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ホンダ・レーシング・F1チーム - Wikipedia

ホンダ・レーシング・F1チーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ホンダ
エントリー名 Honda Racing F1 Team
チーム国籍 日本
チーム本拠地 英国ノーサンプトン州ブラックレー NN13 7BD
チーム代表者 ロス・ブラウン
テクニカルディレクター 中本修平
ドライバー 16. ジェンソン・バトン
17. ルーベンス・バリチェロ
テストドライバー アレクサンダー・ヴルツ
マイク・コンウェイ
ルカ・フィリッピ
シャシー RA108
エンジン RA808E
タイヤ ブリヂストン
参戦年度 1964 - 1968 , 2006 -
出走回数 61
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 3
通算獲得ポイント 151
表彰台(3位以内)回数 8
ポールポジション 2
ファステストラップ 2
F1デビュー戦 1964年ドイツGP
初勝利 1965年メキシコGP
2007年順位 8位 (6ポイント) 
  (記録は2008年第7戦終了時)
[編集]

ホンダ・レーシング・F1チームHonda Racing F1 Team)は、2006年から旧B・A・Rの株式をホンダが100%取得してF1に参戦することとなったレーシングチーム。

なお、1964年から1968年の単独チームによる参戦(第1期)と、1983年から1992年(第2期)及び2000年から2005年(第3期)のエンジン供給による参戦に関してもここで述べる。

目次

[編集] 歴史

ホンダのF1参戦の歴史は、シャシーエンジン含め全て自社製造しフルワークス体制でチームとして参戦した第1期、既存チームにエンジンを供給するという「エンジンサプライヤー」の形をとった第2期、当初エンジンのみを供給し、後にフルワークス体制のホンダF1チームに移行した現在継続中の第3期に分かれる。厳密に言えば、参戦体制は、第1期参戦時と第2期参戦は本田技研工業及び本田技術研究所によるものであり、2006年以降を含む第3期参戦は本田技研工業により1999年にイギリスに設立されたホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)社によるものである。

RA271
RA271

[編集] 第1期

1962年にF1参戦を発表。当初ロータスへのエンジンサプライヤーとしての参戦予定であったが、1964年シーズン開幕直前になってロータス側からキャンセルの連絡があり(それまで同社にエンジンを供給していたコベントリー・クライマックス社が、ロータスと当時協力関係にあったジャガーに買収され、ロータスも引き続きコベントリー・クライマックスのエンジンを使わなくてはならなくなったためとされる)、急遽シャシーを自社開発しフルコンストラクターとして参戦することになる。

初優勝を果たしたRA272(ホンダコレクションホール所蔵)
初優勝を果たしたRA272(ホンダコレクションホール所蔵)

同年7月のドイツGPニュルブルクリンク)でデビュー。翌1965年第10戦メキシコGPリッチー・ギンサーが念願の初優勝を果たすが、これは1.5リッターエンジン時代のF1最終戦での勝利であると同時に、その後F1に参加したタイヤメーカーの中では最多の368勝をあげることになるグッドイヤーの初勝利でもあった。

犠牲と困難を乗り越えて辿り着いた勝利であったが、日本国内のテレビのニュースで扱われた際に、当時の事情からか(モータースポーツへの理解や認知が乏しく、暴走族に加担する企業として捉えられてしまった)クレームが多数寄せられる結果となった。その際の関係者の落胆と屈辱は計り知れないものがある。

1966年に大幅なレギュレーションの改正が行われ、エンジンの排気量がそれまでの 1.5Lから倍の3.0Lになった。ホンダはこのレギュレーションに対応するべく新しいV型12気筒エンジンの開発を行ったが、既存のエンジンを2つ重ねにしたり、スポーツカーレースのカテゴリで使っていたエンジンを流用した他のチームと比べると大幅に出遅れた。結局このシーズンは終盤のイタリアでようやくエンジンが完成して参戦する事ができた。

イタリアでの劇的なレースを制したRA300。このマシンはサーティースの仲介によってローラがシャーシーの制作に加わった。
イタリアでの劇的なレースを制したRA300。このマシンはサーティースの仲介によってローラがシャーシーの制作に加わった。

1967年にはジョン・サーティースがチームに加入した。1964年のワールドチャンピオンの加入はチームに大きな力を与えた。このシーズンのドライバーはサーティース1人だけだったが、彼はホンダのマシンで1位1回、3位1回と2回表彰台に昇り20ポイントを獲得、コンストラクターズランキング4位につけた。特に優勝したイタリアGPは2位のジャック・ブラバムに対して僅か0.2秒、距離にして2m差での勝利であった。1967年の成績が第一期ホンダの最高成績となった。

1968年のワークスマシーンは昨シーズンサーティースがイタリアで劇的な勝利をもたらしたRA300の進化版RA301であった。一方これとは別に空冷エンジンを搭載したRA302が制作され、この年のフランスGPに持ち込まれたがこれは悲劇的な結果を招くことになった。空冷エンジンを搭載したRA302はエンジンを冷却するラジエータが無い分コンパクトであったが、やはり空冷ではエンジンの冷却に問題があり、直ぐにオーバーヒートの症状を示すエンジンであった。RA302はフランスGPにスポット参戦したジョー・シュレッサーによってドライブされる事になった。シュレッサーは雨の中スタートした決勝レース2周目でスピンしマシンはコースを飛び出して激しく炎上した。炎上するマシンの中に取り残されたシュレッサーは焼死した。

この事故の後ホンダはF1を撤退するのではないかとささやかれ始めた。この頃社会問題になっていた大気汚染に対する市販車用低公害型エンジンの開発を理由として、結局1968年シーズン終了後F1活動休止を発表する事になった。(その後に誕生したのがCVCCエンジンである)。この年は初めてフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したマシンがドライバーズとコンストラクターズのチャンピオンになった。DFVエンジンの登場はグランプリからワークスチームの退場と、プライベーターチームの百花繚乱をもたらした。ホンダがF1にカムバックするにはこのDFVの時代が終わり、コンストラクターがワークスエンジンを求めるような状況が作り出されるのを待つ必要があった。その状況こそが即ちターボエンジンの登場であった。

[編集] 第2期

ウィリアムズ・ホンダ FW10 1985年
ウィリアムズ・ホンダ FW10 1985年
マクラーレン・ホンダ MP4/5
マクラーレン・ホンダ MP4/5
ホンダF1最期のターボエンジン・RA168E
ホンダF1最期のターボエンジン・RA168E

ルノーによって先鞭が付けられたターボエンジンの登場は、ワークスに対してF1へのカムバックを促した。コスワースはターボエンジンに対応できず、一方でターボに対するノウハウを持っていたワークスはこの時を狙ってグランプリへの復帰を果たした。ホンダはF2へのエンジン供給などを経て、1983年スピリットチームにエンジンを供給するという形でF1への復帰を果たした。その年の最終戦南アフリカグランプリからウィリアムズへのエンジンRA163Eの供給を開始し、翌1984年第9戦アメリカGPケケ・ロズベルグにより復帰後初勝利をあげ、1986年1987年にはコンストラクターズ・タイトル、1987年にはネルソン・ピケのドライバーズ・タイトルに貢献した。

1980年代の日本国内のF1ブームでは、当時人気を博したドライバー、アイルトン・セナと蜜月関係を結び、「F1のホンダ」として大いに知名度を高めた。また第2期F1活動中の1980年代後半は、1988年にホンダエンジンを搭載したマクラーレンが16戦15勝するなど、その当時ホンダのエンジンが最も高性能であり、コンストラクターは6年連続、ドライバーは5年連続でホンダエンジン搭載車が獲得したことから、ホンダのF1エンジン無くしては総合優勝を狙えないと言われた。

ちなみに1988年のホンダエンジン16戦全勝を阻んだジャン=ルイ・シュレッサーイタリアGPでセナと接触)は、1968年にホンダRA302で事故死したジョー・シュレッサーの甥であり、ホンダにとって皮肉な巡り合わせとなった。

また1986年までウィリアムズシャシーを使ったエンジンテストを担当していた中嶋悟は、1987年にロータス(この年からエンジンを供給)から日本人初のフル参戦を果たした。尚、ホンダは中嶋の個人スポンサーでもあった。

1991年には、中嶋が所属するティレルチームに対し、前年マクラーレンが使用したV10エンジンをベースとしたエンジンRA101Eを供給した。しかし、これは前年のコスワースDFRエンジンに比べて、重く大きくなったことからマシンバランスを崩すことになり、エンジンパワーの増加による駆動系の信頼性の問題と相俟って、ステファノ・モデナモナコGPでの予選2位、カナダGPでの決勝2位という散発的な好リザルトは得るも、シーズン通しての好成績には結びつかなかった。

同1991年にマクラーレンMP4/6にはV12であるRA121Eエンジンが搭載された。そしてブラジルGPにおいてアイルトン・セナがドライブするマシンは深刻なギアボックス・トラブルを抱えていた。4速を失ったのを始め、続いて3速・5速を失った。レース終盤にはついに6速のみで走行せざるを得なかった(実際、その時の彼を捉えたオンボードカメラではシフトチェンジをせず、終始ステアリングをから手を離さずに周回している映像が記録されている)が、セナは母国初優勝を果たした。この事は彼の秀逸なドライビングテクニックのみならず、ホンダエンジンの高い適応性を示した。

(現場サイドとしてはV12エンジンの実戦投入を必ずしも望んでいたわけではなかった。V12エンジンは確かに高回転・高出力を達成しやすいが、その反面、近代サーキットで好タイムを刻むためには必須の低・中速トルクが細くなるという欠点がある。加えて、V10エンジンと比較すると体積・重量も増えるため、マシン全体の重量バランスにも少なからぬ悪影響がある。それでもV12エンジンの投入に踏み切ったのは、その当時、創始者の本田宗一郎の健康状態がおもわしくなく、余命いくばくもないことがその一番の理由であった。第1期F1時代に彼がこだわったV12エンジンを使用して、彼の存命中にもう一度V12エンジンでの勝利を見せてやりたかった、という事情があったからだというのは有名な逸話である。)[要出典]

その後、ルノーエンジンを搭載したウィリアムズチームの台頭や、ホンダ本体の新車販売不振などにより、第2期F1活動は1992年にて区切りをつけることとなる。

なお1992年には無限(現・M-TEC)が、1991年にティレルに供給されたRA101Eをベースに独自のV10エンジン(無限MF351H)を開発してF1への参戦を開始するなど(そのためエンジンのカムカバーには「HONDA」のロゴがつけられたほか、エントリー名も「無限ホンダ」だった)、ホンダの撤退後もホンダの技術を元にしたエンジンはF1に参戦し続けた。

[編集] 第3期

RA005E
RA005E

1990年代後半には、シャシー製造を含めたフルワークスチームとしてのプロジェクトが進んでおり、1998年には当時ホンダ社長だった川本信彦の口から「フルワークスによるF1参戦」が明言された。その後HRDを設立し参戦準備を進め、デザインを日本で行いイタリアのダラーラがシャシーRA099の製作を担当して、1999年にテストドライバーにヨス・フェルスタッペンを起用してサーキット走行を行うところまで準備が進んだが、当時テクニカルディレクターを務めていたハーベイ・ポスルスウェイト博士がバルセロナでのテスト中に急死したこと、またホンダ社内に根強く残る慎重論などを背景に、結局ホンダはフルワークスによる参戦を断念し、再びエンジン供給による参戦の形をとることとなった。

2000年にBARへワークス体制でエンジン供給を開始、2001年2002年にはジョーダンにもエンジン供給を行った。

しかし、2002年にB・A・Rのシャシー開発を行っていたレイナード社が倒産したことを契機に、テクニカルディレクターに就任したジェフ・ウィリスとともに、そのシャシー開発にも携わるようになった。

上記の様に、2000年から始まった第3期F1活動では第2期と異なりなかなか結果を残せずにいたが、2004年になると、マシンを共同開発するB・A・Rホンダが11回表彰台に上りコンストラクターズランキング2位へと躍進した。しかし、念願の第3期初優勝には手が届かなかった。

2005年シーズンは、開幕当初レギュレーション変更に伴う影響をマシン設計に十分反映できていなかったことから出遅れ、ようやく、第4戦サンマリノGPで3、5位でフィニッシュし復活の兆しを見せたと思われるや、レース後の車検で重量違反が発覚し、その後の裁定でサンマリノGPのリザルト取り消し及びその後2戦(スペインGP、モナコGP)の出場停止となってしまった。しかし、その後巻き返しを見せて、第8戦カナダGPでポールポジションを獲得、第12戦ドイツGP、第16戦ベルギーGPではジェンソン・バトンが表彰台を獲得したが、コンストラクターズランキングは6位に終わった。

[編集] フルコンストラクターとしての参戦再開

[編集] 2006年

2006年はB・A・Rの株式を100%取得し、38年ぶりに純ホンダワークスチームとして、バトンと、フェラーリから移籍のルーベンス・バリチェロのラインアップで参戦することになった。また鈴木亜久里が新たに立ち上げたスーパーアグリにエンジンを供給し、ギアボックス等の開発にあたって技術支援も行った。第13戦ハンガリーGPジェンソン・バトンが14位スタートながら波乱のレースを制して、見事優勝し第3期参戦としての初勝利を果たした。オールホンダとしては39年ぶりの優勝。2007年からタバコ広告が全てのグランプリで禁止されることにともない、1999年のBAR時代からメインスポンサーだったブリティッシュ・アメリカン・タバコのサポートが今シーズンで終了した。

[編集] 2007年

RA107を駆るバリチェロ(第2戦マレーシアGP)
RA107を駆るバリチェロ(第2戦マレーシアGP
展示中の2007年カラーリングのマシン(2007年9月、東京都新宿区にて)
展示中の2007年カラーリングのマシン(2007年9月、東京都新宿区にて)

2007年はバトン、バリチェロ共に残留、サードドライバーにクリスチャン・クリエンを迎えた。

ホンダは2007年に使用するマシンRA107のカラーとしてスポンサーロゴを使用せずに、宇宙から映し出される地球をイメージし、環境問題をテーマとしたカラーリングを発表した。ただしレギュレーションによって定められているノーズのマニュファクチャラーロゴと供給タイヤメーカーロゴはプリントされている。

このマシンを構成するカラーのピクセルをウェブ上で誰でも購入できるチャリティを展開していた。イギリスGPからは、マシン上にピクセル購入した人の名前が小さな白文字で書かれている(環境問題に賛同すれば寄付金は、必ずしも必要でない)。リアウイングには「myearthdream.com」とチャリティサイトのアドレスが示されている。

シーズンオフのテスト段階からマシンの戦闘力の低さを噂され、開幕後第7戦までずっとノーポイントと極端に成績が伸びず、チーム史上最悪の低迷期であった。しかし、第8戦フランスグランプリにおいてバトンがようやく今季初ポイント(8位・1pt)を記録した。

また、各分野での人材補強を着々と進め、チーム代表にはベネトンフェラーリなどで活躍し、2007年は休養していたロス・ブラウンが就くことになった。

[編集] 2008年

2008年もバトン、バリチェロ共に残留、リザーブドライバー兼テストドライバーにアレクサンダー・ヴルツを迎えた。

昨年の「my earth dream」を継続した形の「earth dreams」コンセプトを発表。昨年とは異なる物の地球環境をテーマとしたカラーリングを用い、地球環境問題の意識向上を謳っている。 2008年度のマシンRA108も、開幕前から戦闘力不足が囁かれていたが、現時点(第7戦カナダGP終了時)で昨年度1年分のポイント(6pts)を上回るなど、確実に進歩しているとは言えるだろう。

また、5月27日に、ブラックレーのファクトリーがF1チームとして初のISO14001を取得した。

[編集] 戦績

シャーシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 ポイント ランキング
1964 RA271 ホンダ V12 G MON NED BEL FRA GBR GER AUT ITA USA MEX 0 9位
ロニー・バックナム Ret Ret Ret
1965 RA272 ホンダ V12 G RSA MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 11 6位
リッチー・ギンサー Ret 6 Ret Ret 6 14 7 1
ロニー・バックナム Ret Ret Ret Ret 13 5
1966 RA273 ホンダ V12 G MON BEL FRA GBR NED GER ITA USA MEX 3 8位
リッチー・ギンサー Ret NC 4
ロニー・バックナム Ret 8
1967 RA273 RA300 ホンダ V12 F RSA MON NED BEL FRA GBR GER CAN ITA USA MEX 20 4位
ジョン・サーティース 3 Ret Ret Ret 6 4 1 Ret 4
1968 RA300 RA301 RA302 ホンダ V12 V8 F
G
RSA ESP MON NED BEL FRA GBR GER CAN ITA USA MEX 14 7位
ジョン・サーティース 8 Ret Ret Ret Ret 2 5 Ret Ret Ret 5 6
ジョー・シュレッサー Ret
デービッド・ホッブス Ret
ヨアキム・ボニエ 5
2006 RA106 ホンダ RA806E(V8 M BHR MAL AUS SMR EUR ESP MON GBR CAN USA FRA GER HUN TUR ITA CHN JPN BRA 86 4位
ルーベンス・バリチェロ 15 10 7 10 5 7 4 10 Ret 6 Ret Ret 4 8 6 6 12 7
ジェンソン・バトン 4 3 10 7 Ret 6 11 Ret 9 Ret Ret 4 1 4 5 4 4 3
2007 RA107 ホンダ RA807E(V8 B AUS MAL BHR ESP MON CAN USA FRA GBR EUR HUN TUR ITA BEL JPN CHN BRA 6 8位
ジェンソン・バトン 15 12 Ret 12 11 Ret 12 8 10 Ret Ret 13 8 Ret 11 5 Ret
ルーベンス・バリチェロ 11 11 13 10 10 12 Ret 11 9 11 18 17 10 13 10 15 Ret
2008 RA108 ホンダ RA808E(V8 B AUS MAL BHR ESP TUR MON CAN FRA GBR GER HUN EUR BEL ITA SIN JPN CHN BRA - -位
ジェンソン・バトン Ret 10 Ret 6 11 11 11 - - - - - - - - - - -
ルーベンス・バリチェロ DSQ 13 11 Ret 14 6 7 - - - - - - - - - - -

[編集] ホンダエンジンを搭載したチームとドライバー

(記録は2007年第1戦終了時点)

[編集] シャシー及びエンジンの型式名について

ホンダでは伝統的に「RA」で始まる型式名としているが、これは第1期のF1参戦時において、既に実績を残していた2輪と区別する意味において、「Racing Automobile」を示す意味で付けられたもの。なお、その後に付けられる数字については参戦時期において下記のように異なる意味が込められている。

  • 第1期
系統だった命名規則は無かった模様。最初に作られた試作エンジンの「RA270E」については、「最高出力270馬力(最高時速270kmという説もある)を目標とする」というところから「270」とつけられたと言われている。1967年の「RA300」以降については、シャシーの開発体制を日本の研究所が中心だった旧体制からイギリスの現地部隊中心の新体制に改めたことから、新たな飛躍を目指す意味で当時の監督だった中村良夫が番号を一新することを決め、きりの良いところで「300」とした。
  • 第2期 : RA1○△E
R(Racing)
A(Automobile)
1(Formula One)
○(シリンダー数の下1桁。0,2,6が用いられた)
△(西暦の下1桁)
E(Engine)
  • 第3期以降のエンジン : RA○△△E
R(Racing)
A(Automobile)
○(シリンダー数の下1桁。0,8が用いられた)
△△(西暦の下2桁)
E(Engine)
  • 2006年以降のシャシー : RA1△△
R(Racing)
A(Automobile)
1(Formula One)
△△(西暦の下2桁)

[編集] 参戦年度・形式名

  • 第1期
    • 1963年 RA270(試作シャシー)、RA270E(研究目的の試作エンジン)
    • 1964年 RA271(シャシー)、RA271E(エンジン)
    • 1965年 RA272(シャシー)、RA272E(エンジン)
    • 1966年 RA273(シャシー)、RA273E(エンジン)
    • 1967年 RA273、RA300(ホンダとローラの共同開発によるマシン。通称Hondola
    • 1968年 RA300、RA301、RA302(空冷エンジン搭載車)
  • 第2期
    • 1983年 RA163E(F2用エンジンをショートストローク化した上でターボを付加したエンジン)
    • 1984年 RA164E
    • 1985年 RA164E、RA165E(完全新設計、ロングストローク化)
    • 1986年 RA166E
    • 1987年 RA167E (80度V型6気筒 1494cc)
    • 1988年 RA168E
    • 1989年 RA109E(ターボエンジン禁止により3.5リッターNA・V10エンジンに移行)
    • 1990年 RA100E
    • 1991年 RA121E(V12エンジン、マクラーレンに供給)、RA101E(V10エンジン、ティレルに供給)
    • 1992年 RA122E、RA122E/B
  • 第3期
    • 1999年 RA099(シャシー)、RA099E(エンジン) - フルコンストラクター参戦準備のテストに使用された。
    • 2000年 RA000E
    • 2001年 RA001E
    • 2002年 RA002E
    • 2003年 RA003E
    • 2004年 RA004E
    • 2005年 RA005E
    • 2006年 RA106(シャシー)、RA806E(エンジン)
    • 2007年 RA107(シャシー)、RA807E(エンジン)
    • 2008年 RA108(シャシー)、RA808E(エンジン)

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 第1期

  • 中村良夫 - 第一期(1964年~1968年(断続的))ホンダF1監督。同時期、監督と市販四輪車開発を兼務した。
  • 川本信彦 - ホンダF1チームのエンジニア。RA300・RA301のエンジン設計者であり、第2期参戦当初(1983年~1984年)のチーム監督でもあった。後にホンダ社長。
  • 入交昭一郎 - RA273のエンジン設計者。入社まもない設計者だったが中村達に抜擢された。後のホンダ副社長、セガ社長。

[編集] 第2期

  • 桜井淑敏 - 第二期前半(1984年~1987年)ホンダF1総監督。
  • 後藤治 - 第二期後半(1988年~1990年)ホンダF1プロジェクトリーダーを務める。後にマクラーレン、フェラーリザウバーに在籍。

[編集] 中間期

  • M-TEC - 1992年から2000年までF1に「無限」としてエンジン供給し、実質的にホンダ不在の間を埋めた。

[編集] 第3期

  • ヨス・フェルスタッペン - 1999年に「フルワークス」準備の際のテスト走行を担当。
  • 福井威夫 - 2000年の第3期F1参戦開始時に指揮を執る。2006年現在ホンダ社長。
  • ティレルB・A・R - ホンダ・レーシング・F1チームはB・A・Rを買収して2006年より参戦することとなったが、そのB・A・Rも1999年にティレルを買収(契約は1998年シーズン開始前に成立)して参戦開始したチームである。
  • ジル・ド・フェラン - 2005年より2007年7月までB・A・R及びホンダのスポーティングディレクターを務めた。

[編集] 一般情報

[編集] 外部リンク

2008年のF1世界選手権を戦うチーム出走ドライバー   
フェラーリ BMWザウバー ルノー ウィリアムズ レッドブル トヨタ
1 フィンランド ライコネン 3 ドイツ ハイドフェルド 5 スペイン アロンソ 7 ドイツ ロズベルグ 9 イギリス クルサード 11 イタリア トゥルーリ
2 ブラジル マッサ 4 ポーランド共和国 クビサ 6 ブラジル ピケ 8 日本 中嶋 10 オーストラリア ウェバー 12 ドイツ グロック
トロ・ロッソ ホンダ スーパーアグリ
(第4戦まで)
フォース・インディア マクラーレン
14 フランス ボーデ 16 イギリス バトン 18 日本 佐藤 20 ドイツ スーティル 22 イギリス ハミルトン
15 ドイツ ベッテル 17 ブラジル バリチェロ 19 イギリス デビッドソン 21 イタリア フィジケラ 23 フィンランド コバライネン


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