | |||
2006-07 | 新潟市 | 朱鷺メッセ | 約5,000席 | 10 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 |
柏崎市 | 市総合体育館 | 1,130席 | 2 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | |
長岡市 | 市厚生会館 | 席 | 4 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | |
小千谷市 | 市総合体育館 | 席 | 2 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | |
上越市 | リージョンプラザ | 3,476席 | 2 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | |
ホーム計 | 20 | ---人 | 3,008人 | 4,394人 | 1,459人 |
[編集] 国際試合・親善試合
[編集] 親善試合
[編集] 国際大会
2006年08月11日~19日 アジア・プロバスケットボール招待トーナメント 4位
[編集] 監督陣と選手
[編集] 監督陣
[編集] 選手
背番号 | 名前 | 位置 | 生年 | 身長、体重 | 出身 | 前所属 |
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4 | 長谷川誠 | PG | 1971 | 186cm、85kg | 秋田県 | いすゞ自動車ギガキャッツ |
9 | 小菅直人 | SG | 1982 | 187cm、74kg | 新潟県 | 近畿大学 |
10 | ロドニー・ウェブ | F | 1983 | 201cm、100kg | カリフォルニア州 | グレートフォールズ・エクスプローラーズ(CBA) |
11 | 藤原隆充 | PG | 1978 | 182cm、81kg | 福岡県 | 九州産業大学 |
15 | 寺下太基 | F | 1980 | 190cm、80kg | 和歌山県 | 新潟アルビレックスA2 |
23 | 佐藤公威 | SG | 1984 | 186cm、77kg | 新潟県 | 新潟工業短期大学 |
32 | 池田雄一 | F | 1983 | 191cm、93kg | 新潟県 | 東海大学 |
33 | マット・ギャリソン | F | 1973 | 203cm、104kg | ミネソタ州 | Al Riyadi(レバノン) |
44 | アンドレ・スミス | F | 1985 | 203cm、100kg | ミネソタ州 | Herens(スイス) |
45 | アンドリュー・プレストン | C | 1984 | 209cm、95kg | ケンタッキー州 | ベルモント大学 |
[編集] 過去の所属選手
トップチーム(A1)所属選手
サテライトチーム(A2)所属選手
※:トップチームへの昇格/入団を経験した選手
[編集] ダービーマッチ
詳しくは日本のダービーマッチを参照。
[編集] エピソード
[編集] 異競技間交流
サッカー・Jリーグ、アルビレックス新潟のグループチームとしてチーム名とイメージカラーを共有している。
グループチームは新潟アルビレックスBBのほかに、チアリーディングチームのアルビレックスチアリーダーズやスキー・スノーボードの「チームアルビレックス新潟」、陸上競技の「新潟アルビレックスランニングクラブ」。更に野球北信越独立リーグの「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」が存在する。
(なお、各「アルビレックス」は、イメージカラーを共有しているが、各競技チームの運営会社は全く別個の企業であり、各運営会社間に直接の資本関係等は無い)
[編集] 関連
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[編集] 外部リンク
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