ヘイ・ジュード
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ヘイ・ジュード (Hey Jude) | ||
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ビートルズ の シングル | ||
リリース | 1968年8月30日(イギリス) 1968年8月26日(アメリカ) |
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録音 | トライデント・スタジオ (1968年7月29日~8月1日) |
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ジャンル | バラード | |
時間 | 7分11秒 | |
レーベル | EMI, アップル・レコード | |
プロデュース | ジョージ・マーティン | |
チャート最高順位 | ||
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ビートルズ 年表 | ||
レディ・マドンナ (1968年) |
ヘイ・ジュード (1968年) |
ゲット・バック (1969年) |
「ヘイ・ジュード」("Hey Jude")は、1968年8月にビートルズが発表した18枚目のオリジナル・シングル曲である。
目次 |
[編集] 解説
レノン=マッカートニーの作品。実質的にはマッカートニーの作った楽曲である。リードヴォーカルはポール・マッカートニー。ピアノ、後半リフレイン部分のオーケストラの指揮も担当している。約7分11秒という演奏時間は当時のポップスとしてはかなり長く(後世のミュージシャンのカヴァー曲では更に長くなることもある)、そのうち半分以上を「na na na,na na na na[1]... Hey Jude」のリフレインが占めている。ちなみに、このリフレインの合唱及び手拍子は、この後半部を演奏したオーケストラのメンバーによるものである。
「ヘイ・ジュード」は『ザ・ビートルズ』(ホワイトアルバム)と同時期の録音曲で、はじめて彼らが8トラック録音をした作品でもある。この8トラック録音を行うために彼らが普段利用しているアビーロード・スタジオではなくトライデント・スタジオを利用した。しかし、EMIのアビーロード・スタジオと独立系のトライデントスタジオでは、機材の規格がまったく違っていたため、録音とミキシングを済ませてアビーロード・スタジオへ持ち帰ったマスターテープをプレイバックした際に、高音域がほとんど死んでいることがわかった。アップル・レコード初のシングル盤として発売予定日はずらすことができず、またビートルズが録り直しに首を縦に振ることも考えられず、エンジニアは冷や汗をかきながらリスニングに耐えられるレヴェルまでイコライザ操作をした。ビートルズの他の楽曲に比べて全体的にエッジが利いておらず、あたかもヴォーカルとすべての楽器をオンマイクで録ったようにこもった感じで聞こえるのはそのためである。また、この時演奏に使用したピアノはクイーンのボヘミアン・ラプソディ等でも使用されている。
「ヘイ・ジュード」はビートルズの代表的なバラードで、この曲はジョン・レノンの長男・ジュリアン・レノン(勿論この歌ではジュードと歌われている)に捧げられている。ジョンと前妻のシンシアが喧嘩ばかりして険悪だった時に、当時5歳であったジュリアンを励ます曲と言われている。しかし、歌詞を見てみると5歳の男子に贈る内容としては無理があるため、この曲はジョンが言うように「ジョンに対する応援歌」とも考えられる。一部では、ダブル・ミーニングでユダヤ人のことを歌ったのではないかという説もあり、当初実際に、この曲によって勇気付けられ励まされたと主張するユダヤ人たちも多数存在する。しかし「ジュー」という言葉はユダヤ人に対しての蔑称であり、発売日翌日にはアップル・ブティックの外壁に抗議の落書きをされたという事実もある。
ポールは "The movement you need is on your shoulders" の歌詞は削除もしくは修正するつもりだったが、「ここが一番格好良い詞なんじゃないか。捨てるなんて勿体無い。残しておけよ」というジョンのアドバイスを採用し削除しなかった。今でもポールは、この歌詞を歌うとき、ジョンを思い出して懐かしい気分になるのだという。解散後にジョンは、「歌詞は立派なもんだ。頑張ればポールにもいい詞が書けるという証拠だな」と言うコメントを残している。
1969年にアメリカ・アップル・レコードの編集版アルバム『ヘイ・ジュード』に収録され、同アルバムは1979年にはイギリスでも発売された。
2004年に『ローリング・ストーン(Rolling Stone)』誌が選んだ「史上最高のロックソング500曲(The RS 500 Greatest Songs of All Time)」では8位となった。
[編集] カヴァー曲(もう一つの「ヘイ・ジュード」)
1989年のチェコスロヴァキアのビロード革命の折に、1960年代のチェコの歌手マルタ・クビショヴァーによる、チェコ語でのカバー曲が、民主化運動を行う民衆を励ます曲として、『マルタの祈り』と共に民衆によって歌われた。クビショヴァーによる『ヘイ・ジュード』は、1968年にチェコにソヴィエト軍が侵攻し、いわゆる「プラハの春」を弾圧した事件に抵抗する為に『マルタの祈り』等と共にレコーディングされていたのであった。
なお、チェコ語版の歌詞においては、「ジュード」は女性という事になっている。
また、ビロード革命の時には、クビショヴァ-自身は歌詞を忘れてしまい、完全にはこの『ヘイ・ジュード』を歌うことができなかった。
こうしたエピソードは、NHKの番組『世紀を刻んだ歌』で日本に紹介された。
[編集] ステレオ・ヴァージョン
「ヘイ・ジュード」のリアル・ステレオ・ヴァージョンはビートルズの活動中にはリリースされなかった。ただしアメリカでは1970年2月にリリースされたアルバム『ヘイ・ジュード』に収録された。英国では1973年4月リリースの『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』が最初となる。CDでは1988年3月にリリースされたアルバム『パスト・マスターズ Vol.2』に収録された。
[編集] シングル盤
シングル盤は1968年にビートルズ自身が設立したアップル・レコード初のシングルとして同年8月30日に発表された(英国)。『ビルボード』(Billboard)誌では、1968年9月28日に週間ランキング1位を獲得、9週間連続1位に。ビルボード誌1968年年間ランキングでも第1位であった。この1位は1964年の『抱きしめたい』("I Want To Hold Your Hand")に続くものであり、ビルボード誌年間ランキング第1位を2度獲得したのは、同誌史上初めてのことであった。なおB面は「レヴォリューション」である。
全世界では1,300万枚のセールスを記録。世界歴代シングル売上第4位(ギネス・ワールド・レコーズ認定による)とされる。
[編集] プロモーション・フィルム
プロモーションの為に「デヴィッド・フロスト・ショー」に出演し、この曲を演奏した。基本的にはリップシンクだが、ポールのヴォーカルのみライヴ。新曲のプロモーションとしては'66年以降の事だった。 このフィルムの冒頭にはデヴィッド・フロストによる紹介もあるが、テレビ出演とプロモーション・フィルムとしての制作を兼ねていた。 カップリングの「レヴォリューション」と共に世界各国のビートルズ発売のレコード会社に配られた。 そのフィルムにはジョージ・ハリスン抜きでヘイ・ジュードの別テイクを録音するシーンが含まれていた。
[編集] 収録アルバム
[編集] 脚注
- ^ ポールは直筆歌詞原稿に "na na na,na na na na Hey Jude" と書いている。
[編集] 外部リンク
選抜高等学校野球大会入場行進曲 |
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