内閣官房長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内閣官房長官(ないかくかんぼうちょうかん)は、内閣法に基づき内閣に置かれる内閣官房の長。国務大臣をもって充てられる。
目次 |
[編集] 概説
内閣官房長官は、内閣官房の事務を統轄し、所部の職員の服務につき、これを統督する(内閣法13条)。 具体的には、以下の役割を担当する。
- 内閣の諸案件について行政各部の調整役。
- 重要な決定事項に関して国会各会派(特に与党)との調整役。
- これら重要事項や様々な事態に対する政府としての公式見解などを発表する「政府報道官」(スポークスマン)としての役割。
このため、マスコミ報道等では内閣総理大臣と並んで国民に対する露出度(認知度)が高い重要ポストである。首相の側近が任命されることが多く、首相の懐刀、総理の女房役ともいわれる。自民党内閣では首相出身派閥から任命される事例が多い。現在、安倍晋三・福田康夫の二人の官房長官経験者が二代連続で首相に就任していることから最近では将来の首相候補者の登竜門的ポストとも位置付けられている。
また国政の運営上必要な場合、内閣官房報償費を内閣官房長官の判断で支出できる。
このほか、内閣府設置法の規定に基づき内閣府(大臣委員会及び特命担当大臣の所掌部署を除く)の事務の総括整理も担当している。
執務室は総理大臣官邸5階にあり、特別職の国家公務員である国務大臣秘書官1人が割り当てられている。
2000年4月以降、内閣総理大臣臨時代理予定者第1位に指定されている。危機管理を担当している閣僚として様々な危機に対応しなければならないため、基本的に官邸にすぐに駆け付けることができる体制が望ましいとされており、海外訪問がほとんどできないポストとされている。
[編集] 内閣官房長官の補佐職
内閣官房長官を補佐する職として次のような官職が置かれている。
[編集] 沿革
- 1879年(明治12年)3月12日 - 太政官の「内閣」に内閣官房長官の前身である内閣書記官長が初めて設置され、下僚として大書記官・少書記官が置かれる。
- 1885年(明治18年)12月22日 - 内閣制度の発足とともに正式の常設職となる。
- 1890年(明治23年)6月30日 - 内閣所属職員官制の公布により、内閣所属の勅任官とされ、職掌が定められる。当時の職掌は「命ヲ内閣総理大臣ニ承ケ機密ノ文書ヲ管掌シ閣内ノ庶務ヲ統理シ及属以下ノ任免ヲ専行ス(内閣総理大臣の命令により機密文書を管理し、内閣の事務を監督し、内閣所属の判任以下の職員の人事権を執行する)」ものとされた。
- 1898年(明治31年)10月22日 - 内閣所属各局の局長に対する書記官長の指揮権が命令権に改められる。
- 1924年(大正13年)12月20日 - 内閣所属職員官制が全面改正され、書記官長直属の部局が内閣官房に改組。また、職掌に「内閣総理大臣ヲ佐ケ」が加わり、内閣総理大臣の補佐が明文化される。
- 1947年(昭和22年)5月3日 - 日本国憲法の施行に伴い、それまでの内閣書記官長を廃し、後継の職として、行政官庁法に基づく内閣官房長官が設置される。国務大臣の補職ではなかったため、国務大臣である者を内閣官房長官とする場合は「内閣官房長官に兼ねて任命する」との辞令表記となる。国務大臣でない者の場合の辞令は「内閣官房長官に任命する」。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 行政官庁法の失効に伴い、内閣法に基づく職となる。国務大臣をもって充てることができる旨が同法に明記されたため、その場合は「内閣官房長官に命ずる」との辞令表記となる。国務大臣でない者の場合は以前と同様「内閣官房長官に任命する」。
- 1963年(昭和38年)6月11日 - 内閣法の一部改正により、条件付きの認証官となる。国務大臣である者が内閣官房長官となる場合は国務大臣としての認証を受け、国務大臣でない者が内閣官房長官となる場合は内閣官房長官としての認証を受ける。
- 1966年(昭和41年)6月28日 - 内閣法の一部改正により、内閣官房長官は国務大臣をもって充てることとなる(単独の認証官ではなくなった)。
- 1984年(昭和59年)7月1日 - 総務庁の設置に伴い、内閣官房に加えて総理府(大臣庁等を除く)の総括整理をも担当することとなる。
- 2000年(平成12年)4月5日 - 複数の発令方法があり不備が指摘されていた内閣総理大臣臨時代理予定者の指定が、組閣時に第5順位まであらかじめ発令する方式に改められ、原則として内閣官房長官たる国務大臣がその第1順位に指定されることとなる。
- 2001年(平成13年)1月6日 - 中央省庁再編に伴い、総理府に引き続き内閣府(大臣庁等を除く)の総括整理を担当することとなる。
[編集] 政府首脳
報道において、「政府首脳」という言葉は慣例的に内閣官房長官を指す。これは取材記者との懇談など、公式ではない発言などについて用いられる表現である。同様の表現に「政府高官」があり、これは官房副長官を指すと言われている。
[編集] 最長在任者とその期間
現在、最も長く内閣官房長官を務めたのは福田康夫の1289日間である。2000年10月27日、第2次森内閣に途中入閣し、第2次小泉内閣途中まで在任。2004年5月7日に国会議員の年金未納問題の責任を取る形で辞任した。
[編集] 内閣官房長官の一覧
- 歴代の内閣官房長官を参照。
[編集] 関連項目
|
|
---|---|
内閣書記官長 | 田中光顕 - 小牧昌業 - 周布公平 - 平山成信 - 伊東巳代治 - 高橋健三 - 平山成信 - 鮫島武之助 - 武富時敏 - 安廣伴一郎 - 鮫島武之助 - 柴田家門 - 石渡敏一 - 南弘 - 柴田家門 - 南弘 - 江木翼 - 山之内一 - 江木翼 - 兒玉秀雄 - 高橋光威 -三土忠造 - 宮田光雄 - 樺山資英 - 小橋一太 - 江木翼 - 塚本清治 - 鳩山一郎 - 鈴木富士彌 - 川崎卓吉 - 森恪 - 柴田善三郎 - 堀切善次郎 - 河田烈 - 吉田茂 - 白根竹介 - 藤沼庄平 - 大橋八郎 - 風見章 - 田邊治通 - 太田耕造 - 遠藤柳作 - 石渡荘太郎 - 富田健治 - 星野直樹 - 三浦一雄 - 田中武雄 - 廣瀬忠久 - 石渡荘太郎 - 迫水久常 - 緒方竹虎 - 次田大三郎 - 楢橋渡 - 林譲治 |
内閣官房長官(非・認証官) | 林譲治 - 西尾末広 - 苫米地義三 - 佐藤栄作 - 増田甲子七 - 岡崎勝男 - 保利茂 - 緒方竹虎 - 福永健司 - 根本龍太郎 - 石田博英 - 愛知揆一 - 赤城宗徳 - 椎名悦三郎 - 大平正芳 - 黒金泰美 |
内閣官房長官(認証官) | 黒金泰美 - 鈴木善幸 - 橋本登美三郎 |
内閣官房長官(国務大臣) | 橋本登美三郎 - 愛知揆一 - 福永健司 - 木村俊夫 - 保利茂 - 竹下登 - 二階堂進 - 竹下登 - 井出一太郎 - 園田直 - 安倍晋太郎 - 田中六助 - 伊東正義 - 宮澤喜一 - 後藤田正晴 - 藤波孝生 - 後藤田正晴 - 小渕恵三 - 塩川正十郎 - 山下徳夫 - 森山眞弓 - 坂本三十次 - 加藤紘一 - 河野洋平 - 武村正義 - 熊谷弘 - 五十嵐広三 - 野坂浩賢 - 梶山静六 - 村岡兼造 - 野中広務 - 青木幹雄 - 中川秀直 - 福田康夫 - 細田博之 - 安倍晋三 - 塩崎恭久 - 与謝野馨 - 町村信孝 |