清水澄子
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清水 澄子(しみず すみこ、1928年3月1日 - )は日本の政治家。元参議院議員(2期)。日本社会党を経て社会民主党に所属した。
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[編集] 略歴
- 福井県出身。
- 1944年に丸岡町立丸岡高等女学校卒業。同年高槻女子医専に進学するも、在学中に空襲にあい福井県に引き揚げる。
- 1951年から福井県労働組合評議会に勤務。
- 1956年、福井県働く婦人の会を結成。
- 1962年、日本婦人会議発足に参加。日本婦人会議福井県事務局長。
- 1965年から日本社会党参議院議員田中寿美子秘書を務める。
- 1967年、日本婦人会議事務局長を経て、日本婦人会議議長。日本婦人会議常任顧問。
- 埼玉県大宮市に在住し、日本社会党埼玉県連合・社会民主党埼玉県連合所属。
- 1989年の第15回参議院議員通常選挙に日本社会党の比例代表候補として立候補し初当選。
- 日朝友好議員連盟に所属。
- 1994年、社会党女性・市民局長。
- 1995年、第4回世界女性会議(北京)参加。この会議を契機に同年11月に発足したNGO「北京JAC」の世話人となる。
- 1995年の第17回参議院議員通常選挙社会党比例代表で再選。
- 1996年、社会民主党発足に伴い副党首に就任。
- 2001年の第19回参議院議員通常選挙において落選し、政界を引退する。
[編集] 「従軍慰安婦問題」の火付け役
- 1990年12月18日の参議院外務委員会において、俗に言う「従軍慰安婦」と女子挺身隊を意図的に混同した質問を行い、「強制連行」等の言葉を交えつつ印象操作を行う。これに対し厚生省担当者は明確な否定を怠り、従軍慰安婦問題の迷走が始まった。
[編集] 北朝鮮の代弁者
- 参議院同期当選の深田肇と共に政界随一の親北朝鮮派政治家として知られ、政界入り前からたびたび北朝鮮を訪問している。また主体思想の信奉者であり、チュチェ思想国際研究所でも活動。学習運動などを行った。1982年刊行の『金日成主席は世界の指導者』(チュチェ思想国際研究所編)には「私たちは日本の婦人たちにこの学習、すなわちチュチェ思想の学習をひろめ、そして朝鮮人民に学ぼう、革命に学ぼうという運動をひろげている」(当時、日本婦人会議事務局長)との一文を寄せている。
- 2001年1月には、日本労働党の機関紙「労働新聞」のインタビューに対し「謝罪と補償にもとづく、朝鮮民主主義人民共和国との国交正常化がもっとも緊急の政治課題だということが、政治家はもちろん、国民の中でも十分認識されていないのが問題だ」「日本は過去の問題があるにもかかわらず、これを急ごうとしていない。常に、『ミサイル』とか『李恩恵』、今度は『拉致疑惑』など、自分自身の過去の清算が第一の課題なのに、他の問題を同列にもちこんでいる。これは、やはり、朝鮮民族に対する決定的な差別意識があるからだろう[1]」と答えて北朝鮮の主張を忠実に代弁し、政府を批判した。
- 更に同月、政府に対し北朝鮮による日本人拉致自体に疑義を差し挟む質問主意書を提出し、李恩恵の実在に疑問を呈したところ、逆に政府から「御指摘の失踪者については、捜査当局において、御指摘の元北朝鮮工作員に対する事情聴取を含め、それまでの捜査の結果を総合的かつ慎重に検討した結果、北朝鮮により拉致された疑いがあると判断するに至ったものと承知している」「李恩恵と称する人物については、捜査当局において、その特徴に酷似する埼玉県出身の日本人女性を抽出するに至ったため、同人の生年月日を含め、親族からの事情聴取等を行い、その捜査の結果を総合的かつ慎重に検討した結果、当該日本人女性と同一である可能性が極めて高いと判断するに至ったものと承知している」との回答を引き出してしまうなどしている。
- 落選後の2005年10月以降、朝鮮総連に対する強制捜査が複数回にわたって行われたが、清水は2006年9月に開催された警察の捜査に抗議する総連主催の集会に親北朝鮮派大学教授浅野健一・吉田康彦らとともに参加。またこれに先立つ2006年5月、清水らが開催した「06権利とくらし平和のための女性集会」で清水は「軍事化とジェンダー」と題して講演、「東京都(石原慎太郎知事)や埼玉県(上田清司知事)においてジェンダー・フリーが執ような攻撃に晒されている」「拉致問題以降の日本の現状はまるで朝鮮人といえば悪のイメージが形成され、総聯や在日朝鮮人を弾圧しても気にならない、許されるという恐るべき風潮を正すべき」「社会の隅々まで行き渡っているデマにふり回されてはならない。戦前も日本は敵国に対し鬼畜米英と徹底的に悪のイメージを植えつけた。現在、メディアをあげて北に対して同じような悪質なデマ宣伝が行われている。嘘を100回聞くと真実のように思い込まされるというが、私たちは、日朝国交正常化を支持し、真の平和に向けて連帯を強めよう」等と発言し、総連弾圧反対・日朝国交正常化推進をアピール。これを総連機関紙『朝鮮新報』が詳細に取り上げるなど、総連と関係も密接である。
[編集] 現在
- 落選後も北朝鮮を擁護する活動を続けており、拉致問題の「終結」や日朝国交正常化推進、北朝鮮人権法反対、朝鮮人遺骨返還問題解決などを訴えている。また議員在職中以来「女性国際戦犯法廷」に加わっており、「従軍慰安婦」問題や日本の「戦争責任」追及、更に護憲、人権、アジアにネットワークをつくると称するフェミニズム・ジェンダー・フリー関連の市民運動やNGOに参加している。
[編集] 現在の役職
- 朝鮮女性と連帯する日本婦人連絡会代表
- I女性会議(旧、日本婦人会議)常任顧問
- フォーラム平和・人権・環境副代表
- 北京JAC世話人
[編集] 著書
- 『手さぐりの女性解放』
- 『男女平等』(共著)
- 『医療110番』(共著)
- 『女性がつくる21世紀 私たちの北京「行動綱領」』(清水澄子・北沢洋子共著) 1996年2月 女性政策研究所/出版 ユック舎/発売 ISBN 4-8431-0061-7