成瀬善久
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成瀬善久 千葉ロッテマリーンズ No.17 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 栃木県小山市 |
生年月日 | 1985年10月13日(22歳) |
身長 体重 |
180cm 86kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2003年 6巡目 |
初出場 | 2006年5月17日 |
経歴 | |
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成瀬 善久(なるせ よしひさ、1985年10月13日 - )は、栃木県出身のプロ野球選手。千葉ロッテマリーンズ所属。ポジションは投手。背番号は17。
目次 |
[編集] プレイスタイル
ボールの出所を隠しながらゆったりしたモーションで投球する変則的なフォームで打者のタイミングを外し、MAXでも142km/hとスピードは無いがキレのあるストレートと、高い制球力を武器に三振を奪う技巧派左腕。彼のフォームはピッチングの時のテイクバックが小さく、手首の曲げ具合が招き猫の上げた前脚に似ており、「猫招き投法」と呼ばれる事もある。
球種はストレート、スライダー、チェンジアップ、フォーク、カーブ、スクリュー(現在ではストレート、スライダー、チェンジアップ以外はあまり投げない)。
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
- 小山市立桑中学校在学時はエースとして第22回全国中学校軟式野球大会に出場。1試合16奪三振と毎回奪三振の大会記録を樹立しチームを全国第3位に導く(毎回奪三振は長谷川滋利、山本省吾らも記録している)。
- 横浜高校時代は度重なる故障に悩まされたが、3回戦の明徳義塾を劇的に破ると勢いに乗って、クレバーな投球術で第75回選抜高等学校野球大会準優勝。決勝では西村健太朗(現巨人)・白濱裕太(現広島)のバッテリーを擁する広陵高校と対戦。先発で1学年下の涌井秀章(現埼玉西武ライオンズ)をリリーフしたがともに打ち込まれ、3-15という大敗を喫した。第85回全国高等学校野球選手権大会神奈川県予選では決勝進出を果たすも給前信吾(現信濃グランセローズ)と、1学年下に田澤純一(現新日本石油ENEOS)を擁する横浜商大高校に敗れ春夏連続出場を逃した。
[編集] プロ入り後
故障の影響もありシーズン前半を棒に振る。後半からは、ファームで安定した成績を残した。
5月17日に一軍昇格し横浜ベイスターズ戦でプロ初登板初先発初勝利を飾り、結果的に13試合で5勝をあげ先発ローテーション定着を果たす。
突如として素質が開花。16勝1敗、防御率1.817でオールスターに出場、月間MVPを二度受賞し、最優秀防御率、最優秀投手を獲得した。この年の黒星は交流戦(横浜戦)のみで、パ・リーグ球団との試合では無敗であった。だが、北海道日本ハムとの戦いとなったクライマックスシリーズ第2ステージ最終戦ではこの年唯一となるパリーグ相手の敗戦を喫した。また与四球27は規定投球回に到達した投手では武田勝の17についで2位。ちなみに、防御率1点台、勝率9割台でシーズンを終えた投手が出たのは1959年の杉浦忠以来48年ぶり、2リーグ制以後では2人目の記録である。
翌年の北京五輪出場を目指す野球日本代表に招集され、台湾で行われた最終予選の第2戦・韓国代表との試合に先発。4回途中に中日・川上憲伸にマウンドを譲り勝ち負けはつかなかったものの、粘る韓国打線を2失点に抑え勝利に貢献した。
背番号を17に変更。
[編集] 年度別投手成績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
登 板 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
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2004年 | ロッテ | 60 | 一軍登板なし | |||||||||||||||||||
2005年 | 一軍登板なし | |||||||||||||||||||||
2006年 | 13 | 2 | 1 | 0 | 5 | 5 | 0 | .500 | 326 | 78.1 | 75 | 6 | 21 | 4 | 83 | 2 | 0 | 33 | 30 | 3.45 | ||
2007年 | 24 | 6 | 4 | 2 | 16 | 1 | 0 | .941 | 675 | 173.1 | 132 | 10 | 27 | 4 | 138 | 0 | 0 | 36 | 35 | 1.82(1) | ||
2008年 | 17 | |||||||||||||||||||||
通算成績 | 37 | 8 | 5 | 2 | 21 | 6 | 0 | .778 | 1001 | 251.2 | 207 | 16 | 48 | 8 | 221 | 2 | 0 | 69 | 65 | 2.32 |
- 表中の太字はリーグトップの成績
- 2007年シーズン終了時
[編集] タイトル・表彰・記録
[編集] タイトル
[編集] 表彰
[編集] 記録
- 最多完封 - 1回(2007年)
[編集] 球歴
- 初登板・初先発・初勝利 - 2006年5月17日対横浜戦(横浜スタジアム)
- 初奪三振 - 同上、1回裏・石井琢朗内野手から
- 初完投勝利 - 2006年6月14日対横浜戦(千葉マリン)
- 初完封勝利 - 2006年9月18日対オリックス戦(千葉マリン)
[編集] エピソード
- 高2秋の県大会では背番号は10で1は涌井秀章がつけていた。その後の関東大会から1を背負った。
- ファンの質問の一つ“苦手なものは?”にはブロッコリーと回答。「中学生のときに嫌な思いをしたので、できれば見たくもないぐらい」としている。
- チームでのニックネームは「ニャー」(彼の投球フォームに由来)。ファンのブログでは「ニャー」+成瀬で“ニャルセ”や、“なるニャン”などと表記されている事もある。
- 西武戦・日本ハム戦に強く、2007年はそれぞれ7戦6勝0敗・4戦4勝。さらにソフトバンクやオリックスにも2勝だが防御率は1点台と抑え込んでいる。一方で楽天には2試合先発して0勝0敗、防御率は4点台と相性が悪かった。
- 独特の投球フォームは、「和田選手の出所を隠す部分と杉内選手のゆったりした部分を足したフォーム」(本人談、報道ステーション2007年10月5日放送のスポーツ内より)とのこと。
- 2006年の飛躍については、「キャンプ中に内転筋を痛めたおかげ」と語っている。
- 独特のスピン量の多いストレートを投げるため、キャッチボールに人一倍気を使っているという。
- 2007年のクライマックスシリーズの第2ステージ最終戦ではダルビッシュ有との投げ合いに敗れ、悔しさのあまりベンチで号泣した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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監督 |
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2ボビー・バレンタイン |
コーチ |
78西村徳文(ヘッド兼外野守備走塁兼3塁ベースコーチ)|79井上祐二(投手)|87高橋慶彦(打撃)|85袴田英利(バッテリー)|77吉鶴憲治(バッテリー)|81成本年秀(ブルペン)|83ランペン(打撃兼内野守備兼ベンチコーチ)|73諸積兼司(バント兼1塁ベースコーチ)|90立花龍司(ヘッドコンディショニング)|86佐野嘉幸(巡回) |
二軍監督・コーチ |
80レン・サカタ(監督)|71古賀英彦(ヘッド)|88荘勝雄(投手)|75高沢秀昭(打撃兼外野守備走塁)|94定詰雅彦(バッテリー)|72上川誠二(内野守備走塁)|82イエーツ(投手兼コンディショニング担当) |
投手 |
0荻野忠寛|1大嶺祐太|11神田義英|12川崎雄介|13浅間敬太|14小宮山悟|15柳田将利|16久保康友|17成瀬善久|18清水直行|19唐川侑己|20服部泰卓|21内竜也|24下敷領悠太|27古谷拓哉|28根本朋久|29小野晋吾|30伊藤義弘|31渡辺俊介|35三島輝史|36黒滝将人|37林啓介|38中郷大樹|41小林宏之|43アブレイユ|45松本幸大|46呉偲佑|47手嶌智|48高木晃次|49シコースキー|51植松優友|53相原勝幸|56木興拓哉|60阿部和成|66末永仁志|69江口亮輔|99田中良平 |
捕手 |
22里崎智也|33橋本将|39田中雅彦|62金澤岳|63青松敬鎔|67新里賢 |
内野手 |
4オーティズ|5堀幸一|7西岡剛|8今江敏晃|9福浦和也|32根元俊一|40渡辺正人|42ズレータ|52塀内久雄|58青野毅|59細谷圭|68早坂圭介|70定岡卓摩 |
外野手 |
00代田建紀|3サブロー|10大松尚逸|23大塚明|25竹原直隆|44早川大輔|50ベニー|55神戸拓光|57佐藤賢治|61角中勝也|65南竜介 |
育成選手 |
121池田健|122宮本裕司|123小林憲幸|124白川大輔|125大谷龍次|126田村領平 |
千葉ロッテマリーンズ 2003年ドラフト指名選手 |
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1巡目:内竜也 / 3巡目:杉原洋 / 4巡目:田中雅彦 / 5巡目:三島輝史 / 6巡目:成瀬善久 / 7巡目:藤井宏海 |