塀内久雄
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塀内 久雄 千葉ロッテマリーンズ No.52 |
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基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県西予市 |
生年月日 | 1981年7月7日(26歳) |
身長 体重 |
180cm 76kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト4位 |
初出場 | 2002年4月7日 |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
塀内 久雄(へいうち ひさお、1981年7月7日 - )は、プロ野球パシフィック・リーグ、千葉ロッテマリーンズ所属のプロ野球選手(内野手)。背番号は52。
主に二塁を守るが三塁、遊撃も守ることができる。
目次 |
[編集] 来歴
- 1999年、三瓶高校からドラフト4位で千葉ロッテに指名され、入団。高校通算30本塁打。99年夏の愛媛県大会一回戦。
- 2001年、顎骨・右足首を骨折し、活躍できず。
- 2002年、小坂誠の故障により、出場機会が増加。4月8日の対日本ハム戦では、クリス・シールバックから史上41人目のプロ初打席本塁打を放ち、遂にブレイクかと思われた。しかし同年4月26日、右膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い、手術を受ける。
- 2004年、2年間のリハビリを経て、再び一軍に昇格。
- 2005年ケガから復帰し3年ぶりの安打を放つ。二軍では打率.328、8本塁打、6盗塁と活躍を見せた。 日本シリーズでは第2戦目に「2番・二塁手」で初出場。この年から開催された国際公式戦アジアシリーズでは怪我で欠場の堀幸一、小坂誠らの代役として全試合先発出場したがノーヒットに終わる。
- 2006年、初めて開幕一軍に登録される。シーズン序盤以降は準レギュラーとして出場試合が増えたものの、打率は2割を少し超える程度と低迷し、レギュラー獲得はならなかった。二軍では打率.305、6本塁打。また応援歌が新しいものへと変更された。
- 2007年1月27日、元モデルの渡辺奈緒美との婚姻届を提出。シーズンではTSUYOSHIの怪我もあり自己最多の出場機会を得たものの、打率が2割を切る極度の不振に加え、送りバントの失敗や守備での失策も連発。さらに終盤はオーティズの途中加入により出場機会が激減した。またしても低調なシーズンとなってしまったが、主に代打・守備要員として初めてシーズン通して一軍に残った。二塁手47試合・遊撃手21試合・三塁手19試合とさまざまなポジションを守り、二塁と遊撃はチーム2位の出場試合数で、準レギュラー的な活躍を見せた。
[編集] 年度別打撃成績
年度 | 球団 | 背 番 号 |
試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗 塁 死 |
犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併 殺 打 |
打率 |
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2000年 | ロッテ | 52 | 一軍出場なし | ||||||||||||||||||
2001年 | 一軍出場なし | ||||||||||||||||||||
2002年 | 17 | 31 | 26 | 2 | 3 | 0 | 0 | 1 | 6 | 4 | 0 | 2 | 3 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | .115 | ||
2003年 | 一軍出場なし | ||||||||||||||||||||
2004年 | 3 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | ||
2005年 | 15 | 20 | 19 | 2 | 4 | 2 | 0 | 0 | 6 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | .211 | ||
2006年 | 49 | 115 | 102 | 12 | 21 | 6 | 0 | 2 | 33 | 8 | 1 | 0 | 4 | 0 | 7 | 2 | 33 | 0 | .206 | ||
2007年 | 88 | 146 | 134 | 17 | 25 | 11 | 1 | 0 | 38 | 7 | 2 | 0 | 5 | 1 | 6 | 0 | 41 | 2 | .187 | ||
通算成績 | 172 | 318 | 287 | 33 | 53 | 19 | 1 | 3 | 83 | 20 | 3 | 3 | 13 | 1 | 15 | 2 | 92 | 2 | .185 |
[編集] 初記録
- 初出場 - 2002年4月7日対大阪近鉄2回戦(千葉マリンスタジアム)、「8回遊撃手」
- 初安打 - 2002年4月8日対日本ハム1回戦、3回裏・シールバック投手から
- 初打点 - 2002年4月8日対日本ハム1回戦、3回裏・シールバック投手から
- 初本塁打 - 2002年4月8日対日本ハム1回戦、3回裏・シールバック投手から
- 初盗塁 - 2006年8月29日対ソフトバンク17回戦、9回裏
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
監督 |
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2ボビー・バレンタイン |
コーチ |
78西村徳文(ヘッド兼外野守備走塁兼3塁ベースコーチ)|79井上祐二(投手)|87高橋慶彦(打撃)|85袴田英利(バッテリー)|77吉鶴憲治(バッテリー)|81成本年秀(ブルペン)|83ランペン(打撃兼内野守備兼ベンチコーチ)|73諸積兼司(バント兼1塁ベースコーチ)|90立花龍司(ヘッドコンディショニング)|86佐野嘉幸(巡回) |
二軍監督・コーチ |
80レン・サカタ(監督)|71古賀英彦(ヘッド)|88荘勝雄(投手)|75高沢秀昭(打撃兼外野守備走塁)|94定詰雅彦(バッテリー)|72上川誠二(内野守備走塁)|82イエーツ(投手兼コンディショニング担当) |
投手 |
0荻野忠寛|1大嶺祐太|11神田義英|12川崎雄介|13浅間敬太|14小宮山悟|15柳田将利|16久保康友|17成瀬善久|18清水直行|19唐川侑己|20服部泰卓|21内竜也|24下敷領悠太|27古谷拓哉|28根本朋久|29小野晋吾|30伊藤義弘|31渡辺俊介|35三島輝史|36黒滝将人|37林啓介|38中郷大樹|41小林宏之|43アブレイユ|45松本幸大|46呉偲佑|47手嶌智|48高木晃次|49シコースキー|51植松優友|53相原勝幸|56木興拓哉|60阿部和成|66末永仁志|69江口亮輔|99田中良平 |
捕手 |
22里崎智也|33橋本将|39田中雅彦|62金澤岳|63青松敬鎔|67新里賢 |
内野手 |
4オーティズ|5堀幸一|7西岡剛|8今江敏晃|9福浦和也|32根元俊一|40渡辺正人|42ズレータ|52塀内久雄|58青野毅|59細谷圭|68早坂圭介|70定岡卓摩 |
外野手 |
00代田建紀|3サブロー|10大松尚逸|23大塚明|25竹原直隆|44早川大輔|50ベニー|55神戸拓光|57佐藤賢治|61角中勝也|65南竜介 |
育成選手 |
121池田健|122宮本裕司|123小林憲幸|124白川大輔|125大谷龍次|126田村領平 |
千葉ロッテマリーンズ 1999年ドラフト指名選手 |
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1位:高橋薫 / 2位:清水直行 / 3位:戸部浩 / 4位:塀内久雄 |