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長州力 - Wikipedia

長州力

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

長州 力
プロフィール
リングネーム 長州 力
本名 郭 光雄
(通名:吉田 光雄)
ニックネーム 革命戦士
身長 184cm
体重 120kg
誕生日 1951年12月3日(56歳)
出身地 山口県徳山市
所属 リキプロ
スポーツ歴 レスリング
トレーナー アントニオ猪木
デビュー 1974年8月8日
  

長州 力(ちょうしゅう りき、1951年12月3日 - )は、山口県徳山市(現:周南市)出身のプロレスラー。血液型O型。在日韓国人2世で、本名は郭 光雄(クァク・クァンウン、곽광웅)。通名は吉田 光雄(よしだ みつお)である。ニックネームは「革命戦士」。最終学歴は専修大学卒業。海外遠征時のリングネームはリッキー・チョーシュー。入場曲は平沢進作曲のオリジナルテーマ曲「パワーホール」。

目次

[編集] 来歴

[編集] 五輪出場のエリート

小学生の頃から柔道を習い、高校(山口県桜ヶ丘高校)からレスリングに転向。ミュンヘンオリンピックには韓国代表として出場。

同じオリンピック代表選手であったジャンボ鶴田をライバル視しており、スカウトにより大学卒業と同時に新日本プロレスに入門。デビューは1974年8月8日、日大講堂でのエル・グレコ戦。サソリ固めで勝利を飾る。デビュー時のリングネームは吉田光雄であったが、後に故郷の旧名である長州と力道山から長州力と、ファン公募によって改名。因みに出身地の徳山市は旧周防国(すおう)であるが、長門国(ながと)と合わせた2国を治めていたのが毛利家長州藩であった。

テレビでの登場機会も多くタイトルマッチも多かった。チャンスを多くもらったのだが、長髪全盛の時代に角刈りでおなかも出ており、技も華やかさに欠け無骨なファイトだった長州はさっぱり人気が出ず、精悍で女性受けする藤波辰巳木村健悟の後塵を拝す。ストロング小林を抜いてヘビー級3番手に浮上し、坂口征二と共にNWA北米タッグのベルトを保持していたが単なる脇役という印象は拭い去れずにいた。同タイトルもアントニオ猪木の提唱するIWGP構想により(IWGP発表当初はタッグに関する構想はなかったにもかかわらず)返上となる。

[編集] 「かませ犬発言」から「革命戦士」へ

ワールドプロレスリング視聴率が20%を超えるという「新日ブーム」で沸く1982年に入ると、藤波辰巳との「名勝負数え歌」で一躍ブレイク。『革命戦士』のニックネームとともに時代の寵児となり、また素早いロープワークを駆使し、短時間で勝負を付けるプロレス・スタイル「ハイスパート・レスリング」はのちにプロレス界の主流となっていった。

ブレイクの発端となった「藤波、俺はお前のかませ犬じゃない!」という、藤波のエリート街道に対する僻みとも思える発言[1]だが、下積み期間の長い藤波に対して、長州はレスリングでオリンピック代表まで上り詰めた経緯から鳴り物入りで新日本プロレスに入団しているので、むしろエリートは長州の方であり、これは単なるギミックであったとの見方もある[2]。実際、長州が実際に発した言葉は「なんでオレ(長州)がオマエ(藤波)の前を歩かなきゃいけないんだ! なんで(メキシコで当時実力№1のエル・カネックを破り、UWA世界ヘビー級王座を奪取し凱旋してきた)オレがオマエの前に(試合前での)コールされなきゃいけないんだ!」であった。これを「噛ませ犬」と変えたのは当時の新日本プロレス実況を行っていた古舘伊知郎アナである。

その後、当時の体制に反旗を翻して、師と仰ぐマサ斎藤キラー・カーンと共に「革命軍」を結成。さらにラッシャー木村率いる国際軍団を振り切る形で長州と活動を共にするアニマル浜口[3]、浜口と同じく国際軍団の寺西勇タイガーマスクとの抗争で同じく新日軍を敵に回していた小林邦昭、そしてレスリング日本一の触れ込みで新日入団後、海外武者修行に出て帰国した長州の弟子ともいえる谷津嘉章らと共に「維新軍」を結成する。また、アメリカで活躍するタイガー戸口(キム・ドク)も時折、維新軍に帯同した。[4]

この維新軍団の結成は新間寿の仕掛けであったとも言われる[要出典]。長州は明治維新志士を彷彿とさせる長髪にし日焼けしてイメージチェンジ。1981年末に全日本プロレスに転出したスタン・ハンセンウエスタン・ラリアットを真似てリキ・ラリアットを頻繁に使うようになる。新設されたWWFインターナショナル・ヘビー級王座を巡って藤波と「名勝負数え唄」といわれる連戦を展開、1983年4月3日には藤波をピン・フォールで破り王座奪取。「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」という名言を残す。

[編集] ジャパンプロレス旗揚げ~全日参戦

その後ジャパンプロレスを旗揚げし、維新軍団に所属するレスラーを率いて戦場を全日本プロレスへと移すという、新日本に対し最初の造反を行う。UWFに続き、長州および維新軍団にも去られた新日本は選手が不足し、窮余の策として若手を登用、これが後の闘魂三銃士の隆盛に繋がる。

全日本マットにハイスパート・レスリングを持ち込むものの、当初はジャイアント馬場からシャム猫のケンカと揶揄された。だが、結果的にはそれまでショー的要素の強いアメリカン・プロレススタイルが主流であった全日本の試合内容に変革を起こす事となった。また全日本所属の天龍源一郎は長州にライバル意識をムキ出しにしたことで注目され、エースのジャンボ鶴田とも大阪城ホールにて60分フルタイムの激闘を展開した。その他にも馬場をはじめブルーザー・ブロディハーリー・レイスニック・ボックウィンクルドリー・ファンク・ジュニアリック・フレアーらの世界的な名選手との対戦が行われ、長州にとっても大きな経験となった。1985年秋から全日本プロレス中継がゴールデンタイムに復帰するのも長州らの参戦による盛り上がりが大きく貢献している[5]

1986年2月5日に谷津嘉章とのチームで鶴田、天龍の鶴龍コンビを破ってインターナショナル・タッグ王座を奪取。さらに、二ヵ月後の4月5日にはハンセンを破ってPWFヘビー級王座を奪取。この王座は全日本創設以来の看板タイトルで、この時点で鶴田も天龍も奪取していなかった。しかし全日本のタイトルに興味がない長州はベルトを無造作に手に持ったり肩に掛けたりして、マスコミへの撮影以外で腰に巻くことはほとんどなかった。

その後、テリー・ゴディテリー・ファンクカート・ヘニングらを相手に防衛に成功。1987年2月から病気(ガングリオン)で全日本のシリーズを欠場し、そのまま新日本に復帰。契約問題で馬場および日本テレビと揉め大騒動に発展した(該当項目参照)。これによりジャパンプロレスは崩壊。また、長州のスタイルに強い影響を受けた天龍は、長州離脱後の全日本マットで激しいプロレスを展開し、後の四天王プロレスのスタイルの礎を築いた。

[編集] 新日復帰・現場監督就任

以後、1987年に新日本に出戻りし、ジャパンプロレス時代に1986年8月全日マットで謀反を起こしたカーン、そして当時引退状態にあったアニマル浜口、全日本にそのまま残った谷津嘉章、寺西勇らを除き、マサ斎藤、小林邦昭と共にNOWリーダーとNEWリーダーの抗争でNEWリーダーの盟主となったスーパー・ストロング・マシン。またマシンとともに常に行動を共にしていたヒロ斉藤、更に専修大学の後輩でジャパンプロ出身の馳浩、そしてジャパンプロ生え抜きの佐々木健介といった選手らと反新日体制を率いる。正式な軍団名は無かったが全員リキプロに所属し、テレビやマスコミからは“長州軍”“ニュー維新軍”などと呼ばれていた。その軍団の当時のトレーニングジャージには背番号が入っていた(ちなみにマサ斎藤:0、長州:1、マシン:2、小林:3、(欠):4、ヒロ斉藤:5、保永昇男:6、佐々木:7、馳:8)。

長州は1988年7月にアントニオ猪木から念願のフォール勝ちを奪い、新日本マットの中心となる。そして現場監督として猪木が一線を退いた後の団体を取り仕切り、UWFインターナショナルとの抗争を主導し、新日本プロレスに莫大な利益をもたらす。しかし、その後は愛弟子の佐々木健介や他団体の天龍源一郎を重用する等の私情優先とも取れる経営も見られた他、サイパン合宿に代表される不明朗な経費処理[要出典]もあり、西村修などの一部新日選手に長州を嫌う傾向が出始める。

1998年に東京ドーム大会で引退したものの、大仁田厚の参戦・挑発に乗る形で2000年7月に現役復帰した。

[編集] WJプロレス

2002年2月武藤敬司派が新日を退団した責任を取らされ現場監督の任を剥奪。2002年5月痛烈な猪木、藤波批判を行った上新日本プロレスを退社。盟友・永島勝司と共に有力タニマチであった福田政二を代表取締役として2003年3月WJプロレス(ファイティングオブワールドジャパン)を旗揚げしたものの、多数の「諸般の事情」(WJ自身、問題が生じた際にこの言葉で誤魔化すことが多々あった)により頓挫、総合格闘技イベントX-1ZERO-ONEとの対抗戦(アングルとして橋本真也が切り出した)に活路を見出そうとするも崩壊に至った(該当項目参照)。

一貫してリキ・ラリアット、サソリ固めバックドロップのみで試合を作るスタイルを通している為に、未だオールドファンの人気は高い。WJ設立時のオープニングシリーズでは全6戦全てのメインに長州対天龍のシングルマッチを組んだ。

[編集] 新日再復帰~そして現在

ハッスルやインディー団体へ参戦を続け、2004年新日本に一時復帰。2005年10月8日サイモン・ケリー猪木(当時新日本社長)との会談で、リキプロに所属しつつ新日本プロレスの現場監督として復帰(ただし、新日本所属ではなく、あくまでリキプロ所属である)。このサイモンの独断により新日所属レスラーの意見は真っ二つに別れた。特に藤波は発表当初は歓迎をしていたものの、なぜかドーム興行終了後に態度を180度転換している。実際、現場監督に復帰後も現場責任者の平田淳嗣、副責任者の後藤達俊(のちに新日本を退団)を独断で解任したり、前日組まれていたカードを当日になって変更するなど一部の選手とは更なる軋轢を生んでいる。

佐々木健介、北斗晶夫妻はWJ時代に慢性的な経営難を打破すべく、自ら私財を放出したものの、長州側がその時の借金を「会社に貸した金だよな オレ、返さないから」と告げたまま一銭も返却していないとされる[6]。その後、WRESTLE-1 GP1回戦(健介勝利)での長州の無気力ファイトから断絶が決定的となった。

一時代を築いたロックアップからの「ハイスパート・レスリング」も、現在では受けや相手の良さを引き出さないという理由により、大半のレスラーから否定されている。ただし、序盤から大技を惜しみなく繰り出すスタイルはその後、新日本ジュニアに受け継がれ、全日本プロレス四天王プロレスへと開花したとの見方もある。

1990年代の新日本在籍時代は、みちのくプロレスKAIENTAI-DOJO大阪プロレスビッグマウス・ラウドなど一般的にインディーと呼ばれるプロレス団体を見下していたことがあり(但しインディー団体の存在そのものを嫌っていたわけではなく、実力のある選手に対しては正当な評価をしていた。1994年には「本当にインディー全部が嫌いなら所属選手をうちに上げたりしないよ」とコメントしている。)、2006年1月の最後(と当時謳っていた)の東京ドーム大会でのマッチメークを「新日本対インディー」と呼んだことで他団体レスラー(特にビッグマウス・ラウド)から批判を受けた。因みにWJプロレス時期におけるインディー団体選手との絡みにより、現在ではかつてのようなインディー敵視は薄まっている。

現在は新日本の現場監督と、元WJ所属の若手選手によるプロダクションリキプロで、選手会興行を単発で行っている。

[編集] 獲得タイトル

[編集] 得意技

「力」という名前に相応しく、鍛えぬかれた肉体を駆使した力技・肉弾技が多い。また試合中に使う技の種類はレスラーの中でも比較的少ない方である。

サソリ固め
デビュー戦から一貫して使用し続けているフィニッシュ・ホールド。時代と共に長州に対する評価は上下しているものの、ファイトスタイルが変化していないため説得力を保ち続けている。別名スコーピオン・デスロック。カール・ゴッチ直伝とされる。
リキ・ラリアット
スタン・ハンセンのウェスタン・ラリアットを受け続け、その威力を身をもって知った長州が自分の技にできないかと試行錯誤して習得した技。体格に優れたハンセン一人にしか使用できなかったラリアットをプロレス界に普及させた走りと言われている。なお、この技を使い始めた当初(「かませ犬発言」以前)は、左腕を使う事が多く、右腕でのラリアットが脚光を浴びたのは1983年4月3日に藤波を破ってWWFインターナショナル・ヘビー級王座を奪取した際の決め技になった時からである。
捻り式バックドロップ
長州のバックドロップはルー・テーズ式の“へそで投げるバックドロップ”と異なり、相手背後から若干横抱き気味に取り付き、捻りを加えた独特なものになっている。師であるマサ斎藤が同様のバックドロップを得意としていたことで習得した(ちなみに、長州はやらないがマサ斎藤の場合はこの技を派生させたバックフリップ(最初の相手の背後での腕の組み方が異なる)も多用する)。
ストンピング
グラウンド状態にある相手を片足で踏みつける技。プロレスではポピュラーな技の一つだが、長州のそれは踏みつける瞬間に大きくジャンプし、相手の名前を叫んだり、「立てコラ!」「来いコラ!」などと煽りを入れながら力強く踏みつけに行くため、たいへん迫力がある。スピード、タイミング、力強さ、どれをとっても他のレスラーの追随を許さず、本来つなぎ技であるストンピングで会場を沸かせる事が出来るのは長州ぐらいだろうと言われている。
ジャーマン・スープレックス
バックドロップを得意とする長州は、あまりこの技を使わないような印象があるが、大試合のここぞという時には使用している。1985年11月4日大阪城ホールで行われ、プロレス大賞の年間最高試合賞(ベストバウト)を獲得したジャンボ鶴田戦でも、60分時間切れの寸前に奥の手としてこの技を使用した。本来この技は「プロレス技の芸術品」と呼ばれるほど美しさを伴うが、長州のジャーマンはブリッジがつま先立ちではなくベタ足のため、見た目は綺麗ではない。
ヘッドロック
序盤戦ではこの技を使う事が非常に多く、腕が太いためにガッチリと決まる。
太鼓の乱れ打ち
維新軍時代に頻繁に使用した技。タッグ戦においてタッグパートナーと二人がかり(6人タッグ戦の際は3人がかり)で相手の背中を太鼓に見立て、両拳で叩きまくる。個人技ではないため、タッグ戦のみに使用される。初披露時は場内の失笑を買った、見た目がコミカルな技である。
ハイジャック・パイルドライバー
パイルドライバーの体勢で持ち上げた相手の両足かかとを自軍のパートナーが掴み、その体重をかけて叩きつける威力を増す技。
オクラホマ・スタンピード
相手を投げ落とした後、長州自身も吹っ飛ぶほど勢いがある。別名アバランシュ・ホールド。革命軍当時のインタビューで、この技はハルク・ホーガン初来日の際のシングルで喰らい(当時はまだアックス・ボンバーが開発されておらず、この技がホーガンの決め技だった)、数日体調を崩す程の威力だったため、必死に習得した、と述べている。
ドロップキック
全日本参戦時に使用した(新日本では離脱前も復帰後もほとんど使わない)技。主にタッグマッチで、谷津や浜口とのダブルまたはトリプルで繰り出す事が多かった。
エルボー
相手をロープに振り、返って来たところに肘打ちを見舞う。打った後に回転する(この回転するムーブは長州独特のもの)。正規軍vs維新軍綱引きマッチにおける前田日明(当時は前田明)とのシングルマッチでは、長州の肘が前田の口にヒットし、前田の前歯が折れてしまった。また、相手が腰を落としている状態で、背後から胸元に肘を振り落とすこともある。リキ・ラリアット同様、ハンセンから独自に習得した技である。

[編集] 長州力の物真似をする主な有名人

本人は小力について尋ねられた際、「昔から(特定の)レスラーを物真似する奴は多かったけど自分のは出ないだろうなと思っていたので驚いた」とコメントしている。

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[編集] 名言

  • 長州小力のモノマネで有名な「キレてないですよ」は、1995年10月9日、UWFインターナショナルとの対抗戦における安生洋二戦後の囲み会見での発言。ただし、実際の発言は「キレちゃいないよ。」である。
  • 決して口がうまい方ではないが、「かませ犬」「キレてない」「俺の人生にも一度くらい…」発言以外にもいろいろ名言を残している。
    • 「俺達はロックで、あいつらはワルツ」(1984年、全日本プロレス参戦前に試合を視察した後、その印象を聞かれて)
    • 「全日とはイデオロギーの闘いだ」(1985年の全日本参戦時の発言)
    • 「俺達の時代だ!」
    • 「藤波、前田、お前らは噛み付かないのか。今しかないぞ俺たちがやるのは」[7]
    • (ターザン)山本U(WF)を作ったのはお前だよ、Uはお前なんだよ」
    • 「あいつらの墓に糞ぶっかけてやる」(1995年3月、UWFインターナショナル宮戸優光らに対して)
    • 「俺をキレさせたら大したもんだよ」(1995年9月、対UWFインターナショナルとの前哨戦後、安生洋二に対して)
    • 「誰も言わないから俺が言ってやる。天下の長州力」(1997年の引退間際)
    • 「それがお前のやり方か」(1999年1月4日、東京ドーム大会の乱闘で小川直也に対して)
    • 「またぐなよ」(2000年、練習中に電流爆破を直訴しに来た大仁田厚に対して)
    • 「お前の好きな会長連れて上がってこい」(2001年4月9日、解説席にいた藤波を挑発した小川直也に対して)
    • 「謝るとかそういうのは俺の中にはないんですよ。再戦の約束もできない」(2003年天龍源一郎とのシングル6連戦を「アゴが痛い」との理由で一方的にキャンセル。プロレスマスコミのインタビューに対して)
    • 「何コラタココラ」(2003年11月、ZERO-ONE道場における記者会見での橋本とのやりとり。いわゆる「コラコラ問答」として知られる)

[編集] エピソード

[編集] 入場曲

入場曲「パワー・ホール」は、作曲者の平沢進がプロレスに全く興味が無く、長州力という人物についても全く知らなかった為、依頼を受けて「頭の中のプロレス会場のイメージだけで適当に作った」とされる[要出典]。この曲は同じフレーズが延々と繰り返される当時としては珍しいテクノ調の入場曲であった。なお作曲者クレジットは『異母犯抄』(異母犯の誤植、いぼはんみょう)という変名が用いられている。[8]ついでながら、『いぼはんみょう』とは平沢氏の好きな昆虫 ハンミョウ にいぼいぼがついたような姿をイメージしてつけたとのこと。

[編集] 長髪の変遷

長州といえば長髪が特徴であったが、過去に3度短髪にしている(1993年7月~アキレス腱断裂・入院、復帰の際。1995年6月~越中とのタッグマッチに敗れ、リング上で自ら長髪を切る。1998年1月~引退後。)。1997年にも何度か髪を切っているが、目立った部分は前述の通りである。現在も長髪は維持しているが、全盛期程の長さはなく襟足が肩に乗る程度である。また近年はかなりの茶髪になっており、髪質もストレートからパーマになっている。

[編集] マスコミ嫌い

マスコミ嫌いでも有名であり、かつては金澤克彦の様な御用マスコミ以外の取材を拒否する姿勢であったが、WJ崩壊の際に逆にマスコミから無視された事もあって、この点は多少改善しているとも言われる[要出典]

試合前の時間にレスラーおよび関係者以外が控え室に入る事も極端に嫌う。ある時、興行関係者の親族の子供がサインを貰いに控え室に入った際も追い返そうとしたが、そばにいた木村健悟に、「オイ、サインぐらいしてやれよ」と言われ、しぶしぶサインに応じたことがある。維新軍団全盛期には、控え室の窓から中を覗こうとしたファンに怒り、スリッパで窓ガラスを叩き割り、「うるさい!」と叫んでいる記事が週刊プロレスに掲載された。

[編集] マスメディアへの露出

1980年代の「かませ犬」発言以降の長州の人気は凄まじく、TBSでは長州を扱った1時間の特集番組(1984年12月)が組まれるほどであった(その番組内で、当時専修大学のレスリング部部長であった松浪健四郎(元衆議院議員)がコメントをした)。また、1983年に鈴木雅之の紹介で「笑っていいとも!!」のテレフォンショッキングにも出演し、次の友達に関根勤を紹介した。

人気が最高潮である1985年12月には、さだまさしのセイヤング」(文化放送)にゲスト出演。最後にさだ側から腕相撲をやりたいと要望があり、さだは両手で挑んだが当然負けた。2006年に「ズバリ言うわよ!」の新春スペシャルにゲスト出演した際には「子供達の会話に入っていけない」等3人の娘を持つ父親としての悩みを打ち明け、細木数子と他の出演者からどう接すれば良いか助言を貰っていた。なお、この放送の時、有田哲平は長州の出演で興奮気味で、本人の前で物真似も披露した(この番組で朝青龍とも共演)。

以前、岩手県内の某パチンコ店のコマーシャルに出演していたこともある。内容は長州の練習姿を数種類映した後、山盛りのパチンコ玉の前で箸を持った長州が「こんなん食えねーよ!」と吠える、という内容。他のCM出演として日本ヴェルテック(関西地区のみ)、雪印ローリーエース等の出演がある。

さんまのまんま」に出演した際には、「自分はタイトルをとってもなかなか防衛することが出来なかった」と話した折に明石家さんまから「あんた、弱いんだ?」とあっさり言われて苦笑した(事実、王者としては、シングル・タッグともに短命に終わることが多かった)。また「話が舌足らずで聴きづらい」というさんまに対し「自分ではそう思ってないが、人にはよく言われる」と答えている。

[編集] 長州小力の影響

冗談の通じない性格なのでテレビの露出は極めて少なくバラエティ番組等はもっての他だったが、「草野☆キッド」で小力と共演した頃から、バラエティへの出演が増えていった。「ふんころがしの旅」(日本テレビ)では長州小力との旅行も実現している。近年、長州小力の物真似により、若い世代や、全くプロレスに興味のない人にもその名を知られることになった。最近では試合中に「長州小力に動きが似てる」という理由で笑いを取る事もある。その一方で、2007年4月10日の「踊る!さんま御殿!!」で大沢あかねは、当初、長州小力を知りながら長州力を知らず、本物の長州力を見て相手を小力と勘違いして挨拶し、あとで人から指摘され、初めて長州小力が長州力の真似をしているのだと知ったと告白していた。

[編集] テレビゲーム登場

1987年にリコーエレメックスが発売したファミコン用ゲーム「新人類」にタイアップ企画で出演。ゲーム中に主人公が最強状態にパワーアップすると長州力に変身してリキラリアットで敵を攻撃するというものだった。また広告やTVCMにも直接本人が出演していた。

[編集]

  1. ^ この発言はプロレス史に残るエポックメイキング的発言として今も語り継がれている。
  2. ^ ただし人気面で藤波の二の次にされていた事実は存在する。また、初来日からエース級外人だったハルク・ホーガンポール・オンドーフスタン・ハンセンらにシングルで花を持たせるなど、シリーズを盛り上げるための「噛ませ犬」扱いだったのも事実である。
  3. ^ もともと長州と浜口は1979年プロレス夢のオールスター戦でタッグを組んだ縁があった。その試合の対戦相手は共に全日本プロレス大熊元司グレート小鹿極道コンビ
  4. ^ マサ斎藤はアメリカを主戦場としており、IWGPといったビッグシリーズの時に来日するのみで、カーンもアメリカでは“アンドレ・ザ・ジャイアントの脚を折った男”として知られアメリカマットと日本を行き来していたため、通常の維新軍としてのメンバーは長州、浜口、谷津、寺西、小林の5人。長州が事実上の旗頭であった。なお、永源遥は言動などから維新軍サイドと見られてはいたが、プロレスマスコミ上軍団員とは扱われておらず、公に行動を共にしたのは新日本を離脱する時である。また、当時カナダで武者修行中だった平田淳二も、長州やマサ斎藤と接触する姿がプロレスマスコミに報道され、帰国したら維新軍入りが既定路線とされていたが実現せず、公に行動を共にしたのはカルガリー・ハリケーンズ解散→リキプロ軍団として新日復帰する1987年になる。
  5. ^ 当時の全日本の会場で歓声やコールが一番大きいのは馬場でも鶴田でも天龍でもなく長州であり、ゴールデンタイム移行後も高視聴率をたたき出すのは長州がメインの放送だった。[要出典]
  6. ^ TV番組BRAVO!にて佐々木健介の口から語られた。 興行する会場代や外国人選手を呼ぶギャラが無かった長州力は、佐々木健介からお金を借りている。健介は、昔から尊敬する先輩に頼まれ恥をかかすわけにはいけないと、自分や子供の保険などを解約してやっと作った500万円を借用書無しで貸した。この発言当時の佐々木健介の家庭内事情は、息子のミルクを薄めて飲ますような経済状態であったとされる。
  7. ^ この言葉を皮切りにNOWリーダー(猪木、坂口、斎藤、星野勘太郎藤原喜明)対NEWリーダー(長州、藤波、前田、木村健吾スーパー・ストロング・マシン)という図式に展開する。しかし、この発言はTV中継されたが、出戻り直後で日本テレビとの契約が残っていた事により、全日本プロレスよりの抗議を受け、抗争終了直前の10月まで、長州はTV中継からほぼ消えた。そのため、抗争のTVマッチの6人タッグ戦でNEWの側に、明らかにNOW世代である木戸修が入っていた事もある(1987年)。
  8. ^ 後に平沢は、プロレス専門誌のインタビューで「(パワーホールは)満足のゆく出来ではなかったので依頼があれば作り直したい」「引退試合には花を持って伺いたい」などとコメントしたが、いずれも実現しなかった。

[編集] 外部リンク

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