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第一インターナショナル - Wikipedia

第一インターナショナル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第一インターナショナルFirst International)または国際労働者協会International Workingmen's Association)は、ヨーロッパの労働者社会主義者が創設した国際組織。マルクス派とバクーニン派の分裂によって崩壊した。

[編集] 創立まで

1862年ロンドンで開かれた国際博覧会に、200名のフランス労働者の代表団が派遣された。組織し費用を出したのはナポレオン3世である。彼らは8月5日の晩にフリーメーソン会館でイギリス労働者の歓迎を受け、「フランスおよびイギリスの労働者の同盟への万歳三唱」をもって終了した。1863年1月1日リンカーン大統領による奴隷解放宣言を迎え、イギリス労働組合での有力者であるジェームズ・オッジャーを中心にエクセター会館とセント・ジェームズ会館で公開の集会が開かれ、労働者たちが演説した。その年に起こったポーランド反乱に同情するイギリス労働者や急進主義者たちは、4月28日に集会を開き、イギリス政府はポーランドを救うために干渉するべきであると要求し、その代表団がパーマストン首相に同じ趣旨の決議文を手渡した。7月22日の集会には5名のフランス労働者が出席して、ポーランドの義挙を賞賛する演説を行う。次の晩にこのフランス人たちがイギリスの組合代表者たちと会合し、オッジャーを含む3名の委員会を任命し、パリの労働者へ向けて宣言文を発した。資本家たちが脅しとして使う外国人労働者の輸入などの手段に対抗するためには、労働者の国際組織が必要である、と。

9月28日に英仏をはじめとする諸国の労働者を招いての集会が催された。イギリス側の世話人はオッジャーと石工組合書記のウィリアム・ランダル・クリーマー、フランス代表はトラン、議長はロンドンの大学教授エドワード・スペンサー・ビーズリだった。国際労働者協会の綱領と規約をつくる委員会をつくり、10月5日の委員会は、さまざまな国籍の労働者を合わせて50名を数えた。11月1日に開かれた小委員会で、ドイツ担当書記であったカール・マルクスが起草した創立宣言と規約が満場一致で採択された。1848年から1864年までの労働者の貧困と権利獲得を概括し、政治権力を奪取することが労働者階級の義務である、と宣言は強調していた。規約は、人種・信仰・国籍に関わりなく、真理・正義・倫理を行動の基礎として認めることとした。協会の最高組織は総評議会(General Council)で、協会に代表を送る各国の労働者で構成される。総評議会の権限は、各国の労働者組織の連絡を引き受け、労働者階級の運動を報告し、統計研究を行い、国際紛争が起こった場合は加盟団体に統一行動をとらせること、など。

[編集] 活動

1866年に最初の年次大会がジュネーヴで開かれ労働組合の奨励、労働時間・婦人労働者児童労働の制限、常備軍の不正、ポーランド復興などについて決議した。1867年ローザンヌ大会では、ガリバルディヴィクトル・ユゴーバクーニンルイ・ブランによる「平和と自由の連盟」への完全一体の加盟を評決し、社会組織の変革が必要であることを宣言した。1868年ブリュッセル大会では圧倒的多数で私有財産の撤廃を決議し、諸国家間の戦争は将来は内乱同様に見なされるべきであると宣言した。1869年バーゼル大会では土地私有の廃止を決議したが、総評議会はバクーニンなどと「遺産相続の廃止」について意見が分かれた。1866年から1868年までこの「インターナショナル」はエディンバラ・パリ・ベルギーニューカッスルストライキに介入した。1870年普仏戦争によって年次大会は2年間延期となったが、この年9月9日にマルクスは総評議会として「プロイセンによるアルザス=ロレーヌの併合」を非難する声明を発している。1871年5月パリ・コミューンの崩壊に際して、やはり総評議会の名で『フランスにおける内乱』が世界に発表された。コミューンに属する92名のメンバー中17名が国際労働協会のフランス支部会員であった。1870年までに個人会員として登録されたのはわずかに294名であり、機関紙を最後まで持つことができなかった。

[編集] 分裂と崩壊

国際労働者協会において権威となったマルクスへの主な反対者として

  1. フランス・グループ:小財産を擁護し、土地私有を放棄せず。権力者へのテロを容認。
  2. イギリス労働組合:参政権や公正な法律は要求するが、「階級闘争」には関心が薄い。
  3. ロシアのバクーニンスペインイタリアスイス支部

が存在した。

マルクスとバクーニンは、1864年11月3日にロンドンで友好的に会見して以来、最後まで顔を合わせることがない。1871年12月バクーニンとその支持者であるスイスのジュラ連合は、インターナショナル全会員の即時招集を要求し、マルクスが牛耳る総評議会の専制を非難する『ソンヴィリエ通達』という文書をあらゆる国の部会に送った。バクーニンは自由な政治組織による緩い連合を提案し、マルクスはその意図を疑い権威と規律を主張したため、1872年9月2日ハーグ大会ではマルクス派の定数計算では40名のマルクス派代議員とその他24名の反対派は決裂し、バクーニンを除名し、9月6日に総評議会をロンドンからニューヨークに移転するという決議を採択し、最初の国際的労働者組織であるインターナショナルはここに自滅したのである。それに対して実質的には多数派を形成していたバクーニン派をはじめとするインターの各支部は、ハーグ大会に続くソンヴィリエ大会を開き、マルクスを除名し、マルクスから離脱した第一インターナショナルはしばらく存続し、その後の1876年フィラデルフィア大会で正式に解散する。


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