アンソニー・デビッドソン
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F1での経歴 | |
国籍 | イギリス イングランド |
生年月日 | {{{生年月日}}} |
没年月日 | {{{没年月日}}} |
車番 | 19 |
所属チーム | |
活動時期 | 2002 , 2005 , 2007 - 2008 |
過去の所属チーム | '02ミナルディ '05B・A・R '07~'08スーパーアグリ |
出走回数 | 24 |
優勝回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
F1デビュー戦 | 2002年ハンガリーGP |
初勝利 | - |
2008年順位 | |
(記録は2008年第4戦終了時) | |
アンソニー・デビッドソン(Anthony Davidson, 1979年4月18日 - )はイギリス人のレーシングドライバー。愛称はアント、AD(エーディ)。
目次 |
[編集] F1以前の経歴
1987年にカートを始め、イギリス選手権、ヨーロッパ選手権、北米選手権などに参戦。1999年に四輪レースにステップアップし、フォーミュラ・フォードに進出。2年目にはイギリス選手権で年間ランキング2位を獲得し、マクラーレン/オートスポーツ・ヤングドライバーズイヤーを受賞。
2001年にはF3チームカーリン・モータースポーツと契約しイギリスF3選手権に参戦。2000年度イギリスF3においてシリーズ3位ながらも英オートスポーツ誌で2000年度最速ドライバーとして評価されるなどして2001年イギリスF3で最有力候補とされていた佐藤琢磨のチームメイトに自ら志願。カーリン・モータースポーツと契約したのは佐藤琢磨がいたからだと後に語っている。そして参戦初年度ながら、チームメイトの佐藤琢磨に次ぐランキング2位を獲得。車体に慣れるに従いシーズン後半は調子を上げ、6月以降は佐藤を上回る成績を残した。
[編集] F1
[編集] 2002年
シーズン中にはF1のブリティッシュ・アメリカン・レーシングチーム(2003年よりB.A.Rホンダ)からF1のテストに参加し、同年末には同チームとテストドライバー契約を交わして正式に加入した。 同チームでテストドライバーを務める一方、この年第13戦ハンガリーGPと第14戦ベルギーGPで、アレックス・ユーンの代役としてミナルディからF1デビューも果たした。このチームの枠を越えた珍しい代役起用のいきさつは、ミナルディが当初ジャスティン・ウィルソンの起用を検討していたが、高身長のウィルソンではシートが合わなかったため、デビッドソンに白羽の矢が立ったというものである。予選では2戦ともチームメイトのマーク・ウェバーに対してコンマ6秒以内につける健闘を見せたが、2戦ともスピンによるリタイアに終わっている。
[編集] 2003年
B.A.Rにテストドライバーとして残留した。
[編集] 2004年
B.A.Rのテストドライバー仲間の一人だった佐藤琢磨が2004年のレギュラードライバーに昇格したため、デビッドソンも繰り上がりでサードドライバーへと昇格、金曜のフリー走行に参加してしばしばタイムシート上位に食い込み注目を集めた。B.A.Rはこの年コンストラクターズランキング2位へと躍進したが、デビッドソンの開発能力の高さを指摘する声が多く、評価を高めた。 11月には翌年のレギュラードライバーを探していたウィリアムズがデビッドソン獲得に向けた交渉を望んだが、これはデビッドソンとの長期契約を結んでいたB.A.Rによって拒絶されたため実現しなかった。(結果としてウィリアムズはBMWの推したニック・ハイドフェルドを起用)
[編集] 2005年
テストドライバーとしてB.A.Rに留まったが、B.A.Rは前年度ランキング2位を獲得したため金曜日に第3ドライバーを走らせる権利がなく、チームの躍進の裏で皮肉にもデビッドソンは表舞台での活躍機会を奪われることになった。第2戦マレーシアGPでは、病気で欠場した佐藤琢磨に代わり、3年ぶりにレースに参加することができたが、レース序盤にエンジントラブルでリタイアを喫し、大きなチャンスを逸してしまった。来季レギュラードライバーとなるため9月13日にシルバーストン・サーキットで行われたジョーダン(2006年のミッドランド)のテストに参加したり、他にもホンダの支援を受けて新規参戦するスーパーアグリのシート獲得が噂されたが、結局はB.A.R株を買収しワークスチームとして新生したホンダチームに変わらずテストドライバーとして残留することになった。
[編集] 2006年
ホンダでテストドライバーを務める一方、この年はBBCラジオ(Radio 5)やイギリスITVのF1中継でしばしばゲストコメンテーターを務めた。
[編集] 2007年
スーパーアグリF1チームと契約を結び、ホンダから移籍。自身のF1キャリアで初めてレギュラードライバーの座を得た。チームメイトは佐藤琢磨。
第3戦バーレーンGP予選ではチームメイトの佐藤を上回りQ2進出を果たし、その後も予選では多くのレースでチームメイトを上回る速さを見せたが、決勝でポイントを獲得するには至らなかった。
チームメイトを追い越すほどの速さと実力は窺わせるが、数字に残る結果を残せなかったこともあり、全ドライバーの中での評価は比較的地味なものに留まった。
[編集] 2008年
2008年も引き続きスーパーアグリでレースに出場していたが、昨年よりも戦闘力の劣るSA08に苦しみ、予選ではQ1で脱落することがほとんどであった。マレーシアGP、バーレーンGPと連続で佐藤を上回る順位で完走するも、5月6日にスーパーアグリがF1から撤退することを発表、レースに出場することはできなくなった。現在は無所属の状態で、今後のチームなどは未定だが、6月12日に行われたバルセロナ合同テストでホンダから復帰している。
[編集] 備考
- 2006年8月11日、ガールフレンドのキャリーと結婚した。
- 2007年シーズン、フジテレビF1中継で与えられたニックネームは「琢磨の助っ人! 最強ライバル!」。
- 同番組にて実況の竹下陽平アナウンサーに「デビッド・アンダーソン」と呼び間違えられたことがある(2007年オーストラリアグランプリにて)。
- 2007年5月頃、雑誌F1速報に連載中の4コマ漫画「グランプリ天国」に登場する、デビッドソン自身をモデルにしたキャラクタを見て、「僕はこんなに暗い顔じゃないよ」とやや苦笑混じりにコメントしている。
[編集] F1での年度別成績
(2008年第4戦終了時)
年 | 所属チーム | # | ランキング | 獲得ポイント | 決勝最高位・回数 | 表彰台回数 | 予選最高位・回数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年 | ミナルディ | 22 | 無し | 0 | リタイア・2回 | 0回 | 20位・2回 |
2005年 | B.A.R | 4 | 無し | 0 | リタイア・1回 | 0回 | 15位・1回 |
2007年 | スーパーアグリ | 23 | 23位 | 0 | 11位・3回 | 0回 | 11位・2回 |
2008年 | スーパーアグリ | 19 | 0 | 15位・1回 | 0回 | 21位・2回 |
[編集] 外部リンク
現在のチーム首脳 | 鈴木亜久里 | ダニエル・オーデット | マーク・プレストン | |
現在のドライバー | 佐藤琢磨 | アンソニー・デビッドソン | ジェームズ・ロシター | |
過去のドライバー | 井出有治 | フランク・モンタニー | 山本左近 | |
F1マシン | SA05 | SA06 | SA06B | SA07 | SA08A | |
チーム関連会社 | ARTA | ホンダ・レーシング・ディベロップメント | |
現在のスポンサー | 本田技研工業 | 新日本石油 | ブリヂストン | サマンサタバサ | セイコー | オートバックスセブン | フジテレビジョン |
2008年のF1世界選手権を戦うチームと出走ドライバー | |||||||||||
フェラーリ | BMWザウバー | ルノー | ウィリアムズ | レッドブル | トヨタ | ||||||
1 | ライコネン | 3 | ハイドフェルド | 5 | アロンソ | 7 | ロズベルグ | 9 | クルサード | 11 | トゥルーリ |
2 | マッサ | 4 | クビサ | 6 | ピケ | 8 | 中嶋 | 10 | ウェバー | 12 | グロック |
トロ・ロッソ | ホンダ | スーパーアグリ (第4戦まで) |
フォース・インディア | マクラーレン | |||||||
14 | ボーデ | 16 | バトン | 18 | 佐藤 | 20 | スーティル | 22 | ハミルトン | ||
15 | ベッテル | 17 | バリチェロ | 19 | デビッドソン | 21 | フィジケラ | 23 | コバライネン | ||