神奈月
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神奈月(かんなづき、本名:奥村聡司(おくむら さとし)、1965年11月3日 - )は、岐阜県土岐市駄知町出身のものまねタレントである。特にスポーツ選手の物真似が得意。所属事務所は太田プロダクション。神無月の表記は誤り。
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[編集] プロフィール
[編集] 略歴
岐阜県土岐市駄知町出身。高校在学時から、文化祭などで先生や芸能人のものまねを披露しており、生徒から人気があった。中京テレビの番組「5時SATマガジン」の「ローカルスターベストテン」というコーナーに連続でランクインし、第1位に輝いたこともある。
1987年にデビュー。師匠がないのでは仕事がとれぬからといわれ関東の形態模写のベテランであった佐々木つとむに師事したが同年9月師匠・佐々木が愛人関係にあった女性に惨殺される(この女性も2日後に自殺)…という形で師匠を突然失ってしまった。佐々木没後しばらく芸能事務所に属さずフリーとして活動していた。フリーで活動中の頃、インチキ芸能プロダクションに騙されかける。2000年頃より太田プロに所属している。ものまねバトルには1995年春の第2回から毎回出場している。
長らく「長嶋茂雄のものまねしかしない人」のイメージがお茶の間に根付いていたものの、2000年にものまねバトル大賞で萩原流行のものまね(「りゅうこうと書いて、ながれと読むんです」)を披露したところ絶賛される。以降、長嶋茂雄のものまねの人、とのイメージは消え、近年はテレビ出演も増えている。
石橋貴明やSMAPなどに気に入られ「うたばん」の出演が多くなる。毎回武藤敬司のものまねで登場する。武藤以外にも萩原流行のまねをする。彼に会ってからは香取慎吾が神奈月のやる萩原流行のまねをしている。「おネプ!」や2005年9月15日放送の「うたばん」で萩原流行本人と共演した。また、「内村プロデュース」でジャッキー・チェンがゲスト出演した際は、映画賞コントのものまねプレゼンターとして参加。この時の芸達者ぶりにジャッキーが感心し、本来は審査対象外なのにジャッキーから優勝トロフィーを授与される名誉を授かっている。
武藤敬司のものまねに関しては、本人はもちろん、蝶野正洋からも「本物そっくり」とのお墨付きをいただいている。武藤と共に握手会イベントなどに参加することまである。武藤のものまねをする時は、武藤の口癖「差し当たって、」を連発する。2006年3月21日には全日本プロレスのファン感謝デー興行で、武藤に扮して本物の武藤とタッグを結成。小島聡・イジリー岡田組(イジリーは三沢光晴に扮して登場)と、本当のプロレスの試合を行い、好評を得た。さらに同年12月15日のファン感謝デー興行では「F-1タッグ選手権(Fはフェイクの頭文字)」なる王座を賭けて再び武藤と「2人とも武藤」のタッグを組み、天山広吉・原口あきまさ組(原口は蝶野正洋に扮して登場)と対戦し勝利、同王座の初代王者となった。以降もF-1タッグは防衛をしており、最近の全日本の感謝祭興行では欠かせない人物になっている。最近では出演番組で「プロレスの仕事ばかりで辟易している」と発言することもあるが、上記の活動から見ればやはりプロレスを芯から愛していることが窺える。また2005年8月20日に放送された「リングの魂・橋本真也追悼スペシャル」には蝶野とともに武藤の扮装で登場。蝶野が神奈月に「じゃあ武藤さん!橋本の追悼興行、やりますからね」と言ったところ神奈月は武藤の真似で「俺はもうさ、蝶野がちゃんとやってくれるなら、そりゃやるよ!」と返した。すると蝶野は「いっつもそうなんだよ!自分は何にもやんないで全部他人にまかすんだから!」と呆れ、司会の南原清隆から「お前そんな所まで似てるのかよ!」と大爆笑された。アドリブで言った一言まで本人に似ているという稀有なモノマネ芸である。
2006年10月公開の映画『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』に本人役で出演している。
[編集] エピソード
- 「ぷっ」すまで披露した最新作の松坂大輔もその細かすぎる絶妙の描写のものまねはレベルが高いが、スタジオに女性が多かったせいか笑い声は少なかった。共演していた土田晃之は「神奈月さんは男受けするものまねしかやらないんですよ」と感心するやら呆れるやらの様子であった。
- 「発掘!あるある大事典II」の納豆ダイエットの回に出演していた。納豆ダイエットに挑み2週間で-3.1kg減量しているが、これは納豆の成分のためではなく納豆をご飯にかけず食事前に食べることにより普段の7~8分目で食事を済ませるようにしていたことが原因と考えられる。
- 第7回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャルでは、圧倒的な歌唱力で決勝まで勝ち上がるも、ますだおかだのますだに惜しくも敗れ優勝を逃している。
- Yahoo動画で配信されているNO KEIRIN, NO LIFEでは、取材した選手がいずれもその特集の開催で優勝を果たしていることから、競輪界のあげちんと言われている。(第61回日本選手権競輪では渡邉晴智選手、大垣競輪場開設56周年記念では山田裕仁選手がそれぞれ優勝)