社会民主党 (日本 1996年-)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
党首 | 福島瑞穂 |
---|---|
幹事長 | 重野安正 |
成立年月日 | 1996年 |
本部所在地 | 東京都千代田区永田町1丁目8番1号 |
衆議院議員 | 7 /480 (2007年7月30日現在) |
参議院議員 | 5 /242 (同上) |
党員・党友数 | 約23,000 (2006年10月現在) |
政党交付金 | 10億600万円 (2006年現在) |
政治的思想・立場 | 社会民主主義 |
ウェブサイト | 社会民主党 |
シンボル | 鳩 |
国際組織 | 社会主義インターナショナル |
社会民主党本部 |
|
社会民主党(しゃかいみんしゅとう、略称:社民、Social Democratic Party、"SDP")は、日本の政党。
目次 |
[編集] 概要
1996年に日本社会党が改称して発足。議会勢力としては、社会党左派を継承する。はじめ社会党末期の路線を継承して「社民・リベラル」を掲げたが、野党化以降は左寄りの「社会民主主義」を押し出し、2006年決定の綱領「社会民主党宣言」では、リベラルの字句は完全に消えている。ドイツ社会民主党、スウェーデン社会民主労働党といった西欧・北欧などの社会民主主義政党と比べると、日本社会党時代と同様に、安全保障政策などへの姿勢は大きく異なっている。
平和と福祉、環境保護、脱原子力が党の主張の中心である。日本国憲法の固持と理念の実現を呼びかけ、平和外交による紛争対処を唱える。しかし、イデオロギー上の関係から反米かつ親中国、親韓国の姿勢が強いとの声もある。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とは引き続き緊密な関係を保っていたが、2002年の日朝首脳会談で金正日が拉致を認めた後、社民党の朝鮮労働党宛質問状に返答がなかったため同年12月関係を凍結し、それ以後の交流はない。但し、北朝鮮と関係の深い朝鮮総連に対しては従来通り友好関係を維持するとしている[1]。 他党と比べて女性議員の比率が高いのも特徴で、男女の平等ないしは女性の権利の確立を志向する。また、経済面では福祉社会を目標とし、雇用の安定・創出と社会保障充実を柱にした経済対策の必要性を主張する。機関紙『社会新報』(週刊)、機関誌『社会民主』(月刊)。
社会民主党全国連合は、財団法人社会文化会館の所有する「社会文化会館」に入居している。
[編集] 歴史
[編集] 自社さ政権時代
1996年1月日本社会党第64回大会での名称変更決定を受け、同年3月第一回大会を開き成立する。初代党首は村山富市、幹事長は佐藤観樹。村山内閣総辞職により成立した第1次橋本内閣に参加し、自社さ政権の枠組みを引き続き維持した。成立時は更に新党を作るための過渡的政党との位置づけだった。佐藤観樹ら右派系および一部左派の議員多数は同年成立の旧民主党に参加したが、総選挙を控えた同年9月民主党は左派系長老議員の参加を拒否した。そのため社民党で選挙を戦うことになり、党首も土井たか子に代わる。旧支持基盤の労働組合の大半が旧民主党支持に転じたため、土井党首は辻元清美ら市民運動出身者を積極的に立候補者に起用し、10月の第41回衆議院議員総選挙では15議席を獲得した。彼女らは「土井チルドレン」と呼ばれた。
総選挙後は、閣外協力ではあったが引き続き連立政権に参加した。橋本内閣でのロッキード事件有罪議員佐藤孝行の閣僚就任問題では世間の反発を招くと、橋本首相に更迭を求め、存在感を示した。1998年5月連立政権から離脱した。
[編集] 連立政権離脱から2003年総選挙敗北まで
政権離脱後の2000年第42回衆議院議員総選挙では4議席増の19議席を確保。しかし、2001年参議院選挙では得票・議席とも大幅に減らした。結果的に、同年の第7回党大会で自社さ連立政権以来の旧幹部が退き、幹事長に福島瑞穂、政審会長に辻元清美など市民派が重要ポストに就いた。これ以後、自民党に対する対決姿勢が強まった。
2001年10月 不審船対策として、停船命令に従わない不審船への船体射撃を認める海上保安庁法改正案が自民党から共産党まで圧倒的多数の賛成で成立する中で、社民党だけが反対投票を行った。
2002年3月に市民派の代表・辻元清美が秘書給与問題で議員辞任する。この事件や日本人拉致問題の対応の悪さ(日本共産党や新左翼なども含め世論の大半が北朝鮮や朝鮮総連の言動を批判している中で擁護の姿勢をとり続けたこと、拉致の事実が明らかになった後も日本人拉致事件を「荒唐無稽」「新しく創作された事件」と記述した論文を同党のホームページに掲載していたこと)が党内外から問題となり、離党者(田嶋陽子、大渕絹子、大脇雅子等)が出た。
その後ようやく社民党は公式HPで拉致事件を批判する声明を出し、朝鮮労働党との関係を凍結する。しかし、この対応は既に遅きに失し、2003年の第43回衆議院議員総選挙では6議席と惨敗し、党首の土井も小選挙区で落選、比例で復活した。市民運動出身の議員はほとんどが落選した。
2002年4月に国連の「テロ資金供与防止条約」を批准するための関連新法が国会で可決、成立した。テロ資金の授受で仮名口座などが受け皿になることが多いため、金融機関に対し口座開設や200万円以上の現金取引を行う際、 顧客の身元確認(本人確認)を義務付ける法案であるが、自民党から共産党まで圧倒的多数の賛成で成立する中で、社民党だけが反対投票を行った。この法律については、日本弁護士連合会等からも法案に反対する意見書が出ていた。[2]
[編集] 土井党首辞任以後
総選挙後、土井たか子は党首を引責辞職し、11月15日に福島瑞穂が後任に選ばれた。幹事長には労組出身者の又市征治が就任、市民派の影響力は後退した。
2004年参議院選挙では、福島をはじめ2議席を確保するに止まったが、複数議席獲得により解体・民主党への合流などの事態はまぬがれた。
2005年2月17日、党は財政難を理由に党職員の整理解雇を職員団体に通告、職務怠慢などを理由に3名を解雇した。被解雇者3名は労働組合を結成し、解雇無効の訴訟を起こしたが、2007年4月11日の一審判決、同年9月13日の二審判決、2008年2月1日の最高裁判決は、ともに党が勝訴した。もう一人の訴訟者に対する同年8月30日の一審判決も党が勝訴したが、08年1月東京高裁で和解が成立した。
2005年8月8日、衆議院が解散されると、翌8月9日、副党首の横光克彦が離党。8月17日、元政審会長の濱田健一が離党表明。いずれも民主党に鞍替えし、横光は大分3区、濱田は鹿児島4区から民主党の公認を受けた。横光は当選(比例区での復活)、濱田は落選した。一方、社民党は離党中の辻元清美を大阪10区で公認。同区では落選したが、比例近畿ブロックで復活当選した。しかし、執行猶予期間中の辻元が議員になることを問題視する声も強い[要出所明記]。議席数は公示前の5議席から7議席に回復したものの、党首辞任後も党の顔であった土井たか子が落選するなど、依然として法案提出権のない小政党に止まっている。
2006年2月11日-12日の第10回党大会で、自衛隊が「現状、明らかに違憲状態」であり、「縮小を図り」、「非武装の日本を目指す」との内容を含んだ「社会民主党宣言」が採択された。地方での討論で多く出された意見を採り入れ、旧社会党時代の1994年に村山首相が打ち出した自衛隊合憲・容認路線は修正され、基本政策はほぼ村山内閣以前に戻った。同時に、1993年に政治改革関連4法案に反対し処分された17名のうち離党した者を除く9名の処分を取り消し名誉を回復したほか、元党首の村山富市、土井両氏の「名誉党首」就任も決定された。一方、新社会党及び「9条ネット」については、又市は「『戻ってらっしゃい』と言っている。『村山政権のときに安保・自衛隊を認めた』と、馬鹿みたいな話をまだしている。」と批判した。
2007年4月20日、国の海洋政策を一元化するための海洋基本法と、ガス田掘削施設などの周辺への船舶進入を規制する海洋構築物安全水域設定法が、自由民主党・公明党・民主党・日本共産党・国民新党各党の賛成により可決成立したが、社民党のみ反対した。福島は「この法律は領土問題や資源問題について近隣諸国との関係に影響を与えるものである。拙速に行うと、交渉に悪い影響を与えることになる。」とコメントした。
2007年参議院選挙では、「憲法9条と年金があぶない!今回は社民党へ」をキャッチコピーに、憲法と年金問題を中心に主張し、近年各政党が力を入れる政党CMではアニメを採用するユニークなCMを福島などが強調した。結果は幹事長の又市を含め2議席確保にとどまる。
2007年12月22日、本部にて第11回党大会を開催し、無投票で福島の党首選当選(3期目)を正式に決定した。福島は講演で「次回の衆議院選挙で2桁(10人以上)の当選を目指す」とした。この党大会では1998年(自民党当時総裁の橋本龍太郎)以来久々に、他党幹部として民主党代表代行の菅直人や国民新党副代表の自見庄三郎らが来賓出席した。また、党役員人事では副党首に幹事長の又市、幹事長に国会対策委員長の重野が就くことになった。
党首の福島は衆参に議員を持つ党としては唯一参議院議員の党首である(新党日本は参院しか議員がいない)。また、社民党は現在衆議院・参議院ともに保有議席が10未満であるため院内交渉団体の要件を満たしておらず、党首討論を行うことができない。社民党はこの制度を不当として日本共産党、国民新党と共に撤廃を要求している。
一方、地方でも議席は減少傾向であるが旧社会党組織が比較的強く残る地域では民主党より議席数が多い(特に大分県)。東北地方と九州地方、そして沖縄県は旧社会党が強かった地域であり、現在も強い組織が残っている。又、地方首長選においては自民・民主・公明と同一候補を推薦・支持し、与党となっていることが多い。このため「オール与党」と批判されることもある。
2007年よりYouTubeへ党の宣伝やニュースの動画をアップしている(外部リンク参照)。これは各党に見られるものである。2008年初頭に投稿された『【SDP】:党員募集!』[3]では、大阪府高槻市市議会議員の川口洋一と福岡県田川市市議会議員の佐々木まことが出演し、党員になることを訴えた。この動画の中で川口は今までの社民党が閉ざされた政党であったことを逆説的に「皆さん、社民党は開かれた政党に生まれ変わりつつあります」と述べた。
[編集] 北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢
社民党機関誌「月刊社会民主1997年7月号」では、「20年前に少女が行方不明になったことは事実だが、それが北朝鮮によるものというのは何一つ根拠がなく、元工作品の矛盾だらけの又聞き証言やその他の意味付けがされて生まれたのが実態であり、日本政府が食糧支援をさせないために最近になって創作された事件である」という記載がされている。2001年、拉致事件が明るみになって以降も拉致事件を「荒唐無稽」「新しく創作された事件」と記述した論文を同党のホームページに掲載していたことが発覚し、社会的に厳しく批判された。これはかつてから北朝鮮や朝鮮総連と深い関係にあったため、北朝鮮寄りの姿勢になっているものと思われる。
[編集] 社会民主党全国連合・執行部役員表
党首 | 副党首 | 幹事長 | 政策審議会長 | 国会対策委員長 | 参議院議員会長 | 参議院幹事長 |
---|---|---|---|---|---|---|
福島瑞穂 | 渕上貞雄 又市征治 |
重野安正 | 阿部知子 | 日森文尋 | 渕上貞雄 | 又市征治 |
[編集] 歴代の社会民主党全国連合・執行部役員表
党首 | 副党首 | 幹事長 | 政策審議会長 | 院内総務会長 | 参議院議員会長 |
---|---|---|---|---|---|
村山富市 | 久保亘、岡崎トミ子 日野市朗、五十嵐広三 |
佐藤観樹 | 伊藤茂 | 池端清一 | 久保亘 |
全国連合党首 全国連合副党首 全国連合幹事長 政策審議会長 院内総務会長 参議院議員会長 土井たか子 〃 、野坂 浩賢、上原 康助、 、 伊藤 茂 及川 一夫 秋葉 忠利 日下部禧代子 〃 、日下部禧代子、 、 、 〃 秋葉 忠利 前島 秀行 〃 〃 、 〃 、 〃 、伊藤 茂、 渕上 貞雄 〃 〃 村沢 牧 〃 、山口 鶴男、梶原 敬義、 〃 、 〃 濱田 健一 中西 績介 梶原 敬義 〃 渕上 貞雄、清水 澄子、 〃 、 〃 、 福島 瑞穂 辻元 清美 〃 〃 〃 〃 、 〃 、東門美津子、 、 〃 〃 〃 山本 正和 〃 〃 、谷本 魏、 〃 、 、 〃 大脇 雅子 〃 〃 〃 〃 、山本 正和、 〃 、中西 績介、 〃 〃 〃 大渕 絹子 〃 〃 、横光 克彦、照屋 寛徳、 〃 、 〃 阿部 知子 〃 渕上 貞雄 福島 瑞穂 〃 、 〃 、 〃 、 〃 、 又市 征治 〃 横光 克彦 〃 〃 〃 、 、 〃 、 、 〃 〃 重野 安正 〃 〃 、又市 征治、 重野 安正 〃
[編集] 社会民主党党首一覧
社会民主党党首 | ||
---|---|---|
代 | 党首 | 任期 |
1 | 村山富市 | 1996年 |
2 | 土井たか子 | 1996年 ‐ 2003年 |
3 | 福島瑞穂 | 2003年 ‐ |
[編集] 党勢の推移
- これ以前については、党勢の推移(日本社会党)を参照
[編集] 衆議院
選挙 | 当選/候補者 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|
(改称時) | 63/- | 511 | 第41回総選挙前には30(大多数民主党へ移籍) |
第41回総選挙 | ●15/48 | 500 | |
第42回総選挙 | ○19/76 | 480 | |
第43回総選挙 | ●6/65 | 480 | |
第44回総選挙 | ○7/45 | 480 |
[編集] 参議院
選挙 | 当選/候補者 | 非改選 | 定数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
(改称時) | 39/- | - | 252 | 第18回通常選挙前には20(大多数民主党へ移籍) |
第18回通常選挙 | ●5/37 | 8 | 252 | |
第19回通常選挙 | ●3/24 | 5 | 247 | |
第20回通常選挙 | ●2(会派+1)/15 | 3 | 242 | |
第21回通常選挙 | ●2/23 | 3 | 242 |
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
- 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
- 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1990年~1999年)・国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、1993年~2000年)・2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、2000年~2006年)、(2) 参議院(1990年~1999年)(2) 参議院(1994年~2004年)・(2) 参議院(2000年~2006年)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。
[編集] 所属国会議員
社会民主党の国会議員は現在、衆議院議員7名、参議院議員5名の計12名である。
衆 | 小選挙区 | 照屋寛徳(沖縄2区) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|
比例区 | 菅野哲雄(東北) | 日森文尋(北関東) | 阿部知子(南関東) | 保坂展人(東京) | 辻元清美(近畿) | |
重野安正(九州) | ||||||
参 | 選挙区 | 近藤正道(新潟) | ||||
比例区 | 福島瑞穂(04年) | 渕上貞雄(04年) | 又市征治(07年) | 山内徳信(07年) |
[編集] 社会民主党の政権ポスト
()内の党内ポストは、入閣直前のポスト
- 平成8年(1996年)1月11日・第1次橋本龍太郎内閣
[編集] 主な支持・支援組織
[編集] 政党交付金
平成18年(2006年)現在の政党交付金
- 社会民主党 10億600万円
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 社会民主党 (公式サイト)
- 社会主義協会
- 社会民主主義の広場
- 社民党動画ニュースチャンネル 公式 YouTube チャンネル
[編集] 脚注
- ^ 2002年12月15日社民党全国都道府県連合幹事長・選対責任者合同会議
- ^ [1]
- ^ 社民党┃党員募集中! - YouTube
- ^ 主に民主党を支持しているが、社民党も支持する(地方によっては民主党よりも影響力の強いところもある)。
|
|||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
前身:日本社会党 "Social Democratic Party Japan"(SDPJ) | |||||||||
歴代党首 |
|
||||||||
政権構想 | 社共共闘(革新統一) - 社公民路線 - 社会党シャドーキャビネット - 非自民・非共産連立政権 - 自社さ連立政権 | ||||||||
分離した政党 | 社会革新党(社会民主党) - 労働者農民党 - 民社党 - 社会民主連合 - 新社会党 | ||||||||
綱領 | 日本における社会主義への道 - 日本社会党の新宣言 | ||||||||
関連項目 | 55年体制 - 社会党右派 - 社会党左派 - 日本社会党の派閥 | ||||||||
支持団体 | 全国労働組合連絡協議会 - 日本労働組合総連合会 | ||||||||
関連カテゴリ | Category:日本社会党・Category:社会民主党 |
|
||
---|---|---|
全国政党 | 与党 : 自由民主党 - 公明党 野党 : 民主党 - 社会民主党 - 日本共産党 - 国民新党 - 新党日本 |
|
地域政党 | 新党大地 - そうぞう - 沖縄社会大衆党 ※国会に議席を有する政治団体。 |