副総理
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副総理(ふくそうり)とは、日本国の国務大臣のうち、副首相にあたる国務大臣の俗称である。2000年4月までは内閣法の規定に基づいて内閣総理大臣臨時代理にあらかじめ指定された内閣総理大臣に準ずる権威・地位に相当する国務大臣がそう呼ばれた。正式な官職ではないため、「副総理大臣」「副首相」と呼ばれることはない。
[編集] 概要
日本には正式な官職としての内閣副総理大臣(副総理大臣、副首相)の制度は存在しない。ただし、組閣時に大物政治家を閣内に配置するため、その格を示す位置づけをする場合がある。それが「内閣総理大臣臨時代理」への指定である。
内閣法第9条には「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」という規定があり、その指定方法(2000年4月以前)のうち、組閣時等に正式な指定を受けた大臣(組閣名簿では「内閣法第9条の規定により指定された者」などの表現が用いられた)を「副総理」と呼んだ。また、それに準じる指名や指示を受けた大臣を「副総理格」と呼ぶ場合もあった。
現行の制度では、臨時代理就任順位第1位を内閣官房長官を務める国務大臣に指定することが原則となっており、これを副総理と呼称することはない。ただし、当該大臣を「副総理」として処遇するために以下の方法が用いられる可能性は存在する。
- 内閣官房長官以外の国務大臣を内閣総理大臣臨時代理予定者第1順位として指定した場合
- 官報辞令・閣議署名書等での国務大臣としての序列を入れ替えた場合
- 通例、序列の筆頭は総務大臣だが、これより前の位置に別の国務大臣を列する。
- ただし、内閣総理大臣臨時代理予定者第1順位に指定されなかった場合は判断が微妙となる。
[編集] 現憲法下での歴代副総理
内閣法第9条の規定による正式な指定を受けた「副総理」のみについて記す。「指定期間」とは、辞令(官報掲載)によりいわゆる副総理であったことが確認できる期間を指す。これには、単に「内閣総理大臣臨時代理」の職名で職務を行った正式代理期間のみならず、臨時代理就任予定者としての待機的期間も含まれる。
なお、総理が死亡・執務不能となったため臨時代理を務め、名実ともに総理の代行をしたものと考えられる(総理との連絡相談が基本的にできない状況で代行する)場合については、内閣総理大臣臨時代理#新憲法下の臨時代理を参照のこと。
閣内連立政権において、首相出身政党以外の政党の党首が副総理となる例がままみられる。
内閣 | 副総理 | 指定期間 | 役職 | 政党 |
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第1次吉田内閣 | 幣原喜重郎 | 1947年(昭和22年)5月3日 - 1947年(昭和22年)5月24日 | 復員庁総裁 | 日本進歩党 |
片山内閣 | 芦田均 | 1947年(昭和22年)6月1日 - 1948年(昭和23年)3月10日 | 外務大臣 | 民主党 |
芦田内閣 | 西尾末廣 | 1948年(昭和23年)3月10日 - 1948年(昭和23年)7月6日 | 国務大臣(無任所) | 日本社会党 |
第2次吉田内閣 | 林讓治 | 1948年(昭和24年)10月19日 - 1949年(昭和24年)2月16日 | 厚生大臣 | 自由党 |
第3次吉田内閣 | 1949年(昭和24年)2月16日 - 1951年(昭和26年)3月13日 | 厚生大臣 のち(無任所) |
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第4次吉田内閣 | 緒方竹虎 | 1952年(昭和27年)11月28日 - 1953年(昭和28年)5月21日 | 国務大臣(内閣官房長官) のち(無任所) |
自由党 |
第5次吉田内閣 | 1953年(昭和28年)5月21日 - 1954年(昭和29年)12月10日 | 国務大臣(無任所) のち北海道開発庁長官 |
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第1次鳩山内閣 | 重光葵 | 1954年(昭和29年)12月10日 - 1955年(昭和30年)3月19日 | 外務大臣 | 自由民主党 |
第2次鳩山内閣 | 1955年(昭和30年)3月19日 - 1955年(昭和30年)11月22日 | 外務大臣 | ||
第3次鳩山内閣 | 1955年(昭和30年)11月22日 - 1956年(昭和31年)12月23日 | 外務大臣 | ||
第1次岸内閣 | 石井光次郎 | 1957年(昭和32年)5月20日 - 1958年(昭和33年)6月12日 | 国務大臣(無任所) のち行政管理庁長官兼北海道開発庁長官 |
自由民主党 |
第2次岸内閣 | 益谷秀次 | 1959年(昭和34年)6月18日 - 1960年(昭和35年)7月19日 | 行政管理庁長官 | 自由民主党 |
第1次田中角榮内閣 | 三木武夫 | 1972年(昭和47年)8月29日 - 1972年(昭和47年)12月22日 | 国務大臣(無任所) | 自由民主党 |
第2次田中角榮内閣 | 1972年(昭和47年)12月22日 - 1974年(昭和49年)7月12日 | 環境庁長官 | ||
三木内閣 | 福田赳夫 | 1974年(昭和49年)12月9日 - 1976年(昭和51年)11月6日 | 経済企画庁長官 | 自由民主党 |
第2次大平内閣 | 伊東正義 | 1980年(昭和55年)6月11日 - 1980年(昭和55年)7月17日 | 内閣官房長官 | 自由民主党 |
第3次中曽根内閣 | 金丸信 | 1986年(昭和61年)7月22日 - 1987年(昭和62年)11月6日 | 国務大臣(民間活力導入担当) | 自由民主党 |
竹下内閣 | 宮澤喜一 | 1987年(昭和62年)11月6日 - 1988年(昭和63年)12月9日 | 大蔵大臣 | 自由民主党 |
宮澤内閣 | 渡邉美智雄 | 1991年(平成3年)11月5日 - 1993年(平成5年)4月7日 | 外務大臣 | 自由民主党 |
後藤田正晴 | 1993年(平成5年)4月8日 - 1993年(平成5年)8月9日 | 法務大臣 | 自由民主党 | |
細川内閣 | 羽田孜 | 1993年(平成5年)8月9日 - 1994年(平成6年)4月28日 | 外務大臣 | 新生党 |
村山内閣 | 河野洋平 | 1994年(平成6年)6月30日 - 1995年(平成7年)10月2日 | 外務大臣 | 自由民主党 |
橋本龍太郎 | 1995年(平成7年)10月2日 - 1996年(平成8年)1月11日 | 通商産業大臣 | 自由民主党 | |
第1次橋本内閣 | 久保亘 | 1996年(平成8年)1月11日 - 1996年(平成8年)11月7日 | 大蔵大臣 | 社会民主党 |
- 副総理たる国務大臣が海外出張となる場合は、(同時に総理が海外出張等で不在となるかどうかにかかわらず)別の国務大臣に対し副総理出張中に期間を限定した一時的な臨時代理の指定の辞令が発出される。当該期間中に総理の不在が重なれば当該「代理の代理」大臣は内閣総理大臣臨時代理の肩書で職務を行うことになるが、そうでない場合は代理予定者としての待機的期間を過ごすにとどまる。どちらも実例があるが、副総理と同格とは言えないため上表には記載しない。なお、この「代理の代理」指定の場合に、元々の副総理への指定辞令は撤回・消滅にはならず潜在的に継続しているものとして扱われるため、海外出張からの帰国後に再度当該副総理に指定辞令が発出されることはない(自動的に指定状態に復帰する)。
- 再任(辞令あり)は個別に記載し、改造時の留任(辞令なし)は区別しない。
- 石橋内閣の岸信介、小渕内閣の青木幹雄は、辞令に病気時の臨時代理であると規定されているため、この表には含めない。
- 大平内閣の伊東正義は、辞令に病気等の限定条件記載がないため、この表には含める。