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社会民主主義 - Wikipedia

社会民主主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

社会主義
社会主義のシンボル“赤旗”

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社会民主主義(しゃかいみんしゅしゅぎ Social Democracy)は、自由主義社会における中道左派思想の一つ。共産主義マルクス・レーニン主義と一線を画し、市場経済を認め、議会政治を通した変革を目指し、自由や人権の遵守、友愛、連帯、政治・経済・社会的公正や平等をともに希求する思想とされる。経済政策では、市場経済と政府の介入による経済政策(混合経済)を重視する点に特徴がある。1990年代以降、市場原理をより重視する「第三の道」の台頭によって、社会民主主義は多様化してきている。

目次

[編集] 欧州の社民主義の歴史

政治思想の分野ではドイツ社会民主党第二インターナショナルの指導者にして「マルクス主義法王」と呼ばれたカウツキーが、経済思想の分野ではマルクス経済学者であるヒルファーディング蔵相らが社会民主主義を本格的に体系化した。

後になって同党右派エドゥアルト・ベルンシュタインが『社会主義の諸前提と社会民主主義の諸課題』(1899年)で資本主義の崩壊と革命というマルクス主義における革命主義的な側面が不要になったと主張して修正主義を唱えたが、これはカウツキーらの立場と激しく対立し、1903年のドレスデン大会では当時党内の過半数を占めた革命主義的マルクス主義者に敗北して日の目を見ることはなかった。

この他、マルクスの流れとは別にフェビアン協会など社会改良主義の流れを汲む英国社会主義の流れもあった。

しかし、社会主義インターナショナルによる1951年のフランクフルト宣言[1]では、『民主的社会主義の目的と任務』が採択され、議会制民主主義に立脚した修正主義的、非ソ連型の民主的社会主義の路線を採ることを明確にした。(民主的な社会主義、民主社会主義も参照)

戦後は、東西ドイツに分割された状況下で、ドイツ社会民主党は激しい党内論争の結果右派が勝利し、1959年にバート・ゴーデスベルク綱領[2]を採択し、階級政党から国民政党に脱皮、社会民主主義が同党の公的方針となった。

1989年、ドイツ社民党は、緑の党の進出などエコロジー意識の高まりなどに強く影響されたベルリン綱領を採択。20世紀初頭のフォルマル思想や社会地域中心主義などにも目が向けられるようになった。

[編集] 社会民主主義の特徴

社会民主主義は、複数政党制議会制民主主義を前提として、社会的公正を目指し、資本主義経済を漸進的に改良することを目的とする。それに対して「共産主義諸国」で実施されたソ連型社会主義(マルクス・レーニン主義=共産主義)は、一党独裁と、レーニンらの主唱した暴力革命を目指すもので、社会民主主義とは明確に区別される。

政治の場における政策の実現は、広範な市民運動とともに、普通選挙とそれに基づく議会での多数派の獲得を通して行われるのが、社会民主主義の運動に広範にみられる特徴である。

西欧では、社会民主主義政党が保守主義政党と並ぶ二大勢力として政権交代を繰り返し、北欧では、社会民主主義政党が長期に渡り政権を担当することが多く、市場社会主義議会制民主主義の中で福祉環境医療などを重視した政策を実施している。その最も顕著な例がスウェーデン社会民主労働党政権である。

欧州の社会民主主義政党の多くは、安全保障の面で、軍隊の保有や集団安全保障への参加などを容認しており、長期にわたって非武装中立を主張した日本社会党は独特といえる。日本社会党(及びその流れを汲む社会民主党)は、1994年自衛隊日米安保条約を認める政策転換をしているが、2006年になって社会民主党は、再び自衛隊違憲、日米安保解消、非武装化、の主張に「先祖返り」した。また、欧州の社会民主主義政党は、1962年のオスロ宣言[3]で共産主義と完全に決別した[1]が、日本社会党は左派の反対で採択に参加せず、1966年に綱領的文書「日本における社会主義への道」)でプロレタリア独裁を肯定するなど共産主義政党と類似した主張を行い続けた。1986年に至って新宣言の採択で革命路線を放棄した。

尚、冷戦時代に西欧の社会民主主義政党が政権を担当した場合、西ドイツヴィリー・ブラント首相の東方外交のように東側との関係改善を進めたが、NATO欧州共同体への加盟は継続していた。北欧諸国の内スウェーデンフィンランドはNATOには加盟しておらず(ノルウェーデンマークアイスランドは加盟)、非同盟主義・中立に近い立場を貫いたが、いわゆるノルディックバランスを構築し、東西両陣営の狭間で巧妙な外交・防衛政策を展開した。

また、イギリスやスウェーデンなどのように、立憲君主制の政体もそのまま残されている。こうした社会民主主義の考え方は、西欧ではドイツ社会民主党の「バート・ゴーデスベルク綱領」及び、フランス社会党の「エピネ宣言」以降定着したといえる。

[編集] 社会民主主義の変化・多様化

1980年代以降の新自由主義の台頭を受け、20世紀末の西欧では、「新しい社会民主主義」と呼ばれる、市場の役割をより重視した中道左派政党による政権や、保守・中道政党との連立政権が誕生した。イギリス労働党トニー・ブレアが唱えた「第三の道」路線は、リベラル左派勢力が主張する社会自由主義的な思潮とも符合し、他の西欧社会民主主義政党にも少なからぬ影響を与えた。また、ドイツ社会民主党でも、ゲアハルト・シュレーダーが「新中道」路線を推し進めたが、これに反対する最左派の党員が離党し新党(左翼党)を結成した。

東欧革命に前後して、イタリア共産党が衣替えして左翼民主党(左翼民主主義者に改称、現在は民主党)に改められた。他にも、ハンガリー社会党などのように冷戦時代の東欧諸国の共産党が社会民主主義政党へと転換した例がある。

日本では、社会党が1990年代初盤以降に選挙で壊滅的な打撃を受けて以来、社会民主主義は低調である。ただし民主党には党全体としてではないが、社会党出身者や民社党出身者など社会民主主義および民主社会主義の流れをくむ者が多く参加している。 各国の社会民主主義政党の多くは社会主義インターナショナルという国際組織に加盟している。

[編集] 各国の社会民主主義政党

より詳細な世界の社会民主主義政党の一覧は社会主義インターナショナルの「加盟政党」「諮問加盟政党」「オブザーバー加盟政党」の項目も参照のこと。

[編集] ヨーロッパの主な社会民主主義政党

これらは欧州議会において統一会派 (PES) を結成している(欧州連合非加盟国を除く)。

[編集] その他の地域の社会民主主義政党

[編集] 日本の主な社会民主主義政党

1901年(明治34)5月に幸徳秋水らによって日本初の無産政党である社会民主党が結党されたが、2日後に禁止処分を受けた。その後、西園寺公望内閣の成立によって弾圧がややゆるやかとなり、1906年1月に日本平民党と日本社会党があいついで結成され、この2つの党が同年2月に合同大会を開いて正式に日本社会党となった。これ以降、日本の社会民主主義政党は離合集散を繰り返すこととなる。戦後に結党された社会民主主義政党には以下のものがある。

英語名では"The Social Democratic Party of Japan"であり、社会主義インターナショナル加盟政党だった。しかし社会主義協会などのマルクス・レーニン主義を掲げ社会民主主義に否定的な最左派の勢力が存在し、修正マルクス主義的な左派社会民主主義を掲げる左派、民主社会主義的な右派社会民主主義を掲げる中間派、右派と激しい路線対立が続いた。1966年から1986年までは綱領的文書「日本における社会主義への道」(通称「道」)にてプロレタリア独裁を肯定して、共産主義政党と類似した綱領を持ち、事実上、社会民主主義を放棄していた。ただし、この時期の社会党を日本型社会民主主義と呼び、広い意味では社会民主主義に属するとする見解もある。
この傾向に反発した右派や構造改革派の一部が離党し、下記の民社党・社会民主連合の2政党が結成された。
  • 民社党(1959-1994、旧議員は現在主として民主党に所属しているほか、一部は自由民主党に所属)
西尾末広社会党右派が離党して民主社会党として結成。1968年に民社党に改名。社会主義インターナショナル加盟政党。反共を鮮明にし、安保体制維持、防衛費増額を主張した。1994年新進党結成に伴い解散した。
  • 社会民主連合(社民連1977-1994、旧議員は現在主として民主党に所属しているほか、一部は下記の社会民主党に所属)
江田三郎ら社会党右派が離党して結成。当初は社会市民連合と称していた。国会においては常に小政党として推移したが、社会党、公明党、民社党の反自民・非共産野党の連携により政権獲得を目指す社公民路線の橋渡し役として大きな役割を果たした。解党後、所属議員は日本新党新党さきがけ等に分散した。
日本社会党の後継政党で、現在、日本の政党としては唯一の社会主義インターナショナル加盟政党。多数の議員が民主党に移籍したため、国会では小勢力として推移している。

民主党の中にも旧社会党議員、旧民社党議員を中心に社会主義インターへの加盟を目指す動きがあるものの、多数派には至っていない。

[編集] 脚注

  1. ^ 大原クロニカ - オスロ宣言

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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